米は裏切らない
「言っておくが」
蒸籠の前で、お稲荷様は真顔だった。
「米は、小豆より正直だ」
「正直……?」
「手を抜けば、必ず不味くなる。
誤魔化せば、必ず形に出る。
だが」
一拍置く。
「向き合えば、決して裏切らん」
千代は無言で頷き、洗ったもち米を笊に上げた。
水を切る時間。
蒸すまでの待ち。
祖母に教わった手順が、頭の中をなぞっていく。
「いつも通りでいいですか」
「いいや」
即答だった。
「今日は“売るための米”ではない」
「……え」
「“包むための米”だ」
蒸気が立ち上り、厨房に米の匂いが満ちる。
ふっくらとして、どこか甘い。
千代は思わず、深く息を吸った。
「この匂いに、最近、気づいておったか?」
お稲荷様の声は低い。
「……あんまり」
「だろうな。
売上と帳簿と不安で、鼻が塞がれておった」
蒸し上がった米を、臼に移す。
杵を振るうのは久しぶりだった。
「力は要らん」
「え、でも……」
「米を潰すな。寄せろ」
杵を落とすたび、米が潰れていく感触に、千代は眉を寄せた。
「……難しい」
「だから皆、機械に任せる」
お稲荷様は、少しだけ口元を緩めた。
「だが、おはぎは違う。
米は主役ではない。
だが、脇役でもない」
「……どういう」
「餡を抱くための身体だ」
千代は、ふと手を止めた。
「……抱く」
「包むでも、隠すでもない。
受け止める、だ」
言われてみれば、と思う。
祖母のおはぎは、餡が前に出すぎず、米が負けてもいなかった。
「……私、今まで」
千代は、米を均一にしようとばかりしていたことに気づく。
形を揃え、数を揃え、時間を揃える。
「同じじゃないと、怖かったんです」
「商売人だな」
お稲荷様は、はっきり言った。
「だが、職人は違う」
千代は唇を噛んだ。
「……失敗したら?」
「失敗する」
「売れなかったら?」
「売れん日もある」
あまりに当たり前の口調で、千代は思わず笑ってしまった。
「でもな」
お稲荷様は、米を一握り取り、軽く丸める。
「この米が、餡を守るかどうかは、
今日のお主次第だ」
千代も、そっと真似をする。
力を抜いて。
寄せるように。
手のひらの温度を、少し意識して。
「あ……」
指の中で、米がまとまった。
「……崩れない」
「それでいい」
餡を包み、そっと置く。
形はいびつだが、どこか柔らかい。
一口。
「……」
千代は、しばらく黙って噛んだ。
「……優しい」
「だろう」
「主張しないのに、いないと困る」
お稲荷様は、満足そうに頷いた。
「それが米だ。
人と同じだな」
「……急に重いこと言いません?」
「神は、だいたい急だ」
千代は、思わず吹き出した。
久しぶりに、厨房に笑い声が響く。
「次は、形だ」
「まだあるんですか……」
「当然だ」
お稲荷様は、ぴしりと言った。
「おはぎは、見られてから、口に入る」
千代は深く息を吐き、気合を入れ直した。
潰れかけのおはぎ屋は、
今日もまた、一つ大事なことを思い出していた。




