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お稲荷様は、甘いものにうるさい  作者: 櫻木サヱ


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3/7

小豆に謝れ!

「まず言っておく」


朝の厨房は、まだ外よりも冷たい空気を含んでいた。

炊飯釜の前で腕を組み、お稲荷様は低い声で言った。


「おはぎ作りを甘く見るな」


「……見てません」


千代は小さく反論したが、視線は釜から逸らせない。

中では、昨夜から水に浸しておいた小豆が、静かに待っている。


「見ていない者ほど、見ていないものだ」


お稲荷様は釜の蓋を開け、湯気の向こうを覗き込んだ。


「火を入れろ」


千代は言われるままにガスを点ける。

祖母から教わった通りの火加減。

何度も何度も繰り返してきた、体が覚えている動きだった。


しばらくして、豆が揺れ始める。


「止めろ」


「え? まだ――」


「止めろと言った」


慌てて火を止めると、お稲荷様は豆を一粒すくい、指で潰した。


「硬い」


「……でも、ここからが」


「言い訳は後だ」


そのまま、鍋を千代の方へ突き出す。


「今の小豆に、何と言う」


「……は?」


「言葉だ。小豆にだ」


千代は一瞬、本気で頭がおかしいのでは、と思った。

だが、昨日からの出来事を思い出し、反論する気力も削がれている。


「……えっと……」


小豆。

毎日扱ってきたはずなのに、急に他人のように感じた。


「……ごめんなさい?」


お稲荷様は眉をひそめた。


「違う」


「え」


「謝る相手を間違えるな。今のは、自分に対する言い訳だ」


そう言って、鍋を戻す。


「お主は、小豆を『使っている』」


「……はい」


「祖母は、『預かっていた』」


その言葉に、胸がきゅっと縮んだ。


「小豆は生き物だ。甘くなるにも、崩れるにも理由がある。

だが、お主は毎回同じ工程をなぞるだけで、今日はどうなのかを見ておらん」


「……そんなこと」


「では、今日の豆は、昨日と同じか?」


千代は答えられなかった。


産地も、天候も、浸水の時間も、微妙に違う。

分かってはいた。

でも、それを味として受け止める余裕は、いつの間にか失っていた。


「商売が苦しくなると、人は作業に逃げる」


お稲荷様は静かに言った。


「考えるのが怖くなるからだ」


千代は唇を噛んだ。


「……じゃあ、どうすればいいんですか」


「見る」


即答だった。


「触れ。嗅げ。聞け。

今日は、どんな甘さになりたいかをな」


「……小豆が?」


「そうだ」


お稲荷様は、ふっと笑った。


「分からなければ、何度でも失敗すればよい。

この店は、まだ終わっておらん」


再び火を入れる。

今度は、千代はじっと鍋を見つめ続けた。


音。

匂い。

豆が湯の中でほどけていく感触。


祖母の背中が、ふと脳裏をよぎる。


「おはぎはね、急かすと拗ねるんだよ」


あの言葉の意味が、少しだけ分かった気がした。


「……今日は、ゆっくりがいい?」


思わず、口に出た。


お稲荷様は、何も言わない。

ただ、その金色の目が、わずかに細くなった。


その日、出来上がった餡は、決して完璧ではなかった。

形も揃っていない。

甘さも、少し控えめだ。


けれど。


「……あ」


千代は、一口食べて声を漏らした。


「……ちゃんと、いる」


そこに、小豆がいた。


「ようやく、挨拶ができたな」


お稲荷様は、満足そうに頷いた。


「次は、米だ。

覚悟しておけ。米は、小豆より気難しい」


千代は、思わず苦笑した。


潰れかけのおはぎ屋の朝は、こうして少しずつ、変わり始めていた。

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