潰れかけのおはぎ屋と、狐の来訪
商店街の一番端。
シャッターの音だけがやけに大きく響く朝が、ここ最近の日常だった。
「……今日も、三個しか売れてないか」
木の引き戸を閉めながら、千代は小さく息を吐いた。
創業五十年の「千代乃屋おはぎ」。祖母の代から続く店だが、今では客足もまばらで、夕方まで残るおはぎの方が多い。
味に自信がないわけじゃない。
手間も惜しんでいない。
それでも、時代の流れというやつは容赦がなかった。
スマホで「映える」洋菓子に客を取られ、コンビニのおはぎの方が手軽だと選ばれる。
暖簾を守るという言葉が、重たく胸にのしかかる。
「……もう、潮時なのかな」
そう呟いた瞬間だった。
カラン、と鈴の音。
「失礼するぞ」
振り返ると、そこに立っていたのは妙な客だった。
白い羽織に赤い袴。年の頃は二十代後半ほどに見えるが、どこか時代錯誤な装いだ。
なにより、目が異様に金色に近い。
「えっと……開店前ですけど」
「知っておる。だが、今日は売るためではなく、作るために来た」
男は勝手知ったるように店に入り、ショーケースを覗き込む。
「ふむ。餅は悪くない。小豆も真面目だ。だが……」
指先で空気をすくい、首を傾げた。
「心が、甘さに追いついておらぬな」
「は?」
千代が固まっていると、男はくるりと振り返り、にやりと笑った。
「名乗っておこう。わしはこの辺りの稲荷を預かる者。人の言葉で言えば――お稲荷様、というやつだ」
「……え?」
狐の面も、耳も、尻尾もない。
だが、否定する言葉より先に、不思議と納得が胸に落ちてきた。
「お主の店が、このまま消えるのは困るのでな」
「え、ちょ、ちょっと待ってください。冗談ですよね? ドッキリ?」
「冗談なら、昨日の売上が三個で済むものか」
千代は言葉を失った。
「安心せい。無理難題を押しつけるつもりはない」
お稲荷様は棚に並ぶおはぎを一つ取り、丁寧に眺める。
「ただし――わしは甘味には厳しいぞ」
「……何しに来たんですか」
「指導だ」
即答だった。
「お主のおはぎは、真面目すぎる。人の腹は満たしても、心を掴みきれておらん」
「そんな……」
「だから教えてやる」
金色の瞳が、じっと千代を見据える。
「神に供え、神が喜び、なおかつ人が通うおはぎをな」
店の奥で、どこか風鈴のような音が鳴った。
千代は気づかないうちに、背筋を正していた。
「……断ったら?」
「潰れる」
にこやかな顔で、容赦のない一言。
「選べ。暖簾を下ろすか、狐に弟子入りするか」
千代は、祖母の笑顔を思い出した。
餡を練る背中。
「おはぎはね、作り手の覚悟が味になるんだよ」という声。
「……弟子入りって、何をするんですか」
「まずは」
お稲荷様は袖をまくり、炊飯釜を指さした。
「小豆の声を聞くところからだな」
こうして、潰れかけのおはぎ屋と、やたら口うるさいお稲荷様の奇妙な修行生活が始まった。




