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「大東亜共同宣言」の基督教的解釈 口語訳

日本基督教団がここで言っていることは偽りである。日本は、異教の偶像崇拝を拒んだ日本の美濃ミッションや、朝鮮、インドネシアのクリスチャンを迫害していた。大勢の真のクリスチャンが殉教した。

私は、日本基督教団の代表者です。日本基督教団というのは、日本全国のプロテスタント、つまり福音主義のキリスト教会のほとんど全部が、一昨年合同して作られた教会です。合同していないのは、わずかに聖公会の一部だけで、元々イギリスに本部があった救世軍も、すでにこの教団に参加していますし、残っている聖公会も、だんだん合同するに違いありません。ですから、日本基督教団は、日本のプロテスタント教会の全体であると言っても言い過ぎではなく、私はその代表者として、日本のプロテスタント、キリスト教徒全体の声をこれから放送したいと思います。


もっとも私は、今日までひたすら祈ることに力を入れてきました。主イエス・キリストが教えられた祈りに従って、「御心が天で行われるように、地でも行われますように」と常に祈ってきました。我が日本の真意が世界に正しく理解され、天使の賛美のように「地には平和」があるようにと祈ってきました。しかし最近、アメリカやイギリス側では、様々な嘘を宣伝し、日本の真意を歪曲するだけでなく、キリスト教までも故意に誤って伝えています。私はやむを得ず立ち上がり、ここに放送することにしました。使徒パウロは「天にある悪の霊と戦うのです」と記していますが、今日の空中には悪い霊がラジオを通じて働いていると言えます。日本基督教団の代表者は、同じくラジオを通じて、アメリカやイギリス側の悪霊の放送に対して挑戦するのです。


日本が大東亜戦争を起こしたのには、いろいろな理由があります。いや、これは日本が起こしたのではありません。歴史をさかのぼって考えると、アメリカやイギリスがはるか昔に手を出してきたから、日本は本当に仕方なく正当防衛をしたにすぎません。イギリスがインドに侵略し、その人々を抑圧し、その富を奪い取ったことは、歴史に明らかです。イギリスが中国に恐ろしいアヘンを売りつけ、中国がこれを拒むと、いわゆるアヘン戦争を起こし、これに勝って様々な利権を奪い取ったことは、イギリスのグラッドストン自身が国の恥として憤慨したことではありませんか。あるいは、アメリカがフィリピンを占領し、東洋に侵略し、これを植民地化しようとしていることも、私たち東洋人の憤りを感じるところです。東洋の近世百年史は、つまりアメリカやイギリスの東洋侵略史に他なりません。特に日中戦争勃発以来、アメリカやイギリスの策略は、我が日本の忍耐の限界を超えたものであり、これが今回の戦争の直接的な原因です。


しかし今、私は、過去について消極的に詮索するよりも、積極的に将来に対する日本の態度について一言述べたいと思います。いや、これは日本だけでなく、中華民国、タイ、満州国、フィリピン、ビルマ、自由インドの共同宣言であり、要するにこれは東洋の声であると言えます。


まず大東亜共同宣言の第一は、「大東亜各国は協力して大東亜の安定を確保し、道義に基づく共存共栄の秩序を建設する」ということです。つまり、大東亜の国々は互いに力を合わせて、大東亜の平和を確実なものにし、正義に基づいて互いに栄えていく秩序を作り上げようということです。協同、安定、道義、秩序、これはキリスト教の徳ではないですか。それなのに、自らキリスト教国を任じるアメリカやイギリスは、大東亜の諸国と協力せず、侵略をほしいままにして飽きることなく、アメリカやイギリス自国の利益だけを考えて今日に至ったではありませんか。


二つ目は、「大東亜各国は互いに自主独立を尊重し、助け合い親睦を深め、大東亜の親和を確立する」ということです。キリスト教の精神は、自分の自主独立を重んじるように、他者の自主独立も尊重することにあり、しかも互いに助け合い親しみ合うことにあります。ところが、アメリカとイギリスは、東洋諸国の自主独立を尊重しないだけでなく、さらに何度も東洋が自ら解決すべき問題に口出しして、東洋諸国を互いに衝突させたことは、いったい何度あったか分かりません。我が日本は、アメリカとイギリスが忘れた、いやむしろ背いたキリスト教精神を実行しようとするものです。


三つ目は、「大東亜各国は互いにその伝統を尊重し、各民族の創造性を伸ばし、大東亜の文化を高揚する」ということです。世界文化の歴史は、東洋にいかに尊ぶべき、かつ美しい伝統が豊かにあったかを示しています。キリスト教は伝統を重んじ、その完成を目指す宗教ですが、アメリカとイギリスが東洋に侵略したため、その伝統は何度も踏みにじられました。伝統と共に重んじるべきは、創造性です。ところが、アメリカとイギリスの侵略は、東洋各民族の創造性を奪ってしまったことは、イギリスのインドにおける、あるいはアメリカのフィリピンにおける例を見れば、極めて明らかです。世界の文化において、最も古いものは大東亜の文化ですが、その活気が失われて久しく、今こそ大東亜各国は協力して、大東亜の文化を高揚しようとするのです。


四つ目は、「大東亜各国は互恵の下に緊密に提携し、その経済発展を図り、大東亜の繁栄を増進する」ということです。互いに助け合い、経済的に協力し合うことは、神の御心です。ある国が非常に豊かである一方で、ある国が非常に貧しく、いわゆる「持てる国」と「持たざる国」があるのは、決して神が喜ばれることではありません。アメリカとイギリスが世界の富を獲得しようとし、特に東洋の宝庫を独占しようと企て、アングロサクソン民族のみの繁栄増進を図るのは、キリスト教信仰から見て断じて許されることではありません。


ところが第一次世界大戦後、ベルサイユ講和会議において、日本が人種差別撤廃を唱えると、アメリカとイギリスの計画で作られたその会議は、このキリスト教信仰とも一致する重要な提案を無視してしまったではありませんか。「資源を開放し、世界の進歩に貢献する」という堂々とした主張は、人種差別に固執するアメリカとイギリスには到底夢にも思えないことでしょう。


五つ目は、「大東亜各国は万国との友好関係を深め、人種差別を撤廃し、広く文化を交流し、進んで資源を開放し、世界の進歩に貢献する」ということです。キリスト教が人種差別撤廃を主張したことは、すでに早く使徒パウロの手紙にも明らかに示されています。


要するに、大東亜共同宣言は、長年アメリカとイギリスに圧迫され、あるいは脅されてきた東アジア諸国の心の底からの叫びです。長年抑えられてきた噴水が、第二次世界大戦をきっかけに天に向かって噴き出した姿です。いや、大東亜共同宣言を詳しく考察するならば、来るべき新しい世界の進路を予告するものと言えるでしょう。協力による安定、道義に基づく共存共栄の秩序、自主独立の尊重、助け合いの親和、伝統の尊重、創造性の促進、文化の高揚、緊密な提携、万国との友好関係、人種差別の撤廃、文化の交流、資源の開放、世界の進歩への貢献など、どの国がこれに反対し、どの民族がこれを拒否するでしょうか。もしいるとすれば、今日までその反対を押し進めた結果、第二次世界大戦を引き起こした責任者のアメリカとイギリスだけです。アメリカとイギリスは自らキリスト教国を任じてきた国であり、今何をすべきかについて、十分に知っているはずです。唯一つ、悔い改めて、キリスト教の信仰に戻る道があるのみです。すなわち、大東亜共同宣言がキリスト教信仰においても正当であることを悟り、主イエス・キリストが祈りの模範として教えられた「御心が天で行われるように、地でも行われますように」と祈るべきです。


日本基督教団の代表として、私は今、大東亜共同宣言を前にして、聖書を開き、そのキリスト教的な解釈をしていることを非常に嬉しく思います。これは私一人だけでなく、日本のプロテスタント教徒全体の思いであることを、代表の名において明言します。大東亜共同宣言について、キリスト教的な解釈を述べたいことはたくさんありますが、それはまた別の機会にしたいと思います。


最後に一つ、はっきりさせておきたいことがあります。それは、アメリカとイギリスが放送や宣伝で、「日本ではキリスト教徒が迫害されている」「日本政府は信教の自由を認めていない」と言っていることです。もしアメリカとイギリスが推測でそう言っているのなら、それは非常に滑稽であり、不謹慎千万です。もし真実を知っていながら嘘を宣伝しているのなら、これほど大きな罪はなく、冒涜と言うべきです。私は重い責任を負う日本基督教団の代表として、はっきり言います。日本のキリスト教徒は迫害されていません。信教の自由は、約50年前から帝国憲法で明確に保障されています。さらに私は明言します。一昨年、政府は宗教法の条文に、他の宗教と共にキリスト教を並べて記載し、他の宗教と全く同じように丁重に扱っています。最近では、政府は他の宗教の代表者と共に日本基督教団の代表を招集し、率直な意見を聞き、協力を要請しているほどです。私は神とキリストの名にかけて、アメリカとイギリスのこれらの宣伝が全くの誤りであることを明言し、これを打ち砕かずにはいられません。


「大東亜共同宣言」の基督教的解釈

1943(昭和一八)年11月5日、帝国議事堂において、 大東亜会議が開催され、日本、満州、タイ、フィリピン、ビルマ、中華民国(汪兆銘政権)の各代表が参加、翌11月6日、 共同宣言を発表した。


これは教団統理者の富田満牧師によってこの年ラジオで放送されたと考えられる。


予は、日本基督教団統理者である。日本基督教団と云ふのは、 日本全国のプロテスタント即ち福音主義の基督教会の殆ど全部が一昨年合同して創設されたる教会である。合同しないのは僅かに聖公会中の一部に留まり、元英国に本営を有して居た救世軍と雖も、既に此の教団に参加して居るし、残留せる聖公会も追々合同するに相違ない、随つて日本基督教団は、日本のプロテスタント教会の全体であると称するも言過ぎでなく、子は其の統理者として、日本プロテスタント基督教徒全体の声を之より放送したい。


尤も予は、今日まで専ら祈祷する事に力を籠めて居た。主基督の教へられし祈祷に従って「御心の天に成る如く、地にも成らせ給へ」と常に祈って来た。我が日本の真意が世界に正しく理解され、天使の讃美の如く「地には平和」あらん事を祈って来た。然るに近来、米英側では種々の虚構を宣伝し、日本の真意を歪曲するのみならず、基督教をも故意に誤り伝へて居る。予は已むを得ず起って、茲に放送する事となった。使徒パウロは「天の処にある悪の霊と戦ふなり」と記して居るが、今日の空中には悪の霊がラヂオを通じて働いて居ると云へる。日本基督教団統理者は、同じくラヂオを通じて、米英側の悪霊の放送に向つて挑戦するのである。


日本が大東亜戦争を起したのには、種々の理由がある。否な、 これは日本が起したのでない。歴史に遡つて考へると、米英が既に久しき以前に発砲したから、日本は実に已むを得ずして正当防衛したのに外ならない。英国が印度に侵略し、その民衆を圧制し、 その富を掠奪した事は、歴史に明白である。英国が支那に恐るべき阿片を売付け、支那がこれを拒むや所謂阿片戦争を惹起せしめ、 これに勝つて種々の利権を強奪した事は、英国のグラッドストン自身が国辱として憤慨した所でないか。或は米国がフイリピンを占領し、東洋に侵略し、これを植民地化しつある事も、我等東洋人の義債とする所である。東洋近世百年史は、即ち米英の東洋侵略史に他ならない。殊に支那事変勃発以来、米英の策動は我日本の忍耐を重ねた所にして、これが今度の戦争の近因である。


然し今予は、消極的に過去に就いて詮索するよりも、積極的に将来に対する日本の態度に就いて、一言したい。否、これは日本だけでなく、中華民国、タイ国、満州国、フイリピン国、ビルマ国、自由印度の共同宣言であり、要するに是れは東洋の声であると云ひ得る。


先づ大東亜共同宣言の第一は、「大東亜各国は協同して大東亜の安定を確保し道義に基く共存共栄の秩序を建設す」である。即ち大東亜の国には互に力を協せて、大東亜の平和を確実にし、正義に基いて互に栄えゆく秩序を作上げようと云ふのである。協同、安定、道義、秩序、これは基督教の諸徳ではないか。然るに自ら基督教国を以て任ずる米英は、大東亜の諸国と協同せず、侵略を壇にして飽く事なく、米英自国のみの利益を念として、今日に至つたではないか。


第二は、「大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す」である。基督教の精神は、己の自主独立を重ずる如く、他の自主独立をも尊ぶにあり、而も相互に助け親しみ合ふにある。然るに米英二国は、東洋諸国の自主独立を尊重せざるのみならず、更に屢々東洋の自ら解決すべき問題に容喙して、東洋諸国をして互に衝突せしめた事、実に幾度なるを知らない。我日本は、米英二国の忘れたる、否寧ろ背いたる基督教精神を実行せん事を期するものである。


第三は、「大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し各民族の創造性を伸暢し大東亜の文化を昂揚す」である。世界文化の歴史は、 東洋に如何に尊ぶべき且つ美しき伝統が豊にありしかを示して居る。基督教は伝統を重じ、その完成を志す宗教であるが、米英の東洋に侵略した為、其の伝統は屢々蹂躙された。伝統と共に重ずべきは、創造性である。然るに米英の侵略は、東洋各民族の創造性を奪ってしまった事、英国の印度に於ける、或は米国のフイリピンに於けるを見れば、極めて明白である。世界の文化に於て、 最も古いものは大東亜の文化であるが、その振はざるや久しく、 妓に大東亜各国は協力して、大東亜の文化を昂揚せんとする。


第四は、「大東亜各国は互恵の下緊密に提携し其の経済発展を図り大東亜の繁栄を増進す」である。有無相通じ、経済上互に助け合ふことは、神の御旨である。或る国が甚しく富める一方、或る国が甚しく貧しく、所謂持てる国と持たざる国とあるは、決して神の喜び給ふ所ではない。米英二国が世界の富を獲得せんとし、 殊に東洋の宝庫を独占せんと企て、アングロ・サクソン民族のみの繁栄増進を計れるは、基督教信仰より見て断じて許す可からざる所である。


然るに第一次世界大戦後、ヴェルサイユ講和会議に於て、日本が人種的差別の撤廃を唱ふるや、米英の計画に成れる同会議は、この基督教信仰とも一致せる重要提議を無視し去ったではないか。 「資源を開放し以て世界の進運に貢献す」といふ堂々たる主張は、 人種的差別に固執せる米英の到底夢にすら想ひ得ざる所である。


第五は、「大東亜各国に万邦との交誼を篤うし人種的差別を撤廃し普く文化を交流し進んで資源を開放し以て世界の進運に貢献す」である。基督教が人種的差別の撤廃を主張した事は、既に早く使徒パウロの書翰にも明かに示されて居る。


要するに、大東亜共同宣言は、久しく米英に圧迫され或は恐嚇された東亜諸国の衷心の叫びである。長年押さえられた噴水が、 大東亜戦争を機として天に沖したる姿である。否大東亜共同宣言を詳かに考察するならば、来るべき新しき世界の進路を予告するものではないか。協同に依る安定、道義に基く共存共栄の秩序、 自主独立の尊重、互助の親和、伝統の尊重、創造性の仲暢、文花の昂揚、緊密なる提携、万邦との交誼、人種的差別の撤廃、文花の交流、資源の開放、世界の進運への貢献等、何れの国か之に反対し、何れの民族かこれを拒否するものがあらう。若しありとすれば今日まで其の反対を押し進めた結果、第二次世界戦争を引起した責任者の米英二国だけである。米英は自ら基督教国を以て任じた国であり、今や何を為すべきかに就いて、十二分に知つて居る筈である。唯一つ、悔改めて、基督教の信仰に戻る一途あるのみ。即ち大東亜共同宣言が基督教信仰に於ても正当である事を悟つて、主基督が祈祷の模範として教へられた「御心の天に成る如く地にも成らせ給へ」と祈祷すべきである。


日本基督教団統理者である予は今、大東亜共同宣言を前にして、 手に聖書を開きつ、その基督教的解釈をして居る事を、顔る欣快とする。これは予一人だけでなく、我国プロテスタント教徒全体の姿である事を、茲に統理者の名に於て明言する。大東亜共同宜言に就いて、基督教的解釈を下したい所甚だ多いが他日に譲りたい。


最後に一事明白にしたいものがある。それは米英が放送或は宜伝して曰く、日本では基督教徒が迫害されて居る。曰く日本政府は信教の自由を許して居ないと。米英にして、若しも推測して斯く云ふならば、滑稽の甚だしきもの、否々不謹慎千万である。若しも真相を知りつ虚構を宣伝するならば、罪これより大なるはなく、寧ろ冒涜と云ふべきである。予は重責を帯びる日本基督教団統理者として、明言する。日本の基督教徒は迫害を受けて居ない。 信教の自由は、約五十年前から帝国憲法に明かに保障されて居ると。更に予は明言して曰く、一昨年政府は宗教法の明文に他の宗教と共に基督教を並べ記して、他宗教と全く同等の懇篤なる待遇をして居る。最近政府は他宗教の代表者と共に日本基督教団統理者を招集して、腹蔵なき意見を聞き、その協力を要請して居る程である。予は、神と基督との前に誓って、米英の以上の宣伝が徹頭徹尾誤謬である事を明言し、これを粉砕せざれば巳まない。


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