5.王立オルフェウス魔道学院に編入
オルフェウス王国随一の名門・王立オルフェウス魔道学院。
そこは魔術の叡智と実践を重んじ、王国の未来を背負う精鋭を輩出する、誇り高き学院である。
入学は厳正な試験を経て行われ、貴族の子女だけでなく才能ある者なら身分を問わず受け入れる。
とはいえ、実際には王立オルフェウス魔道学院に通う平民はごく一部で、ほとんどが貴族の令息令嬢達である。
ましてや、奴隷が通うなんて前代未聞だ。
そんな学院に編入する、初めての奴隷──いや、元奴隷。
それが、ルイ。
私の番様である。
「もうすぐ、学院に着くわ」
揺れる馬車の中で、私は、向かいあって座るルイの手をそっと握った。
彼の手は、まるで冷水に長時間浸かっていたかのように冷たい。
それに朝から表情が乏しかった。
彼の緊張が、ひしひしと伝わってくる。
「大丈夫。今日から貴方も、ここの生徒よ。堂々としていればいいの」
ルイの手を強く握りしめ、彼の緊張をほぐすように温める。
「それにあれだけ勉強していたのだから、心配しなくても授業についていけるわ。なんせ貴方は賢いもの。これはお世辞ではないわ」
実際、ルイは奴隷だったとは思えない程に頭が良い。
特に数学と異界言語に関しては、私が教えることがほとんど無かった。
学院でもトップクラスの成績を取れるだろう。
それどころか、下手な講師より彼の方が優秀だ。
どちらも比較的難しい部類の科目なのに、どこでそこまでの知識を得たのか謎だわ。
ランドルフ伯爵が教えたとも思えないけど……その辺りの事情を彼から聴ける日が来るのかしら?
ただし、数学と異界言語以外の科目に関しては無知に等しかった。
特に、異界言語が読み書きできるのに、母国語であるオルフェウス言語が読めないのが不思議で仕方ない。
それでも、発音と文字の結びつきを教えると、数日で読み書きできるようになっていた。
そこから派生して歴史や地理、魔術なども教えたけれど、編入試験の範囲をカバーするので精一杯だった。
なので後は学院に通いながら、授業内容についていけるよう個別に教えていくことにした。
とはいえ、教えるべき科目が少ない上に、物覚えも良い。
きっと彼なら、すぐに学院の授業についていけるようになるだろう。
「……そうだと、いいのですが」
ルイはか細い声で不安を漏らす。
「大丈夫よ。私が保証する」
そんなルイのために、私はきっぱりと断言した。
やがて馬車は石畳を抜け、王立オルフェウス魔道学院の正門へと差し掛かった。
見上げるほど高い尖塔と、真っ白な外壁。
広大な敷地を覆う魔力障壁が、淡く揺らめきながら学院を包み込んでいる。
「……ここが」
ルイが呟く。
その声は驚嘆にも似ていたが、同時に怯えの色も混じっていた。
「そう。今日から、貴方の学び舎よ」
私は彼に微笑みかけた。
馬車がゆるやかに停まる。
馬車の扉が開かれると同時に、正門付近にいた生徒の何人かが、興味深々にこちらを見た。
緊張で固くなったルイの肩を、私は軽く押す。
「さあ、行きましょう。ルイ」
馬車から降りた私は、毅然とした足取りで教室へ赴いた。
そんな私の後ろに張り付くように、ルイも一緒に教室へと向かった。
◆◆◆
私とルイは教室の席について、予習がてらに一時限目の科目の教科書を開いて、一緒に読む。
「あぁ! キャサリン様は今日もお美しいですわ」
「あら? 隣に座られている方はどなたかしら? もしや編入生かしら?」
「よく見ると、隣の殿方も麗しいお方ね。まるで伝説の勇者様のようだわ。どこの家の方なのかしら?」
「もしかして、あのお方が噂の『キャサリン様の番様』かしら!?」
「キャ〜! きっとそうよ。そうに違いないわ! だってキャサリン様とあそこまで親密にされる殿方って、初めて見たもの!」
周囲にいたクラスメイトは、私達の話題でざわつく。
ルイは注目の的になったことで、さらに緊張して身を縮めていた。
そんな私達の前に颯爽と現れたのは、シルクのように美しくて透き通るような長い髪を持つ、容姿端麗な公爵令嬢だった。
彼女の名前は、イザベラ・リュミエール。
この学院の生徒会副会長で、オルフェウス王国宰相であるリュミエール公爵の一人娘である。
イザベラは彼女の友人達と一緒に、私達に近づくと、見下すような愛想笑いをしながら話しかけてきた。
「おはようございます。ベルモント様」
「おはようございます、リュミエール様」
「ベルモント様、噂はお聞きしましたわ。本日から、ベルモント様の運命の番様が学院に来られるのですよね?」
「はい。そうですが」
わざとらしいくらいに大きな声で喋るイザベラ。
彼女がこんな風に喋る時は、決まって私に嫌味を言う時だ。
全く、彼女も暇な人ね。
今日はどんなことを言ってくるのかしら?
「アルフレッド様から聞きましたが、ベルモント様の番様が奴隷だというのは本当ですか?」
嗚呼。
彼女が妙に上機嫌だったのは、この事か。
彼女の友人達も、侮蔑的な失笑を堪えるのに必死なようだ。
「いいえ。彼は今、ベルモント家の一員になりました。ですので奴隷ではありま…」
「やはりそうだったのですね! あぁ、ベルモント様、可哀想。容姿端麗で文武両道、何をするにも完璧なベルモント様の番様が奴隷だなんて……私だったら、耐えられません」
憐れむような言い草だけれど、内心ではほくそ笑んでいるのだろう。
彼女が大きな声で嘆くものだから、クラス中に彼女の声が響いた。
イザベラの話を聞いたクラスメイト達は、ひそひそと騒ぎ立てる。
「キャサリン様の番様って奴隷なの?」
「えぇ〜! ショック! キャサリン様のことだから、番様も完璧なお方だと思ったのに」
「誰が運命の番様にするかは選べないものね。私の番様も奴隷だったらどうしよう」
私とルイに、蔑むような視線が集まる。
「ベルモント様の隣にいる彼が、番様ですか?」
「はい。そうですが」
「初めまして、奴隷さん。……いえ、ベルモント様の大切な番様でしたわね。お会いできて光栄ですわ。今までさぞご苦労も多かったことでしょう。このような由緒ある学院に足を踏み入れる勇気、恐れ入ります」
無垢を装った優しい笑顔を向けるイザベラ。
ルイは彼女の皮肉に気づいていないのか、安堵した表情を浮かべる。
それがひどく、鼻についた。
「私、1年時の教科書を今も持っていますの。よければ今度お貸ししますね」
「あ、ありがとうございます!」
しかも今度は、彼女の嫌味にお礼まで言っている。
側から見れば親切のように聞こえるが、その実『ルイの学力は1年レベル』だと馬鹿にしているのだろう。
そんな二人のやりとりが、なぜだか不快だ。
不愉快なのは、それだけじゃない。
先程まで気にならなかったが、周囲にいたクラスメイトの話し声が耳障りに感じ、無視できなくなってきた。
「よく見たらアイツ、貧乏臭いよな」
「ってか、なんで奴隷風情がこの学院にいるんだよ。空気読めよ」
「あんな奴、気高いキャサリン様の相手に相応しいない! それだったら俺の方が……」
「いやいや、お前でも不釣り合いだよ。キャサリン様と釣り合う方は王子殿下くらいだろ」
なぜかしら?
いつもなら周囲の雑音やイザベラの嘲笑を無視できるのに、今日に限っては苛立って仕方がない。
…あぁ、そうか。
私はきっと、ルイが侮辱されることが許せないのだわ。
自分が嫌味を言われようが、誰かが悪口を言われていようが、ほとんど興味がない。
なのに、そこにルイが関係してくると一気に不快感が増す。
こんな気持ちにさせるなんて、やっぱり番って不思議な存在ね。
「フフフ……」
苛立ちの原因が分かった私は、思わず笑い声を漏らす。
「あら? ベルモント様、どうされましたか?」
そんな私を見て、イザベラは眉間に皺を寄せながらも明るい表情は崩さずに、私に尋ねてきた。
「いえ、大したことではありません。リュミエール様のおかげで、ルイが私にとって特別な存在だと改めて気づいただけです。なんせ、いつもならどうでもいいリュミエール様の嫌味も、ルイが絡むと不愉快に感じるのですから」
するとイザベラは一瞬だけ、眉をひそめて口をすぼめた。が、すぐに取り繕うような笑顔を作って柔らかい口調で話し始める。
「あら! すみません、ベルモント様! 私ったら、ベルモント様が不快になるようなことを話していたのですか? 全く気づきませんでした。嫌味に感じてしまわれたのであれば、申し訳ありません」
「どうぞお気になさらず。リュミエール様に人の心の機微にまで配慮していただくのは、さすがに過分な望みですから」
イザベラの顔が急に赤くなったように見えるけど、気のせいかしら?
まぁ、どうでもいいわ。
「それに1年時の教科書ですが、私はもう処分してしまったので、貸してくださるのであれば大変ありがたいです。お礼に今度、リュミエール様の勉強のお手伝いを致しますわ」
教科書を貸してくれることに関しては、悪い話ではない。ここは素直に彼女にお願いしよう。
だけど彼女はなぜか、顔が引き攣っている。
「いえ、結構ですわ。 もうそろそろ授業が始まりますわね。それではご機嫌よう」
彼女は少し不機嫌そうにしながらも、柔らかい表情を作りながら私達に一瞥して、自分の席へと戻った。
……あ、そうか。
さっきの私のセリフは『イザベラの学力は私以下だ』というマウントとも受け取れるのか。
皮肉のつもりではなかったのだけれど、彼女がそう受け取ったのなら仕方ない。
私とルイはその後、朝のホームルームが始まるのを静かに待った。




