4.ルイとの生活
ランドルフ伯爵邸から馬車で片道5時間弱。
馬車に揺られてたどり着いたのは、見慣れた我が家だった。
「ようこそ、ベルモント公爵邸へ」
私は振り返り、彼に柔らかく告げる。
「……っ」
ルイは言葉を失ったまま、まるで異国に放り込まれた旅人のように、邸の白壁や噴水、並ぶ侍女たちを凝視している。
出迎えの使用人たちが一斉に頭を垂れると、彼は狼狽して私の背に隠れようとした。
「大丈夫。ここには貴方を虐げる者はいないわ」
それでもルイの足取りは重い。
私は戸惑う彼を導くように、手を取った。
彼の指先は、氷のように冷たい。
「今日から、ここが貴方の家よ」
私はルイに屋敷の中を案内した後、彼の部屋へと連れて行き、使用人に着替えをお願いした。
ヨレヨレでところどころ破けていた服装から一変、貴族の令息達のような凛とした姿になった。
身なりを整えた彼は、美しい顔立ちと相まって一層麗しく、気品を感じられた。
新しい衣服をまとったルイは、鏡に映った自分を見て、困惑したように瞳を揺らす。
「僕なんかが、こんな素晴らしい服を着てもよろしいのでしょうか?」
「もちろんよ。何せ、貴方は私の大切な番様なのだから。それに、とても似合っているわ。素敵よ」
ルイは照れたように頬を赤くして、手で口元を隠す。
そんな彼の仕草が、愛おしい。
「それと、今日からここが貴方のお部屋よ。要望があれば、何でも言ってね」
「ここが? こんなに、広い部屋が……ですか?」
目を丸くして、呆然と部屋を見回すルイ。
その初々しい反応がなんだか可愛らしくて、私は自然と笑みが零れた。
◆◆◆
ルイがベルモント公爵邸に来て、一週間が過ぎた。
彼はとにかく、何をするにも遠慮している。
私や使用人が話しかけるまでじっとしていて、部屋の隅から一歩も動かない。
たまに彼から話しかけるとすれば、トイレに行っていいかの許可を取る時だけ。
食事も、私や使用人が呼ぶまで食べにこないし、食べてもいいと言われるまで一切口をつけない。
使用人の話だと、数日前まで、彼はベッドで寝ずに床に座るように寝ていたそうだ。
そこまでされると、逆に私達が彼を虐げているみたいに感じてくる。
彼がここまで卑屈な態度を取るのは、奴隷としてあの檻の中で生きてきた期間が長かったからだろう。
それでもこの一週間で、彼の遠慮がちな態度は少しは改善された。
私は今日も、ダイニングルームでルイが来るのを座って待つ。
今日の朝食には珍しい南国の果実を用意してみた。
気に入ってくれたらいいのだけれど。
「キャサリン様。本当に、ルイ様と結婚されるのですか?」
侍女のペネロペは、いつもと同じ質問をしてきた。
ルイを我が家に迎えてから、彼女は日課のようにこの話をしてくる。
「愚問ね。当たり前でしょう。だってルイは、私の番様なのだから」
せっかく見つけた番という生き物を間近で観察するのに、伴侶という肩書きは丁度いい。
なぜルイが私の番なのか?
番に運命を感じるメカニズムは何なのか?
番同士の子供は、そうでない夫婦との子供と相違点があるのか?
そういったことを追究するには、夫婦になった方が好都合だ。
「ですが運命の番と呼ばれる存在が実在するとは、未だに信じられません。それにキャサリン様には、公爵家の御令息や王子殿下方との婚約の話も何度かありました。家柄や身分を考えても、ルイ様より殿下方と結婚される方が良いかと思います」
ペネロペがルイを好ましく思っていないことは、嫌でも伝わってくる。
それでも『ルイ様』と言えるだけ、彼女は成長した。
たった数日しか経っていないのに、彼を『あの人』呼ばわりしていた頃が懐かしい。
「興味ないわね。ルイと結婚する方が何倍も面白いし、心が躍るわ」
ただの公爵子息や王子殿下には、魅力を感じない。
肩書きだけの凡夫と結婚だなんて、想像しただけで退屈だ。
「それに、ルイはもう奴隷ではないもの」
お父様が彼の後見人になってくれたから、今は公爵家の一員だ。
仮に彼が私との結婚を拒んでも、彼の身分が平民であることに変わりはない。
ペネロペとそんな話をしていると、ようやくルイが使用人と一緒にダイニングルームへとやってきた。
彼は使用人に言われるがままに席につくと、私を一瞥した。
「おはよう、ルイ。一緒に朝ごはんにしましょう」
私が微笑みかけると、彼は照れるように小声で『はい』と言い、小さく頷く。
彼はいつものように、果物から手をつける。
見慣れない果物に眉を顰めつつ、皮を剥いて身を取り出し、口に入れた。
すると彼は目を大きく見開き、じっくり時間をかけて咀嚼する。
その表情からして、この果物を気に入ってくれたのだろう。
食卓の向こうでルイが果物の甘さに小さな驚きを見せるたび、胸の奥がじんわり温かくなる。
ルイは表情に乏しい。
いや、正確に言えば、いつも暗い表情をしている。
だからこそ、彼が少しでも嬉しそうな表情をしてくれると、とても愛おしく感じる。
運命の番って、不思議な存在ね。
ついこの間まで赤の他人だったのに、今ではそんな彼の些細な仕草や表情を見るのが楽しい。
学院のクラスメイトにすら、そこまで興味を持てないというのに。
一個人にここまで心を惹かれることは、後にも先にも、きっとルイ以外いない。
それだけ、運命の番という存在がもたらす影響力は大きいのだろう。
やっぱり運命の番を観察するのは、面白いわね。
そういえば今日は、ルイに大事な話があるのだった。
彼が食べ終わるのを待ってから、私は話を切り出した。
「ところでルイ。この後、ちょっと手伝ってもらえるかしら? 貴族院に出す婚約届に貴方のサインが必要なの」
「婚約、ですか……?」
「えぇ。私と貴方が結婚するのに必要な書類よ」
その話をした途端、さっきまで幸せそうな顔をしていたルイの表情は一変し、目を丸くして顔を強張らせた。
「け、結婚……ですか?」
「あら。もしかして、私と結婚するのが嫌だったかしら?」
「いえ、滅相もございません! ですが、僕なんかがキャサリン様の伴侶でよろしいのでしょうか?」
「貴方までペネロペみたいなことを言うのね。勿論、良いに決まっているわ」
「本当、ですか? 公爵様……キャサリン様のお父様も、承諾されているのでしょうか?」
「当然よ」
お父様の許可は、運命の番探しを始める時に取っていた。
とはいえ、お父様はここ数週間出張で屋敷にいなかったから、ルイとはまだ会っていない。
今更反対されないとは思うけれど、念のため一度、顔合わせしておこうかしら?
幸い、お父様は今夜出張から帰ってくる。
「そういえば、今夜お父様が帰ってくるわ。ついでにお父様に挨拶しましょう」
「えっ!? あ、はい!」
了承してくれたものの、誰が見ても分かるくらい戸惑っている。
いきなりお父様へ挨拶することになったのだから仕方ない。
その日の夕方、私は帰ってきたお父様にルイを紹介した。ひと通り挨拶を終えた後、ルイはお父様の希望で、二人きりで話し合うことになった。
お父様はルイに何を話していたのだろう?
まぁ、そんなことよりも婚約準備だ。
婚約届はお父様にも署名してもらう必要がある。
とりあえず、明日改めてお父様に書類を渡して署名してもらおう。
──翌日。
朝食後にお父様に署名の依頼をお願いしたところ、『その前に話がある』と言われたため、お父様の書斎に集まることになった。
ルイも一緒に呼び出されたから、十中八九婚約に関する話だろう。
私はルイを連れて、書斎の扉ノックする。
『どうぞ』という返事とともに扉を開くと、お父様は朗らかな笑顔で机に肘をつき、座って待っていた。
「やぁ、二人とも。急に呼び出してすまないね」
「いえいえ。それよりお父様、話というのは何かしら?」
「単刀直入だなぁ…。まぁいいか。実は二人の結婚について、提案があるんだ」
「提案?」
そう言ってお父様が取り出したのは、私の通う王立オルフェウス魔道学院のパンフレットだった。
「来年度から、ルイくんもキャサリンと同じ学院に入ってみてはどうだろう? 結婚の話は、卒業まで保留にしてさ」
「あら、お父様。約束が違うではありませんか」
お父様が私との約束を破るなんて、思ってもみなかった。もしかしてルイが元奴隷なのを気にして、約束を反古にするつもりかしら?
「まぁ、キャサリン。落ち着いて聞いてくれ。これは二人の結婚を反対する意味で言っているのではないよ。むしろ二人の絆を深めるために、あえて提案したんだ」
「私達の絆、ですか?」
「二人はまだ出会って数日しか経っていないだろ? 今は結婚したいと思っていても、時間が経ては『やっぱり違う』と思うかもしれないじゃないか。それにキャサリンは飽きるのも早いから、急いで結婚して、後で『飽きた』となった時に色々大変だろう」
確かに私は飽きっぽい。
面白そうと思って手につけたものは何度かあるが、どれも一年も経たずに極めてしまったため、つまらなくなって辞めてしまった。
この前の冒険者ごっこだって、結局半年も活動していないだろう。
「それにルイくんも、いきなり次期公爵家当主夫君になるのは荷が重いそうだ。だから格式高い王立オルフェウス魔道学院で、彼の知見を広げてからでも良いんじゃないかな?」
「それは一理あるわね。だけどルイが編入試験に受かるかしら?」
「キャサリンが勉強を教えてあげれば、何とかなるんじゃないかな? 何でも完璧にこなすキミなら、きっと教えるのも上手なはずだよ。何より、いい暇つぶしになるだろ?」
「確かに、ルイの家庭教師になるのも悪くないわね。なら今日から編入試験に向けて、ルイに勉強を教えるわ」
その日から、私はルイに勉強を教え始めた。
ルイと一緒に学院へ通えることを願いながら。




