35.ティアナ様
数日後の休日。
この日は、アルフレッドと約束していた日だ。
私とルイは馬車に揺られながら、ランドルフ邸に着くのを待った。
窓から外の景色を眺めるルイの横顔は、まるで葬儀の後のような陰りのある表情をしていた。
「ルイは、アルフレッドが呼び出した理由について、何か心当たりがあるの?」
「はい。恐らくは」
「もし行きたくないのであれば、今からでも取り止めていいのよ? 私がアルフレッドに話をつけておくから」
「いえ、その必要はありません。むしろ行かせてください」
逆にランドルフ邸へ行きたがるなんて、意外ね。
ルイを今まで虐げていた人達がいる場所だというのに。
彼とアルフレッド、ひいてはランドルフ家との因縁について、もしかしたら今日は何かが分かるのかもしれない。
そんな事を考えている間に、馬車は伯爵邸の正門前に到着した。
正門をくぐり玄関ホールへ移動すると、ぎこちない愛想笑いを浮かべたランドルフ伯爵と複雑な表情をしたアルフレッドが出迎えた。
「キャサリン様。本日はお待ちしておりました」
ランドルフ伯爵は私に対してお辞儀はするものの、ルイに対しては冷ややかな視線を送っていた。
凍るような冷たい視線を送るのは伯爵だけではない。
アルフレッドは勿論、その場に居合わせた使用人達も全員、ルイに侮蔑を含んだ眼差しを向けている。
「ランドルフ伯爵。本日は私の番様にどのようなご用件でしょうか?」
「その件ですが、説明の前に、キャサリン様には一つお願いがございます」
「何でしょうか」
「今から説明致します内容は、我がランドルフ家の極秘事項でございます故、他言無用でお願いいたします」
極秘事項、というのは本当のことだったのね。
「勿論、誰にも口外しません」
「ご協力感謝します。それでは、今からとある者をご紹介します。説明するより実際に会われた方が理解できるかと思われますので」
この屋敷で、まだ紹介されていない人がいたの?
以前、運命の番を探していた時に全員紹介してもらっていたと思ったけれど……いや、ルイを隠そうとしていたくらいだし、他にも紹介されていない人物がいてもおかしくはないか。
私達は伯爵に案内されながら、ランドルフ邸から少し歩いたところにある寂れた別棟へとへと移動した。
石造の別棟は、壁が黒緑色の蔦で覆われており、そのせいか建物全体が薄暗くて不気味に感じる。
案内されるがまま別棟の中に入ると、猿のように甲高くて耳障りな叫び声が、上階の方から聞こえてきた。
「……ントさん! ……こへ行ったの?! ねぇ! ねぇ!!」
階段を登って上へ向かうにつれて、その声は大きく鮮明になる。
「嫌っ! 離して! ケントさんはどこなの? どうしていないの?! ねぇ?! ケントさんに会わせて! ケントさん……ケントさんケントさんケントさん!」
ヒステリックに叫ぶ女性の声に、頭が痛くなる。
やがて叫び声の音源である部屋の一室までたどり着くと、伯爵は「こちらです」と扉を開けて中へと案内した。
扉を開けたことで、叫び声は鼓膜が破れそうなくらい大きくなる。
部屋の中を覗き見ると、そこには瑠璃色の髪にラピスラズリのような瞳の儚げな女性が、数名の使用人に押さえられながら暴れていた。
この女性には見覚えがある。
確かランドルフ伯爵の妹君である、ティアナ・ランドルフ伯爵令嬢のはずだ。
運命の番を探す時に会ったことがあるが、あの時は就寝中だった。
以前聞いた時は療養中だと話していたが、どうやら病んでいたのは精神面のようね。
私達が中に入ると、ティアナ様はこちらに振り向き、叫び声を止めた。
「ケントさん…! ケントさんっ!」
ティアナ様は一直線にルイの元へと向かうと、彼の胸元へ飛び込み、強く抱擁した。
「ケントさん、会いたかった! やっと会えたわ! もう会えないのかと思った」
ティアナ様は恍惚とした表情でルイをじっと見つめる。
ルイも満更でもなさそうに彼女に対して優しく微笑みかけた。
どういう関係かは知らないけれど、その状況に、泥々とした熱い怒りが身体中を駆け巡る。
「ねぇ、ルイ。これは一体どういうことなの?」
なるべく声を荒げず冷静に問いかけると、ルイの代わりにランドルフ伯爵が答えてくれた。
「愚妹のティアナは十数年前、ネームドモンスターの魔法によって精神が崩壊してしまいました。そのため、普段はほとんど意思疎通が取れませんが、ときおり今のように恋焦がれた相手を思い出して発狂するのです」
「恋焦がれた相手、というのはルイのことですか?」
「いえ。ですが、この者……ではなくキャサリン様の番様は、あの男の面影があるため、ティアナは勘違いしているのでございます。先程ご覧になりました通り、発狂したティアナは手がつけられません。そのため発狂する度に、番様に愚妹を落ち着かせるよう指示していたのでございます」
「左様でございますか。ちなみに『ケントさん』という方はどなたですか?」
その話題に触れた途端、その場の空気が一瞬、凍ったように感じた。
気のせいだろうか?
「……ティアナを唆した不届者でございます。あの者のことは思い出したくもありません。あの者が今、どこで何をしているか、そもそも生きているのかすら把握しておりません」
そう語るランドルフ伯爵は、手を強く握りしめ、震わせていた。
伯爵がルイを虐げていた理由に、ルイが『ケント』という人物に似ていたから、というのは含まれていそうな気がする。
「ねぇ、ケントさん……ずぅっと、ここにいて。私、ケントさんがいないと生きていけないの」
殺伐とした空気の中、ティアナ様の甘ったるい声が響く。
その声は病的で、今にも癇癪を起こしそうな雰囲気があった。
ルイはそんな彼女に対して、静かに微笑みかけた。
伯爵の話を聞いた後だと、彼の笑顔はティアナ様を宥めるための物だったのだと理解できる。
と同時に、さっきまでティアナ様に嫉妬していた自分が馬鹿馬鹿しく思えた。
ルイはティアナ様を優しく抱きしめた後、「キャサリン様」と真剣な面持ちで私に話しかけた。
「キャサリン様の『完全回復』の魔法で、ティアナ様を救ってください。どうか、お願いします!」
私と向かい合って頭を下げるルイ。
彼には申し訳ないけど、完全回復の魔法ってそこまで万能じゃないのよね。
「ごめんなさい。それは出来ないわ」
「それでも、お願いします。キャサリン様がランドルフ家の方々を快く思われていないのは重々承知です。ですが、これ以上ティアナ様に苦しい思いをして欲しくないのです。憔悴するティアナ様を、これ以上見たくはありません。どうか……どうか、お願いします」
床につきそうなくらい、深々と頭を下げる。
その姿から、彼がティアナ様を大切に想う気持ちが伝わってきた。
以前、伯爵家を潰そうとした時に『止めてほしい』とお願いされたのは、恐らくティアナ様が心配だったからなのだろう。
「勘違いしないで、ルイ。ティアナ様を助けないとは言ってないわ」
「えっ? それでは…」
「『完全回復』の魔法では、ティアナ様の精神を元には戻せないの。だけど、他の魔法を使えば治せるかもしれないわ」
「……っ! ありがとう、ございます!」
彼は顔を上げると、泣き顔に似た笑顔を私に向けた。
ルイにここまで強く懇願されるのは初めてだわ。
彼の期待に応えられるよう、早速ティアナ様を魔法で治療しよう。




