22.アップルトン邸
オルフェウス王国の北東にある山岳地帯。
そこにあるアップルトン邸に、私達は来ていた。
この国の北東は、王都の華やかさとはまるで別物だ。空気は冷たく乾き、街道は途中から石畳が途切れ、獣道のような細い登山路へと変わる。まして今日は前日から小雨が降っていたせいで、湿った土が靴にまとわりつく。
そもそも、なぜこんな場所にあるアップルトン男爵の邸宅へ、わざわざ足を運んでいるのか?
きっかけは、数日前のことだった。
「よかったら今度、うちへ遊びに来ない? 数学研究会の集まりじゃないから、ベルモント様と一緒でも大丈夫だよ!」
数学研究会の集まりの後、会員のモーリス・アップルトンが、そう言ってルイを誘ったのだ。
ルイが友人宅へ招待されるなんて、自分のことのように喜ばしい。
私が来ても良いということなので、せっかくだからお邪魔することにした。
「お二人とも、お待ちしておりました!」
自然の景観に溶け込むような石造りの屋敷から出てきたのは、モーリス・アップルトンだった。
「まさか本当にベルモント様まで来てくださるなんて、光栄です。ようこそお越しくださいました」
「フフフ、お邪魔でないようで良かったわ」
屋敷の中へ案内された私達は、アップルトン領を一望できる屋上のテラスで景観を眺めていた。
「何もない貧相な屋敷ですみません。ウチの取り柄と言えば、ここから見える景色くらいです」
「そんなことはありません。緑豊かな自然を感じられて、素晴らしいと屋敷だと思います」
「ルイの言う通りよ。この景色を眺めながら紅茶でも飲めたら、とても素敵だと思うわ」
「紅茶でしたら、丁度準備しておりました。今、使用人に持って来させます」
モーリスがそう指示する前に、使用人が紅茶とお茶菓子を運んできた。
使用人が出した紅茶は珍しい銘柄で、口に含んだ瞬間、柚子と蜂蜜の香りが鼻から抜けた。
「あら、この香り……ハニートレントかしら?」
「はい、その通りです」
ハニートレントは限られた場所にしか生息していないため、市場にほとんど流通していない。
故に、上位貴族でもなかなか口にすることのできない珍しい茶葉である。
「この紅茶、よく手に入ったわね」
「領内で生息しているのを偶然発見しました。アップルトン領の名産品として売り出すか検討中の商品です」
「なるほどねぇ」
身体の芯から温まるような味わいに、目の覚める爽やかな香り。
コレ、ルイが好きそうね。
そう思ってルイをまじまじと見つめると、案の定、嬉しそうに目を輝かせていた。
よほど気に入ったのか、一口ずつゆっくり飲んでいる。
そんな彼が愛おしくて、目の保養だ。
「フフ、気に入ったわ。もしこの紅茶を売り出すのであれば、その時はベルモント家で箱買いさせてちょうだい。ルイもこの紅茶、飲むわよね?」
「はい!」
食い気味に返事をするルイ。
素直で可愛いわね。
「本当ですか? ありがとうございます! ですが、どうしましょうか……」
「あら、何か問題でも?」
「実は、ハニートレントが生息している地域に問題がありまして」
モーリスは北西の方角にある山の麓を指差した。
「あの辺りが生息地だと判明しているのですが、あの山が再び瘴気で溢れ出して、誰も近づけないのです」
「あら、それは厄介ね」
だけど、なぜハニートレントがそんな所に生息していたのかしら?
ハニートレントは純度の高い魔素の溢れる綺麗な湖にしか生息しない。
汚れた魔素である瘴気に当てられたら、逆に死に絶えてしまうのではないか?
「あの山は昔から、モンスターのせいで濃い瘴気で溢れていたのです。だけど一昔前に『鬼神のナキリ』というネームドモンスターが瘴気を出すモンスターを狩り尽くしたお陰で、瘴気がなくなったのですよ。瘴気が晴れた影響で、あの辺りは代わりに純度の高い魔素が漂うようになったのですが、最近になってまた瘴気が出るようになりまして」
「鬼神の、ナキリ……」
モーリスが出した名前に、ルイは目を細めた。
「あら、ルイ。ネームドモンスターが気になるの?」
「えっ、あ、いえ、気になるわけでは」
その慌てぶりは、むしろ『気にしてます』と言っているようなものよ?
「ルイくんが気になるのも無理ないよ。なんせ、ネームドモンスターが領内にいるかもしれないんだからさ」
大きなため息をつくモーリス。
その生気のない表情を見ていると、いかにネームドモンスターに悩まされているかが伺える。
「目撃情報もほとんどないし、直接的な被害もないから、わざわざ探す必要はないかと思い放置していました。
ですが瘴気が復活した原因を調べるとなると、ネームドモンスターを探した方が良いですよね。瘴気が消えた原因がネームドモンスターならば、復活した原因もネームドモンスターが関係している可能性が高そうですし。
ただネームドモンスターを探すとなると、並の冒険者は引き受けてくれないですよねぇ。かといってS級冒険者を雇うお金は我が家にはありませんし……はぁ……どうしたものでしょうか」
モーリスは私に向けてチラチラと刺さるような視線を送りながら、何度もため息をついて頭を抱えた。
あぁ、なるほど。
『私も遊びに来ていい』と言いながら、本題はコレだったわけね。
直接頼まれたらまだやろうかとも思えたが、遠回しにお願いされると何故だかやる気が出ないのよね。
「あらそう。アップルトン男爵も苦労なさっているのね」
私は気づかないフリをしながら同情した。
モーリスは『気づけ』と言わんばかりに大きなため息をついて「そうなんですよ」と呟く。
そんな私とモーリスの攻防に気づく由もないルイは、憂げな表情をしながら口を開いた。
「……モーリス様。もしよければ、僕も一緒に鬼神のナキリを探してもいいでしょうか?」
「えっ!?」
ルイの提案に、流石のモーリスも困惑する。
「ルイくんの気持ちは嬉しいけれど、君を危ない目に遭わせたくないから遠慮しておくよ。ありがとう」
「確かに、僕だと力になれないかもしれません。ですが僕も一緒に、鬼神のナキリを探したいのです。もし鬼神のナキリを見つけて瘴気をどうにかすることができたら、ハニートレントの紅茶がもっと飲めるようになりますし」
あら、ルイったら。
あの紅茶をそこまで気に入っていたのね。
ルイの力強い瞳からは、頑なな意志を感じる。
私がモーリスを手伝おうが手伝わまいが、彼の決意は変わらなさそうね。
だったら、私も手伝わざるを得ないわ。
「それだったら私も、一緒にネームドモンスターを探してもよろしいかしら? ルイ一人に危険な真似はさせたくないし」
「えっ! ベルモント様、本当ですか!?」
モーリスはさっきまでの暗い顔から一変、表情が明るくなる。
彼の手のひらで転がされているようで癪だが、ルイのためだ。仕方ない。
「ルイくん、ベルモント様、本当にありがとうございます!」
モーリスは満面の笑みで、私達の手を強く握りしめた。
こうして私達は、ネームドモンスター探しを手伝うことになった。




