15.ルシアン殿下
ルシアン・オルフェウス王子殿下。
この国が誇る第二王子にして、生徒会長。
その存在はまるで一幅の絵画のようで、ただそこに立つだけで周囲の空気を支配する。
「ルシアン殿下……! おはようございます」
イザベラが慌てて優雅に一礼する。
一瞬前まで強気だった声が、今は媚びと敬意を混ぜた甘やかな声色に変わっていた。
「イザベラ嬢、朝から随分と賑やかだね。何か問題でも?」
「いえ、殿下……。ただ、マリア様とベルモント様の間に行き違いがあったと伺いましたので、今後トラブルが起きぬよう、間に入らせていただいておりました」
あくまで善意の第三者を装うような言い草。
だけど彼女の目は、うっすらとほくそ笑んでいる。
私を貶める口実ができて、さぞ楽しいのだろう。
「殿下も、ベルモント様がマリア様を泣かせた件はご存知ですよね?」
「あぁ。以前にもその話は聞いたよ」
「私は、また同様の事件が起こるのではと懸念しているのです」
「なるほどね」
イザベラの顔が勝ち誇ったように輝く。
相変わらず、殿下の私に対する印象を下げようと必死な人ね。
「ただね、イザベラ嬢。君はキャサリン嬢の言い分をちゃんと聞いたのかい? 将来の国母と言っても過言ではない彼女が、理由もなくマリア様を虐げると?」
その一言に、周囲の空気がまた変わった。
イザベラの頬が引きつり、声を失う。
観衆の何人かが「将来の国母?」とざわめいた。
あぁ、またか。
私は心の中でため息をつく。
「お心遣いありがとうございます、殿下。ですが、『国母』などという言葉は、あまりに恐れ多いです。王族と婚約関係にすらない私が、そのように呼ばれるのは不適切かと」
「そう謙遜しなくてもいいよ。君の数々の輝かしい功績は、この国に多大なる貢献をしてくれている。暁の魔王討伐に、革新的な魔獣生物学の論文、そして史上最年少の金の魔道士……挙げ出したらキリがない。その意味では、もう立派に『国の母』と呼んで差し支えないよ。」
殿下が微笑みながら周囲に視線を送ると、周りの生徒達は一斉にうなずいた。
まるで私が、殿下の婚約者にでもなるかのような言い草だ。
私は、ルシアン殿下の執拗なアプローチが苦手だ。
いまも場の空気を味方につけて外堀を埋めようとする魂胆が、透けて見える。
「お褒めに預かり光栄です。ですが、そのようなお言葉が広まると『私が王太子妃になる』と誤解されかねません。それは、未来の王太子妃殿下に対して失礼ですわ」
「ははは。ならば君が王太子妃になれば、失礼ではなくなるんじゃないかな?」
「ふふ……殿下は相変わらず冗談がお上手でいらっしゃる。私でなければ勘違いするところでしたわ」
私は努めて穏やかに、しかし明確に距離を置く。
側から見れば、お互いに他愛もない会話をしているように見えるのだろう。
だけど実際には、水面下で互いに牽制しあっていた。
「お話の最中失礼いたしますけれど……そろそろ本題に戻ってもよろしいかしら?」
イザベラが、わずかに苛立ちを含んだ声で言った。
殿下との会話がさぞ気に入らなかったのだろう。
「あぁ。そういえばキャサリン嬢とマリア様の話をしていたね。キャサリン嬢、君が意味もなく人を嫌うとは思えないのだけれど……理由を教えてくれないかい?」
理由、ね。
そんなもの、私が知りたいくらいだ。
だけど折角の機会だし、素直に自分の気持ちを相談すれば、何かわかるかしら?
「実のところ、私にもはっきりとした理由は分かりません」
私は落ち着いた声で言葉を紡ぐ。
まるで学会で発表でもするように、感情を押し殺して。
「マリア様を嫌っているわけではございません。初対面ではむしろ好印象でした。ですが……彼女がルイと親しくするようになってから、胸の奥に得体の知れないざらつきを覚えるようになりまして」
「ルイ、というのは……隣の彼か?」
殿下の視線がルイへと向く。
突然話題の中心になったルイは、びくりと肩を震わせながらも頷いた。
「はい。彼は、私の運命の番様です」
一瞬で場の空気が変わった。
私の言葉に、殿下の表情が固まる。
「……そうか。続けてくれるかい?」
「ルイが数学研究会で友人を得たときは、心から嬉しく思いました。
ですが、マリア様がルイと親しくしているところを拝見すると、どうにも胸の内が落ち着かないのです。
お二人が私の知らない話を楽しそうにしているのを見ると、なぜだか許せないような気持ちになってしまいます。
さらに、マリア様がルイに会うために数学研究会へ入られたと伺った際、あまり喜ばしいとは思えませんでした。
極めつけは、マリア様とルイが、いかがわしいことをしていると耳にしたときでして……そのときは、自分でも驚くほど強い感情が込み上げてきたのです。
本来なら、マリア様がルイと親しくすることは何も悪いことではないはずなのに、どうしてこんなにも心が乱れるのでしょう。マリア様が……」
「きゃ、キャサリン様っ!」
するとルイが、声を震わせて私の話を遮った。
彼は頬を真っ赤に染め、耳まで熱を帯び、視線を泳がせている。
まるで恥ずかしい秘密でも暴かれたかのようだ。
「どうしたの、ルイ?」
「い、いえ……その……。それ以上は……」
言葉を探しあぐねながら、ルイは俯く。
その仕草が、かえって可愛らしい。
「別に私はマリアを非難しているわけではないのよ。ただ…」
「わかりました! もう、大丈夫ですっ!」
ルイは思わず声を上げ、両手で顔を覆った。
その姿に周囲の生徒たちがくすくすと笑い出す。
場の空気が、少しだけ柔らいだ。
「ねぇ、ルイ。さっきから顔が赤いわよ? どうしたの?」
「これは、その……勘違いでなければ、ですけれども……」
「なぁに?」
「キャサリン様がマリア様に、嫉妬、しているのかと……」
「嫉妬?」
嫉妬──というのは、他人を羨み、妬み、時に理性を狂わせる愚かな感情のことかしら?
馬鹿馬鹿しい感情だと思っていたけれど、まさかこの私が嫉妬をしていたというの?
「マリアに嫉妬する要素なんて、あったかしら?」
「思い上がりでなければ……恐らく……」
「恐らく?」
「僕が、マリア様と仲良くしている、から……かと……」
辛うじて聞こえる程度の消え入る声で、喋るルイ。
なるほど、そういうことだったのね。
「……フフフ……アハハハ!」
まさか自分が、ロマンス小説の登場人物みたいな感情を抱く日が来るとは思わなかった。
誰かを羨むほど恋い焦がれるなんて。
それもこれもルイのせいだ。
本当に、運命の番という存在は面白い。
マリアへの感情が嫉妬だと気づいたあと、改めてルイを見る。
公の場であれほど私の気持ちを聞かされたせいか、ルイは耳の先まで真っ赤になり、今にも湯気が出そうだった。
そんなルイが、たまらなく愛おしい。
「思い上がりじゃないわ、ルイ。私、あなたのことが本当に好きみたい。それも、嫉妬で狂うくらいに」
私はルイの頭を包み、顔を近づけた。
「それを聞いて、どう思ったの? 教えて」
耳元で囁くと、ルイは照れたように腰を抜かす。
ああ、本当に可愛い人ね。
軽くルイの髪を撫でると、私は殿下の方へと振り返る。
「……というわけで、ルシアン殿下。私は愛しい番様と仲良くするマリア様に嫉妬していたようです。今後は気をつけますわ」
「……ああ、そうか」
そう挨拶すると、ルシアン殿下は困惑を隠すように作り笑いを浮かべた。
殿下の目は笑っておらず、その鋭い視線の先にはルイがいる。
「では、授業に遅れてしまいますので、これにて失礼いたします」
そう言って私はルイの手を取り、周囲の目を無視して教室へと歩き出した。




