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デクノボー考(二) 常不軽菩薩を巡って

全四回連載の二回目です。

 宮沢賢治の死後に発見されたいわゆる「雨ニモマケズ手帳」には、「雨ニモマケズ」が誌された11ページ後に、この詩の主題の戯曲化を目指したと思われる「土偶坊」(デクノボー)という題のメモがあり、「ワレワレ カウイフ モノニナリタイ」とも記されている。同じ手帳には法華経の常不軽菩薩を礼賛する未完の詩も残されていた。創作メモ「土偶坊」と詩稿「不軽菩薩」、詩「雨ニモマケズ」の内容の照応から、「デクノボー」が常不軽菩薩を<原像>としていることは間違いなかろうと今では広く考えられており、かの有名な賢治の黒い小さな手帳は、晩年の病床の賢治の法華経への全霊的な帰依、とりわけ常不軽菩薩への深い思慕の念に貫かれていると言えそうである。


 あるひは瓦石さてはまた

 刀杖もって追れども

 見よその四衆に具はれる

 仏性なべて拝をなす


 菩薩四つの衆を礼すれば

 衆はいかりて罵るや

 この無智の比丘いづちより

 来りてわれを礼するや


 我にもあらず衆ならず

 法界にこそ立ちまして

 たゞ法界ぞ法界を

 礼すと拝をなし給ふ  「不軽菩薩」


 常不軽菩薩は不軽菩薩とも呼ばれる、法華経の「常不軽菩薩品第二十」に登場する菩薩で、釈尊の過去世における修行の姿の一つとされている。仏法が衰微し、悟りを得ていないのに得たと慢心する人々が大きな力を持っていた時代、ある男性出家者が「常不軽」と呼ばれていた。彼は在家者も出家者も、男性も女性も問わず、人を見ると「私はあなた方を尊敬して決して軽くみることはしない。あなた方はみな修行して仏陀となる人々だから」と言い、人々が「必ず成仏する尊い存在」であることを伝え、礼拝した。けれども人々は彼を罵り、軽蔑し、石や瓦、杖で迫害する。しかしひるむことなく、ひたすら人々を拝み続け、ついに成仏する――。

 そもそもこの菩薩の名はサンスクリットの原義に照らして、「常に軽蔑しない」の意か、「常に軽蔑された」の意か、難しい議論があるようだが、他者にへりくだり、軽んじることなく尊ぶ人は、逆に他者から軽んじられ、蔑まれ、時にいじめや迫害の対象にすらなるという表裏一体の関係、人の世の悲しい現実の何ほどかを反映しているようで興味深い。

 「雨ニモマケズ」の評価には古くから喧々諤々の議論がある。哲学者の谷川徹三が「この詩を私は、明治以来の日本人の作った凡ゆる詩の中で、最高の詩であると思っています」と絶賛したのに対し、詩人の中村稔はこの作品は賢治の羅須地人協会での実践の敗北を背景としたもので、「宮沢賢治のあらゆる著作の中でもっとも、とるにたらぬ作品のひとつであろうと思われる」「この作品は賢治がふと書きおとした過失のように思われる」とまで批判している。谷川の中村への反論に対して、中村も谷川へ再反論するというのがよく知られた「雨ニモマケズ」論争の顛末だ。

 「雨ニモマケズ」が賢治の「聖人化」の根拠とされるのは違和感があるし、それを人生の総決算としての「敗北宣言」とみることにはやり切れない思いがある。そもそも「雨ニモマケズ」は詩なのか、箴言なのか、単なるメモなのか――。

 見田宗介は「雨ニモマケズ」を<詩でない詩>とし、それは賢治の再起への願いであり、「賢治をたたきのめした生活の罠に対する周到綿密な反撃の装備目録を、あらゆる悔恨をのみ下しながら点検したもの」と位置付ける。「玄米四合」云々という細かな具体性も、「半途で倒れた登山家が、再度のアタックのための自分の装備目録を、最低限必要なもののリストを、周到綿密に点検して自分の手帳に記入している態度ににている」という。

 私はこの見田の解釈、「装備目録」という言葉に強く魅かれる。意図としては詩作品ではなく、「装備目録」的なものだったとしても、賢治が書けば修辞や韻、リズムなど、詩になるということであろう。賢治作品の解釈については、どの専門の文学研究者、文芸評論家、詩人よりも、私は社会学者である見田宗介に多く依っていると思う。いや、大げさに言えば、見田宗介の賢治理解が、いつでも人生の指針になっているような気さえする――。


 ミンナニデクノボートヨバレ

 ホメラレモセズ

 クニモサレズ

 サウイフモノニ

 ワタシハナリタイ 「雨ニモマケズ」


 あまりに人口に膾炙した詩の最後の一節。「そういうものに私はなれなかった」という失意と悔恨、現実に対する反語なのか。「聖人化」でもなく、「敗北宣言」でもなく、再生への切なる望み、「装備目録」という線に沿って解釈出来ないだろうか。

 分銅惇作という研究者の著作で、日蓮の遺文集に次のような言葉があることを知った。私はこの人については東京教育大学で近代文学を講じていたということしか存じ上げず、著作も賢治関連のものと中原中也関連のもの、二冊しか読んでいないが、堅実で信頼の出来る学究という印象を持っている。


 過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり。今の勧持品は未来の不軽品たるべし。その時は日蓮は即ち不軽菩薩たるべし。 「寺泊御書」


 門外漢なので深入りは避ける。でもこの日蓮の佐渡流刑という人生で最も困難な時の言葉は、志半ばで病いに倒れた賢治の「雨ニモマケズ」、特に最後の一節に反響していないだろうか。「日蓮上人御遺文集」といえば賢治座右の書として知られる。前年に国柱会に入会した25歳の賢治が店番をしていて、上京しようかしまいか、いつしようか思い悩んでいたところ、頭の上の棚から御遺文集が落ちてきて、すぐに上京しようと決意、そのまま駅に急ぎ、汽車に飛び乗ったという有名な逸話さえ残されている。

 また立ち上がる、今度は別のやり方で、病いを克服し、慢心も解体して、願わくば未来世は常不軽菩薩として生まれ、生きんことを――今は仮にそういうふうに読んでみたいと思う。

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