デクノボー考
宮沢賢治(1896年~1933年)の1923年夏の北海道・樺太旅行「オホーツク挽歌行」と、「銀河鉄道の夜」との関係について考察した前回「オホーツク挽歌考」( https://ncode.syosetu.com/n6956iu/ )に続いて、賢治についての論考の第二弾「デクノボー考」を公開します。(note にも重複投稿しています)
賢治の死の二年前、1931年11月3日の日付のある、あまりに有名な「雨ニモマケズ」で描かれた人間像「デクノボー」を巡って、モデル説のあるクリスチャン斎藤宗次郎、法華経に登場する常不軽菩薩、童話「虔十公園林」の主人公虔十、近年のヒデリ・ヒドリ論争との関連などについて計4回の連載です。今回は久しぶりに気合を入れて書いたつもりですが、尻つぼみみたいな感じになってて、なんだかなあ。
賢治の死の二年前、1931年11月3日の日付のある、あまりに有名な「雨ニモマケズ」で描かれた人間像「デクノボー」を巡って、モデル説のあるクリスチャン斎藤宗次郎、法華経に登場する常不軽菩薩、童話「虔十公園林」の主人公虔十、近年のヒデリ・ヒドリ論争との関連などについて計4回の連載です。今回は久しぶりに気合を入れて書いたつもりですが、尻つぼみみたいな感じになってて、なんだかなあ。
デクノボー考(一) 斎藤宗次郎を巡って
2025/01/18 22:08
(改)
デクノボー考(二) 常不軽菩薩を巡って
2025/01/19 18:13
デクノボー考(三)「虔十公園林」を巡って
2025/01/21 22:17
(改)
デクノボー考(四・最終回) ヒデリ・ヒドリ論争を巡って
2025/01/24 23:39
(改)