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幽体離脱したら弟の恋人の兄がみえるようになった

私はジークハルト・ヴァ―ゲル。

ヴァ―ゲル王国の国王だ。

前国王である父は10年前に死んだ。

17で跡を継ぎ、今は27歳だ。


病死とされた父の本当の死因はきっと過労とストレスだ。

権利の拡大をもとめる民衆と、地方の自治権の強化を願う領主たちとの摩擦が命をすり減らしたのだ。

父は善良だった。

もっと弾圧をためらわないような苛烈さがあれば、ストレスを与える側にまわれれば、まだ元気だったかもしれない。

あるいは国王という存在が形骸化するのを受け入れてしまえば。


そんなふうに思ってしまうのは、私が社会科の教師として生きた記憶があるからだ。

ヴァ―ゲル王国の周りには一致団結しなければならないほどの敵はいない。

周辺国とは仲良くはないが戦争になるほどでもない。

どんぐりの背比べだ。

一方食料の生産性は高く余剰の資本と労働力に支えられ、産業革命の様相を呈している。

国王がすべての判断をするなんて方法では手が回らない。

新しい体制が必要だった。


父の二の舞にはならない。

領主や民衆の声をいれてヴァ―ゲルの最後の国王になろう。

苦労ばかり多い王より、由緒ある金持ちのほうがずっといい。

幸い、といっていいのか、親族は少ない。

前国王の子は私と年の離れた弟、ユーリスだけだ。

生まれたときに母親を、六つで父親を亡くした可哀そうな子だ。

私の力になりたいと文武に励む可愛い弟に苦労はさせたくない。

そう思った。



そして私は死んだ。

いや正確には死にかけている。


豪華な寝台に横たわる自分を見下ろしても違和感しかない。

なんせ自分の寝顔など見る機会はまずない。

枕に広がる金髪が無駄にゴージャスだ。


(「なんだか恥ずかしいな」)


それはさておき、そう私は自分の顔を『見下ろして』いるのだ。

つまり、肉体と視覚が離れている。


(「幽体離脱ってやつか?」)


集められた医師たちがあきらめムードでうつむいている。

まだ生きてはいるようだが、長くはもたないのだろう。

大丈夫だ。

助からなくとも力不足をとがめられることはない。

私の唯一の血縁たる弟は、全力を尽くした医師を罰するようなことはしない。


激しく扉が叩かれる。

返事も待たずに、厚い重い扉が勢いよく開いた。


「どういうことだ!」

とびこんできたのは愛する弟、ユーリスだった。

同じ金髪碧眼でも、ユーリスのほうが髪も瞳も濃い。

まっすぐな髪を背中まで伸ばした私と短い巻き毛のユーリス。

似ていようがいまいが可愛い弟だ。


「はっきりしたことは不明です。執務室で突然倒れられました」

扉の側で立っていた男が答える。

事務官のひとりだった。

あらためて見回すと医療関係者以外のものも部屋に集まっている。

私の死後のことを話し合っている最中らしい。

本人の前でしなくともいいだろう。

聞こえているかもしれないぞ。

もし目覚めることがあればそんな嫌味を言ってやろう。


「陛下、兄上」

ユーリスが信じられないという口ぶりで横たわる私のベッド横に跪く。

「死なないでください!」

三日前から、水害があった地域への視察と慰問にでていたはずだ。

急いで馬を飛ばして戻っててきてくれたのだろう。

外套は皺が寄り肩が濡れている。

眠る、というか意識不明の私の顔をのぞき込むユーリスを上から見下ろしているのは奇妙な感じだ。

私を守るのだと体を鍛えているらしく、その背中はいつの間にか男らしく広い。

そしてまだ大きくなるんだろうな。

成長期だ。

もう私がいなくとも大丈夫だ。

嬉しいような寂しいような、感傷的な気持になる。

これが親心っていうものか。


触れられないけれど頭を撫でる真似をして告げる。

(「ありがとう、ユーリス。どうか立場に縛られず幸せになってくれ」)

まあ、見えていないし声も届かないのだが。


「犯人は?」

たち上がったユーリスが問うた。

部屋にいた事務官や軍幹部が気まずそうに視線を交わす。

「いえ、その」

一番側にいた近衛が言いづらそうに口を開く。

「毒か病気かもわからない状況です」


病気?

ありえん。

父のようにならないために、健康には気を付けていた。


「暗殺未遂の可能性があるなら調査するべきだろう」

怒りのこもったユーリスの唸り声が静まり返った部屋に低く響いた。


「いえ、取り調べのためにユーリス様の許可をいただきたく」

端のほうでひそひそやっていた大臣が進み出た。

「身分の問題で、兵士には荷が重いのです」

毒だとすれば国王の間近に侍るものが疑われる。

だが、国王の執務室に出自のわからないものはいない。

諜報部は私直属で命令権があるのは私とユーリスだけだ。


捜査の開始と治療方法を調べることを命じられた者たちが出て行き、やっと静かになった。

部屋の隅には近衛とメイドが置物のように待機している。

閉め切られた厚いカーテンが余計に憂鬱な空気を醸し出していた。


ユーリスは私の側に置いた椅子に掛けている。

固く組まれた指と閉じた瞼、その顔はベッドの上の私とよく似ていた。

ユーリスは祈っているとわかる。

唯一の肉親である私を失うユーリスをおもうと哀れでならない。

だが、彼はひとりじゃない。

私にとってもそれは救いだった。



軽いノックの音がした。


「ああ、アレン。来てくれたのか」


ユーリスが安堵の声で迎える。

入ってきたのは20前後の青年だ。

白いシャツに紺のベストとズボン。

流れるようなプラチナブロンドを紺のリボンで束ねている。

アレンは片手を胸にあて頭を下げた。

たったそれだけの仕草でさえ惚れ惚れするような華がある。

彼こそ、ユーリスを支えてくれる人物だった。


アレンは少年の頃、記憶を失っていたのを教会に保護された。

アレンという名は持っていたハンカチに刺繍されていたものだ。

賢く温厚な少年はそのまま修道士となるはずだった。

そんな彼を偶然慰問に訪れたユーリスが見つけて連れ帰ったのが二年前。

以来アレンはユーリスの心の拠り所だった。

ふたりは主従でもあり兄弟でもあり、親友のようにもみえた。

だがユーリスのはアレンのために早く大人になろうとした。

アレンは身を引くという安易な道を選ばず、ユーリスに寄り添っている。

その根底にあるのは恋心であることを、私は気づいていた。


ユーリスは、さっきまで家臣たちを威圧していたのとは別人のように優しく微笑んだ。


「ぼくが陛下の寝所にお邪魔して、よかったのかな」

また誰かに何か言われたのか、少し疲れた顔でアレンは微笑む。

身元の分からないアレンがユーリスに大切にされるのをよく思わないものは多い。


「体温が下がって心臓の動きがゆっくりになっているそうだ。手も冷たい」

ユーリスは悲しげに言った。

「毒かもしれない」

「毒?」

ひとさし指を唇に当てて首を傾げた。

なんのひねりもないコメントだが、かわいい。

横恋慕する気はないが、アレンの容姿は魅力的だ。

ユーリスは頷きつつもそのあざといほどの仕草をじっとみつめている。

食いつきそうな視線に気づいたアレンがちょっと恥ずかしそうに手を下ろした。

釣られるようにユーリスの白い頬に赤みがさし、短い金の巻き毛が頬で揺れた。


青春だなあ。


お前たち私のこと忘れてるんじゃないか?

そんなひねくれた考えさえ浮かぶ。

ユーリスに想い人がいることを喜びながらも、嫉妬がないわけじゃない。

私はアレンの額を指で弾いた。

もちろん当たらないとわかっている。

弟の想い人に暴力を振るったりしない。


(「ミシェルになにをする!」)


罵声とともに、だれからも見えないはずの私は突き飛ばされた。


(「あんたが死にかけてるせいでミシェルが疑われてるんだぞ!」)



たしかに私は死にかけている。

たましいになって体を離れて、誰にも見えないし触れられない。

はずだ。

私は掴みかからんばかりの形相で睨む男を見つめ返した。

束ねられた肩下まで伸びたプラチナブロンド。

アメジストみたいな紫の瞳。

すらりとした長身でなければ少女のようにみえるだろう。

外見はアレンにそっくりなのに、その印象は全く違う。


本物のアレンはユーリスとやんわりいちゃついている。

けっして私のように死にかけてはいない。


(「ミシェルとはだれだ?というか、お前はだれだ?」)

(「いますぐ戻ってミシェルは無実だと謝れ!」)

アレン似のたましいは私を押し倒しぎゅうぎゅうと体に押し付けた。

(「無理だ、入らない!」)

中途半端に沈み込む感覚はあるが、はじき出されるのだ。


(「痛いといっているだろ!」)

私は声を荒げて押し返した。

実のところ痛みはない。

だが、状況的に痛いような気になる。

それでもなんとか押し込めようとしていたアレンもどきは舌打ちして手を離した。

着ているものもアレンと同じだ。


そういえば、と自分の姿を見下ろす。

黒地に金の刺繍の入ったジャケットまで着こんでいる。

(「夜着じゃないんだな」)

ベッドの自分を違う服装なのは奇妙に思えた。

そうつぶやくと、アレンもどきが馬鹿にするように鼻で笑った。

(「たましいの姿は自己イメージだ」)

なるほど。

それほどに曖昧な存在なのか。


(「ミシェルとは、アレンのことか?お前はいったい」)

増えていくばかりの疑問をぶつけようとしたときだった。

アレンもどきはぱっとアレン、ややこしいな、本体のほうへ飛んでいった。


アレンはユーリスとベッドの足元のほうに移動している。

部屋に立つ近衛たちから見えない位置だ。

なにか囁きあっていたユーリスがそのままアレンの唇に口づけた。

パンっと切れのいい音が響く。

「あっ、ユーリス、ごめんっ。ぼくなんでこんな」

アレンが自分の手を信じられないように見る。

「ハハ、気合が入った。ありがとう」

ユーリスはぶたれた頬を赤くしながらも嬉しそうだ。

ユーリスとアレンは清い交際だ。

正確にはときおり暴走しそうになるユーリスをアレンが拒んでいる。

それもまたアレンの立場を微妙にしていた。

だが、ユーリスはアレンの慎み深さを愛し、ゆっくりでいいと受け入れていた。


そんなイラっとするような初々しいやりとりだが、私は見た。

アレンもどきが本体の手に自分の手を重ねてひっぱたいたのを。

(「ちょっと好かれているからっていい気になるな!」)

さらにユーリスを罵っているが、当然聞こえていない。


(「おい、邪魔してやるなよ」)

私は呆れてアレンもどきに言った。

最後の肉親である私が死にそうなのだ。

ユーリスがアレンに慰めを求めるのは当然だ。

むしろそういう相手がいてよかったと心から思う。


しばらくユーリスを殴る動作をしていたアレンもどきがオレをみた。

(「毒なら、犯人はだれなんだ?」)

(「わからない。気付いたらこうなっていた」)

(「お前が死ぬのはいいが、ミシェルのせいにされては困る」)

なんでも、ユーリスを王にして権力を得ようとしたアレンが毒を盛ったと囁く連中がいるらしい。


(「私は死にかけていてる、ならお前はなぜその姿なのだ?」)

アレンもどきはぐっと唇をむすんだ。

いかにも強情そうだ。

いつも笑みを絶やさない本物のアレンはそんな顔はしない。

きっとアレンもどきは、誰かのために戦うことを知っている。


(「協力しないか?真犯人をみつけ、アレンを陥れる計画も潰す」)

可愛い弟、ユーリスのためにも。

物理的にほぼ無力な我々になにができるのかわからないけれど。



私はベッド上の体からあまり離れられないし、アレンはミシェルから離れられない。

言葉を交わせるのは、ミシェルが見舞いに訪れたときだけだ。


(「兄か……」)

私は自分の体の上に腰を掛け息を吐いた。

たましいになっているのがアレン、記憶を失っているのがミシェル。

ふたりは双子の兄弟だった。



隣国の貴族の息子たちは子どもだけで祖父母のもとへ向かう途中、大規模な盗賊団に襲撃された。

身代金目的だったようだが、護衛の奮戦もあり逃げ出したところを馬車が崖から落ちた。


『ミシェルのたましいが空へ上ろうとするのが見えた』

気を失っていたアレンは私と似たような状況だったのだろう。

『ミシェルの体は、もうダメだってすぐにわかった。ぼくはミシェルのたましいをぼくの体に押し込んだ』

そんなことが可能なのか?

いや、双子だからか?


さらに引っかかっていた崖のでっぱりが崩れ川に投げ出される。

部分的に体を乗っ取って打ち上げられたのは我が国のはずれだった。

(「10年前は、急逝した父の跡を継いだばかりで隣国との関係も悪かった」)

記憶喪失の少年が保護されたことは向こうには伝わらなかっただろう。


『ミシェルは生き返ったけれど、記憶を失くしていた。自分の体じゃないからかもしれない』


だからハンカチの名前がアレンだったのか。

私は深く息を吐いた。

『ミシェルに体をやって、たましいだけで共にいたのか』

誰にも、ミシェルにさえ知られず。

それは、あまりにも孤独ではないか。


『兄貴だから。ミシェルには生きて幸せになってほしかったんだ』

自分の幸せはいらないのか、とは言えなかった。

私も、もしユーリスが死にそうなら、喜んでかわる。

兄だから。

そうだな、とだけ私は答えた。


『ユーリスには感謝してるんだ。でも』

アレンは言葉を濁した。

言いたいことはわかる。

ユーリスも守ろうとしてはいるが、ミシェルの立場は弱い。

私が死ねばユーリスを国王にして取り入ろうという者たちは、ミシェルを狙うだろう。

あいたポジションに自分の手のものを送りこむために。


(「大丈夫だ。上手くやるさ」)



私は相変わらずベッド近くをうろついている。

入れ替わり立ち替わり見舞いがくるので退屈はしていない。

聞いているともおもわずに好き勝手なことをいう連中のおかげで、動かずとも情報が入る。


「陛下を害そうとしたのは、やはりアレンらしい」

「ああ、怪しい奴だとおもっていたんだ」

「陛下がお気の毒すぎる。なんとかあやつの罪を暴かねば」


いやいやいや。

大真面目な顔でバカなのか、こいつら。

最悪なのは、こんな連中でも悪気がないということだ。

少なくとも私たち兄弟への忠誠心はある。


(「このまま死ぬわけにはいかない。アレンが怒るのも当然だ」)


ミシェルがユーリスに色目をつかっているというのは正確ではない。

かれらは明らかに相思相愛だ。

想いの強さではむしろユーリスが押している。

もう二年真面目に勤めているアレンだけが非難されるのはおかしい。

(「そうだ、おかしいだろ」)

いくら動揺しているからといって、先走りすぎではないか。

まるで誰かに誘導されているようだ。


彼らに影響力のある者、国への忠誠があり、私に反対しているもの。


私はどれほど跡継ぎを求められても結婚しなかった。

王妃とその後ろ盾はユーリスを邪魔にするだろう。

国王の名を大義名分に他の領主の上に立とうとするかもしれない。

内戦になれば連合国なんて立ち消えてしまう。


国民も領主たちもその提案を歓迎している。

地方ごとの問題はそれぞれの領で、外交や軍備は代表者による合議で決めればいい。

私は王都を中心とした直轄領を持つ一領主としてそこに参加する。

改革というより、現状を追認したようなものだ。

すでに国王の権力は形骸化していて、有力な領主の支持が無ければなにも決められない。

そのバランスのうえに平穏な治世が成り立っている。

こんな気苦労の多い立場をユーリスに押し付けるつもりはない。

ミシェルとの将来を望むユーリスには面倒でしかない。


だが、それをよく思わないものもいるだろう。

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