義妹がわたくしを悪役令嬢というものにしたがるので
どうぞよろしくお願いいたします(*^^*)
「だからあんたは悪役令嬢だって言ってるでしょ⁉ 何回も言わせないで‼」
王都にある我がオールポート伯爵家に、義母の連れ子である義妹シェリーのキンキン声が響き渡っております。
自室にて今年の社交シーズンで着る予定のドレスの試着をしておりましたわたくしエレノーラは、部屋に乗り込んできて騒ぎ出したシェリーに頭が痛くなる思いでした。
懇意にしている仕立て屋のマダムも、シェリーの剣幕に目を白黒させていらっしゃいます。
困惑して手を止めたマダムに「ごめんなさいね」と謝罪を入れて、わたくしはシェリーに向き直りました。
「シェリー、わたくしも何度も言ったと思いますけど、その、悪役令嬢とは何なのでしょうか? 言っている意味がよく理解できないので、わたくしが悪役令嬢だと言われてもわかりませんし、そもそもあなたが何を求めているのかもわかりません」
そうなのです。
シェリーが我が家にやって来たのは十年前。
わたくしが七歳、シェリーが六歳のときでした。
わたくしの母が病で他界して二年後に、父が男爵家の未亡人である義母と再婚したのでございます。
義母の亡くなった夫である男爵は一代限りの男爵家で、義母は夫の少ない遺産を手にすることはできても爵位を手にすることはできませんでした。シェリーが婿を取ったところで、男爵家を存続することができないのです。
義母はもともと商家の出で、一度シェリーを連れて実家に戻っていたそうですが気の強い義姉と折り合いが悪く、再婚相手を探していたときに父と知り合ったとのことでした。
シェリーはよくわからないことで癇癪を起す子ですが義母は温厚で優しい方で、わたくしにも思うところはございません。
ですので、昨年父が亡くなったのちも、義母が引き続きここに住むことに異論はございませんでした。
義母が残れば、当然シェリーも残ることになりますが、さすがに義妹だけ家から追い出すわけにも参りません。追い出したところでシェリーは一人で生きていけないと思いますので、義妹が嫁ぐまでは面倒を見るつもりでもございました。
ですが今、あの時の判断を心の底から悔いております。
……父が亡くなった後から、シェリーのこの意味不明な「悪役令嬢」発言がはじまりましたからね。
そもそも悪役令嬢とは何なのでしょうか。
悪女とか、性悪令嬢、と言うのならば意味はわかるのですよ。
ですが「悪役」とは何なのでしょう。わたくしはただの伯爵令嬢で、女優でも何でもございませんので、悪役を演じているわけではないのですが。
理解できませんので、何度かシェリーに悪役令嬢とは何かと訊ねたのですけど、シェリーは「悪役令嬢は悪役令嬢に決まっているじゃない!」としか答えません。シェリー自身、その悪役令嬢に対する定義がわかっていないように思われます。
説明していただかないとそもそも理解できないのに、言っているシェリー本人も理解していないその「悪役令嬢」がわたくしだと言われても、どうしろというのでしょうか。
それなのに、シェリーは癇癪を起した子供のように地団太を踏んで叫びます。
「とにかく、そんなドレスじゃなくてもっと悪役令嬢っぽいドレスを作れって言ってるのよ‼」
わたくしはしつけのためのマチ針が肌に触れぬように気を付けながらこめかみを押さえました。
「悪役令嬢っぽいドレスとはなにかしら?」
「だから、あるでしょう⁉ 真っ赤で派手なドレスとか、胸とか背中が大きく開いているドレスとか! スリットが足の付け根までありそうなドレスとか‼」
そんな品のないドレスを着ろと、本気で言っているのでしょうか?
仕立て屋のマダムもおろおろしながらわたくしとシェリーを見比べております。
そのような流行を無視した下品なドレスを仕立てでもしたら、マダムの評判にも傷がつくのですよ。可愛そうに青ざめていらっしゃるじゃないですか。シェリーはもっと、人の気持ちを考えられるようにならなければなりませんね。
「シェリー、流行を無視したドレスでパーティーに出席するのは、主催者の方に失礼ですよ。そのようなドレスを纏ってパーティーには行けません。それに、わたくしがそのような格好をしてはクリフォード様も困惑なさるでしょう」
クリフォード様はわたくしより一つ年上のわたくしの婚約者でございます。
バロウズ伯爵家の次男で、将来我がオールポート伯爵家へ婿入りしてくださることになっているのです。
本当ならばすでに結婚準備に取り掛かっているはずなのですが、昨年父が他界したため我が家もばたばたしておりまして、予定より結婚を一年ずらすことになったのです。
ですので、本来十八で結婚する予定でしたが、わたくしが十九、クリフォード様が二十歳の時に結婚式を挙げることになっております。
互いの利害が一致した政略結婚でございますが、クリフォード様は穏やかで優しく誠実な方で、わたくしは彼が大好きです。クリフォード様のお気持ちはお訊ねしたことがないので存じませんが、わたくしは二年後の結婚が待ち遠しくて仕方がないのでございます。
わたくしが反論しますと、シェリーがダンッと足を踏み鳴らしました。
「だったらさっさと婚約破棄すればいいじゃない‼」
「……何を言っているのですか?」
何故わたくしとクリフォード様の婚約を破棄する必要があるのでしょう。
シェリーはいつもよくわからないことを言う子ですが、今日ほど理解が及ばなかったのは初めてかもしれません。
「だから、別れろって言ってるのよ‼ クリフォード様はヒーローなの! ヒロインであるわたしと結ばれる運命なんだから‼」
悪役令嬢に続いて、ヒーローとかヒロインとか、また意味のわからない単語が出てまいりましたよ。
……シェリーの頭の中がどうなっているのか、一度覗いてみたいですね。そうすればわたくしにも多少理解が及ぶようになるかもしれません。
わたくしはあきれ果てましたが、さすがに今の発言を黙って聞き流すことはできませんでした。
「シェリー、わたくしはクロフォード様とお別れする予定はございませんし、クリフォード様がシェリーと結ばれる運命など存在しません」
夢見がちなことを言っていますが、シェリーは我が家の跡取りではございません。
そもそもお父様と血がつながっていないのですから、いくら婿を取ったところで跡取りにはなり得ないのです。もしわたくしに何かあれば、我が伯爵家は従兄弟が継ぐことになっておりますもの。
義母がお父様と再婚したので、シェリーも伯爵令嬢を名乗っておりますけども、お父様が逝去した今ならわたくしの一存で追い出すことは可能なのですよ?
クリフォード様のお父様であるバロウズ伯爵との約束は、わたくしと結婚してクリフォード様がオールポート伯爵を名乗ると言うものでございます。それができなくなるのであれば、我が家とバロウズ伯爵家との間にかわされた婚約の話は白紙に戻るのです。わたくしとクリフォード様がお別れすることがあっても、シェリーと結ばれることはございません。
こんなに簡単な問題が何故わからないのかしらと首をひねったわたくしに、シェリーが顔を真っ赤にしてつかみかかろうとしました。
わたくしは現在ドレスの試着中で、試着中のドレスにはマチ針が刺さっております。
この状態でつかみかかられては大変なことになるのは目に見えていて、大慌てでわたくしの侍女やメイドがシェリーを止めにはいりました。
そのうちの一人が義母を呼びに部屋から飛び出して行きます。
しばらくして、蒼白になった義母が息を切らしながら部屋に飛び込んでまいりました。片手にシャベルを持っているところを見るに、趣味の庭いじりでもしていたのでしょう。
「シェリー、何をしているの⁉ ごめんなさいねエレノーラ」
「構いませんわ、お母様。ですが今は試着中なので、シェリーには外していただけると助かります」
ちっとも試着が進みませんからね。
義母も心得ているようで、シャベルを持っていない方の手でシェリーの腕をむんずと掴みました。
「お姉様にご迷惑をかけてはダメでしょう? まったくあなたは、いくつになっても子供なんだから、少しは成長してちょうだい」
幼い子供に言い聞かせるようにやんわりとシェリーを叱る義母に、わたくしはつい苦笑してしまいます。義母は怒っていても迫力がなく、叱る口調も優しいので、シェリーはまったく堪えた様子はございません。
……わたくしのお母様は厳しい方でしたけど、お義母様は優しすぎますね。
とはいえ、義母のシェリーの教育に、血のつながりのないわたくしが口を挟むわけには参りません。
あのように癇癪持ちの困った義妹ですが、猫をかぶるのは得意なので、外で騒ぎを起こしたことはございませんから、わたくしも必要以上の苦情を言うつもりはないのです。我がオールポート伯爵家の名が傷つくようなことがあれば口を挟まざるを得ませんが、今のところそのような被害はございませんからね。
「騒がせてごめんなさいねマダム。続けてくださいますか?」
社交シーズンは来月。
わたくしとクリフォード様が招待されている最初のパーティーは一か月と三日ののちにございますので、それまでにドレスを仕上げていただかなくてはなりません。
……クリフォード様に素敵だと思われたいので、装いに手を抜くつもりはありませんからね。
まさかそのパーティーでシェリーが騒動を起こすなどと知る由もなく、わたくしはクリフォード様とのダンスを思い出しながら、うっとりと目を細めました。
☆
カーリー伯爵邸の前に停められた馬車から、クリフォード様の手を借りて降りれば、華やかなワルツの音色が聞こえてまいりました。
今年の流行色であるローズピンクのドレスに身を包んだわたくしをエスコートしてくださるクリフォード様と玄関ホールをくぐれば、受付をしていた使用人が会場までを案内してくださいます。
「ここ、少し段差があるよ。足元に気をつけて」
クリフォード様が小さな段差を見つけてわたくしに教えてくださいました。
クリフォード様は小さな気遣いのできる、本当に素敵な方なのです。
背の高いクロフォード様を見上げてお礼を申し上げれば、にこりと微笑んでくださいます。
「オールポート伯爵が亡くなられてもうすぐ一年だが、家の方は大丈夫かい?」
「ええ。領地の方も今のところ問題ないようです。クリフォード様がお力添えくださっているおかげですね。ありがとう存じます」
お父様が亡くなって途方に暮れていたわたくしに代わり、クリフォード様は王家と交渉し爵位をわたくし預かりにするようにしてくださいました。わたくしが結婚したのちはクリフォード様に移りますが、それまでの間わたくし預かりになったおかげで、領地を一時的に王家に取り上げられることなく運営できているのにはとても助かっております。
領地の運営についてもクリフォード様や彼のお父君バロウズ伯爵が手を貸してくださっているので、今のところ大きな問題はございません。
これがわたくし一人だけの力で何とかしなければならないのであれば、きっと右も左もわからずおろおろしてしまっていたでしょう。お父様から領地経営について多少は学んでおりましたけれど、基本的にはクリフォード様の補佐をすることを考えておりましたので、補佐的なお仕事を学ぶことに重点を置いておりましたからね。
お義母様はそのあたりのことはさっぱりですし、シェリーは言わずもがな。
クリフォード様がいらっしゃらなければ、どうなっていたかわかりません。
「エレノーラの力になれているのならよかったよ」
「わたくしもクリフォード様が婚約者でとても嬉しいです」
こんなに素敵な方が婚約者で、わたくしはとても幸せ者でございますね。
会場に参りますと、わたくしとクリフォード様は一緒にお知り合いたちにご挨拶に参ります。
お父様がいなくなった今、次期伯爵であるクリフォード様とわたくしがオールポート伯爵家を盛り立てて行かねばなりません。若いわたくしたちにとって、社交はとっても大切なことなのです。
……お父様が懇意にされていた方が、わたくしたちに懇意にしてくださるかどうかはわかりませんからね。お父様の名前を頼るのだけではなく、わたくしたちで人脈を築き上げる必要があるのです。
たくさんの方にご挨拶に伺ったのち、少し疲れましたのでわたくしたちはドリンクを飲みながら休憩することにいたしました。
クリフォード様とドリンクを片手にバルコニーへ向かいますと、藍色の空に星々がきらめいております。
秋の空は夜空はとても綺麗ですね。
……こんな夜空を見ていると、お父様からクリフォード様を紹介された日のことを思い出します。
ほんの数年前のことですのにひどく懐かしく、銀色の中にほんの少しだけクリーム色を落としたような優しい色合いの月を見上げておりますと、わたくしと同じように空を見上げたクリフォード様が懐かしむように目を細めました。
「君を紹介されたのも、こんな日の夜だったね」
クリフォード様がわたくしと同じことを思い出していると知って嬉しくなりました。
――エレノーラの髪は、今日の月の色とよく似ていますね。
そう言って、クリフォード様が優しく微笑んでくださったのは、今からちょうど、三年前のことでしょうか。
☆
三年前――
当時十四歳だったわたくしは、社交デビューして二回目のパーティーに、ひどく緊張していたのを覚えております。
お父様に伴われて、わたくしはバロウズ伯爵家の玄関をくぐりました。
今日はバロウズ伯爵家のパーティーなのです。
まだ社交デビューしておらず、お留守番をさせられているシェリーがひどく拗ねておりましたが、社交デビュー前の子を夜のパーティーに伴うのは不可能です。昼間のお茶会くらいなら、社交デビューしていなくても参加したりしますけどね。
お父様から「紹介したい方がいる」とお聞きしておりましたので、今日のバロウズ伯爵家のパーティーでわたくしの婚約者となるかもしれない方と会うのは予想できておりました。
なんとなくですが、それがバロウズ伯爵家に縁のある方だということも。
お父様はわたくしとわたくしの結婚相手をオールポート伯爵家の跡取りにするとかねてより決めていらっしゃったようで、お父様は以前から伯爵家に婿入りしてくださる方を探していました。
きっと、お父様のお眼鏡にかなった男性がいたのでしょう。
期待とほんの少しの不安と、それからドキドキと高鳴る鼓動を抱えて、わたくしはお父様のあとをついて行きます。
そして紹介されたのが、わたくしより一つ年上のクリフォード様だったというわけです。
お父様とバロウズ伯爵は、少し二人で話してみなさいと、わたくしとクリフォード様をバルコニーに残してどこかへ行ってしまいました。
ちらりと見上げたクリフォード様はとてもお優しそうなお顔をされていて、わたくしは恥ずかしさとドキドキでうまくお話ができなかったのですが、そんなわたくしを気遣って、クリフォード様はゆっくりと穏やかな口調でいろいろなお話をしてくださいました。
一歳しか違いませんのに、あの当時のわたくしには、クリフォード様はとても大人びて見えたものです。
「こうして見比べてみると、エレノーラの髪は今日の月の色とよく似ていますね。光が浮き出るようでとても綺麗です」
わたくしは綺麗な金髪でも、銀髪でもなく、中途半端な色をしていて、シェリーなどはわたくしの髪をいつも「ぱっとしない色」と言って笑います。
そのせいかなんとなくコンプレックスだったこの髪の色を綺麗と言っていただけて、わたくしはそれだけで天にも昇るような気持ちになりました。
わたくしとクリフォード様は今日あったばかりで、さすがにすぐに婚約とはいきませんが、わたくし、結婚するならこの方がいいと、この方しかいないと、はじめてお会いしたにも関わらずそんな確信めいた思いを抱いてしまいました。
わたくしのお相手については基本的にお父様がお決めになることですのに、図々しいことに、わたくしはパーティーが終わった後で、お父様にクリフォード様がお嫌でないのなら、彼と婚約したいと我儘を言ってしまったほどでした。
お父様はわたくしが自分の希望をはっきり言うのを珍しそうに見やった後で、微笑んでバロウズ伯爵に話を通してみようと言ってくださいました。
そして、バロウズ伯爵家もこの婚姻に乗り気のようだからと、パーティーの日から一か月後、わたくしは正式にクリフォード様の婚約者になったのです。
☆
月を見上げて思い出に浸っておりましたわたくしは、何やら背後が騒がしくなったことに気が付きました。
何か起こったのかしらと、バルコニーから広間を振り返ったわたくしは、そこに大勢の男女に囲まれたシェリーを見つけてギョッとしました。
「シェリー?」
「本当だ」
クリフォード様も目を見張りました。
今日のカーリー伯爵家のパーティーはわたくしの名前で招待状が届いておりまして、さらに言えばパートナー必須でしたので、シェリーは参加できないはずです。
シェリーには婚約者はいませんからね。
血のつながりがなくとも妹ですので、シェリーが望むなら、わたくしは縁を探すことに異論はございません。けれども、シェリーにそれとなく訊ねたところ、顔を真っ赤にして怒り出したのです。
わたくしがシェリーのお相手を探しましょうかと訊ねたのが、どうやら気に入らなかったようです。「わたしを家から追い出す気ね、この性悪女‼」と怒鳴られてしまいました。
お義母様が慌ててシェリーをたしなめていましたが、本人が望んでいないのに出しゃばるようなことはできません。
それ以来シェリーのお相手探しのお話は我が家ではタブーとなっておりました。
ですので、シェリーはまだどなたとも婚約していないのですよ。貴族の婚約には家長の許可が必要で、今であればそれはわたくしの許可が必要ということになります。婚約する場合はわたくしのサインを入れたしかるべき書類を国に提出しなければなりませんので、シェリーはこの場に伴えるパートナーがいないのです。
……ただお付き合いしているだけの殿方は、パートナーとしては認められませんからね。
もっとも例外もございます。
たとえばお父様と一緒であればパートナーと同伴でなくとも、パートナー必須のパーティーに参加できるのです。すでにお父様がいらっしゃらないので、シェリーにその手は使えませんが、もしかしたらわたくしの名前を出したのかもしれません。
……困った子。
そんなに今日のパーティーに参加したかったのであれば、事前に相談してくれればいいのに。何の相談もなくいきなり乗り込んでこられても困りますよ。
「……どうする?」
クリフォード様が気遣うようにわたくしを優しく見下ろします。
このまま放置はできませんね。来てしまったのです、帰宅しろとは言いませんが、一人でふらふらさせるわけには参りません。シェリーにはわたくしたちと一緒にいていただかなくては。
シェリーはオールポート伯爵家のものですので、彼女がどなたかにご迷惑をかけた場合、わたくしのみならず将来オールポート伯爵となることが確定しているクリフォード様の評判に傷がついてしまうのです。それは避けねばなりません。
「クリフォード様、申し訳ございませんが……」
「わかっているよ。さすがに義妹を放置できないからね」
お優しいクリフォード様は、「困った子だね」と微笑まれます。
シェリーはクリフォード様の前では特大の猫をかぶっておりますので、彼にしてみたらシェリーがちょっとした悪戯をしたように見えるのかもしれません。
……それにしても、今までわたくしに対して文句を言うことはあっても、このようにパーティーに乗り込んでくるようなことはしなかったのに、今日はどうしたというのでしょうね。
少し不思議に思いながらクリフォード様とシェリーに近づきますと、わたくしの姿を見つけたシェリーがにんまりと口端を持ち上げました。
……なんだか嫌な予感がいたしますよ。
シェリーがよからぬことを企んでいるような気がして焦燥に駆られたわたくしが口を開こうとしたとき、シェリーが突然両手で顔を覆って泣き出しました。
わたくしもクリフォード様も、そしてシェリーの周りにいた方々もがギョッとするなか、シェリーは甲高い声でこう叫びました。
「お姉様はわたくしを疎ましく思っていらっしゃるのです!」
……シェリーはいったい、何を言っているのでしょう?
もしかして先ほどまでこちらで皆様としていた話の続きなのでしょうか。
前後がわかりませんので、わたくしはどう反応していいやら困ってしまって、頬に手を当てて目をしばたたくことしかできません。
「シェリー、いきなりどうしたんだい?」
困惑してすぐに反応できないわたくしに代わり、クリフォード様が首を傾げながらシェリーに問いかけました。
そうです。そう訊ねればよかったですね。
するとシェリーは顔から少しばかり両手を離して、すがるような目でクリフォード様を見上げました。
わたくしの胸が、ざわりといたします。
恋焦がれているのとも少し違う――なんと表現すればよいのでしょう。まるで自分の夫や婚約者を見るような、独占欲のこもったとでもいえばよいでしょうか。そんなシェリーの目が、クリフォード様に注がれて、わたくしは思わずクリフォード様の腕に絡めて手に力を込めてしまいました。
そんな目を、クリフォード様に向けないでほしいです。
わたくしの表情のこわばりに気づいたシェリーが一瞬だけにんまりと目を細めて、また泣きまねをはじめました。もはやこれは泣きまねで間違いないと思います。
「わたくしがクリフォード様をお慕いしていると知って、お姉様はわたくしにつらく当たるようになりました! お姉様は本当に冷たくて残酷な方で、このままではクリフォード様が不幸になると思って、わたくし……!」
……どうしましょう。今までで一番シェリーの言うことがわかりません。
これまでも「悪役令嬢」とかいう意味のわからないことを言われて困っておりましたが、今日はその比ではありませんよ。
それに、今までシェリーに困らされたことはたくさんありますけど、シェリーを疎んじてつらく当たったことはないはずです。
そりゃあ、わけのわからない主張をされてたしなめたことはございますけど、それはつらく当たるのとは違いますよね?
シェリーの周りにいらっしゃる方々は、困惑なさっておいでですけど、数名の方はわたくしに非難めいた視線を向けております。
ここで黙っているのは得策ではないようですが、けれど、何と反論したらいいでしょうか。
シェリーもオールポート伯爵家のものですので、ここで言い争いをしたら我が家の名前に傷がつきますし、だからといってシェリーの言い分をこのまま通すのもよろしくありません。
……シェリーの教育にもっと力を注げばよかったですね。いえ、いくら教師をつけても、シェリーの自己主張の強さや我儘さはちっとも治らなかったのですけど。
この場はシェリーを諫めて連れ帰るのが一番いいでしょうか。
そんな風に思っておりますと「シェリー」とクリフォード様が口を挟みました。
「シェリーが私を慕ってくれているのは知らなかったけど、私はエレノーラの婚約者で、彼女のことをとても愛しているんだ。残念だけど君の気持には答えられないし、私が見る限りエレノーラは君につらく当たったりしていないよ。姉上をあまり困らせるものじゃない」
口調こそ優しいですが、クリフォード様らしからぬ強い響きのある言葉でした。
お優しいクリフォード様であれば、この場でシェリーが傷つく言葉は避けると思っておりましたので少々……いえ、かなり意外です。
わたくしが瞠目するのと、シェリーが愕然と目を見開くのは同時でした。
「え……なんで……」
シェリーの力のない震えたつぶやきが聞こえます。
クリフォード様に拒絶されるとは、露ほどにも思っていなかったのかもしれません。
そういえば以前からクリフォード様は自分と結ばれる運命だと主張していたので、シェリーの頭の中ではわたくしを廃してクリフォード様と結ばれる未来が確定していたのかもしれませんね。
どうしてそんな妄想を抱いていたのかは謎ですが、そうとしか思えないような驚きようです。
しかしそれ以上にわたくしを驚かせたのは、クリフォード様の「愛」という言葉でした。
……聞き間違いでなければ、クリフォード様はわたくしを愛しているとおっしゃいませんでしたか?
わたくしは以前よりクリフォード様をお慕いしておりました。
けれども、彼の気持ちはわからなかったのです。
クリフォード様はお優しいですけど、それが恋情によるものからだという確証はなく、また、貴族間の婚姻には必ずしも恋愛感情は必要ではございませんので、わたくしのことをどう思っていらっしゃるのかなんて怖くて訊けませんでした。
訊ねることで、困らせてしまうかもしれませんでしたし。
シェリーの意味不明な発言も頭の中から抜け落ちるほどに驚いていたわたくしを、クリフォード様がさりげなく背中にかばってくださいます。
どうしましょう、そのような状況ではないとわかっているのですが、感動して目が潤んできてしまいます。
クリフォード様の背中越しにちらりとシェリーの様子を伺いますと、わなわなと唇を震わせながら「小説と違う」とか「ここで悪役令嬢は断罪されるはずなのに」とか意味のわからないことをつぶやいていました。
また悪役令嬢です。
小説という言葉もありましたし、もしかしてシェリーは何かの小説と現実を混同しているのでしょうか?
……でも、悪役令嬢という単語の出てくる小説は、わたくし、読んだことがございませんけど、どこで読んだのでしょうね。
少なくともオールポート伯爵家の図書室にはございません。
お友達の家で読んだのかしらと思っていると、クリフォード様が首を横に振りました。
「シェリー、ここにいるエレノーラは『悪役令嬢』じゃないよ」
……あら? クリフォード様も「悪役令嬢」という単語をご存じなのでしょうか。
さらりと使われたその単語に目をしばたたいておりますと、シェリーがもっと驚いたような顔になりました。どうしたのでしょうね。
「シェリー、繰り返すが、私が愛しているのはエレノーラだ。君じゃない」
もう一度はっきりと宣言されて、シェリーは顔を真っ赤に染めると、ぱっと踵を返して駆け出して行ってしまいました。
……ええっと、帰宅するのはかまいませんけど、この落とし前をどうつければよいのでしょう?
これは方々に謝罪が必要ですね。
クリフォード様の「愛している」という言葉に酔いしれたい気分ですのに、この後のことを想像するとうっとりしている場合ではないでしょう。
ため息をつきたい気分になっていると、クリフォード様がその場にいた皆様に素早く謝罪をしたあとで、「義妹は妄想癖があるようです」ととんでもない爆弾発言を落としました。
……クリフォード様⁉ そんなことを言ったら、シェリーの今後が大変なことになりますよ⁉
訳あり令嬢のように言われてしまったシェリーは、今後社交界に碌な噂が立たないと思います。嫁ぎ先にも困るかもしれませんし、しばらく恥ずかしくて表に出られないかもしれません。
だというのに、クリフォード様はびっくりするくらい爽やかな微笑を浮かべていらっしゃいました。
あわあわするわたくしの肩を抱き、クリフォード様がさきほどまでいたバルコニーにわたくしを連れて行きます。
「あの、クリフォード様!」
「勝手なことを言ってごめんね。でも、あのように言うのが、一番君の名前に傷がつかないから」
エレノーラが性悪のように言われるのは嫌だと言って、クリフォード様は少しだけ眉尻を下げて微笑みます。
そして、遠慮がちに腕を伸ばすと、わたくしをぎゅっと抱きしめました。
急に抱きしめられて、わたくしの心臓が壊れそうなほどにドキドキしてしまいます。
「エレノーラ。あんな形の告白になってしまって申し訳なかったけど、さっき言ったことは嘘じゃない。私は君が大好きだよ。愛している」
わたくしはクリフォード様の腕の中でひゅっと小さく息を呑み、それから真っ赤になりました。お酒に酔ってしまったかのように、頭の中がふわふわしてきます。
けれども、ここで黙ってしまうのはだめな気がして、わたくしは勇気を振り絞って、クリフォード様の腕の中で顔を上げました。
「わ、わたくしもっ、クリフォード様を、お慕いしております。……ずっと前から」
気持ちを告白するのは、とてもとても恥ずかしいですね。
クリフォード様のお顔を見つめていられなくなって、わたくしは顔を隠すようにして彼の胸に顔を押し付けました。
クリフォード様が髪が崩れないように優しく頭を撫でてくださいます。
シェリーの意味不明な行動に困らされてしまいましたが、おかげでこうしてクリフォード様のお気持ちが聞けたと思うと、そう悪いことではない気がしてくるので不思議ですね。
その後、騒動を知った義母はシェリーを連れてオールポート伯爵家を出て行くことを決めました。
わたくしはそこまでしなくてもと言ったのですけど、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないと言った義母の決心は強く、今年の社交シーズンが終わる前に、義母はシェリーを連れて出て行ってしまいました。
シェリーは最後まで抵抗していましたが、優しくおっとりした気質の義母には珍しく、シェリーを厳しく叱りつけて連れて行きました。
王都から少し離れた町に行くとおっしゃっていたので、当面の生活費をお渡しすると泣いて喜ばれましたが、これ以上はシェリーが甘えるので支援は不要と言われてしまいました。
少々心配ですが、凛とした顔をしていた義母はおっとりしているようにみえて商家の出ですので、シェリーも成人した今、自分の力で生きていくだけの力はあるとのことです。
……おっとりしているように見えましたが、もしかしなくとも、わたくしより義母の方がずっとしっかりした方なのかもしれません。
そうそう、それからずっと気になっていた「悪役令嬢」という言葉について、どうやらその単語をご存じらしいクリフォード様に訊ねてみたところ、彼は困ったように笑って「ずっと遠い異国の本に出てくるんだ」と教えてくださいました。
そんな遠い異国の本をどこで読んだのかも気になったのですけど、それについては「秘密だよ」といって教えてくださいませんでした。
ただ、その時のクリフォード様のいたずらっ子のような笑顔が可愛らしくて、しばらくしたころに、もう一度同じことをお訊ねしてみようかしらと思ったのは、内緒です。
お読みいただきありがとうございます!
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また、下記の新連載開始してます!
タイトル:運良く人生をやり直せることになったので、一度目の人生でわたしを殺した夫の命、握ります(https://ncode.syosetu.com/n0123iv/)
↓は3/25発売のコミックス新刊です!
一迅社comic LAKE
内容:
宝珠によって本物の聖女に選ばれたアイリーン。
元婚約者の第一王子・メイナードに猛アプローチされるも
「わたし自身を見てくれる人と幸せになります!」
心機一転、騎士・ファーマンと教会のバザーに出かけたが、
何者かにさらわれてしまい――!
教会側の思惑も絡み、
聖女になったアイリーンに波乱の連続!?