レジスト1 異邦トラック、ダメ絶対! 前編
近頃、奇妙な夢をみる。
辺り一面が螺鈿のように煌めく空間に、フワフワと浮いている夢を。
そこではとても安らかな気持ちになり、眠る前に抱えていた悩みや雑念が溶け消える。そして気がつくと、目の前で綺麗な女性が、自分を迎え入れるべく両手を広げているのだ。
ー……ちらへ、……ゃよ。……うか、こちらへ……
母性溢れる声に誘われるまま、自分は女性に引き寄せられる。
それに抵抗できないし、しようとも思わない。だが、何か嫌な予感を覚え始める。
(……なんだろ?なんか……やばい……?)
ー勇者よ、さぁ、こちらへ……
女性が自分を勇者と呼んでいるのだと気づく距離まで近づく。しかし、いつもそこで夢は一変する。
ーヤラセナイヨ!
ゾワリ、と背筋が凍る声が背後から聞こえ、同じ方向から、暗闇が自分を追い抜き、周囲の螺鈿を黒一色に染めあげる。
それまでと違い、寒く恐怖を覚える、おぞましい空間。
女性は焦った表情で、自分に手を伸ばそうとする。
ー勇者よ!早くこちr……
ーシツコイヨッ、キエロッ!
女性の叫びと、ナニカの濁声が同時に響き、そこへシャリリッと金属の擦れる音が続く。
そして、女性の身体が袈裟斬りの如く、肩口から斜め真っ二つに裂ける。
ーおのれ、死神……またしてもぉ……
ぼやけて消えてゆく女性の怨嗟を最後に、目が覚める。
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空想西暦2034年10月25日 早朝
東京都 海上特区『桟更』
天星高校附属寮
背中に悪夢の残滓をひんやりと感じながら、伊佐美八代は起き上がる。
「また、あの夢が……何度目だよ」
ブルリと身体が震えるのは、昼夜の寒暖差が激しい秋の終わりという季節のせいか。それとも今月に入ってから毎晩のように見る悪夢のせいか……。
「ふぁ〜あぅふ……今から二度寝は……やめとこ」
また悪夢を見てはかなわない、と寮の建立当初からある安物ベッドを軋ませながら床に降り、タイマー機能をオフにしながら文字盤を見ると、時刻は午前6時を過ぎた頃。
カーテンの閉まる南東向きの窓からは、顕れ始めた朝日の光がぼんやりと入ってきていた。
「さりとて出来る事も無し。これはいかがしたものか……」
と、古風な言い回しが口をついて出てくるのは、先日までの中間テストの後遺症といった所か。
八代の通う天星高校は午前9時始業。寮は学校の敷地内にあり、校舎までは徒歩で5分ほど。なので出立はいつも8時半ごろだ。
寮の食堂は、平時なら運動部員の朝練に合わせて6時半から開放―と看板には書きつつ、調理師のおばさんたちの献身により、6時には飯と味噌汁が食える―なのだが、テスト期間とさる事情で朝練は無くなり、おばさんたちも炊飯器のタイマーを7時半にセットしている現状。
一文でまとめると、あと90分間は暇を持て余すのだ。
「外の景色を楽しむ?いやいや、『秋は夕暮れ』ですぞ、八代殿。帳をめくれども、いとおかしき事は……」
と、独り大河ドラマを演じながら、平安貴族の心持ちでカーテンを開け放った八代。
結露で曇るガラスを拭けば、4階の高さから見下ろす、親元を離れ2年間通い続けている学び舎と……その屋上に佇む、黒い人影が目に入った。
「……は!?……え?あれ?」
しかし瞬き1回の間にその人影は無くなり、ステンレス網のフェンスで囲まれた屋上が寒風に晒されているのみであった。
「……ははっ、やっぱちょっと寝よ。疲れてるんだわ」
再びタイマー機能を7時30分にセットし直し、八代はベッドへうつ伏せで倒れ込む。
そんな彼に、窓から入る陽光がゆっくりと近づいていくが、唐突にストンと巨大な黒い影が降りてきて、陽光を2つに割いた。
『……ゼッタイ、ヤラセナイヨ』
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ここは東京都24番目の行政区、『桟更』。かつては江東区と大田区に跨がる埋め立て処分場だった人工島が拡張されて羽田空港と接続した海上区画。
三番目の空港ターミナルと各種物流拠点、そしてこども園から大学まで揃った学園都市を内包する新たな行政区として、2029年に誕生した街だ。
その名は、インドで『転生』を意味する『サンサーラ』を由来としており、少子化など日本が抱える諸問題への解決策を試験導入するモデルシティとしての役割が期待された。
しかし、5年という節目を迎えた現在、実情は再生とは程遠いモノとなっていた。
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同日 午前9時20分
天星高校 普通科2年B組教室
悪夢からの覚醒後、今度は夢無き二度寝から目覚し時計により起された八代は、普通に身支度を終え、普通に寮の食堂での米と味噌汁と焼き鮭の朝食を経て、テスト期間が終了しつつも平常運転には戻りきれていない学業へと身を投じた。
というのも……
「はぁ……朝から小言を言うのは、先生も嫌なんだがな。昨日もまた、ウチの生徒2人が放課後に繁華街を彷徨いて補導された。繰り返すが、今は無期限で不要不急の外出は禁止だ」
担任教師のきつい叱責に、2−Bの生徒たちはざわめく。
補導されたのは1年の誰それと誰それだ、2人が補導されたのはホテル街のどの辺だ、など真偽不確かな情報が飛び交う。
が、寝不足が解消されきっていない八代は、それに混ざる気力もなく、しかし事の原因の一端である、窓際の空席に目をやる。
3週間前から行方不明となっている、東雲雲雀の机の中は、その身を案じる女友だちからの手紙で満杯になっていた。
彼女の行方不明のみならず、先月中に、同学年の生徒2人が交通事故死、教師1人が通り魔に刺されて意識不明。
更に街全体となると、先月の死者・行方不明者は総計で666人と、甚だ物騒なご時世。
それ故に、当面の間―事実上、東雲雲雀の安否が判明し、通り魔が逮捕されるまで―は行動規制が敷かれる事態となっていた。
もっとも、今月に入ってからそんな訃報を目にする頻度は激減したように、八代は感じていたのだけれど。
それからのHRは、寮住まいの生徒は敷地外への外出禁止、自宅から通いの生徒も、同じく帰宅後の外出禁止を厳命されて終了し、1限目の歴史の授業へと移行していった。
「で、では授業を、始めますっ!……え〜と、前回は戦後のベビーブームだったから……今日は平成からの少子高齢化の所だね……教科書は……」
と、入院中の教科担任の補充として着任したばかりの新米講師―名前はまだ覚えてない―が、緊張気味に板書を始めると、生徒たちは物騒な事件を束の間忘れ、現代社会の抱える諸問題へと没頭していった。
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同日 午後8時
何事も無く時は過ぎていき、放課後。通学組は蛍光ジャケットを着た教師たちと地元警察に見守られながら下校し、八代たち寮住まい組も、仮の住まいへと戻った。
夕食と入浴を終え、ジャージ姿でくつろぐ八代。
すると珍しい事に、部屋に備え付けの電話が鳴った。
「誰だ?……もしやケータイ……はスルーしてない」
うっかり友人の誰かからの着信を取り損ねたか、と端末を確認するも、通知は無し。
しかし、わざわざ固定電話に連絡を寄越す相手の心当たりもなく、八代は悪戯を疑い様子をみる。
が、20秒を過ぎてもコールは鳴り止まず、折れて八代は子機の方を取り上げる。
「はい。404号室、伊佐美ですが?」
<<い、伊佐美くん?私……助けて!>>
「なっ、その声!東雲か!?」
憶えのある女子の声に、八代の身体は強ばる。
1年と半年間、同じ教室で聞いていた、東雲雲雀の声に違いない、と。
とっさに充電ケーブルに繋いでいた携帯端末を引ったくり、緊急通報のアイコンをいつでも押せるようにして、八代は電話へ問い直す。
「本当に東雲か?……今年と去年の出席番号は?」
<<……こ、ことしは13番。去年は……えっと、サムラさんが9番で、シキさん、私の順だったから……11番!>>
去年の出席番号は、本当は八代も忘れていたのだが、今は別のクラスとなった同級生の名前を挙げた事で、本人だと断定した。
「東雲、お前今どこに……安全な場所か?」
<<い、今は一応、大丈夫。4丁目の、電話ボックスの中。生徒手帳にメモってた番号に片っ端からかけたら、やっと伊佐美くんが出てくれて……周りの建物、全部閉まってるし、誰も出歩いて無くて……>>
4丁目というのは人工島の南西側、羽田空港第三ターミナルから本土への物流を担う企業のオフィス街。
ふと時計に目をやると午後8時。なるほどオフィス街なら、とっくに人気が途絶えている時刻だ。
ちなみに学校があるのはその隣の3丁目。徒歩で移動しても10分で辿り着ける距離だ。
「待ってろ、今すぐ警察に連絡して、保護を……」
<<駄目!警察は……私を閉じ込めてたの……警察官だったから>>
突拍子もない話だったが、彼女の切羽詰まった声が、真偽の判断を躊躇わせる。
「……あぁもう!仕方ない、今から行く。4丁目のどこだ?」
<<えっと……目印は……>>
携帯端末の地図アプリから、聞き取った条件に当てはまる場所を探る。
やはりここから10分と少しで辿り着ける、しかし人気のある繁華街や公共施設からは少し遠い場所だった。
そこから動くな、と伝え、電話を切った八代は、念のため体育用のジャージを一式カバンに詰め、こっそりと寮の非常階段から外へと出た。
そして、植木を伝って塀を乗り越え、同級生が待つオフィス街へと、防犯対策の徹底で静まりかえった夜道を駆け出した。
この時、彼が事の不自然さに僅かにでも気づけていたなら、これからの物語は違った展開を見せていただろう。