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 月明かりのない夜に、ダリアはいつものようにサイモンの家を訪れ、ワインを空けていた。

 テーブルを挟んで向かい側に、宝石のような美貌の男が座っている。彼は――サイモンは、ダリアを睨んでいた。いつものことだ、とダリアは気にしないでワインを入れた杯を重ねる。

 

「……送っていくから早く帰れ」

「あら、ありがとう。でもこのボトルを開けてしまったから、これを飲み干したら帰るわ」


 にっこりと笑ってそう返すと、彼は顔をしかめる。ダリアは軽口を叩きながらワインを飲むのが好きだ。ワインボトルには、まだ半分以上の酒が残っていた。

 サイモンは「貸せ」とボトルをひったくると、自らのグラスになみなみと注いだ。


「あらあら、ダメよ、そんなに急いで飲んだら……」


 ダリアに早く帰ってほしいのはわかるが、サイモンが早く潰れてしまうのはもったいない。子どもをたしなめるように止めると、彼が決まり悪そうにわずかに顔を歪めた。本当の子どものようで、ダリアは声をあげて笑ってしまう。

 

「……なんだ」

「ふふ、あなたの顔が可愛らしくて見つめていたの」

「可愛いわけがないだろう……」

「可愛いわよ」


 なにせ、サイモンの外見は一級品だ。銀糸の髪に、サファイアの瞳。

 ダリアは目を細めた。

 サイモンは酔い始めていたから、魔が差した。これまで聞こうとも思わなかった問いを唇に乗せる。


「銀髪に青い瞳。……そういえば、国王陛下もそうだったわね」

「ああ、そうだな。恐れ多くも陛下と同じ色だ」


 ダリアの手にじんわりと汗がまとわりつく。サイモンの反応を伺うと、彼は平然としていた。きっとダリアが聞かずとも、同僚などに遠回しに言われたことがあるのだろう、と思った。

 どう返すか決めていたみたいに、彼の言葉に驚きも動揺もなかった。ダリアはそっと息を吐く。

 サイモンは、国王の庶子だ。ダリアは、この幼馴染が出世したがりなのは、実の父母に会いたいからだと思っている。


「ねえ、サイモン。本当のおとうさまとおかあさまに会いたい?」

「いや……」


 サイモンがためらいがちに溢したその言葉に、ダリアは驚く。生みの両親に――国王と公妾に会いたいから、出世したいのではないのか。

 すると、ダリアの表情を読み取ったサイモンが、隠すことを諦めたように吐露する。

 

「わからないんだ、ダリア。ただ、俺はお前のように『誰の子かは関係ない』とは思えない。俺を何者でもないものにした者達を憎く、恨めしく思う。それだけだ」


 それだけ、とサイモンは言ったけれど、ダリアには些末なことはとても思えなかった。サイモンの言葉が、ダリアの胸の中でひどく悲しく響いていた。


 サイモンは生みの親を肖像画でしか知らない。みんなが当たり前のように知る自らのルーツを知らないのは、ひどく不安定な気分になるのだとサイモンは言った。


「きっと、両親に会えばわかるはずだ。俺が何者なのか」


 そう静かに呟いて、サイモンは黙り込んでしまった。

 生みの両親への恨みがあるが、それをどう処理したいかはまだ彼の中でも決まっていないのだ。

 復讐、と呼ぶにはあまりに弱い、捨てられた子どもの持つ未練のようだ。


 かける言葉を迷っているうちに、サイモンは眠ってしまった。ダリアに早く帰れ、と言っていたくせに。


「ほらね、また眠ってしまったじゃない」


 ソファから薄い毛布を持ってきて、サイモンの肩にかける。

 ダリアは知っている。最初は、サイモンの家のソファに毛布などなかったのだ。これは、ダリアがサイモンの家に来るようになってから置かれるようになったものだ。ソファに好んで座るダリアが、寒くないように。……実際のところは、先に酔い潰れるサイモンの方がよく使用しているのだが。


 ダリアに早く帰れと顔をしかめながら、ワインには付き合ってくれる。寒くないようにと毛布を用意し、決して力づくで追い出したりしない。

 

「そういうところが、ばかだというのよ」


 小さい声で愚かな幼馴染を罵って、ダリアはサイモンの家を後にした。


 ◇


 数日後、お昼時に修道院のおつかいを頼まれたダリアは、大通りを一人で歩いていた。

 次はパンを買わなければ、と細い路地に入ったところを「もし、修道女どの」と呼び止められる。


 声の方へ視線を向けると、上等な馬車が停まっていた。馬の横に立つ従者と思われる男が、ダリアを呼び止めたらしかった。何か困りごとでも起きたかと思い、近づいていく。


「どうしたのですか?」

「ご主人様が、あなたに頼みごとがあるのです。馬車の中にお入りください、ダリアどの」

「なぜ、私の名前を知っているのでしょう? 馬車の中にいる方はどなたですか」


 ダリアの目に不信感が宿ったのを見て、従者は視線を馬車の方へやった。釣られて見ると、馬車に記された家紋を示しているのだとわかった。これで誰が乗っているかわかるだろう、ということだろう。


「これは……」


 ダリアは戸惑った。その家紋を知っていたからだ。迷ったのち、彼女はゆっくりと馬車に乗り込んだ。


 馬車の中にいたのは、品の良い老紳士だった。白髭を綺麗に整え、上質なスーツを身にまとっている。


「ダリア譲、馬車に招いてすまないね」


 フランクな謝罪を受け、ダリアは「いいえ」と首を振り、頭を深く下げた。

 

「本日はお招きいただきありがとうございます。オーウェン男爵」


 馬車の家紋は、オーウェン男爵家のものだった。

 男爵家には先日唯一の子息が病でこの世を去り、他に子どもはいないはずだ。本家の家紋を使えるのは、オーウェン男爵であるマーティン・オーウェンその人だけだった。

 貴族でありながら、優秀な実業家としても知られている。

 彼は興味深そうにダリアを見つめると、彼の向かい側の席を視線で示した。

 

「ああ、そこに座りなさい。もっと気楽にして構わないよ」

「初めてお会いするものですから」


 愛想を振りまかず、『初対面の相手を馬車に招く』という非礼を咎めれば、オーウェンは予想外にも愉快そうに唇を歪めた。


「くくっ、ダリア嬢は堅物のようだ。ああ、申し訳ない。年をとると言い方が嫌味ったらしくなっていけない。これでも褒めているんだ。近頃は権力者におもねる聖職者が多いものだから」

「いいえ、お気に召したのなら何よりですわ」


 すっとぼけてダリアが返すと、さらに男爵は笑みを深める。

 

「ダリア嬢、君に頼みがある」

「なんでしょうか」


 ダリアは首を傾げる。ダリアは、しがない修道女だ。貴族で資産家でもあるオーウェン男爵が自らダリアに頼むことなど、何もないように思われた。

 次いで、男爵の言った言葉に頭を殴られたようや衝撃が走る。


「サイモンを引き取りたいと考えている」


 ダリアがオーウェン家の家紋を知っていたのは、サイモンの戸籍上に乗るはずの姓だったからだ。

 サイモンは、国王と公妾の子だ。公妾は、オーウェン男爵の妻だった。


 国教が未婚の娘の密通を禁じているから、未婚の娘が公妾になることはできない。だから、王は気に入った娘をオーウェン男爵に嫁がせた。

 

 愛人との間に生まれた庶子には、二つの道がある。一つは、修道院に預けられること。もう一つは、戸籍上の夫婦の子どもとして育てられることだ。


 サイモンには、生まれたとき、オーウェン男爵の子どもとして育つ道もあったのだ。


「どうして、今更……」


 そうダリアは呟いて、唇を噛んだ。どうして今更引き取るかなんて、理由はわかりきっていた。

 オーウェン男爵家には今、後継ぎがいないのだ。

 唯一の子息は先日病でこの世を去った。

 オーウェン男爵は、『代わり』を探している。


 正面からオーウェン男爵を睨みつけるダリアに、オーウェンは余裕そうだった。


「ダリア嬢は賢いね、神に仕えるには惜しい。そう、サイモンを後継ぎにしようと思っている。あれも戸籍上は儂の子になるはずだった。どうせ養子にするなら少しでも縁のある者が良い。聞けば、優秀な騎士らしい。愚かな親戚連中に財産を食い潰されるくらいなら、彼に任せようかと思ってね」

「……サイモンは、道具ではありません」


 生まれたときは見向きもしなかったくせに、自分の都合で振り回すとは。

 ダリアの非難をものともせず、オーウェンは手に持ったステッキの上でおもむろに両手を組んだ。


「サイモンは、このままでは騎士団長はおろか、小隊の副官にすらなれないだろう」


 ダリアは目を瞬かせる。


「才ある若者が正当な報酬をもらえないとは儂も胸が痛いが、後ろ盾もない庶子に地位は与えられない。だが、もし儂の子となるならば……」


 ダリアの瞳が揺れる。


 先日のサイモンの言葉を思い出す。生みの親を『恨めしく思う』と表現した彼が憎しみの決着をつけるには、やはり国王の前に馳せ、言葉を交わせる地位を持つことが、何より必要なのではないだろうか。

 オーウェン男爵が、思案するダリアにを見て、微笑んで口を開いた。


「サイモンを迎え入れるために、ダリア嬢には協力してもらいたい。どうだろうか?」

「……協力いたします」


 サイモンのためになるならば、とダリアは提案を受け入れた。


 

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