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 聖騎士団の仕事を終わらせて帰路につく途中、ふと空を見上げる。この国は――オブライエン王国は、四方を山に囲まれている。外敵を防ぐのに適した地形であるとともに、山々に囲まれたこの国は星が綺麗に見える。今夜は特によく見えた。きっと今夜が新月だからだろう。


 そこまで考えて、サイモン・スペンサーは顔をしかめた。――そう、新月だ。

 サイモンには家路を急ぐ理由があった。『新月は月明かりがないから抜け出しやすいのよ』と、不届きな修道女がそう言って、サイモンの元へ忍んでやってくるのだ。


 今日こそ早く家に戻り、不届き者がやってくる前に寝入ってしまおうとサイモンは足取りを早めた。


 ◇


 サイモンはもう住んで五年になる小さな一軒家にたどり着いた。辺りを見回してまだ修道服を着た女が見当たらないのを確認する。


 ――今日は修道院を抜け出せなかったのだろう。


 安堵の息を吐くと、手元の鍵を回して玄関の扉を開いた。

 

「あらサイモン、早かったわね」


 サイモンは諦観を瞳に宿しながら、声の方へ視線を向けた。

 一人の女が、部屋の奥のソファで優雅にくつろいでいる。白と黒のスカプラリオに身を包み、神につかえる者とは思えない退廃的な色気をまとっている。

 頭巾はとっくに脱いでいて、豊かな黒髪が波打ちながら彼女の衣服にまとわりついていた。

 左の目尻の下にある小さな黒子が、彼女をより蠱惑的に見せている。

 サイモンも二十二歳には見えない、と言われるが、ダリアも全く同い年には見えなかった。


「……ダリア、ここに来るなと言っただろう」

「そうだったかしら? 次はそうするわね」

「何が『次は』だ。五年前からずっとそう言っている」

「だったらサイモンも学習しなさいな。わたしが思い通りにならないってこと」


 ゆっくりと首を傾けた修道女のダリアの手には、ワイングラスがあった。聖職者の飲酒は禁じられていないが、サイモンは顔をしかめる。どう考えてもサイモンの家にあったワインを開けているからだ。


「勝手にワインを開けるな」

「あら、まずどうやって家に入ったか気にならないの?」

「……どうやって侵入した」

「これ」


 ダリアが髪につけるピンを二つ掲げてみせた。


「……犯罪だ」

「なによ、ヘアピンで鍵をこじ開けたとは言っていないでしょう。サイモンに新しく買ったピンを見せてあげただけよ」


 こんな邪悪な笑みを浮かべる修道女が、世界のどこにいるだろう。


「ほら、飲みましょうよ。良い酒よ、これ」

「……当たり前だ。親睦の証にと、副団長からいただいたものだ」

「ふうん、人脈作りが大変ね、サイモン・『スペンサー』は……」


 『スペンサー』を強調してダリアが言うと、サイモンのこめかみがぴくりと動く。出世欲の強い彼の一番のコンプレックスを刺激したからだ。

 サイモンは、ダリアがグラスに注いだワインを一気に飲み、半眼でダリアを睨みつけた。


「お前もそうだろう。ダリア・スペンサー」

「ええ、そうね」


 優しく笑って共感してやると、不服そうに彼が目をそらす。

 ダリアは、サイモンと違ってスペンサー姓をなんとも思っていなかった。


 スペンサーと名乗るものはスペンサー修道院の出だ。親がなく、名乗るべき本来の姓がわからない。修道士あるいは修道女になるべく育てられた、後ろ盾のない子どもたち。


 ダリアとサイモンは、そこで育った幼馴染だった。


 ◇


 ダリアは九歳の頃にスペンサー修道院にやって来た。

 幼い頃に母親が死んで他に身寄りがなく、盗みを働いていたところを町の自警団に捕まれられたのだ。

 院長に説明を受けていると、修道士が院長を呼びに来て、ダリアは廊下で待つことになった。

 ダリアのそばには、呼びに来た修道士に供のようについていた男の子も残された。

 時間潰しにこの男の子と会話でもしていなさい、ということだろう。ダリアは男の子の顔に釘付けだった。


 ――こんなにきれいな男の子は見たことがないわ。


 高級な宝石のような少年だとダリアは思った。銀髪にサファイアの瞳は、修道院に閉じ込めておくには惜しい。

 ダリアと変わらないということは九歳くらいだろう。なのに、子どもらしさはあまりなかった。怒った時には駄々をこねるのではなく、冷ややかに睨みつけて黙り込みそうな、そんな雰囲気があった。


「ねえ、お名前は?」

「サイモンだ」

「そう、わたしはダリア。よろしくね」


 にっこり笑って手を差し出すと、彼は顔をしかめる。本当に子どもらしくない、とダリアは自分のことを棚に上げて驚嘆した。

 サイモンは、硬い表情と声でダリアを詰問しはじめた。

 

「お前は誰の種だ」

「……なんですって?」

「この修道院には貴族の庶子が流れてくる。だから、お前はどこの種かと聞いている」


 ダリアはとうとう目の前の少年が絶世の美少年であることもどうでもよくなって、口をあんぐりと開けた。

 そして、ふつふつと己の中に怒りが湧くのを感じた。

 

 にっこりと、サイモンに最初に向けた笑みを再現すると、窓の外に見える木を指差した。


「あれよ」

「……は?」

「あら、あなたがどこの種かと聞いたのでしょう? わたしはあれと同じプラタナスの木に成って生まれたの」

「おい、お前」

「おかあさまが毎日木に水をやってくれてね。冬を乗り越えるのは大変だったけれど、無事わたしが誕生したのよ」

「……おい、馬鹿にするな!」


 サイモンが怒鳴って、ダリアの話を静止した。ダリアは、笑顔の仮面を脱ぎ捨てて鼻を鳴らす。


「馬鹿にしたのはどっちよ。あまりにもひどい質問だから、てっきり子どもが木の実にでも成ると勘違いしているのかと思ったわ」

「侮辱するな」

「侮辱したのはあなたよ、サイモン。わたしは母の腹で、母が愛した人に見守られて生まれたの。誰の種かなんて関係ないの。そうでしょう?」


 思わず感情的になってまくしたてる。ダリアには滅多にないことだった。

 ダリアに明確な敵意を持っていたサイモンが、ダリアの言葉に目を伏せた。

 彼が一言も発しないうちに、院長たちが戻ってくる。


「まあダリア、サイモン、どうしたの?」


 目を丸くしている院長にちらりとサイモンを見やると、彼は体を強張らせていた。悪いことをした自覚があるなら、謝ればいいだけなのに。


 ――仕方ないわね。


 ダリアはサイモンの袖を小さく掴んだ。驚いて振り向く彼に、にっこりと笑う。彼はもう、その笑みが嘘であることを知ってしまっているだろうけれど、ダリアとしても最早彼に猫を被るつもりはなかった。

 院長が見ているから、仕方なくサイモンの暴言を聞かなかったことにしてやるのだ。

 

「なんでもありませんわ、ね」


 笑いかけるとサイモンは決まり悪げに目をそらした。


 ――せっかくならサファイアの瞳が見たいわ。


 そこでふと思う。現国王もよく『サファイアの瞳』と称えられていなかったか、と。『星がきらめくような銀の髪』とも吟遊詩人が歌うのを聞いたことがあった。


 先ほどサイモン自身が言っていた。


 ――『この修道院には貴族の庶子が流れてくる』


 まさか。

 ダリアが考えを振り払って前を見ると、今度はサイモンがダリアを見ていた。


 ◇


「あらあら、眠ってしまったのね」


 ダリアが回想している間に、サイモンは卓上に頭を伏せて眠ってしまっていた。途中『大体お前は――』『修道女としての自覚が――』『おい聞いているのか』などと聞こえた気もするが、言っている内容については検討がつくから、聞かなくても良いだろうとダリアは思っている。


「わたしにお酒の強さで勝てないと知っているでしょうに」


 サイモンが先に酔い潰れるのはいつものことだった。彼は下戸というわけではないけれど、ダリアがザルなのだ。


 乱れた彼の髪を撫でつけると、彼の横顔が見えた。相変わらず、顔だけは天使のようだ。

 こんなに美しいのに、聖騎士団では一、ニを争う剣の使い手なのだという。それでもサイモンはただの騎士のまま、何の役職も与えられていない。


「サイモンがスペンサーではなかったら、何か違っていたかしら」


 ちゃんとした後ろ盾があれば。いやあるいは、後ろ盾がなくとも余計なしがらみがないただの平民であったならば、サイモンはもっと容易く役職を得ていただろう。


 ダリアがサイモンの頭を撫でていると、彼の銀糸で縁取られたまぶたが震えた。起こしてしまったか、と申し訳なく思ったがサイモンは眠ったままだ。

 

 まぶたに隠されたサファイアの瞳、星屑を集めたような銀の髪。同じ色を持つこの国で最も尊い存在をダリアは知っている。

 かつてダリアが予感した通り、サイモンは国王の庶子だった。サイモンから聞いたのではないけれど、言わば公然の秘密だった。

 

 この国は王政だけれど、国教の影響力が強い。国教では一夫多妻は認められていないから、王や貴族が妻以外と成した子は庶子と呼ばれ、なんの権利も持たない。継承権などもってのほかだ。

 そして庶子は、公妾の夫の子として届けられるか、修道院に送られる。

 スペンサー修道院は、哀れな庶子の受け皿だった。もちろんダリアのように別の事情でたどり着く者もたくさんいたけれど。


 サイモンの持つ色彩とスペンサーの姓は、聖騎士団が役職を任ずるのを躊躇するには十分だろう。庶子を取り立てて、王の不興を買うわけにはいかない。

 

 サイモンが修道士から聖騎士団に入り、出世を望んでいるのは、生みの親に会うためだとダリアは気づいていた。王への謁見が許され、修道院出身のものが狙える地位は聖騎士団長くらいだった。

 だからダリアは、サイモンがいつまでも燻っていればいいのに、と思っている。


「ねえ、サイモン。あなたが玉座の前に躍り出ても、あなたが傷つくだけなのよ」


 目に浮かぶようだ。サイモンがたとえ聖騎士団長になり、王の前に現れたとしても、国王は顔色一つ変えないだろう。


 そうして、尊大な言葉遣いに似合わず繊細なサイモンは、酒に酔い潰れるしかないだろう。

 だから、不良修道女として守ってやらなければならない。ダリアはにっこりと寝ているサイモンに話しかける。


「わたしがずっと守ってあげる。だから、ずっとそばにいてちょうだいね」


 ダリアの甘やかな毒が、サイモンが少しでも効いてくれればいいのに。ダリアはサイモンが飲み残したワイングラスを手に取り、ゆっくりと飲み干した。



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