16
夢の世界を彷徨っていたコウは、文字通りレイに叩き起こされた。まだ覚醒しきっていない頭で周りを見渡し、倒れているジャックとこちらをまっすぐ見つめるレイを確認する。何がどうなったのかの説明を聞こうと、コウは口を開きかけるが、その行動を遮るように、レイはコウの肩を叩いた。
「よし、生きてるな。さっさと運ぶぞ」
半分混乱していたコウは、唸るような声で返事をすると、レイにうながされるまま、二人でジャックを担いだ。ジャックは見た目通りかなり重く、顔や腹部の痛みがじりじりと体に広がり、その痛みと共にコウの頭も少しずつ覚醒していった。
「いてて……おっさん、三階から落ちて、よく無事だったな」
激痛に顔をしかめながら、コウは絞り出すような声でそう言った。
「あの程度の高さなら、きっちり転がって衝撃を分散すれば問題ない」
ジャックを車の後部座席に放り込みつつ、レイはコウに顔を向ける。
「お前にも教えたはずだが」
「そだっけ?」
コウはとぼけた声をあげながらも、再び顔をしかめる。レイはジャックの脚を止血しながら、肩越しにコウに視線を向ける。
「病院が必要か?」
「……大丈夫だ。骨はイってねえと思う」
コウはそう返しながらも、うつむき気味に肩を小刻みに揺らす。ジャックの止血を終えたレイは、車の扉を閉めながらコウに体を向ける。
「コウ、傷みがひどいようなら、病院で降ろすぞ。内臓がやられている可能性も――」
「――くっくく、ははっ。死体あさってたら、窓からぽい~って。ハハハ、傑作だぜ!」
コウは痛みに顔をしかめながら、ゲラゲラと笑い始めた。
「…………」
「ハハハっ、いてて、やべえ、笑い死ぬ!」
「……さっさと乗れ」
レイは不機嫌そうに眉をひそめながら、運転席に乗り込む。コウもゲラゲラと笑いながら助手席に乗り込んだ。
「麻酔が切れる前にさっさとこいつを引き渡すぞ」
「……ははっ、死体あさりで窓からぽい~って」
「気が動転しているようだな。鎮静剤を二、三本ぶち込んどくか」
レイはそう言って、コンソールボックスから袋に入った注射を取り出す。
「ストップストップ、分かった、悪かったよ。もう笑わねえって」
コウはぱたぱたと手を振りながら言った。そして窓にぐったりとした様子で寄り掛かる。
「……あぁ、だけど気が動転してるってのは当たりかもな。実際、もう終わりかと思ったぜ」
大きくため息を吐くコウ。それに釣られるように、レイも小さく息を吐く。
「こいつと対峙して、命があるだけ上出来だ。よく生き永らえた」
「……それ褒めてんのか?」
「そうだ。胸を張っていいぞ」
どこまで本気で言っているのか分からないレイの言葉に、コウはさらに大きなため息を吐いた。
車内にしばし無言の時が流れる。
暗闇の中をヘッドライトでかき分け、車は静かに進んでいく。そしてようやく人工の光が見えだした時、コウの中に妙な安堵感が沸いた。自分の頸動脈に指を当て、自身の命の鼓動を感じ取る。そこでようやく自分がまだ生きているということを実感できた。
コウは大きく深呼吸をし、夜道を行き交う人々を眺める。
レイの元でハンター稼業を始めて数年。これまで何人もの犯罪者やマフィアと命のやり取りを行い、生き延びてきた。プロのハンターとしての自負があった。だがそのプライドは、ジャックと対峙し、何も出来ずに殺されかけたことで、ズタボロになっていた。
「結構、修羅場はくぐってきたつもりだが――」
コウがポツリと呟く。
「自分の力の及ばない相手、状況ってのは、いつでも訪れるものだ」
その言葉を遮るようにレイが言った。
「だが、そこで無様な姿をさらそうが、糞にまみれようが――生きてる限り、それは敗北ではない」
レイは顔を正面に向けたまま言った。コウはレイのほうにゆっくりと顔を向ける。
「……それがおっさんの信条?」
「そうだ。キートンのスーツを着た丸腰の男より、そいつに銃を向ける丸裸の男の方が勝者なんだよ」
「やけに具体的だが、実際そういうシチュエーションでもあったのか?」
「ああ。そいつのスーツを着て帰ったよ」
レイの言葉に、コウは思わず吹き出す。顔と腹部はまだズキズキと痛むが、先程まであった焦燥感はいつの間にか消えていた。
コウは背もたれに大きくもたれかかり、荒々しく息を吐いた。
「クソッタレ。次はこうはいかねえぞ、ジャック!」
後部座席で倒れているジャックを振り返りながら、コウは中指を突き立てる。額と脚に包帯を巻かれたジャックは死人のように静かだった。そんなジャックの姿を見て、コウはこの男との先程のやり取りを思い出していた。
「そういえばこいつ、途中で何か変なこと呟きだして俺を殺すのをやめたんだよな」
「変なこと?」
レイが視線をコウに向ける。コウはこめかみをトントンと叩きながら口を開く。
「えぇっと、何だっけ。『誰だ、お前は』とか、『組織の人間じゃないのか』とか。急にそんなこと言いだしてたな」
コウの言葉を聞き、レイの視線がバックミラーに映るジャックに向かう。
「……そういうことか」
レイはポツリと呟いた。コウはレイに顔を向け尋ねる。
「どういうこと?」
「まだ憶測の段階だ。それにこれは向こうの問題。俺達の仕事には関係ない」
レイは小さく息を吐くと、車のスピードを上げた。
「向こうが余計なことをしてこなければな」
レイが最後に呟いたその言葉に、コウの心の奥底に、何とも言えない不安感がべっとりとまとわりついた。




