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王妃マリアンヌ

作者: 佐藤瑞枝
掲載日:2022/10/01

 みんなきらい。パパも、ママも、お兄ちゃんも。みんな、みんなきらい。パパは何かしゃべったあとで、必ずあたしのことを見下ろして「まりにはまだわからないか」と言う。ママは、時計のお化けかと思うくらい「早く着替えなさい」「宿題は終わったの」と追いかけてくる。お兄ちゃんは、あたしが答えられないなぞなぞばかり出して、あたしに意地悪をする。

 みんな、みんな大きらい。

 そう言うと、ありさちゃんは目をまるくした。

「わたしはママのことだいすきだよ」

「早く会いたいなっておなかをとんとんして出てきたんだもの」

 ありさちゃんはあたしの一番の仲良しだけれど、ひとりっ子でいつもきれいな服ばかり着ているからやっぱりわからないんだなと思った。


 あたしはきっとこの家の子ではない。あたしはもらわれっ子で、本当のパパとママはどこか別のところにいる。それは、きっと遠い森のなかの王国。事情があって今のパパとママのところに預けられたけれど、本当のあたしはその国の王妃なのだ。

 そう考えたら、すべてのことに合点がいった。シルバニアファミリーの森のお家を買ってもらえないのは、あたしが故郷のお城を思い出してしまうからだ。お兄ちゃんのお古ばかり着せられるのは、きれいなドレスを着ていたらあたしがすぐに王妃だとわかってしまうから。五歳になってもひらがながうまく書けないのは、あたしにとって、あいうえおは外国語だから。

 いつか誰かがやってくる。みすぼらしいこのアパートの前に、目をあけていられないほどまぶしい金色の馬車がとまる。

「マリアンヌ姫、おむかえにあがりました」

 城の遣いがおりてくる。差し出されたその手に手のひらを重ね、あたしは馬車に乗りこむ。もう何度同じシーンを頭のなかで繰り返しただろう。


 そして、とうとうあたしは出会ってしまった。

 ずっと待ち続けていたひとに。


 そのひとは、ありさちゃんとあたしがいつも遊んでいる公園にいた。もう冷たい風が吹いているのに、半そでのTシャツを着て、膝のやぶれたジーンズをはいていた。金色の馬車も、キラキラの冠も持っていなかったけれど、うるんだ瞳と長いさらさらの髪が絵本の王子様とそっくりだった。


 はじめ、ベンチに座っていたそのひとにあたしは気づかなかった。ありさちゃんが持ってきたバドミントンセットで遊ぶのに夢中だったから。バドミントンをするのは二人とも初めてで、あたしたちは何度もシャトルを飛ばしてみたけれど、ラリーなんて続かない。打っては地面に転がっていくシャトルを追いかけてばかりいた。

「ねえ、まりちゃん、下手すぎ」

 ありさちゃんはちょっと怒っていた。へなちょこなサーブばかり打つくせに文句ばかり言う。

「まって。今度はちゃんとがんばるから」

 あたしはラケットをかまえた。もう一度はずしたら、今度こそありさちゃんは本気でおこってバドミントンをやめてしまうかもしれない。そんなのいやだ。バドミントンでもっと遊びたい。

 落ちてくるシャトルをめがけて、思い切りラケットをふった。こつんと音がして、ヘッドに当たったシャトルがあさっての方向へ飛んで行った。

「もうっ」

 ありさちゃんがとうとう本気で怒りだしたと思ったら、

「へんなのぉ」

 と言って、ありさちゃんはけらけらと笑い出した。つられてあたしも笑い転げながらシャトルを拾いに行った。地面に手をのばしたシャトルの先にとても大きな、色あせた栗色の革靴があった。

「相手してあげようか」

 頭の上で声がして、見上げるとそのひとが立っていた。


 あたしがびっくりしていると、ありさちゃんがやって来た。そのひとの視線がありさちゃんにうつった。

「いいの? やるやる」

 ありさちゃんはそう言ってぴょんぴょん飛び跳ねた。ポニーテイルがゆれ、水色の花模様のスカートが傘のように広がった。ありさちゃんはさっさと自分のラケットをそのひとに渡した。それからするりとあたしの持っていたラケットをうばいとって、

「ありさが先ね」

 そう言って、公園の真ん中へ走っていった。


 そのひとは、バドミントンが上手だった。ありさちゃんがとんでもない方向にシャトルを飛ばしても、器用にすくいとって打ち返した。

「すごぉい。おにいさん、上手なんだね」

 ありさちゃんは大興奮した。

「ねえ、次、まりの番だよ」

 あたしが何度も言っているのに聞いてくれない。おにいさんは

「待っててね」

 とあたしに言ったけれど、あたしの番はなかなか回ってこなかった。しかたなくベンチにすわってラリーをながめていた。シャトルを追いかけ、走りまわるありさちゃんをおにいさんはまぶしそうに見ていた。

「あっ」

 シャトルを掬おうとしたありさちゃんが転んだ。しりもちをついたありさちゃんのパンツが丸見えになった。

「ありさちゃんっ。だいじょうぶ?」

 ありさちゃんのところへ飛んで行った。おにいさんもすぐそばに来て、ありさちゃんに手をさしのべる。「だめっ」と思った。おにいさん、ありさちゃんはお姫様じゃないよ。

「ありさちゃん、パンツ丸見え」

 あたしが声をあげると、ありさちゃんは「きゃっ」とさけんで、痛いのも忘れて自力で立ち上がった。両手でスカートをつかみ、ぎゅうぎゅう下にひっぱった。

「言わないでっ」

 ありさちゃんがほっぺたをふくらませた。おにいさんは、真っ赤な顔をしてうつむいている。

「はい、まりの番」

 ありさちゃんがようやくあたしにラケットを渡してくれた。あたしはおにいさんとバドミントンをはじめた。おにいさんが打つシャトルをこぼさないようがんばって走った。はじめの何回かは失敗してしまったけれど、だんだんちゃんと打ち返せるようになった。

「上手だね」

 おにいさんがほめてくれた。あたしはうれしくなって、「もっかいやる」と言ってラケットをかまえたけれど、ありさちゃんがほかの遊びをしようと言いだしたのでバドミントンはおしまいになった。

その日、ありさちゃんとあたしはずっとおにいさんと一緒に遊んだ。色おにやブランコ、ジャングルジムでも遊んだ。高いところが苦手だからと言って、おにいさんはのぼらなかった。鉄の棒にかこまれたジャングルジムの真ん中に立って、てっぺんにのぼるあたしたちを見上げていた。

「ねえ、おにいさん、名前なんていうの?」

「どこに住んでいるの?」

「何才?」

 ありさちゃんはおにいさんに次々と質問した。その度に、おにいさんは少しだけ困った顔をした。

「名前は、言えないんだ」

「君たちの知らないところだよ」

「ぼくのふるさとの数え方で言ったほうがいい?」

 そのたびに、ありさちゃんは「へんなの」と興味なさそうに言って、すぐにちがう話をはじめた。次々と新しい遊びを考えて、おにいさんとあたしに命令した。けれど、あたしにはわかってしまった。あたしの思ったとおりだ。やっぱり、という感じ。

 おにいさんは遠い国からきた王子様だ。名前が言えないのは記憶を失っているだけで、きっとあたしを迎えにきたのだ。


 王妃マリアンヌ。

 もう少し一緒にいれば、おにいさんはあたしの名前を思い出すかもしれない。


 夕方の鐘が鳴り、ありさちゃんが帰ると言い出した。いつのまにか公園にはあたしたちのほかに誰もいなくなっていた。

「帰っちゃうの?」

 おにいさんがさみしそうに言った。

「今日は楽しかった」

 そう言って、ありさちゃんの頭をなで、次にあたしの頭に手をおいた。ためしているのだと思った。ありさちゃんとあたしのどちらが王妃マリアンヌか、おにいさんはさがしているのだ。

「またね」

 ありさちゃんが、バドミントンセットを脇にかかえ歩き出した。あたしもあわてて後ろからついていく。空のむこうは真っ赤に燃えているのに、背中から藍色の闇がせまっていた。急ぎ足で、早く帰らなきゃと思う。けれど、公園に置いてきぼりのおにいさんのことが頭からはなれない。風が、汗をかいたシャツの背中にしのびこみ、身体がすうっと冷えていった。

公園にパーカーを忘れてきたことを思い出した。

「どこいくの?」

 ありさちゃんが言った。

「忘れもの」

 あたしはすでに公園にむかって走り出していた。

「もう帰るからねっ」

 背中でありさちゃんのさけぶ声がかすかに聞こえた。走っているあいだじゅうあたしはおにいさんのことばかり考えていた。


 おにいさんは、すべり台の先っぽで体育座りしていた。おにいさんのひざの上にあたしのパーカーがおいてあった。あたしに気づくと、おにいさんはあわててそれをつかみ、あたしに返そうとした。

「いいよ。寒いなら貸してあげる」

「でも、とりに来たんだろう」

「いいの。どうせお兄ちゃんのお下がりだし」

 あたしが言うと、おにいさんは、今度はパーカーを肩にかけた。パーカーはとても小さくて、おにいさんはうんと縮こまらなければいけなかった。おにいさんのまるまった背中がさびしそうで、あたしはなんて声をかけたらいいのかわからなくなった。おにいさんにあたしが王妃マリアンヌだということを早く思い出してほしかった。何かヒントがあれば、思い出すのではないだろうか。


 「ねえ、おにいさんは、今の自分がほんとうじゃないって思ったことある?」


 おにいさんの横にかがむと、おにいさんの顔の半分だけが白く光って見えた。


 「あるよ」

 おにいさんがそう言って、やっぱりあたしは正しかったと思う。おにいさんに教えてあげなければと思う。本当のこと。

「おにいさんは悪い魔法にかけられているだけで、本当はどこか遠い国の王子様なんだよ」

 あたしが言うと、

「きみはおもしろいことを考えるんだね」

 おにいさんがうっすらと笑ったので、あたしは少しだけ悲しくなった。無理もない。おにいさんは長いこと記憶を失っていたのだ。思い出すのには時間がかかる。それでも、あたしは言わずにはいられなかった。


「王妃マリアンヌ。あたしの、ほんとうの名前」

「思い出した?」


 おにいさんは首をふって、両手で顔を覆った。

「ちっとも思い出せないな。どうしてだろう」

 おにいさんがうっと苦しそうな声をあげた。あたしがいきなり本当のことを伝えたので、ショックが大きかったのかもしれない。目の前で、おにいさんが泣いていた。肩を震わせて。

 大人のひとが泣くところをはじめて見た。どうしていいかわからなくなって、あたしはそっとおにいさんの肩に触れた。そのままおにいさんの大きくて細い、骨ばった背中をすうっと行ったり来たりしていると、おにいさんはようやく落ち着いた。

 あたしはおにいさんの顔をのぞきこんだ。


「どうしたら呪いがとけるんだろう」


 おにいさんが言って、あたしの手首をつかんだ。あたしに、助けをもとめている。頭の中でいくつもの物語を思い浮かべ、あたしはものすごい早さでぐるぐると考えた。白雪姫は、ねむり姫は、美女と野獣は、どうやって魔法をといたのだったか。

 

「キス、してくれる?」


 おにいさんが言った時、あたしはおどろかなかった。それが魔法をとく一番の方法だったから。おにいさんがじっとあたしの顔を見ていた。あたしのなかの王妃マリアンヌをさがしている。キスで魔法がとけるなら。あたしは小さくうなずいた。

 おにいさんがあたしの手首をそっと引っ張った。おにいさんの横顔がアップになる。あたしは目をとじた。


「何してるのっ」


 世界が割れるかと思うほど大きな声がして、あたしはふりかえった。ママだった。いきなり左腕をつかまれて、あたしはおにいさんからひきはがされた。

「痛いよ」

 ママの手をふりほどこうとしたけれど、ママが余計に力をこめたので、あたしはじっとするしかなかった。

「ママ、待って。あのね、おにいさんは魔法にかけられているんだよ」

 あたしは必死で説明した。けれど、あたしの話す言葉はママには通じない。

「馬鹿なこと言わないの」

 ママとあたしがもめていると、ひらりとおにいさんがすべり台から飛び降りて走り出した。

「まって」

 あたしはさけんだ。

「待ちなさいっ。警察を呼びますよっ」

 ママがさけんだ。追いかけようとしたけれど、無駄だった。おにいさんの姿はすぐに闇につつまれて見えなくなった。


 ママは、にごったため息を吐いて、すべり台に置き去りにされたパーカーを拾った。パーカーではなく、ママは自分が着ていたカーディガンをぬいで、あたしの身体を包みこんだ。そのままぎゅうっと抱きしめられた。やわらかくふくらんだママのおなかにあたしの左耳がぴったりとくっついた。

「よかった。まりが無事でよかった」

 ママのくぐもった声が聞こえて、あたしはきっとここから生まれてきたんだなあとぼんやりと思った。今頃になって、涙があふれた。泣き始めると止まらなかった。


 あたしは、王妃マリアンヌじゃなかった。

 

 帰り道、ママはあたしの手を離さなかった。やがてアパートのあかりが見えると、あたしはなつかしくて、心からほっとした気持ちになった。

「おかえり~」

 パパとお兄ちゃんがベランダに出て、あたしに手をふっていた。あたしは思い切り背伸びして、ママとつないだ反対の手を思い切りふり返した。


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