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三センチの躊躇

かなり間が空いてしまい大変申し訳ありませんでした!どうにか完結はさせたいので、お付き合いいただけると幸いです……!


7/22  鈴谷(すずや ) 夏樹(なつき )




 家に帰ったらトウヤが死んでいた。いや、この表現は冗談でも良くないな。でも同居人が冷房も電気も付けずに部屋で倒れていたら、サスペンスよろしく悲鳴を上げても仕方がないと思う。さすがに悲鳴は堪えたけれど。


「何やってるんだよ。今日三十二度だぞ。冷房つけないとガチで死ぬって」

「フローリングはいつも冷たいよ」

「だからって床で寝るなよ……」


 冷房を強めに付けて常温の水を汲む。こういう時に冷たいものを飲むとかえって身体に悪い、とテレビか何かで聞いた気がするのだ。

 コップに注いだ水を飲み干すトウヤを見て、俺は内心胸を撫で下ろした。意識ははっきりしているけれど、しばらくじっとしていてもらった方がいいだろう。

 トウヤが冷房も入れずに転がっていたのはこれが初めてではない。なんでも電化製品の電源を入れるのが苦手らしい。苦手とは言っても操作が分からないのではなく、心理的な問題だ。特に洗濯機のボタンは触るのも無理なのだという。理由を聞いたら……何だったかな、『俺が洗濯機の淵を覗き込む時、洗濯機もまた俺のことを覗いているんだよ』だっけ、そんなことを言っていた。正直意味は分からないが、とりあえず洗濯機のスイッチを押すのは俺の仕事になっている。

 トウヤとは高校進学のために上京した日に出会って、以来同居を続けている。

 正確な関係は母親の友人の親戚だ。血縁関係はないし、こちらに引っ越すというその日まで面識すらなかった。なのに上京する日の朝に、母が突然明かしてきたのだ。今日からトウヤくんと住んでもらうけん仲良うしてもらい、と。そんなめちゃくちゃな話があるかと抗議はしたのだが、もう決まったことだの一点張りで、気の強くない俺は流されるしかなかった。

 とはいえ憂鬱だったのは最初だけで、今ではトウヤと一緒に暮らすことに不満はない。トウヤは穏やかで優しいし、家事もふたりで分担できるし、時々勉強も教えてくれる。むしろ助けられていることの方が多い。ちょっと変な人ではあるけれど、面白いからいいかなってことで。


 

「昼飯なんか食えそう?」


 台所にも食卓にも食事をした形跡がない。食欲あるかな、と思いつつ声を掛けると、トウヤは軽く頷いて台所に向かった。冷凍庫を半分くらい埋めるたらこスパを取り出して、慣れた手つきで外袋を破く。

 偏食、というか、トウヤはほとんどそれしか食べない。栄養価の偏りは心配だが、まあ、いつもの好物が食べられるなら元気そうでよかったというべきだろう。

 俺も帰りに買ってきた冷やしうどんを開ける。……なぜか俺の方が食欲ない人みたいなメニューだな。単に暑いから冷たいものが食べたかっただけなんだけど。

 食べ終わる頃には冷房が効いてきて、おなかが満たされたからか眠くなってくる。同じくたらこスパを完食したトウヤはスマホを見ている。何となくテレビをつけたらワイドショーがやっていた。普段は学校にいる時間だから見ることがない番組だ。子供が夏休みに入るご家庭向けなのか、レジャー施設の紹介をしている。遊園地に博物館、ショッピングモール。デートにもおすすめらしいけど、残念ながら縁がなさそうだ。チャンネルを変えることもなくテレビを消す。


「ナツキ」

 

 昼寝でもしようかと食卓を立ったら、トウヤに呼びかけられた。


「あ、ごめん。見てた?」


 ついさっき消したテレビを指すが、トウヤは首を横に振る。じゃあ何だろ、と考えている間もずっと目が合っていて、居た堪れなくなってとりあえず座りなおした。


「……えっと、何?」


 自分から呼び止めておいてトウヤはなかなか話し出さない。何か怒ってる? そういえば昨日、脱いだ靴下を洗濯機に入れずに居間に放置したかも。今まで怒られたことはないが、いい加減堪忍袋の緒が切れたか……などと怯えていたが、トウヤはいつも通り涼しい顔をして。


「ナツキは水族館好き?」


 この切り出し方で雑談するのかよ、心臓に悪い! 話し始めるまでの間が独特なのはいつものトウヤなのだが、こればかりはどうにも慣れない。

 さっきの番組で水族館の話してたかなあ。俺は一度だけ行ったことがある地元の水族館を思い出す。地元、とは言っても実家から片道二時間はかかるんだけど。

 

「別に嫌いじゃないけど……普通?」


 などど言ったが、幼い頃の俺には魚を見るだけというのが退屈で、館内のキッズコーナーで走り回った思い出しかない。今なら少しは楽しめるかなあ、という期待を込めた評価である。

 それを聞いたトウヤは鞄の中から何かを探し、見つかったものを俺に差し出した。


「あげる」


 トウヤがくれたのは水族館の入場券だ。普通って言ったのにくれるの? 最初から俺の回答は聞く気がなかったのだろうか。釈然としないまま受け取ると、トウヤが続ける。


「福引で当てたんだよ」

「え、あ、ありがとう……?」


 反射的にお礼は言えたものの何一つ分からない。福引? どこでやってるんだろう。何千円買ったら一回引ける、みたいなやつだろうか。この季節に福引をするなら普通お盆まで待つものじゃないか? 商売っ気があるんだかないんだか分からないな……いや、福引の出処なんかどうでも良いけど。トウヤが福引を引いたんだろうか。何が欲しくて引いたんだろう。水族館のチケットなんてまあまあ当たりの方なんじゃないかと思うんだけど、あっさり譲ってしまうということは目当てじゃなかったはずだし。だとすると特に意味もなく引いちゃったパターンかもしれない。あと二百円買ってくれたら一回引けるよ、なんて言われたらまんまといらないお菓子とか買っちゃうタイプだったりして。

 大きなクラゲの写真が映っているチケットを眺めていたら、ふとあることに気がついた。


「トウヤ、二枚あるよ、これ。友達とか誘って行きなよ」


 福引の景品なんだから二枚組なのは分かる。そもそも二枚組なんだからトウヤが誰かを誘って行けばいいのだ。俺は別に水族館が好きでも嫌いでもないし。

 トウヤは入場券を見つめたまま、受け取ってはくれない。


「ナツキが好きな人といけばいいよ」

「トウヤは水族館嫌いなの?」

「別に」


 嫌いじゃない割には折れる気配もない。どうしたものか……これ以上貰ったものを押し付け合うのもどうかと思うし、深く考えず受け取った方がいいのかもしれない。

 チケットを引っ込めかけたところで、突如俺の脳内にひとつの策が閃いた。


「じゃあ一緒に行こうよ。せっかくトウヤが当たったんだし」


 これならトウヤが手に入れたチケットをトウヤが使えるし、俺にくれようとした気持ちも無下にはしない。我ながら妙案だ。特別関心のない二人で水族館に出掛ける、という奇妙さ以外は何の問題もない。

 トウヤの視線がチケットと俺の顔を往復している。俺そんなに変なこと言ったかな。変なことなんか言ってないとは自信持って言えないあたりが辛い。

 やがてトウヤは考え込むそぶりをして、それから俺の目を真っ直ぐ見つめて。


「ナツキは俺が好きなの?」

「えっ!?」


 どうしてそうなる!?

 いや、トウヤは俺に、俺が好きな人と水族館に行けばいいと言ったのだ。その流れで俺がトウヤを誘ったら、俺はトウヤが好きだということになってしまう……のか。うん、なるよな!

 すっかり慌てた俺は、考えがまとまる前に口を開く。


「好き……いや、好きか嫌いかで言ったら、っていうか、その……変な意味じゃないから!」


 動揺しすぎて余計なことを口走った。変な意味って何だよ。むしろその回答が変だろ。

 慌てふためいて弁明する俺に、トウヤが僅かに口許を緩めた。


「うん。行こうか」


 絶対呆れられてるな。或いは狼狽える姿を面白がられているか。薄い唇は弧を描くだけで、真意までは分からない。



***



 あれから少し昼寝をして、夕飯を食べて風呂にも入って、トウヤはすっかりいつも通り本を読んでいた。

 トウヤは暇さえあれば本を読んでいる。今日は『猫の飼い方・育て方』というタイトルだ。飼いたいのか?

 本が好きというよりは活字中毒のようで、文字さえあれば内容は何でもいいらしい。初めて会った日には『世界の呪術全集』を読んでいた。先週は『家庭の医学マニュアル』だったし、その前は『日本の名字1000選』。もうちょっと面白そうな本なら世の中にいくらでもありそうなのにな……と思うのだが、おかげで毎回何を読んでいるのかうっかり気になってしまう。

 宿題を進めようかな、と思っていたら、田中から着信があった。


「もしもし、どうしたの?」


 読書の邪魔をするのは申し訳ないから、とりあえず自室に引き上げる。


『一緒に宿題やんない? 暇な日ある?』

「うん、帰省までは暇だけど……トノも一緒?」

『それがさあ、あいつ花火大会の日まで忙しいからパスだって』

「へー、珍しいね」

『実はもう彼女いたりして』


 けらけら笑う田中に乾いた笑いを返すことしか出来ない。

 帰省の予定以外は空白しかないカレンダーを見遣る。明日や明後日ではお互いに全く進んでいないだろうし、少しは時間を置いても良いだろう。


「二十五日はどう? 花火の前日だけど」

『ん、おっけー。じゃあよろしくー』

「お前もちょっとはやって来るんだよ」

『大丈夫大丈夫。ところでさあ、鈴谷エフエムVクリアしたって言ったよな』


 エフエムVは先月発売したRPGだ。クリアしたよ、と答えたらレアアイテムのドロップ場所を尋ねられた。おい全然宿題やる気ないだろ。

 微妙に不安要素を残し、じゃあ風呂入るから、と言って田中は電話を切った。これだけのために電話したのかよ。あいつのことだから文字を打つのが面倒だったんだろうけど。つくづく現代人とは思えない筆不精だ。

 人に言った手前、俺も少しは宿題進めないとな。とりあえず手をつけやすい英語からだ。英語に関しては他のふたりより俺の方が得意だし。田中が苦手なのは数学だけど、俺もあんまり得意じゃないからトノがいるときに教わった方がいいと思う。トノが苦手な国語なら田中がやってきてくれるだろう。……多分。

 キリの良いところまで進めて、今日はもういいやとノートを片付ける。居間に戻ったら読書をしていたトウヤが顔を上げた。


「もう寝る?」


 トウヤは頷いて、本を閉じる。本当はもうちょっと夜更かししてゲームでもしようと思っていたんだけど、まあいいだろう。トウヤが本を片付けに部屋へ向かう間に、俺は自分の部屋に戻ってベッドに入る。

 

──今日も、なんだよな。


 寝るために横になっているはずなのに、心臓の音がうるさいくらい鳴っている。こればかりは何度繰り返しても慣れないな。決して嫌じゃないんだけど、いつもどういう気持ちになればいいのか分からないイベントだ。

 片付け終わったトウヤが、俺の部屋の扉を開ける。自分がどんな顔をしているのか想像するのが怖くて、思わずトウヤに背を向ける。

 トウヤは静かに扉を閉めて、こちらに歩いてきて。それから。

 俺が寝ているベッドに入って、そのまま隣で横になった。


「……おやすみ」


 おやすみ、と小さな声で返ってくるのを聞いて、俺は無理矢理目を瞑った。



***



 一緒に住み始めた頃、トウヤはよく夜中にいなくなっていた。

 朝方に帰ってくることもあれば、次の日の夕方まで帰らないこともある。何をしていたのか聞いても適当にはぐらかされる。家に置いてある教科書の種類が変わっているから、学校にはちゃんと行っているらしい。

 だから放っておけばよかったのだ。トウヤだって男だし、同い年のよく知らない奴にうるさく言われるのは嫌だろうし。

 ……と、分かってはいたのだが。お節介な田舎者にはどうしてもそれが出来なくて、あんまり出歩くなよ、と度々注意していた。だって何かあったら単純に後味が悪いじゃないか。赤の他人ならともかく、成り行きとはいえ一緒に暮らす相手なのだから。

 俺がお節介する度に、トウヤは曖昧に笑って受け流していた。反応に困っていたのか疎ましく思っていたのか、今となっては分からない。

 状況が変わったのは学年が上がった頃だ。

 いつも通り夜中に帰ってきたトウヤが、顔に傷を負って帰ってきた。幸い傷は浅くて跡は残らなかったけど、一瞬ぎょっとするような大きさの傷だった。

 夜に出歩いているとは言っても喧嘩に明け暮れるようなタイプには見えないし、何かトラブルに巻き込まれたんじゃないかと心配になって。なのにトウヤはいつも通り何も話してくれなくて。

 それでつい、もう夜中に出掛けるのはやめろ、と、強い口調で言ってしまったのだ。

 トウヤは釈然としない表情をしていたけれど、分かった、と頷いて、その代わり、とひとつだけ条件を出した。

 一緒のベッドで寝てほしい、と。

 意図は全く分からない。けれどそれ以降トウヤは本当に夜中に出歩かなくなった。だから全部納得したわけではないが、トウヤの言う通りにしている。……条件を出したトウヤ本人が首を傾げていたのが解せないけれど。



「……」


 うっすらと目を開ける。トウヤが寝付いたのを確認してから、音を立てないように横顔を眺める。これもすっかり日課になってしまった。こっそり人の寝顔を眺める日課なんて、知られたら気味悪がられるから秘密だけど。

 高校生にもなって同い年の男の子とひとつのベッドで寝ている。奇妙な習慣なのに、今ではこの状態に安心すら覚えるようになってしまった。だってこうしている限りトウヤは夜中に出歩かないし、傷を負って帰ってくることもない。

 何ということはない。色々言ったけれど、ただただ心配なのだ。成り行きで一緒に暮らしているけれど、もう俺にとってトウヤはそれだけの相手じゃない。

 心配で、放っておけなくて──気がついたら、目が離せなくなっていた。

 長い睫毛。白い肌に細い肢体。背は高いし骨張った輪郭はまごうことなく男なんだけど、イケメンというよりは美人って感じ。中学の頃好きになった先輩は日に焼けたスポーツマンだったから、自分はガタイのいいのがタイプなんだろうと思っていたのにな。

 少しでも手を伸ばせば触れられるくらい近くにいて、けれど俺はそうすることが出来ない。

 俺の気持ちを知ったら、もうこんな風に一緒に寝てはくれないだろう。少なくとも高校を卒業するまではルームシェアを続けるのだから、この気持ちが露呈して気まずくなるのは避けたい。俺はただのルームメイトでいられればいい。


──そういうことなんで、ケイトには黙っててくれませんか。


 横になって目を閉じたら、リンネが言ったことを思い出した。

 花火大会の日、トノはなんて返事するんだろう。ちょっと天然だけど優しい奴だし、酷いことにはならないと思いたいけど。或いは意外とすんなり受け入れてくれたりするんじゃないか。リンネのことをどう思っている? と訊いたら、リンネはリンネだよ、と言っていた。ただの友達以上で、考えようによっては恋人より上の答えじゃないか。だってリンネの代わりは誰にも出来ないってことだろう?

──なんて、他人の恋路に希望的観測ばかり並べているのは、自分もそうなって欲しいから?

 自分の思考に勝手に暗い気持ちになる。伝える気もない想いが成就する訳がないのに。

 リンネは上手く行くといいな。上手くは行かなかったとしても、せめて報われない片想いの苦しみが少しでも癒えたら……そんなことを考えていたら、いつの間にか眠りについていた。

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