2. 赤髪と黒髪
――目が覚める。
「またあの夢か……」
ベッドから体を起こしたその人物は、ボサボサになった髪を撫でつける。
あれからもう16年も経ったというのに、脳は鮮明に前世の記憶を覚えているものだ。
洗面台で顔を洗い、目の前の鏡に映る自分と目を合わせる。
短く切りそろえられた赤い髪に、釣り目ぎみな銀眼の整った顔。広い肩幅と平らな胸板は、彼が男性であることを表していた。
「おはようございます、エド様」
後ろから、控えめな女性の声が聞こえてくる。
「ああ、おはよう――レト」
後ろを見れば、茶髪のメイドが深々とお辞儀する。
「本日、騎士学校は休校のはずですが……何かご予定が?」
「友人と遊ぶ約束をしているんだ。遅くまで帰ってこないから、今日は君も早めに休んでくれ」
「そうでしたか。……では、有難く休ませていただきます」
もう一度深くお辞儀をして、レトが部屋を出ていくのを横目に、エドはよし、と手を合わせる。
「さて、今日は何の服を着ていこうか?」
紹介が遅れたが、彼の名前はエド・ウィリアム・リトスライト。中流貴族の長男であり、藤崎千里の――生まれ変わりである。
そう、ネナベをしていただけの女であった千里はなんと、「男」に転生してしまったのだ。
最初こそ驚いたが、結局はそれを受け入れ、今では普通にイケメンの男子としての生を謳歌している。
いつもの堅苦しい服ではなく、庶民に近い動きやすい服装に着替えたエドは、街の時計台の下で件の友人を待っていた。
「――おーい! エド!」
遠くからぶんぶんと手を振って走ってくるのはエドの通う騎士学校の同級生、ファインだ。後ろで縛った深い紺色の髪が特徴的な彼は、ほどなくしてエドの元にたどり着くと、その肩をバンバンと叩く。
「いやーごめんな? ちょっと遅くなっちまった」
「いつものことだろ? ……あと痛いから叩くのやめろ」
ようやく元気の良い友人が離れると、エドは安堵のため息をついて腰に手を当てる。
「――で、今日はどうするんだ?」
「そりゃあもちろん……」
ファインはにやりと笑いかける。
「――いつもの、だろ?」
それを聞いたエドも同じように笑い返す。
「さて、これまでに六回、すべて俺に惨敗中のファイン君、意義込みのほどは?」
「今回こそはいい女を捕まえてみせる。以上!」
ちなみにその”いつもの”とは、街で出会った女性に片端から声をかけていき、先に食事に誘えたら勝ちという――端的に言うとナンパ勝負である。
エドには前世で培われた女性の扱いの心得があるからか、ファインが声をかける女をこだわり過ぎているのが原因か、これまで行ってきた勝負は毎回エドの圧勝である。
ついでに言うと、エドはナンパなどしなくても普通にモテる。ただ、心のどこかに引っ掛かりがあるのか、誰一人として遊び以上の関係になったことはない。
「じゃあ今日の狩場はここの通り一角な!」
「狩場ってお前……分かった、正午までにここにもう一度集合だな」
「よし、なら早速始めるぞ!!」
そう言うや否やまっすぐ走り去っていくファインの背中を眺める。そういうがっつき過ぎなところが女性受けしないのだ……と言ってやったところで、彼は聞かないのだろう。
連敗中のファインに少しでもハンデを渡してやろうと、エドは少しだけここで待つことにした。
朝を告げる鐘が鳴り、だんだんと騒がしくなっていく街を眺めながら、ふと昨日見た夢を――前世最期の記憶を思い出す。
「ティアーネ、か……」
今こうして、普通の男としての人生をただ楽しんでいるかのように思えるエドでも、決してあの日に願ったことを忘れたわけではない。
あの日、あの夢で神様から聞いた名、”ティアーネ・フィア・レイシャ”が誰かということは、もう何年も前に知っている。
というか、その名はこの国の人間なら知らない人間はいない。
なぜならその名は――レイシャ王国国王、リグド・フィア・レンシアの一人娘の名だからだ。
つまり、ティアーネは王女なのである。
エドが騎士学校に通っていたのも、いつか王女の護衛の任につき謁見の機会を得るためだった。
しかし謁見の機会を得られると言っても、それが何年後になるのかも分からず、正直なところ、心のどこかで諦めている節はあった。
「でも神様が安心してっていうのなら、このままでもいいはずだけど」
今では王女に出会うことを目的にこそすれ、今日のように新しい人生を気楽に楽しむのも悪くはないとエドは思っている。
そんな風につらつら頭の中で考えていた、その時。
ふと奥から現れた赤い小さな影が、時計塔の下の暗がりをゆらゆらと飛んでいるのが見えた。
それは徐々に、日の光が当たる方へと近づいていき――
「危ない!」
誰かがそう叫んだ声が聞こえ、体が突き飛ばされる。驚くのもつかの間、次の瞬間、その赤い影は明るみに出たかと思うと、一気に膨張して爆発するように燃えた。
メラリと、赤い炎だけが一瞬視界を支配し、肌に熱風が吹きかかる。
ついさっきエドを突き飛ばしたのは、おそらく隣に倒れている少女なのだろう。肩で浅く息をしている黒髪に、炎の光が反射していた。
数秒経って炎が収まると、辺り一帯は騒然としていた。
先ほど何が爆発したところの石畳は黒く焼け焦げている。幸いにも近くにはエドたち以外の人も、燃えるようなものもなかったおかげで被害は微々たるものだった。
「おい誰だ! 調理用の火妖精逃がしたやつは!」
すぐ近くにあった店の店主らしき人がずかずかとこちらに寄ってくる。
「怪我はないか? にーちゃん」
差し伸べられた手を掴んで立ち上がる。
「俺は大丈夫ですけど……隣の――」
そう言ってさっきまで少女がいたところを振り返るが、既に彼女の姿はなかった。
「隣の? どうかしたか?」
「いえ、先ほど自分を助けてくれた子がいたんですけど――」
きょろきょろと辺りを見回すと、集まってきた人と人との隙間に、先ほどの黒髪が見えた気がした。
「あの、後のことは任せていいですか?」
「え? ああ、問題ないが――」
それだけ聞くと、エドは少女の見えた方向へ走りだす。
だた助けてもらったからというだけではない、「この人を追いかけなければ」という確かな焦燥感が、エドの体を突き動かしていた。
だいたい一話1500字くらいに収めたいのですが、全然収まる気配がないです。
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