6. 結論 2
すぐにリュックを準備して、庭から野菜を少し収穫する。半分は今日食べる分と、残りはご近所へのおすそ分けだ。
「で、うっかり先程誘いはしましたけど、良く考えたら車は車検で今ないし、本当はソレイルさんにはまだ寝ていてもらいたいんですけど・・・・・」
「イヤ。イクする」
ですよね、あの子供の様な目を思い出せば、そんな返事になるとは思ってましたけどね。
「・・・・・・本当に怪我は良いんですか?熱まで出たのに」
「キズ、ハヤイ。ミル、する」
ソレイルが服を捲り絆創膏を剥がして見せれば、傷は薄く膜が張っており、昨日の生々しい傷ではなくなっていた。
「ウソ・・・・・もの凄く治りが早いのですね?」
「ゴハン、タベルした!」
小さい子供の様に、『ご飯食べたから大丈夫!』みたいな感じで元気に返事をされてもどうしたものか。普通はご飯食べたからって、すぐに傷が塞がったりしないと思うんですけど・・・・・?いや、そもそもソレイルさんの所ではそう言うものなのかも知れない。
「・・・・・わかりました、では外で人に見られるとまずいので、リュックの中に入ってください」
月子が日頃から使っている大きなリュックは、丈夫な帆布で作られており、20Lは入る優れものだ。中には月子が庭で植えていたはす芋の茎と、長茄子が入っている。そのリュックの口を広げ、中へ入るように促すと、あからさまに眉間に皺を寄せたソレイルは、それでも潰さぬ様に野菜を押し退け、リュックの中へと入っていった。
小さな頭がリュックの隙間からちょこんと出て、じっとりした目でこちらを見ているのは、申し訳ないが大変可愛らしい。
「あ、顔は出してていいですよ?でも他に人が居る時隠れて下さいね。もしですが、見つかった時は動かないで人形のふりをしてください」
「ニンギョウ、する」
今時のフィギュアは精巧過ぎてリアルな物が多い。ソレイルは彫りの深いきりっとした顔立ちだし、いつかコンビニで見かけた流行りのアニメのキャラクターフィギュアの様に、筋肉質で立派な体躯だ。恐らく、触られたりしない限りはまずバレないだろう。
ソレイルの入ったリュックを背負って家を出ると、納屋の角で被せてあったシートを外し、出てきた黒地に迷彩色のバイクに鍵を差し込んだ。
「えっと、ソレイルさんは馬って解りますか?」
「ウマ、ノル、する」
「馬は居るんですね。ではきっと大丈夫でしょう。まぁ、馬は馬でもコレは『鉄の馬』ですが」
「テチュ・・・・・テ、テツノウマ?」
「ええ、『バイク』と言います。ほら、家にあった便利な物と同じです。でもこれは、電気じゃなく燃料で動くんですよ」
月子のそれは、所謂オフロードバイクと言うものだ。 山腹の森の中では、普通車での行き来は少し危ない。その為、現在検に出してある車も、四駆の軽自動車だ。遠出は車、近場の行き来はこのバイクを使っている。どちらも生活環境に小回りが利いて、大変便利なのだ。
「・・・・バイク?」
「そう、バイク。昨日の雨で道を通れるかも確認しないといけないし、今から山を下ります。道路はちゃんと舗装されてないから凄く揺れると思うので、具合が悪くなったらこのヘルメットか、リュックの中からでも背中を叩いて教えて下さい」
ソレイルに見せるようにして黒いフルフェイスのヘルメットを叩いて被れば、もう小さな音は聞き取れなくなる。
キーを回しキックペダルを蹴ると、ドドドド、と、低いエンジン音が轟き始めた。一瞬、リュックががさりと大きく揺れた気がしたが、ヘルメットを叩かれる事はなかったので、月子はそのままギアを入れて出発する。
くねくねと続く道は土も剥き出しで、雑草が生えていないのはタイヤの通る箇所だけ。途中から断崖絶壁でガードレールもない場所も通過する。獣道とまではいかないが、『道路』と言うにはあんまりかもしれない。道幅が細く庭先でのUターンもし難い為、申し訳ないから宅配便の受け取りを麓の隣家にお願いしている位だ。
今日はソレイルもいるし、昨夜の雨のせいで泥濘みもあり、安全の為30分程かけてゆっくり麓の集落迄下りたが、どこも土砂崩れなどの心配は無さそうだった。
月子が向かった先は山を下って1番最初に現れた平屋の民家で、お婆ちゃんとその息子夫婦が住んでいる家だ。宅配の受け渡しをお願いしているのもこの家だ。
池のある広い庭へ入りバイクを停めると、庭の端にある納屋から手拭いを被った老齢の女性が現れた。
「こんにちは糸さん。お久しぶり!」
「おや、月ちゃんかい。久しぶりだねぇ、昨日雨が凄かったけど、家は大丈夫だったかいね?」
ヘルメットを脱いで挨拶すれば、糸さんと呼ばれるその人は、嬉しそうに月子へ話し掛けてきた。
「ええ、ちょっと泥濘みはしてたけど。途中の道も、崩れてる所もなく平気でした」
「今日はバイクかい?勇ましいねぇ」
「あっちは車検なの。それであの、ちょっとお願いがあるんだけど」
「なんね、遠慮せんで言いな?」
「糸さん前に言ってたじゃない?お孫さんに作ったままごと用の玩具が余ってるって。それ、まだあるなら譲って欲しくて」
今日訪れたのは他でもない。ソレイルの為に食器等を手に入れる為だ。以前余ってしまったと言っていたのを思い出したので、野菜のお裾分けついでに糸を訪ねて来たのだ。
「あー、お人形さん遊びのかい?」
「そう!」
「あれならまだあるよ。こげな何個も要らん言われたけど、折角作ったのに勿体無いからねぇ。床の間に飾っとるけ、持ってきてあげるよ」
そう言って家の中へ戻って行った糸は、なんでも昔はお針子だったそうで、月子も1度浴衣を縫ってもらった事がある。しかもその趣味は小物作りで、曾孫の着せ替え人形やフィギュアなんかの洋服、ままごと用の食器なんかも作ってしまうのだ。1度作る所を見せてもらったが、縫い物は勿論の事、木を削って指の先程の小さな茶碗や椅子などもとても器用に作っていた。
因みに都心に住む曾孫の1人がコスプレイヤーだそうで、昔から愛用の足踏み式ミシンを駆使し、こっそり頼まれては衣装も縫っているらしい。
「何に使うか知らんけど、あるもの全部持ってきたよ。うちにあっても埃かぶってるだけだし、月ちゃんにあげるから好きにしなね」
戻ってきた糸に渡された白いビニール袋は意外と大きく、中には色々入っているのかコツン、カツン、と木が当たる音が聞こえる。
「ありがとう!あ、これさっき収穫した分なんだけど、よかったら食べて」
「なんのなんの。いつもありがとうねぇ、嬉しいよ。月ちゃんの育てる野菜、は売ってるのより美味しいからねぇ」
「こちらこそありがとう!また持ってくるね!」
お礼を言うと、笑顔で手を振る糸に手を振り返して庭を出た。それから折角なので、少しだけ遠出して、更に20分程行った先にある小さめの空港を見せに連れて行ってから帰る事に。
人気の無い場所にバイクを停め、月子はソレイルが顔を出している隙間を前にして抱えると、飛行場の柵の向こうでジェット機が滑走路から飛び立つ様子を見せてあげた。ソレイルが興奮気味にドラゴンの仲間かと聞いてきたので、人が乗る乗り物だと言ったら目を丸くしていた。きっと彼には何を見ても目新しく、新鮮なのだろう。
興奮冷めやらぬソレイルに、完全に傷が治ってしまったら、次は海へでも連れて行こうと決めた。
暫く眺めた後、リュックからぐうっと小さく鳴った音。背負ったリュックをチラリと目をやれば、はっとしたソレイルが、ちょっと赤くなってリュックの中へと潜り込んだ。
「お腹すいてきましたし、そろそろ帰りましょうか!」
「・・・・・オイシイ、スキ。ゴハン、タベル、する」
どうやら小さい彼は、ご飯が気に入ったらしい。帰り着いたら早速糸の作った食器が活躍する事だろう。
祖父母が亡くなって独りで暮らす寂しかった日々に、明るい光が差し込んだ様な気がした。