4. 大きな彼女
ソレイル目線のお話です。
小鳥の囁きにはまだ少し早い、夜の暗さの残る早朝。洗い立ての分厚いタオルに包まれたソレイルは、左腕の痺れるような痛みにぼんやり目を覚した。
「・・・・・」
未だ微睡み思考が上手く回らない。いつもより身体が重いが、そんなに鍛錬に力を入れただろうかと、怠さの残る身体に抗う様に寝返りを打ち、ソレイルは閉じたままの瞼にぎゅっと力を込め眉を寄せた。
そう言えば、やけにこの布団ももこもこだ。隊舎の布団は、隊長と言えどそう良いものではない。身体の重みで潰れ、だいぶ薄くなっていた筈だが、いつ取り替えられたのか。肌触りがふわふわで、優しい薔薇の様な香りが鼻先を擽ぐるのがなんとも心地いい。
再び意識がゆるやかに沈み始めたところで、ソレイルはふと我に返り大事な事を思い出した。
そうだ、確かあの嵐と向かい合って、それから・・・・・それからどうなった?
慌てて体を起こすと、朧げな記憶を辿る。確か、森を抜け切る手前で魔力を全て使いあの巨大な嵐に力をぶつけた。通常の嵐ならば、アレで消滅されている筈だ。
自然現象には余りにも様子がおかしかった。だからこそ必要以上に魔力を注いだが、大きな魔力を使うと手加減が難しくなるから、他に影響が出ていなければ良いのだが。
後を任せてきたアルフレッド達の無事も心配だと、拳を握り締めた。
モゾリと大きくベッドが揺れ、何かが身じろぐ気配に振り返れば、いつからそこに有ったのかこんもりした山の様に大きな膨らみがあって。
「な・・・・・?!」
「ん・・・・・?」
大きな膨らみの隙間から、うっすら目を開けた人間の顔の様な何かが見えた。その瞬間ソレイルの肌がぞわりと毛羽立ち、同時にタオルを飛び出して距離を取る。巨大な魔獣かはたまた巨人かと、身構えその眼へ鋭い眼光を向けた。
目だ。
見紛う事なき、大きな人間の眼。
ソレイルの頭程もあるだろうその目から察するに、体はもっと巨大である事が推測される。
いつからそこにあったのか、全く気付け無かった事にソレイルは舌打ちする。
「あ・・・・・!良かった、目が覚めたのね!」
声と共に勢い良く動いたその膨らみに、ふわふわした足場はまるで地震の様に大きくドンと縦揺れし、小さな体がバランスを崩して随分と高く跳ね上がった。
「あ・・・・っ!」
舌打ちしたくなる様な状況に、ソレイルが体制を整えるそれより早く、大きな手がその小さな体を掴んだ。
見たことはないが、これは子供の頃に聞いた物語に出てくる『巨人』だろうか。それとも、瞳は2つだが『サイクロプス』の類いなのか。女の様だが、自分は捕らえられたのだろうか。
掴まれた事に慌てて抵抗するも全く微動だにしない大きな手に、いっそ噛みつこうかと身構えたところで、何故か顔を反らしながら、そっと下ろされ解放された。
「・・・・・・・・・忘れてた・・・・・」
顔を赤くし、困戸惑っている様な顔をした大きな女に、一体何がしたいのか分からず困惑する。ただ、攻撃する意思はないらしいと、なんとなくは察したが、だからと言って気を抜く事はできない。
「・・・・・・」
冷静に状況を分析しようと、再び距離を空け辺りを伺うが、見える物全てが大き過ぎて判断がつけられない。一体ここは何処なのか。自分の身に何が起こっているのか。
「ごめんなさい、あの、服を・・・・・!あ、しまったな、どうしよう」
何か焦っているらしい女の様子を伺いながら、動きが俊敏でなかったとしても、その巨体に距離を詰められてはそう簡単に逃げられないだろうと、ソレイルはじわじわと距離を空けていく。
「あの、言葉はわかりますか・・・・?」
距離を空けた事で薄暗闇にちらりと見えたその横顔は、困り果てた様子で。なんなんだと疑問に思った瞬間、すぐにこの状況を理解した。
「・・・・・!」
何故だ。服も着ていない上に、下着も身に付けていない、完全に全裸だ。まさか喰うつもりなのだろうかと思っても、それに反して殺気は全く感じられない。先程は捕まりこそしたが、すぐに解放された。そしてその後は全く襲って来ない。それに先程から女の使っている言葉は、恐らく王国で今は使われていない語源、『古代語』の1つに近い様だ。
一体何がしたいのか全く読めない。自身の置かれた状況に戸惑、視線を外したままそっぽを向いて辿々しく話しかけてくる女に、どうも調子が狂う。
だがふとソレイルが自身をよく見れば、汚れていたであろう身体も綺麗にされている。頭には包帯らしきものが巻かれ、見た事もない何かを貼られた左腕は、痛みからして恐らく傷を手当したものだろう。そういえば身体の至るところに痛みがあるようで、状況から判断するに、どうやら助けられたのらしいと思い至った。
くるりと辺りを見渡し、先程まで潜り込んでいたタオルの端を引き寄せ、恥ずかしがっているらしい女の為に、前だけ身体を隠す。
「・・・・・ワカル、スコシ」
助けられたのなら敬意を払うのが筋だろうと、ソレイルは警戒を緩め、記憶を総動員して片言での会話を試みることにした。
まだ完全に信用する事は出来ないが、経緯はどうであれ自分は助けられたのだ。少しだけ迷ってわかる範囲で言葉を繋ぎ返事をすれば、女が横顔で嬉しそうに顔を綻ばせたのが見えた。
「良かった・・・・・会話が出来なかったらと心配してました!」
「マナブ、した。オソイ、ハナス、する」
「えっと・・・・・ゆっくり話せばいいのね?」
「カラダ、ダイジョブ、した。ミル、カオ。ハナシ、したい」
恥ずかしそうにゆっくり振り返った女は、タオルで前を隠しているのを確認すると、安心したようにほっと息を吐いた。そして優しい目で、心配そうに話を続ける。
「あの、体は大丈夫ですか?痛い所とかないですか?昨夜は熱もあったし丸一日眠ってたから・・・・・目が覚めて良かった」
「ケガ、タスケル、した、アナタ?」
「治療という程の事じゃないけど・・・・・服はその、御免なさい血だらけだったし洗ってあるの。後で持ってきますね」
「・・・・・セワ、する、した。ウレシイ、カンシャ」
見ず知らずの自分を助けたらしいこの巨人は、おとなしいようで、そう悪い奴ではないらしい。
「ココ、ドコ?エアボーデン?モリ?」
「えあ・・・・?ちょっとわからないけど・・・・・モリ、森かな?山の中にあるのは確かです。僻地のぼっちな一軒家ですけど、ここは私の家です」
「ヘキ・・・・・ボ・・・・??シロ、ドコか?シンパイ。カエル」
「シロ・・・・?もしかしてお城かな?」
「カエル、する」
「・・・・・ごめんなさい」
申し訳なさそうにごめんなさいと言った彼女の名は、『ツキコ』と言うらしい。クローゼットの中で傷だらけの自分を見つけたと言った。しかし到底その話をそのまま信じられる訳がない。けれどだからと言って、嘘をついている様にも見えないけれど。
結局は、いくら考えても考えが纏る事はなく、直ぐにでも仲間の元に帰りたい気持ちを抑え、柔らかな笑顔で朝食を勧めている彼女を見返す事しか出来ない。
けれど・・・・
自分に向けられたその曇りの無い笑顔に、少しだけ彼女を信じてみるのも良いかもしれないと、そんな風に温い考えを浮かべた自分に、ソレイルは腹の中だけで笑った。
話している間に昇り始めた朝日は、あの嵐が嘘の様にただただ穏やかだった。