神は言った
『異世界転移』
稀代の現実主義者と自称するこの私も、その響きに多大な希望を抱かずにはいられまい。
都合よく与えられる無敵能力を使って悪を成敗し、周囲からチヤホヤされるも良し。
悪を淘汰することを善しとせず、正義問答をしながら己の道を探すのも良し。
これまた都合よく転がりこんでくる幸運ならぬ豪運に身を任せ、酒池肉林を手に入れるも良し。
ともかく、その響きには夢がある。
そんな異世界ドリームを手にする権利は、非凡なる高校生である私にも等しく与えられる。
しかして、この私にも薔薇色の異世界ライフが待ち受けている……はずだった。
何もせずとも比肩する者がいないチートを手にいれる……はずがどういう訳か血が滲まない程度の努力を要して技術を習得。
強敵を倒して麗しい淑女たちから万感の拍手を得る……はずがどういう訳か独り虚しく冷たいベッドに潜り込む。
裏路地に入ってみれば歳不相応に胸のふくよかな美少女を助けて懇意になる……はずもなく。
遂には運も尽きて、きらびやかな生活からは一転山で暮らす質素な暮らしへ。
ああ、まったく、私が何をしたというのか。
どなたか知っている賢者が居るならば、教えてくれねば報われぬ。
これは私が過ごした、イマイチ壮大でもない異世界での記録である。
□□□
まずは私の話をしよう。
身長一七五センチ、体重五五キログラム。
容姿端麗、頭脳明晰、類い稀なる才覚にて無類のカリスマを持つ高校二年生。
稀代の現実主義者であり、煩悩や妄想を思考から切り離して常日頃から最適解を導きだす、いわゆる天才である。
親は言った、私は全てを与えられた男だと。
友は言った、次に生まれ変われるなら私になりたいと。
神は言った、私こそ神の後継者であると。
生まれつき全人類を救う天命を与えられてしまった私であったが、今は凡庸なる人々の群れに身を隠しただの高校生を演じている。
そんな私は今、在学する高校の林間合宿に参加していた。
私のような高貴な存在が学生たちの戯れに共に興じるのはちゃんちゃらおかしいが、これは下界を知るのに必要なプロセスであり……』
「……故に、これは神の後継者たる者の勤めである、ですか」
「……いつから起きていた」
「身長一七五センチ、あたりですね」
「ならさっさと声をかけろ!」
「あんまり面白かったものですから」
志渡は私を見てカラカラと笑った。
小説でしか使われないような笑い方に嫌気が差し、私は眉間を揉んで小説のネタ帳を閉じた。
「それにしても、スゴい設定の主人公ですね? 今流行りの俺TEEEEってやつですか? ああいう小説って自分を投影して書くことが多いらしいですけど、もしかしてこれもそうなんです? 貴方、自分のことを天才だと思ってるんです? 神の後継者です?」
「うるさい黙れ。よくもまあ寝起きでそんなにも口が回るな。もう一度目を閉じて口も閉じて眠っていろ。そのまま永眠させてやる」
「私は生まれ変わっても貴方にはなりたくないですけどね」
誰が貴様みたいな奴を友達と呼ぶか。
悪態を飲み込んで、ニヤニヤと私を見ている志渡を睨んだ。
現在に至るまでの生涯、十七年の間に私が犯した最も大きな過ちと言えば、間違いなく志渡と同じ高校を選んでしまったことだ。
志渡正義は私のクラスメイトである。
眼は細く鋭くつり上がり、裂けているように大きな口からはガタガタに歪んだ歯が覗かせる。
おまけにすこぶる頭が悪く、運動神経も無いに等しい。
控えめに言っても優れた点が一つも無い、私の対極にいるような男がこの志渡だった。
私が初めて志渡を見たのは高校の入学式だった。
人並外れた人選眼を持っていた私はその頃から志渡の存在を警戒していたが、運の悪いことに志渡は同じクラスで更には私の前の席に座っていた。
「初めまして、志渡と言います。実は入学式の時から面白そうな人だなと思っていたんです」
「……一応聞くけど、どうして?」
「凡庸な学生の中で貴方だけは異様なオーラを放っていましたからね、一目でただ者ではないと分かりましたよ」
その時私は志渡の評価を改め、私と肩を並べられるだけの男であると思い至ってしまった。満足げに相槌を打つ志渡の笑顔の意図に気付かぬまま。
ああ、思えばそれが私の華やかな学生生活の分岐点であったのだろう。
「これから、どうぞよろしくお願いしますよ」
以来、私は志渡にあらぬ噂を学年中に流され、一方で志渡自身はあらゆる手練手管を用いてクラスの中心人物と打ち解けていった。
すると、どうなったか。
志渡は能力は無いものの不思議と周りに認められ、私は能力を持ちながらも孤高の存在となった。
生徒の中には友達のいない私を憐れんで志渡が声をかけていた、なんて噂まで広まった。
「どうして貴様は私のあらぬ噂を広める。そんな事をしても、私に百害あって貴様に一利も無いだろうに」
「なんですか、そんな事も分からないんですか」
ある日、私は志渡に問いただした。
志渡はひどく呆れた風に首を振り、私に言った。
「貴方に百害あるのが、私にとっての一利なんです。貴方が困っているのが私には堪らなく面白い」
それを機に、私は志渡に何かを期待するのをやめた。
話は現代に戻る。
「一度も彼女がいたことがない人を容姿端麗とは言いませんが?」
「私の周りの女性には心眼を開く者がいないだけだ。故に誰一人私の真の姿を知らん、無論貴様もな」
「学業成績中の下で頭脳明晰と呼ぶのはちょっと……」
「教師とて一人間だ、私の全てを知るには十年以上の時を要する上、生徒四十人を一人で評するのは困難を極める。教師の勤務内容を改善すべきだな」
「無類のカリスマは論外なので置いておいて、肉体的評価が書かれていないのは意外ですね。どうしてです? 運動音痴の自覚はあるんですか?」
「あらゆる才覚を与えられて周囲よりも優れてしまった以上、自ら自分を鍛えることは許されない。強く産まれてきた以上、鍛えるのは恥と知れ。あとカリスマはあるから。皆気付いてないだけだから」
「なあんだ、本当の事なんて貴方が高校生だって事と林間合宿中だって事くらいじゃないですか」
志渡が何と言おうと私の価値は不変である。
無益なやり取りに飽きると、やがて志渡は私への興味を失った。
「そんな下らないことをしていて酔っても知りませんよ」
志渡は捨て台詞を吐き、バスの通路に身を乗り出して他のクラスメイトと話し始めた。
ようやく束縛から解放された私は窓の向こうに広がる景色を一瞥し、再び小説のネタ帳を開いた。
そして同時に、頭に不快感を感じた。
「……しまった、酔ったか」
私としたことが迂闊だった。
筆に興が乗ってしまったがために、引き際を間違えてしまった。
その時、私は初めて自分の唯一の欠点を知った。
優れた容姿も頭脳も与えられた私は、唯一優れた三半規管を与えられなかったのだ。
□□
おおよそ数時間後に私が目を覚ましたとき、林間合宿のバスの中に他の生徒の姿は無かった。
不審に思った私は荷物を持ち上げ、開けっぱなしになっていたバスの扉から地面に降りた。
久しく感じていなかった地面の安定感に、眠気と酔いが徐々に覚めていくのを感じる。
冷ややかな風を受けて意識を完全に覚醒させると、私はようやく自分の置かれている状況に気が付いた。
眼前に広がるのは見たことの無い石造りの街並み。ビルのような高い建造物は無く、上には青い空が広がっていた。
しかし、何よりも目を引いたのは私の立ちすくむ道路の向かう先。
そこには見上げるほど大きな石造りの門があり、その向こうには眼前の門を越えるほどの大きさを誇る……城が建っていた。
「こ、これは、まさか、異世界て――」
「異世界転移ってやつですね」
私の異世界での初の発言を遮ったのは、言わずもがな志渡であった。