7話
今日で20通目の手紙を受け取る。
中身を読めば、初めて魔術で魔物を倒したときのことが書いてある。
自分の放った魔術で命を奪ったときの、複雑な感情が書かれている。
朧気だった10年前の彼の幼いころの姿が、ほんの少し蘇る。
虫も殺せないような柔らかな笑顔。
そんな彼が、人を襲い、命を奪うことすらある魔物の命を奪う。
殺さなければ、殺される相手。
そんな相手なのに、彼は殺したという事実に眠れない日々を送ったという。
そしてまた、自分の習得した魔術が、殺しの術であることに恐怖も抱き、魔術がしばらく使えなかったという。
……つくづく思う。
どうすればこの彼が、魔術騎士団副団長という地位にまで至れたのか。
家のおかげ…ということはありえない。高位貴族出身が当たり前の魔術騎士団に伯爵家程度の力では、何の影響力も無い。
「…愛の力、かしら、ね…」
恋愛本のよくあるセリフだ。
読んでいるときはそのセリフに心躍らせたものだが、いざ口にしてみると寒々しいことこの上ない。
手紙をしまい、さて今日はどうしようかと考える。
来客の予定は無いし、淑女教育も終えている。
ここ最近続けている刺繍の続きをしようか?
「…よく晴れた空ね」
青く澄み渡る空に、わずかに白い雲が浮かぶ。
こんな日は、中庭で刺繍をするのもいいかもしれない。
「今日は外でするわ」
「かしこまりました」
侍女が中庭へ準備に向かう。
私は作りかけの刺繍を見て、これが完成したらどうしようなどと考えながら、侍女が戻ってくるのを待った。
***
ぽかぽかした陽気の中、刺繍を進める手は順調だった。
空になったカップに紅茶が注がれ、ゆったりと過ごしていた。
「…どうしたの?」
そんな中、侍女の様子がおかしいことに気づいた。
どうも視線が定まらず、落ち着きがない。
「い、いえ、なんでもございません」
なんでもないことはないでしょう、という言葉が出掛けたが、やめておいた。
彼女は優秀な侍女だ。
変にこちらが心配すれば、それにさらに気を病むことになるかもしれない。
「そう」
それだけ言い、手元に視線を戻す。
刺繍の進捗は滞りなく進んでいる。
このままいけば、あと数日で完成するだろう。
「…その刺繍は、どなたに差し上げるのですか?」
侍女の言葉に顔を上げる。
こちらを見る彼女の目は、いつになく鋭い。
その目に少し気圧されてしまう。
「…特に、決まってないわ」
決めていない。
ただの時間つぶしだからだ。
誰かにあげる……わけでもない、
「私の目には……その刺繍はあの『鷹』に見えます」
侍女から刺繍に目を移す。
刺繍の柄…それはあの『鷹』、シルヴァンスの使い魔『ヒルス』だ。
最初はただの鷹にするつもりだった。
けれど、毎朝ヒルスを目にするたびに、徐々に私の中の鷹のイメージがヒルスの姿になっていった。
いや、最初に鷹にした時点でヒルスをイメージしてしまっていたかもしれないけれど。
だから彼女の言葉の意味も分かる。
ただの鷹ではない。特定の人物の使い魔をモチーフにした時点で、誰に送るものかは明白だ。
しかし、こんなものを特定の人物…シルヴァンスに送ってしまえば、どんな反応を示すかは火を見るより明らか。
その気になったと思われてしまう。
……私にそんな気はない。
たまたま暇で。
たまたま鷹を選んで。
たまたまヒルスを目にすることが多かったから。
偶然の産物だ。
そこに特別な意図はない。
だから誰にも送らない。
完成したら机の中にしまっておけばいい。
そして次のことを始めればいいのだ。
***
翌朝。
21通目の手紙が来るのを窓際で待つ。
手紙を読み終えたら次は何をしようかしら?
刺繍の続き?
でも、今日は続きをする気にならない。
昨日の侍女の言葉が引っ掛かっている。
自覚しないようにしていたことを認識させられて、今はしたくない。
「本でも読みましょ…」
しばらく前に購入していた本の存在を思い出し、手に取る。
内容は他国の大商人が商売の成功を綴った自伝のようなもの。
いずれ、令嬢から夫人になれば、夫の領地経営において多少なりのサポートも必要だ。
紙の捲る音が静かに響く室内。
時折紅茶を注ぐ音。
それ以外の音はほとんど聞こえないくらい静か。
そう、静かだ。
「……ん?」
ふと顔を上げる。
既に太陽が昇って久しく、時計を見れば既に二時間は経過している。
いつもの羽ばたく音が聞こえない。
とうに来ているはずのヒルスの姿が無い。
それはつまり、手紙が来ていないということ。
「…………」
忙しくていつもの時間に出せないでいるのか。
それとも激務の中で、今日は寝坊でもしているのか。
はたまた……
それがどうした。
どんな理由であれ、手紙が続かなかった時点で約束は破棄。
それに、今日という日はまだ半分も過ぎていない。
それまでに来ればいいだけ……
(……なんなの……)
考えがまとまらない。
来ない理由を勝手に考えたり、来なければそれでいいと思えば、でもまだ時間があるのだと。
一つ言えることは、私はこの状況に困惑している。
「…お嬢様、如何なさいました?」
「何でもないわ…」
侍女の問いに平静を装って応える。
ページを捲り、再び本に没頭しようとするも、困惑した頭にはもう何も入ってこない。
顔は本を向いていても、目は窓に向いている。
昼食を終え、さらに時間が経っても手紙は届かない。
(これは、そういうことなのかしら…)
何故だろう。
今の自分の気持ちが、認めたくないものになっている。
その気持ちを認めてしまうことは、私の、彼への気持ちの変化を認めてしまうことになるから。
突然、階下が俄かに騒ぎ出した。
どうやら誰か来客がきたようだ。
しかし今日の来客の予定は無い。
誰が来たのだろうか、そう考えていた私の部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「お嬢様、来客でございます」
「誰?」
「………」
問いかけに、ドアの前にいる執事が口ごもる雰囲気が伝わってきた。
言いにくい相手なのだろうか?
「…シルヴァンス様でございます」
「………………はっ?」
身支度を整え、ドアから出ればそこには執事。
だが、普段は背筋よくきりっとした立ち姿なのに、今日は少し顔が俯きがちだ。
そして…
「…………」
私の身支度を整えた侍女は、それ以上におかしい。
顔は青く、身支度を整えている最中も指先がわずかに震えていた。
この二人はシルヴァンスが苦手だっただろうか?
しかし、以前の来訪ではいつも通りに振る舞っていたはずだ。
妙とは思いつつ、今は来客が優先だ。
シルヴァンスの、先触れの無い来訪。
これは一体何を意味しているのだろうか…
******
「突然の来訪、本当に済まない」
「…いえ、構いませんわ。それより頭を…」
そう言って頭を下げるシルヴァンス。それをやめさせようとする私。
如何に敷地内とはいえ、誰かが見ているかもしれないのだ。
魔術騎士団副団長がただの令嬢相手に頭を下げている姿を。
しかし、彼は下げた頭を戻してくれない。
その頭に視線を落とせば、彼の靴やズボンが変色していることに気づく。
これは…濡れている?
「濡れているではありませんか。すぐに着替えを…」
「このままでいいんだ。それより…」
頭は下げっぱなし、靴やズボンは濡れたまま。
……そして届かない手紙。
一体この状況は何なのだろうか。