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不忍の夢  作者: VINE
2/10

 かつて戦乱の時代において、天下の大将軍を討ち、次に世を治めようとしている人物がいた。並ぶものなしと言われるほど武芸に秀で、豪傑でありながら機知に富む寵児であった。しかしそれゆえ、寝首を掻こうとする輩も後を絶たない。戦から凱旋し、明日に臣民の前で天下人の宣言を控えた日、城は夜襲を受け、火の手が回ってしまった。ここぞと残党と手を組み、将軍に成り替わるべく第三勢力が台頭したのである。

 いち早く曲者の気配を察知した二人の忍が天守へ駆けつけると、そこには倒れ伏す主君を今しも手に掛けんとする敵の忍がいた。すんでのところでどうにか食い止めたが、苛烈な術の応酬の後、取り逃がしてしまう。主君を守りながらの戦闘であり、階下からの炎のために深追いもできず、それ以上はどうすることもできなかった。

「ここから出ねば」

 忍の片割れが先導しようとした時、もう一人が顔色をなくした。

「待て、これを見ろ」

 殿の手の甲には焼印が押下されていた。それは敵方の家紋であり、宣戦布告以上の害意が見て取れるほど、深々と刻まれている。そして何より、敵に遅れをとったことの証左として、主君の誇りを汚していた。

「今しも勝鬨をあげようという折にこのような事態になっては、民に不安が募る。兵の士気にも関わるだろう。殿の武力に魅かれている者も多くいるのだからな」

「先ほどの忍を追うか? 賊を見事捕らえたとなれば、名誉も回復されよう」

「いや、あれはかなりの手練れだ。我らとて捕縛するには、一日二日程度では困難であろう」

「あくまで秘匿されるべきだと言うのだな。して、如何に」

「おれの見立てでは、殿は相手の姿を見ていない。背後から不意を突かれたのだ。だとしたら……」

 その提案を聞き、片割れはまず拒絶した。認めるわけにはいかなかった。

「それはいかん」

「殿の誇りを守るためにはこれしかない」

 いくら決然と言われようとも、退くわけにはいかなかった。

「我らは、殿の懐刀として長く仕えてきた。身を切る覚悟はできている。しかし、何ゆえこのような決断をせねばならないのか。元凶は敵方だ。真に切るべきは彼奴らではないのか」

「こうするより無い!」

 互いの激情を込めた眼と眼がぶつかりあった。言葉はない。強まりゆく火勢に、そこかしこで火の粉が弾ける。じきに侍衆もここへ来る。時間がなかった。それでも最後の一瞬まで己の意志を通さんとし、瞳の奥の炎を捉えつづけた。

「わかった……」

 やがて、片割れが言った。納得などなかった。それでも、貫かねばならない忠義があった。

 城を脱し、殿が目を覚ましてから、片割れは間者を連れてきた。無二の親友を、主君の命を脅かした内通者として引き渡した。優れた武術を有す殿が、真っ向からの戦闘で負けるはずはないが、汚い裏切りであれば致し方あるまい。そう納得させ、身を差し出すことが、誇りを守るための手段だった。

 後、勢いを衰えさせることなく敵対勢力を討ち果たした主君は、天下を極めた。その統治は長く続き、将軍の力は誰しもが知るところとなった。そして片割れは忍を辞し、一切の行方をくらましたのだった。

 裏の人間たる忍に関しては、表の歴史に記されないが、忍の歴史としては裏切ったことが正史とされている。その忍の名は飛騨と。

 父からこの話を聞き、幼心に沸々と悔しさが湧いた。彼らの無念を思い、どうしようもなく滾る熱情があった。麓丸が忍になることを決めたのはこの時である。

 かつて門下百余名を束ねた飛騨家は、その正史により凋落し、白眼視された。真実を知る者は少なく、信じる者はさらに少ない。以降の先祖から父の代までが奮闘したお陰で忍者協会に籍は置けているが、未だ遺恨は強く、仕事が回ってこない父は、家族を養うために手品師として巡業している。父が忍をやりたいと知っている麓丸は、この仕打ちに対しても憤懣やるかたない。

 ならば自分が至高の忍となり、名を上げよう。さすればお家が再興し、父の望みも叶い、ご先祖様にもせめてもの供養となろう。いつしかそれが己の業となった麓丸は、たとえ左手が呪われようと、協会内で爪弾きにされようと、厳しい修行に打ち込んできた。誰よりも研鑽を積んできたのだ。

 しかし多くの不遇は、次第に彼の人格を歪めていった。すなわち目的のためなら手段を問わず、他人を蹴落とすことさえ厭わなくなってしまった。

 誰かれ見境なく憂き目に遭わせてやろうというわけではないものの、下るべき天誅は下すべきだと思っている節はある。対象になるのは主に、名家の生まれだとか、環境に恵まれ苦労を知らないといった、現状相応に努力をしていないと麓丸が感じた者たちだ。とりわけ花岡波斯(はるしゃ)は以前から気に入らなかった。

 前述の条件をすべて満たし、好男子で、若衆筆頭の実力で、二番以下の者などまるで視界に入らぬというふうで、お高くとまり、好男子で、どうにもいけすかん。脇差しによる剣技を軸に置く戦型も、真面目くさっていてつまらん。波斯という名前もキザだ。何人なんだお前は。忍なら和を重んじろ。改名しろ。三郎太とかにしろ。

 このように、花岡について考えだせば、悪態からいちゃもんまで止まらない有様である。

 本気で誅する五秒前、を合言葉に、人知れず制裁を加えてきた麓丸は、花岡を陥れるならここだと判断した。ただ任務をしくじらせるだけでは足りん。あいつは挫折を知るべきだと、どんな立場で言っているかすらわからぬ結論に至り、家に帰ると奥座敷のふすまを開けた。

「おまえら、出番だぞ」



         *


 影を追い、夜を駆けていく。ぽつぽつと家々から漏れる明かりが、時おり足元を掠める。雲があり、風と月のない夜は闇にまぎれやすく、尾行するのにうってつけと言えた。

 麓丸たちは屋根上を伝いながら、花岡を追っていた。指令書を持っておらず、いつ任務に発つか不明だったため、花岡流剣術道場のそばで待ち伏せしていたのだが、想定よりずっと早く彼が動きだした。出てくるまで徹夜すら辞さないつもりだった麓丸からすれば、悪くない展開だ。やはり忍というのは夜にこそ躍動すべきであり、暗闇で鈍く輝くものである。基本とはいえ、さすが支部長はわかってらっしゃる。あいつを指名したこと以外はな。

 と、こまめに悪態をつきつつも進んでいくうち、やがて不審感が芽生えた。

「おかしいな。こっちは陳氏宅の方角じゃないはずだが」

 とうに協会は過ぎた。協会が懇意にしている鍛治工房でもない。となれば、なんだろうか。思い当たる節はなく、任務に赴くわけでもなさそうだ。それでも麓丸が尾行を続けたのは、ある案内標識が目に入ったからである。

 そこには「この先鹿沼市」と書かれていた。

「あいつ、こんなところへ何を……」

 宇都宮周辺の忍は二つに大別される。一つは麓丸たち宇都宮市の忍、これは宮の忍と呼ばれる。そしてもう一つは、隣りの鹿沼市を根城とする沼の忍だ。

 宮の忍には、任務達成に重きを置きながらも、決して人の道を外れべからずという掟がある。義に厚く忠を尽くす。対して沼の忍は、目的のためならいかなる手段も厭わない。規則はなく、世人を傷つけることさえためらわず、酷薄な手段で任務を遂行する。ゆえに彼らが進む道こそ、外道と呼ばれる。

 両者の対立は根深く、戦国時代に敵対していた流派の忍が、それぞれ宇都宮と鹿沼に分かたれたとも言われる。

 その構図は正義と悪ではない。自分たちこそが正義と信じているからだ。しかし所業の違いからすれば、陰と陽だと称することはできるだろう。相入れない存在として、今日に至っても争いは続いている。

 鹿沼の地に降り立った麓丸は、周囲に充満する不穏な気配を感じた。夜道には人っ子ひとり見当たらない。花岡の姿もなかった。近辺のいずこかに、目的地があるらしい。

「いちおう忍の端くれだけあって、下手は打たないか。よし、灌漑(かんがい)

「お任せを。奴さんの足音は覚えました」

 河童の灌漑は、肩に乗っていたろくろ首を降ろし、地面にぺたりと耳をつけた。目をつむり、神経を研ぎ澄ますと、静寂の裏にある無数の波形が流れ込んできた。

 諸説あるが、河童というのは身体能力が高い。激流を昇りきる泳力は言わずもがな、隠れた特長として聴力が優れている。

 小さな音を聞きとるのはもちろん、だが真髄は聞き分ける力にあった。数キロ圏内より発せられる音から足音のみを選別し、さらに歩幅、地面を蹴る強さ、靴の種類などの微妙な差を持ってして、花岡の足音と照らし合わせたのだ。

「こっちですな」

 しゃかしゃかと地を這う灌漑について路地を曲がっていくと、荘厳な建物が建っていた。高い塀と黒塗りの鉄扉を構えた武家屋敷だった。

「本当にここなんだな?」

「間違いないかと」

「堂々と建ってはいるが、禍々しい空気が漂っている。おそらく鹿沼の支部だ。こいつはきな臭くなってきたな。奴はどこにいる?」

「奥の間のようですが、声はしませんな。中庭には見張りが何人かおります」

「では、お淀」

「あんまり気は進まへんのやけど、仕方ないんやろか。麓丸はん、この子たのんます」

 ろくろ首のお淀は、抱いていた化け犬を麓丸に預け、外壁をやや離れた。灌漑からの情報を元に見当をつけ、ぐっと力を入れる。みるみるうちに伸びた首を闇夜に屹立させ、さらに思いきり反対側にしならせると、一気に解放した。高度からの高速頭突きを脳天に見舞われた見張りは、何を考える暇もなく、一撃で沈んだ。そしてお淀は、崩れ落ちる見張りの襟元をくわえ、静かに横たわらせたのだった。

「見事な手際だ。いや、首際とでも言おうか。この調子で残りもたのむ」

 麓丸に褒められても、お淀は浮かない顔をしている。「いくらわっちが石頭といっても、淑女のたしなみとは程遠い。こないなこと、本当は女性にやらしたらあきまへんのよ」

「アルブチン……ハトムギ……」

「もうっ、ずるいお人!」

 その後見張りを次々と始末したお淀は、化け犬のむにを抱き、気晴らしにたくさんむにむにした。至高の肉球をむにむにと。

「ここまで減らせば充分だが、危険を冒す必要もないな。小夜子、行ってこい」

「あいあいさー」

 浮遊霊の小夜子は、重厚な門を突き抜け、ふわりと邸内に入った。霊体ゆえに全ての物質を透過できるのだ。では、なぜに雑誌を読めるのかと言われれば、これは気合いに他ならない。長年の浮遊霊生活が成せる業で、体の一部を実体化できるためだ。ただし相当の気力が必要で、小夜子は人間の霊だが、にやけ顔で目を血走らせながらよだれを垂らし、宙に浮きつつも手だけをくっきりさせてアイドル雑誌を読みふけるその半透明の姿は、魑魅魍魎と大差ない。

 さておき、見張りのいない中庭を通り過ぎ、邸内に入った小夜子は、天井や壁の中を利用し、警備の網をくぐっていった。危うくもようやく奥の間にたどり着くと、畳の中から薄目をあけて覗き見た。

 蝋燭の妖しい火が灯る部屋に、二人の人間がいた。一人は花岡、もう一人は知らない男だったが、甚だ威圧感がほとばしるその容貌に、小夜子は存在しない我が身を震わせた。もしも生きた肉体があったなら、即座に看破されていただろう。

 彼らの筆談をひとしきり見届けるなり、小夜子は「おっかねー」と呟きながら舞い戻ってきた。無い肝を冷やし、出ない息を乱れさせた。

「たげ怖いおどごがいた。心臓がまろび出らかど思った。怪しげの話ばしていた。きっど良ぐねごどだ。悪り顔だった」

「訛ってる訛ってる」

「おーろ、すじょいせん。あべたしったきや動転して。だば本当さ怖がたんじゃし。見つがたきや木っ端微塵さされらびょんかってひやひやしてたんじゃかきや」

「落ち着け。たのむから。懇願するから」

 しどろもどろに遺憾なく生前の記憶を発揮する小夜子をどうにかこうにか標準語に戻し、麓丸はようやく事態を把握した。

「つまりそのおそろしげな男に、花岡が巻物の話をしていたというわけだな。そいつが何者かはわからんが、おそらくはここの長かそれ以上の階級だろう。すなわち花岡の野郎、すました顔してとんでもない食わせ者だったわけだ」

 吐き捨てるように言いながら、麓丸の脳裏に昨年行われた「忍者協会杯ジュニア部門」に出ていた花岡の姿が映った。

 体術、忍具、術のすべての種目において高得点を叩き出し、優勝をもぎ取った時はさして感動もない風だったくせに、関係者席にいた男から声をかけられ、高々とトロフィーを掲げてみせた時の奴ときたら、清々しいほど晴れやかな笑顔だった。普段の堅物な姿からは想像できぬほど、無邪気に笑っていたのだ。

 あんな顔は初めてみた。少なくとも自分の目には、真剣に競技に取り組んでいたし、心から喜んでいた。同輩にも優秀な奴は他にいるので並大抵のことではない。術の種目で零点を叩き出したやるせなさも、その時ばかりはいくらかマシになったものだ。

 それがなぜ、こうなる。

「どうなさいますかな。敵方に通じているとなれば、これは大罪。待ち伏せて夜襲を仕掛けましょうか」

 灌漑の問いに、思案していた麓丸はしかし「いや」と答えた。

「しばらく泳がせる。いずれにせよ巻物はこちらが手に入れる必要があるからな。奴が巻物を入手したところをとっちめて奪う。宝と間者をまとめて引き渡せば、おれの評価もうなぎのぼり待ったなしだ」

「そこで真意を問いただすと」

「そんなもんは興味ない」

 麓丸は笑みを浮かべた。

「裏切ってくれて手間が省けた。奴にはおれの輝かしい将来への礎となってもらう」

 家臣たちが見たその笑顔は、じつに鹿沼的であったという。

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