ごめんね
「………コッ!メ……コ、メイコ!」
「っ!?」
身体を揺すぶられ、まるで水の中から引き上げられた哺乳類のように、大きな息を吸い込むと同時に私の意識は覚醒した。
瞬時に居場所を特定することが出来ず、目線を泳がせる。
私のベッドのすぐ隣から心配そうに見下ろしてくるのは、あの宇宙を映した美しい瞳。
「あ、ジル?」
どうやら、身体を揺すっていたのは彼のようだ。
その後ろにはクラウディが居る。
エメはいつの前にかぐずっていたパトリシアちゃんを抱き上げてあやしてくれていた。パトリシアちゃんの泣き声に気が付かないほど、私の眠りは深かったようだ。
「大丈夫?」
微妙に力の入らない自分の身体を叱咤しながら、腕の力で上半身を起こす。
夢のせいか、体中汗まみれだ。
『………なんだ、夢、か』
日本語で飛び出した小さな呟きは、誰に聞きとがめられることもなく、宙を漂って消えた。
「クラウディが気が付いて、僕を呼んでくれたんだよ。どうしたの?」
「クラウディ?………ジル?」
クラウディが先に気が付いて、ジルを呼んでくれた、ということなのかな。
確認するようにクラウディを見て、その後ジルを見た。
黒髪の少年が頷き、赤髪の青年がそっぽを向く。これはある意味私の疑問に答えてくれているようなものだ。
「だい、じょうぶ」
「本当に?」
覚えたての、拙い言葉で伝えれば、ジルが心配しそうに見つめてくる。
けれど、これが初めての事もあり、彼らは私の言葉を信じてくれた。
最後まで心配そうな表情を崩すことなく、ジルはクラウディに促されるように部屋を後にする。
その際驚いたのは、クラウディだ。
幾つかエメと言葉を交わした後、ジルに近づき、彼に部屋を出るよう言葉をかける。ジルが頷いて、そのまま扉側へ歩いていけば、そのまま一緒に出て行ってしまうかと思っていた。
けれど、数歩歩みを進めた赤毛の彼は、しかし何故か途中で向きを変え私に近づくと、一度だけ、本当に一瞬だったけれど私の頭に手を乗せたのだ。
「なにかあれば、呼べ」
『よぶ』という言葉を私に贈って、今度こそ部屋から姿を消した。
確かに触れた彼の手の触感を確かめようと、無意識に自分の頭に手を乗せていた。
残されたエメがパトリシアちゃんを抱いて近づいてくる。
「クラウディも、ようやく気が付き始めたようですね」
「クラウディ?」
「えぇ」
エメはクラウディと顔見知りのようだ。
多分、歳が近いというのもあるだろうけど、彼らは言葉を交わすところは、何度か見たことがある。
クラウディの頑なさの理由を知っているであろう彼女は苦笑を隠さないまま、パトリシアちゃんを私に差し出してくる。ぐずるのを止めたらしいパトリシアちゃんは、大人しくしているが、その目はすっかり開ききっていた。
エメはそれ以上は何も語らず、乾いたタオルを差し出してくると、そのまま静かに部屋を去って行った。
残された私は、しばし思案する。
夢が夢であったことに感謝しながらも、どこかで落胆している自分も居て、混乱してしまったのだ。
一息溜息をついて、腕の中の赤子を見下ろした。世闇の中でも、月明かりに反射して光る水晶があった。それを見ていると、心が凪いでいくのがわかった。
ジルの瞳を見た時に感じたものとはまた違う安心感。
音も出さず黙って私を見上げてくるパトリシアちゃんをベッドに寝かせ、その隣に肘をつくと、手のひらに頬乗せた。手は自然と彼女のお腹の上でリズムを刻みはじめる。
これはもう、癖だ。
規則正しく上下する、小さな布団の上を跳ねる己の手のひら。
いつの間にかパトリシアちゃんは寝入ってしまっていた。その寝顔を見て、私もまた眠くなり、気が付けば意識を手放していた。
次に目を開ければ、朝焼けの光と、エメの笑顔。
ようやく明けた朝に、ほっとした。
けれどその日を境に、私は悪夢に魘されるようになってしまった。
一度は夜中に目を覚ます。それも、必ず誰かに無理やり起こされて。
基本目が覚めれば傍に必ずクラウディとエメが、心配そうに私を見下ろしている。一度起きた私を確認して、クラウディが身を翻した時があった。
きっとジルを呼びに行くつもりなんだろうと当たりをつけたので、引き止めて、懇願する。このことは私達だけの秘密にしてほしいということ。彼の心配事を増やしたくない事。
彼らは、渋々頷いてくれた。
昼間は努めて明るく過ごす。
といっても、部屋の中で受けるクラリスの講義しかやることはないので、あまり意味はない。いつものように言葉の鞭で打たれながら、死にもの狂いで彼女の授業についていく。
彼女は私の言語の先生も兼任してくれるようになったので、私の言語はゆっくりだが確実に伸びていた。
それと同時に、ジルを昼間に見かけることが少なくなってきた事に気が付いた。
いつかその理由を尋ねた時があった。
すると、みんなが一斉に口を噤んで視線を逸らしてしまった。何か、聞いてはいけない事を聞いたのだと思って、慌てて笑顔でその場を取り繕った。
その時見たクラリスとクラウディの悔しそうな表情が、何故だが酷く印象に残った。
「ごめん、ね」
ある日の夜、ベッドの上で項垂れたまま私は小さく呟いた。
また起こされてしまったのだ。部屋に居るのはクラウディとエメのみ。当然だ。彼らは私の部屋の傍に居てくれているのだ。魘されている声は確実に聞こえてしまう。
けれど、私にそれを制御する術はない。
つまり、私は連日彼らの眠りを妨げているということになるのだ。
申し訳なくて、彼らを見られない。
「メイ様。そんな、謝らないでください」
「謝る必要は………」
彼らの慰めるために紡がれているであろう言葉に頭振った。
この頃になると、クラウディの不機嫌さは鳴りを潜め私を気遣うような表情が多くなった。
それもそうだろう。
いい年した女が、連日ベッドの上で魘され涙を流す。心配こそすれ、風当りが強くなることはない出来事だ。けれど、こんな形で彼の警戒心を解いてしまったことが情けない。
見た目は彼らと同世代でも、中身は彼らよりも年上なのに。こんな自分が情けなくて、辛かった。
夢はいつも一緒。
あの人の居る幸せな世界と、ジル達のいる世界の狭間で立ち尽くす私。どちらにも手を伸ばすことができなくて、立ち尽くして蹲る私。
何故か素直に、あの人の居る世界に飛び込めない自分が居て、溜息をつく。あの世界に飛び込めば、きっと悪夢は終わるんだろう。
だけど、私にはそれができない。
あの時の出来事は、確かに私の心に深手を負わせた。泣いて、虚しくなって、辛くて、でも隣を向いても私の事を一番支えてくれた人は居やしなかった。
夢の中であっても、そうやって私を傷つけた人の隣には行くことを、私の身体が拒んでいるのだ。
苦しんだ自分を、そんなに簡単にないことに何で出来やしない。
そのせいで満足に眠りが取れなくなって、心が休まらない。
このままだと私の身体が持たないかもな、なんて思っていた矢先、私の予想は最悪の形で的中してしまうことになった。
実に数日振りにジルセリムを伴って、パトリシアちゃんの部屋に姿を現した。
彼を見つめるクラリス達の表情は張りつめている。
「時間ができたから、久しぶりにみんなで外に行こう」
有無を言わせる前に、彼は半ば強制的に私達を引き連れて前に訪れた庭園に向かった。ジルの後ろ姿を見つめながら、私は首を傾げる。いつもは必ず他の人の意見も聞くのに、こうして強引になにかをするなんて、彼にしては珍しい行動だ。
ちなみに今、パトリシアちゃんを抱いているのはエメである。
連日の寝不足で、少し疲れていたので、今回だけ代わってもらった。
外に出た瞬間、目が眩んだ。
一瞬体勢を崩しかけた私をそっと支えてくれたのはクラウディだ。眉を下げて私を見下ろしてくる。
彼に何でもないよと頭を振って、ジル達に続く。
けれど、その無理が祟ったのだろう。
花のアーチを潜った後の事を、私は何も覚えていない。