よ、よろしく
例え出入りできる範囲が狭かろうと、踏み出す世界が広がれば色々見えてくる。それが室内から室外に変われば、その変化は様々だ。
「わぁぁ、久々の風だねぇ」
正直、この世界に来てすでに一週間は超えている。もうすぐ、二週間ぐらいになるのではないだろうか。
その間ずっと部屋の中に缶詰だった私にとって、風を感じるという行為は、とても新鮮で懐かしいさで胸が一杯になるものだった。
ジルが連れてきてくれたのは、部屋のすぐ目の前にある庭園。
ずっと部屋の中から見つめていた場所だった。せっかくの美味しい空気だ。この爽やかな空間を共に体験してほしくて、私はいそいそとパトリシアちゃんの頭部を包む布を横にずらした。
そうして現れたパトリシアちゃんの気持ち良さそうに細められた目を見て、思わず笑み崩れる。
私達の間を、優しい涼んだ風がさらりと過ぎ去っていく。初めて感じる風の感触に、赤子の表情はコロコロと変わって行った。
可愛いさと忙しなく変わる彼女の表情に気を取られ、私達を眺めていたジル達の顔が同じように緩んでいたの事に気づかなかった。
「………君と一緒であれば、きっと妹は幸せだ」
ジルの切なさを含んだ声が聞こえて顔を上げた時には、すでに皆本来の表情に戻っていた。
ジルは王子様のような爽やかな笑顔を、エメはお姉さんのように見守るような笑みを、セリムはジルの後ろから覗きこむようにこちらを見ていて、クラウディに関してはもはや私の方を見てはいない。
多種多様な反応にちょっと苦笑を零して、私は庭園を再びぐるりと見渡した。
今居るのは、部屋のすぐ前。部屋の前には小さな花壇があって、更にその隣に人口通路がある。人が世人並んでも余裕がある広々とした道を挟んだ部屋の反対側にあるのが、私がいつも見ていた花の門がある。
部屋の中からは、花と緑の蔓で出来たアーチまでしか見ることは叶わなかったけれど、今日はその先に行けるのかな。
少しの期待を込めてジルを見つめてみた。目が合えばすぐにその視線をアーチの向こう側へ投げかけてみる。
言葉で説明できない分、目力で訴えてみることにしたのだ。
日本人の得意技、察してくださいの術である。
将来有望少年ジルは、すぐに察してくれた。笑って頷いた後、こちらに手を差し出してくる。その手を、何の抵抗もなく取った。
その手に引かれて、花の門を潜る。
よく見れば、その花々は薔薇のような豪華な見た目をしていた。でも、私の知って入る薔薇よりかは比較的花弁の形が小さく、そして量も多い。
ピンクや白、赤といった色のそれらを横目に流しつつ、向かった先にあったのは芝生の上に置かれた白い椅子たち。ここはきっと憩いの場になっているんだろう。細かい細工がされた四つの椅子の真ん中には、同じような細工の丸いテーブルが置いてある。
促されるがままに椅子の一つに座った。
隣にジルが座って、その更に隣にセリムが座る。
クラウディは護衛のため後ろに立ったまま。エメは私の背後に立ったまま動くことはない。少しだけ椅子を勧めてみたけど、頭を振って断られた。きっと立場上のこともあるんだろう。
「花が綺麗だね」
「はな、きれい、ね」
「風が気持ちいい」
「かぜ、いい」
最近思ったことだけど、ジルは私に言葉を教えるのが好きみたいだ。というか、私の発する言葉が好きみたい。時間があれば私の言葉を教えてくれる。
ニコニコ笑いながら、内容はスパルタだ。
でもそのおかげで、本当に短い単語ならわかってきたので、ここは彼に感謝すべきなんだろう。
ほんわかした空気の中、私とジルの声だけが当たりに響き渡る。他の誰も言葉は発さない。パトリシアちゃんも私を見つめるだけで、声が上げないのだ。
だから、女の子がジルの名前を呼びながらやってきた時は、みんな一斉にそちらの方を見た。
「ジルベルト!!あなた!ワタクシというものがありながらっ」
肩を怒らせながら姿を現した少女。きっと歳の頃はジルと一緒ぐらい。
金髪のストレートの綺麗な髪が腰の辺りで揺れている。その瞳は彼女の背後で揺れる木々と同じ色。時々光に当たっては黄金に輝き、それがまったく違和感を与えない。
つまり、彼女は美少女だった。
私には理解できない早口で言葉を紡ぎながら、机越しにジルに詰め寄っている彼女は、どうやら怒っているらしい。
あれかな、なんか色恋沙汰が絡んでいるのかな。
「最近馬の骨とも知れぬ女人に入れ込んでいると聞いてみれば!」
「クラリス、僕と君はただの幼馴染でしょ」
「いいえ!ワタクシはあなたが好きだと何度も言っているでしょう!」
「えー。断ったよー」
「認めませんわっ!」
とんでもない会話が交わされているとも知らず、私はただのんびりと笑いながら、若い人たちを見守りつつそれとなく状況の解析に努めていた。
金髪の美少女に襟元を握られ前後に揺すられているジルが笑顔を崩さないので、別に困った事になっているわけではないだろう。エメ達の表情も変わりないので、かなり日常的な光景なんだということもわかった。
つまり、私には関係なということ、かな。
なんて暢気に考えていた時期もありました。
早口合戦を行っている若者二人を見飽きて、椅子に座ったまま庭園を眺めて居ようかと視線を外した直後、ジルがニッコリとした笑顔のまま私を見たのだ。
「メイコ、クラリスだよ」
「くら、り、す?」
「めぇこぉというのね!!あなた!」
ちょっと、すごい形相の美少女が今度はターゲットを私に変えてきたではないか。
元々少し釣り気味の瞳が更に吊り上がっていて、そん形相はさながらメドゥーサのよう。
まぁ、お伽噺のモンスターだから実物はどんな感じか知らないんだけどさ。どこかで見た本の中では釣り目の美女だった。
美少女に詰め寄られながらタジタジとなりつつ、私は怯えてはいなかった。
というのも、相手は私よりも一回り以上も下の女の子だし、言葉がわからないため何故怒っているのか皆目見当がつかないので、怒られていてもそこまでピンと来ていないというのが正直なところ。
本音をいえば、元気な子だなーとか、そんなに怒ってると折角の可愛い顔が台無しだよーなんて言葉が頭の中を漂っていた。
「………」
数秒見つめ合った。
ジルがかなり優秀そうなのは初めて会った時からわかっていた。
そしてそんな彼によって手配された護衛のクラウディやメイドのエメ、そして彼の友人セリムもきっと優秀なのだろう。
つまり、そんな彼らと親しいと思われる彼女もまた、かなり優秀な分類に入るということ。ほら、いうじゃない、類は友を呼ぶって。
私の瞳からまったく邪見を感じ取れなかったでのであろう。
そうして、私の腕の中にいる赤子にも気づいたらしい。私の精一杯無邪気さを装った顔とパトリシアちゃんの天使のような無邪気な顔を交互に見つめた後、金髪美少女は諦めたように両手に腰を当て、見せつけるかのように深く溜息をついてみせた。
「一方的な感情ほど面倒なものもありませんわね。仕方がありません、今回は両成敗という事にしておきましょう」
「一方的って君のことなんだけどね」
「五月蠅いですわよジル!」
「しかも両成敗もなにも、メイコは状況すらわかってないよ」
「お黙りなさい!」
「あれー。君、僕の事好きなんじゃないの?」
「ジルベルト様、少し黙った方が良いかと」
再び、私を置き去りにした早口大が目の前で再開催された。といっても、今回は金髪美少女の言葉に、笑顔のジルが余計な口を挟んでいるだけにしか見えない。
途中でエメが静かに言葉を発すればようやく彼は口を噤んだ。
今度は小さな溜息とついて、美少女が私を見下ろす。といっても、椅子に座っている私と、そんなに背が高くない彼女では、あまり身長差はない。少し彼女が視線を下に下げているぐらいだ。
「クラリス、ですわ。あなた、お名前は」
「くら、りす。クラリス!!」
なんか聞いたことあるような名前だ。すぐに覚えた。
「………な、まぇ、え、なま、え。………名前!!メイ!!よ、よろしく」
「め、メイ、ね」
単語がわかった事と、新しい出会いに興奮し過ぎたようだ。名前を名乗ると同時に下げた頭をあげれば、口元を引き攣らせたクラリスが私を見てた。
しばらく引き攣り笑いで私の様子を眺めていた彼女の目が、突然細められる。腰に当てていた腕を、今度は胸の前で組み直してジルに向いた。含んだような瞳に晒されたにも関わらず、ジルは笑ったままだ。
「ね、いい子でしょ?彼女なら、妹も幸せで居られると思うんだ」
「関係ない人間まで、引き込むつもりですの?この、馬鹿げた茶番に」
ジルと喋っていたクラリスの口元が引き結ばれた。
彼女は細めた目を私に向けてくる。
彼女が何を言ったのかまでは分からない。
けれど、青空の下で花と木に囲まれほのぼのとしていたはずの空気に罅が入ったことには気が付いた。
でも気が付けただけ。
それがまるで氷の道に入った切れ目のように、知らない内にどんどんその罅を広げていたことに、私は最後まで気が付くことが出来なかったんだ。




