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幸せの愛言葉を探して  作者: あかり
再会編
20/77

行き違いにもほどがあると思います



 二日を超えた辺りから、私は時を数えることを放棄した。


 そろそろ服やら髪やらが匂う頃なんだけど、水もあまりないので身体を拭く事すらできずにいた。


 今日も今日とてベッドの上でぼーっと壁の一点を見つめる。




 どうしようかな。処刑とか言われてたけど、ここで餓死しろってことかな。


 モモ………パトリシアは元気かな。泣いてないかな。ちゃんと優しくしてもらってるかな。アリシア様やクルト様はもう村に帰ってきたかな。私の手紙、ちゃんと村長は渡してくれたかな。ジルやエメ達に会いたかったな。みんなどうなったかな。無事かな。結局彼らの事何も知らなかったし、私いつの間にか誘拐犯になってたけど、まぁ、パトリシアを私に託してくれたから、彼女の成長を見守ってこれたし恨みはないよ。ただ、どういうことかだけちゃんと説明してほしかったかな。お父さんやお母さん元気かな。私、もうこの世界に来て十年経っちゃけど、どうなんてるのかな。行方不明扱いかな。それか神隠しとか。


 肩が痛いな。久しぶりだな、この痛さ。冬がもうすぐ来るんだな。




 壁を見ているのか、黒いナニカを見ているのか、すでに視界はぼやけはじめていた。


 悲しさも寂しさも、辛さもない。



 ただただ、パトリシアの安否やジル達の事、そして肩の痛みだけが脳裏を占めていた。


 眠くなってきたので、もう一度ベッドに横になって目を瞑ろうとした直後、何かが乱暴に開く音と、幾つかの足音が聞こえてきた。


 その地面を踏みしめる無数の音は、どんどん近づいてくる。

「邪魔しないで!!触れないで!止めて!!」

「も……ぱ、パトリシア!?」

「お母さん!!!」


 眠気で白い靄に包まれていた思考が、一気に覚めた。


 見れば、鉄格子越しに肩で荒い息をする娘の姿があった。綺麗に整えられた姿に、きちんとしたお世話をしてもらっていたんだとわかってとりあえず安心する。


 けれど、よく見ればその頬は少しこけているようだった。

「あなた………ちゃんと食べてる?」


 眉間に皺を寄せながら、鉄格子から手を出してパトリシアの頬に手を添えれば、怒りに瞳を釣り上げるパトリシアに怒鳴られた。


「お母さん!そうじゃないでしょ!!もうちょっと自分の心配してよ!!」

 後半はむしろ泣きそうになっていて、けれど同時に怒るように荒げる声は震えていた。

「ふふふ、ごめんごめん」

「パトリシア様!!早く戻りませんと!!」


 一緒に来たであろう付き人らしき数名が、後ろで嘆願している。きと、この子が無理を言ってここまできたのだろう。


「早く戻って。あなたにまで何かあれば大変だから」

「いやよ。………この扉を開けなさい」

 最後の一言は、傍にいた人物に向けられたモノ。

「そ、それは!」

 お付きの人が悲鳴を上げる。

「私は現王の唯一の妹よ!私のいう事が聞けないっていうのっ!?」


 瞳を釣り上げたまま声を上げるパトリシアは、さながら悪役王女のよう。

 こうなってしまえば、誰も彼女は止められない。


 下手すれば。

 心の内のみでパトリシアの次の言動を予想している私に気づくはずもなく、お供の人達は食い下がっていた。


 彼らも、命は惜しいのだろう。


「王にお叱りを受けてしまいます!」

 さすがにここまで言えば聞くだろうと、一人が声を上げた。


 だけどね、この子の場合、それは逆効果なのよねぇ。


 案の定、パトリシアの片側の眉毛と口元が器用に持ち上がった。まるで、挑発され売られた喧嘩を買う直前のヤクザの姉御のようなそれである。


「いいわ、じゃあ、王に言ってきて。もし母を処刑するなら、私も喜んで共に散りましょう」

「姫さまっ!!滅相もないことを!!」

「私はいつだって本気よ」


 その瞳を見つめていたお付きの人達は、彼女の本気を読み取ったのだろう。泣きそうな顔で、私の居る牢屋の鍵を渡してしまった。


 差し出された鍵を引っさらうように掴んだパトリシアは、その鍵で扉を開けると、半ば飛び込むようにして私に飛びついて来た。


「お母さん!!あぁ、なんてこと!!」

「あんまりひっつくと匂いが移っちゃう」

「だから!そういうことじゃないの!!」

 珍しく怒ってばかりの娘に苦笑して、その桃色の頭に手を乗せた。

「でもよかった。無事で。………大丈夫?みんな優しくしてくれてる?お腹減ってない?寂しくない?」

 その瞬間、私を見上げてくるパトリシアの瞳から、涙の雫が弾けた。


 今、パトリシアのお供の人が持っている焚き木のせいで、地下牢はいつになく明るかった。そのオレンジの光が、パトリシアの氷のような透き通った蒼に反射して、その瞳は水面に映る夕日のようだった。


 そこに湖のように水が溢れている。


「お母さんが居ないから!寂しい!寂しくて死んじゃうわ!」

「うーん、死んじゃわれたら大変だなー。まだ私生きてるよ」

 娘がいつになく興奮気味なので、努めていつもの状態の私で応答する。


 そうすれば、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻したような彼女が、あっ、となにかを思い出したように自分の着ていた薄い緑色のドレスの胸元に手を突っ込み何かを取り出す。


「これ、これを持ってきたの。お母さん、座って」

「これ………」

「もう、痛みだす頃だと思って」

 パトリシアがの手にあったのは、アリシア様が処方してくれる注射器に入った痛み止めだった。


 不可解な顔をしてくるお供の人達が見守る中、傷が見えないような位置に座った私の肩に、手慣れた様子で注射器を差し痛み止めを注入する。


 先ほどまでの痛みが嘘のようだ。


「………ありがとう」

「待ってて。絶対、お母さんをここから出すから!!絶対よ!」


 そんな事を言いながら、パトリシアは今度こそ実力行使にでたお供の人達に、腕を引っ張られ背中を押されながら、地下牢を後にしたのだった。


 もちろん、あの力強い瞳を最後まで私から離さないままで。


 それを軽く手を振りながら見送る。

 パトリシア達が居なくなって、ようやく静寂が戻った。


「すみません、娘が」

「気が付きましたか」

「隠れられてませんからね」

 ひっそりと一人残った彼女は、その手のキャンドルの光を隠そうともしていない。


 なのに、その返ってきた言葉に意外そうな色を含ませていたものだから、思わず笑ってしまう。

 視界の端に隠れていたその女性が、私の居る牢屋の前に進み出る。


「娘、ですか」 

 彼女は、黒いマントを羽織り、頭まですっぽり覆っていた。

 そのせいで、声音から女性であるということはわかったがそれ以外はさっぱり不明だ。

私の言葉を聞きとがめたらしく、小声で繰り返す。


「申し訳ありませんが、パトリシア様は何故あなたと?」

 初めての詳細を確かめる言葉に、少し意外性を感じた。


 ここの人たちは、私を罪人だと信じて疑っていないから。

 一週間共に居て、私達親子の中の良さを身近で見てきたであろうブライアンですら、その狭間で揺れ動いているほど。


 といっても、毎日一度は隠れながら食糧を持ってきてくれるので、少しはこちらに情というものを感じてくれてはいるらしい。


「昔、お世話になった人に、お願いされまして。………多分、王族の方で、きっともう亡くなられているとは思うんですけど。パトリシアを私に託したのは、彼女のお兄様です」

 誘拐には変わりないけれど、肉親に頼まれたのだということを少し強調してみた。


 ぶっちゃけ、ジルがどの立ち位置にいた兄かは知らない。王族だというのだから、きっと兄妹は沢山いることだろうし。もしかしたら、今の王とは敵対していたのかもしれないし。


 だけど、十年前何度も見た、妹を案じる瞳は本物だったはずだ。


「え?」

 その言葉は意外にもその女性に効果があったらしい。


 その人の手が、見て取れるように大袈裟なほど上下に揺れ始める。

「あ、あの。その、お兄様の、名は………」

「ジル。………まぁ、これは愛称なんですけど。本名はなんといったか忘れちゃいました。もう十年も前の話ですからね」


 キャンドルの淡い光が唐突に途切れた。


 その一瞬の間の後、地面に何かが鋭い音を立てて転がるのと、その傍らから布の擦れる音がした。


「え、あ、大丈夫ですか!?」

 女の人が倒れてしまったのかと心配になって、無駄とはわかっていながらも鉄格子に手をかけ、できるだけ身体を寄せながら目を凝らしてみる。


 フードの女の人は、倒れてはいなかったけど、向かい側の壁に手をつき、中腰の状態で震えていた。


「あのー、だいじょう」

「あなたのお名前を、窺っても?」

 人が心配してるのに、きつい口調で遮られた。


 なんだんなんだ、本当にこの城の人達は。一本気というかなんというか。一歩下がって状況を見るってことはしないのか。


 なんて小言を呟きながら、しかし口は素直に疑問に答えてあげることにしよう。

 誰かと喋るのは良い気分展開になるし。


「メイ。えーと、本当はメイコ、なんですけど、中々言いにくいので」

「メイ、様、」

「え?」

 なにやらとても懐かしい呼ばれ方をされた気がした。


 暗闇の中、フード越しに、目の前の女の人と目が合った気がした。


「わたくしの事、覚えておいででしょうか」

 その女の人が、地面に転がったキャンドルを広い、再び火と灯す。

 

 同時に姿を現した目の前の人は。


「え………め……?」


 紫の鮮やかな髪に、忘れもしない、蓮の花が咲いたような綺麗な瞳。

 出会った頃よりは多少歳を重ねた彼女だけれど、一目みればすぐにわかった。


 力なく響いた私の声に、目の前に居る女性は大量の涙を零しながら、今度こそ座り込んでしまった。


 地下牢の汚らしい床であることは、彼女からすればどうでも良いらしい。




「あぁっメイ様っよくぞご無事で!!わたくし達は、あなた様が死んだものとばかりっ!!」



 どうやらこの十年間、壮大な行き違いが起きていたらしいです。





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