超庶民的に育ちました
私達の住んでいた村は、この国でも最果てにある。
紙の便りや情報すらも中々届かないそこは、王都までは約一週間ほどかかるらしい。なるほど、だから、騎士に加え世話役のメイドさん達も居たのか。
女性であるモモを配慮してか、城までの道のりはゆっくりとしていた。一日数回は休憩を挟み、野宿などはもっての外。かなり値段の張るであろう民宿やホテルに泊まった。
モモを連れて逃げ出した時とは段違いの穏やかな道のりに、少しのやるせなさが胸に込み上げてきたけれど、自分の胸の内だけに留めておくことにする。
私の大事に育てた自慢の娘は、やはり誰の目から見ても可憐で可愛いらしいらしく、数時間共に過ごすだけで、メイドから騎士までみんなを虜にしていた。
それもそうだ。笑顔を絶やさず、誰にでも丁寧に話かけ、そして気配りを忘れない。
そしてそんな彼女が母と慕う私に対しての待遇も良い。
何かが引っかかっているらしいこの一行の責任者であるブライアンだけが、私に対しての辺りが強かった。
自分の名を名乗るなとはどういうことかと、何度も聞こうとはしたけれど、その前に姿を消す彼には取り付く島もない。
初めて目にする村の外の光景に、モモは目を輝かせてはしゃいでいた。
森に囲まれた村から出たことのなかった彼女は、馬車から見える湖に目を輝かせ、人々の波に歓声をあげ、そして大きな街を通るたびに手を叩いて喜ぶ。
いつも以上に年相応なモモを見て、知らずの内に私の緊張も緩んでいく。
私達が居る国の名はカデンツィア。
クルト様に見せてもらったこの世界の世界地図によれば、今私が居る世界は、前の世界のオーストラリア大陸を数倍大きくさせた様な所。その中でも小国に分類されるほどの小さな国が、今の私が住む場所。
地図を見て、国の向かって右側には大国アクラディス。
そしてカデンツィアの上下半分以上を囲むように、今もっとも勢力を増していると云われているティノール国があった。
王都の名前はゴルヘルムで、そこに王族が住んでいる城があるはずだ。王が呼んでいるということだから、きっと私達はそちらに向かっているのだろう。
四方を山で囲まれた盆地のような形状のこの国は極端な気候もあって、あまり地理を利用した特産品がなかった。
しかし、ここ数年で技術産業の開発が進み、かなり発展しているらしい。
といっても、それはクルト様達から情報で聞いただけであまり詳しいことは知らない。私の知ることのできないであろう情報を、彼らは教えてくれた。
知ることで、見える世界も変わるだろう、というのが彼らの口癖だ。
そして知ったのは、十年ほど前、国の中心で革命が起きたこと。
贅沢三昧の王族により増え続ける税。けれど気候のせいで農作物はあまり育たない。
怒りに燃えた農民たちがクーデターの企てたのだ。
その話を聞いて思い出したのは、クラリス達と共に隠し廊下から見た光景。あの王冠を被っていたのはきっと王様。戦っていたのは農民と騎士達。
城で暮らしていた、何らかの位に居たであろうジル達は王側の人間だったというわけだ。
その時の対戦で、王族はほぼ全滅。生き残ったのは、たまたま国の外に居た王子と農民の手から逃れられた王子のみ。
その三年後に、今の王が十五歳という異例の若さで王座についた。彼は農民の手から逃げ切れた生き残りの王子だという。
元々優秀であった彼と、側近達のお蔭で、国は目まぐるしく発展したのだ。
というのが、数年前、ようやく言語がある程度習得出来た頃に知ったこの国の状況である。
モモも、アリシア様からの教えで、ある程度の事情は分かっているはずだ。
しかし逆を返せば、それ以上は何も知らないということ。それほど、王族や城なんていう存在は私達にとってかけ離れた存在だった。
だからこそ、こうして王都への道が近くなるにつれ、その花のような笑顔が、少しずつでもしぼんでいっているのだろう。後一日もすれば王都の城に着くと、今朝方宿を出るときにブライアンに告げられたばかりだった。
『大丈夫』
馬車の中で、隣に座るモモの肩に手を回して抱き寄せた。
眉を下げて外を眺めていたモモは、急に均等は崩した身体のまま驚いた顔で私を見上げた後、笑顔になろうとして失敗していた。
口元は上がっているのに、瞳は泣きそうなほど歪んでいる。
「本当は怖いの。王女様なんて、私、お城の事なにも覚えていないのに」
無意識の内に、私の袖を掴み肩に頭を乗せ縋ってくる彼女は、聡明に見えてたったの十二歳。しかも、ある程度アリシア様からの貴族教育を受けていたとはいえ、森の中で育った村娘なのだ。
恐怖こそすれ、ワクワク感など無いに等しいことだろう。
縋っていた裾から力が抜け、彼女の頭が自然と私の膝の上に移る。どうやら、眠ってしまったみたいだ。
馬車の窓縁に肘を乗せ、その上に頬を預けて、走り去る外の景色を眺めた。
もう一つの手は、モモの柔らかな髪を撫で続ける。
考えることは、これからの自分の身の振り方。王女として迎え入れられるモモは心配いらない。きっと安全だけは確保されるはずだ。
けれど、城に着いてからの私の待遇は皆目見当がつかない。
今一緒に居る人間達の誰よりも高い位置にいるはずのブライアンがあそこまで警戒しているのだから、城に入ってそれ以上に高い地位の人達と出会う事になれば、身の保障はできないと考える方が自然だった。
嫌な予感しかしないんだけど。
もちろん、そんなことをモモに言えるはずもなく。
時間はただ残酷に過ぎて行った。
今晩泊まる宿のある町に辿り着いた。
すでに王都も近くなっているということで、通り過ぎる人々も辿り着いた町もすべてが活気に溢れている。
今回の宿は貴族の屋敷のような外観をしていた。
赤レンガ調の横長の建物だ。真っ白な石造りの門を抜ければ、そこから更に数分馬車を走らせてようやく辿り着くような広大さ。
「ここに一泊するだけで、どれだけの食材が購入できるのかしら」
馬車から降り、宿の中に入るために足を進める私の隣を並んで歩きながら、モモが眉を顰めて呟く。
その言葉を拾ったのは幸いにも私だけのようだったが、思わず頬を引き攣らせ、他の人に聞こえていない事を確認して胸を撫で下ろす。
お願いだから、そんなこと、お城では言わないでね。王女様とこんな庶民的に育ててしまったお母さん、きっと八つ裂きにされちゃう。
辿り着いた部屋は思った通り豪華だった。
部屋の扉を開ければそこは客間のようで、私達の家の二倍の広さはあった。ソファーや暖炉が置いてあるだけなのにも関わらず。
寝室だけで私達の一階の広さとほぼ同じ。
その他に談話室もあり、そこには本棚や勉強机に椅子といったものが並べてあった。ちなみに、それらの部屋を繋ぐ廊下には、見るからに高級そうな絵やら壺やらが並んでいた。
素直に認めよう。今までで一番豪華な宿である、と。
決して貧乏ではなかったけれど、質素な生活を心掛けていた私達にとって、そこは輝かしさ百倍で目が潰れてしまいそうだ。
「お母さん………」
「だめ、モモ。それ以上は言っちゃダメ」
それらを眺めながら額に無数の汗の粒を浮かべている娘の心中が丸わかりだからこそ、口を挟んだ。でも一歩遅かったようで、モモは唾を呑み込み言い切った。
「この中の一つぐらい、持って帰った所で誰も気づかない、よね」
もちろん、全力で止めました。