拒否権はないようです
二人で朝食の準備をしていた我が家に、村長が前触れもなくやってきた。
大量の汗を掻く姿にを見た時点ですでに嫌な予感はしていたのだ。
「村長?どうしました?」
モモが普段とは違う村長の様子に、慌ててタオルを手にすると、心配そうにその隣に駆け寄った。モモからタオルを受け取り汗を拭きながら、彷徨うように漂っていた村長の視線が私に向けられる。
村長は私達が何者かから逃れてきたことを知っている。
そしてそんな彼の切羽詰ったその瞳が語る事を、私は正しく理解した。
先日から感じていた胸騒ぎ。
「おい、まだか」
新たな客人が、私達の了承も取ることなく家の中に踏み込んできた。
短髪の茶髪の男。そんな彼が纏っていた鎧に見覚えがあった私は、持っていたモノを放り投げ、モモに向かって叫んでいた。
「モモっ!こっちへ来てっ早くっ!」
察しの良い彼女は、すぐに私の腕の中に駈け込んで来た。
村長も、あくまでも私達の味方という姿勢を崩さない位置で立ちふさがってくれる。
「その、鎧は………」
何度か見たことのあるそれは、私に苦い記憶を囲んできた。
あれはそう、十年前の、あの屋敷で見かけたモノと同じ。あそこで働いていた騎士達が身に着けていたものだ。
ということは、つまり、私達は今更になって追ってに見つかってしまったということになる。
「……くっ」
アリシア様達が旅立った翌日とはなんと間が悪いことか。
彼らがここにやってきた目的はただ一つ。
「私達に、何かご用でしょうか」
「ん?女?」
茶髪の騎士が、なにやら困惑したように私達二人を見比べる。
「お母さん………」
「大丈夫よ」
不安そうに瞳を揺らす娘を背後に庇いながら、私は気丈に顔を上げ続けた。この十年で、成長したのは私だって一緒だ。
「くそっ、ややこしい。あー、めんどくせぇ」
茶髪の彼はなにやらブツブツと呟いている。
と思えば、すぐに平常心を取り戻したのか、笑顔で胸に右手を当て、流れるような優雅な仕草でお辞儀をしてくる。
「初めまして、私の名はブライアン・ショーン。この度は、我が国唯一の王女であるパトリシア・オージェ姫のお迎えに上がりました」
「………ひ、人違いです。私はパトリシアなんて名前じゃないもの。私はモモ・エボンドです」
昔から何か起こった時に言うように告げた言葉を紡ぎならが、縋るように私を見つめてくるモモに、私も戸惑いしか返せずにいた。
姫?この国の王女?
一体、どういうこと。
「そんな嘘、我らには通用しませんよ。王家の人間のみが継承する青の瞳をお持ちだ。なによりその髪色は、パトリシア様以外に持ちえないもの」
「「………」」
戸惑いに、私達は押し黙った。
「私が王女なんて!きっと何かの間違いです!」
私は、屋敷で一人ぼっちだったパトリシアちゃんに出会った。王女であれば、あんな待遇を受けるはずなんてない。
「何かの間違いでは。私は、彼女が幼い時から世話をしてきましたが、そんなこと………」
「あんたは黙ってろ」
勇気をもって間に入ろうと口を開けば、先ほどとは打って変わって冷たい声音が私の鼓膜を揺らした。次いで、射るような視線が向けられる。
殺気すら籠ったそれに、私は唖然とした。
どうして、そんな目を向けられているのか、さっぱり分からない。
王女であるらしいパトリシアちゃんを連れ去ったからだろうか。けれどそれは、彼女のお兄さんから頼まれたことでもある。
「とりあえず、王が城でお待ちです。今すぐ支度を」
「私はどこにも行きません!」
モモが勢いのままに私の前に仁王立ちになった。
村の自然の中で生きてきた彼女は、かなり怖いもの知らずなお転婆少女に成長していたのである。
威勢のいい反論に、騎士のブライアンは面喰ったようだ。溜息をついて、再び自分の頭を乱暴に掻き毟る。
困った事になった、と、顔にありありと書かれていた。
「姫、悪いことは言いません。我らと共に城へ。今の王の通り名をご存知でしょうか」
「王様?」
首を傾げたモモに、ブライアンは重々しく頷いて見せる。
「我らの王は、またの名を『阿修羅王』。歯向かった者には情け容赦のないお方。今ここであなたが断れば、きっとこの村は明日にでも火の海と化すでしょう。このように小さな村を消すことなど、王にとっては朝飯前」
「き、汚いわ!なんて卑劣な!」
モモの顔色が青ざめる。
握っている両手には細い血管が浮き出していて、彼女が思いつめているのが見て取れた。
「モモ………」
ここで私に何ができるのか。
唇を噛み締めて俯いていたモモが、突如キッと目の前の騎士を睨みつけた。
「ただし、一つ条件があります!!お母さんを………母を一緒に連れていきます!」
「母、ねぇ」
モモの要請にブライアンは含みのある視線を私に寄越してきた。久々に感じる好意の欠片もない視線に晒されて、心臓が一層速さを増した。
出来るなら、あまり触れて居たくない類の視線だった。
「お前、名は」
「………メイ・エボンドと申します」
私の名乗った名に、確かに彼は瞠目していた。
丸くした目を、すぐに細め、私の全身を眺めながら彼は続ける。
「何を思ってその名を名乗っているかは知らねぇが、悪いことは言わん。命が惜しくば、偽名ではない自分の名を名乗れ」
意味の分からない事を言ってくる人間も居たものである。
何故、私が偽名なんか使わないといけないの。
気分を害したので、その表情を取り繕う事もしないまま、彼と視線を合わせ続けた。
「これが私の名です」
しばしにらみ合いが続く。
最初に折れたのは騎士の方だった。降参という意を示すかのように両手を肩の位置にまで上げ、溜息をつく。
「俺は忠告したからな。後はどうなっても知らん。まぁ、俺の仕事は姫を城まで連れていく事だから、その後はどうでもいいけどな」
不穏な言葉を残して、騎士は私達に数分の時間をくれた。
城にいくのだから何も用意はしなくてもいいというブライアンと、必要なものすらも持っていかせてくれない城なんて行きたくないと駄々を捏ねたモモが言い争った結果の時間だった。
アリシア様達が帰ってきた時に渡してもらえるように手紙をしたためて村長に渡す。
彼は泣きそうな顔をしながらも、相手が騎士である以上手出しはできないようだ。
持っていくものは特にない。
麻の肩掛け鞄に、数日分の服と食糧だけを入れた。城に行った私が安全を保障されるか分からない今、余計なモノは持っていくべきではないと思ったから。
二階に駆け上がったモモが、数分後、私のものよりも一回り大きな鞄がパンパンになるほど何かを詰めて帰ってきた。
「………なにを持っていくの?」
重そうなそれを見て質問すれば、何故か笑顔だけが返ってきた。
超現実主義な彼女の事だ、きっと何か役立つ物が入っているに違いない。
家の前には、一つの豪華な馬車が止まっていた。それを囲むようにして、十人ほどの騎士と、数人のメイドが頭を下げて立っている。
彼らが乗るために馬も、何頭かその端に佇んでいる。
早朝のため、村の人々は出払っており、人影はあまりない。静か過ぎるそのその情景は、ほんの少しだけ物悲しさを思い出させた。
こうして、村長ただ一人に見送られながら、私とモモは住み慣れた村を後にすることになったのだ。