十年が、経ちました
長らくお待たせ致しました。
新しい章のスタートです。
*11/15:感想のほうで、芽衣子の怪我に関する指摘を頂きましたので、怪我関係の調べものを行った結果、怪我をした時の状況と怪我の位置を少し変更することにしました。「肩の切断」→「腕の神経と筋肉の断裂」………肩は骨で守られてるのに、普通の人間が切断できるわけないか汗
「モモちゃん!!今帰りかい?ついさっきまでロアンさんのとこに居ただろう」
「えぇ今日はあそこのお婆ちゃんの畑仕事のお手伝いだったのよ!その前は八百屋さんのリンゴ狩りのお手伝いだったわ!リンゴが真っ赤でまん丸でとても美味しそうだったから、ぜひ明日買って頂戴ね!」
「ははは、相変わらず商売上手だねぇ。………ところでお母さんは?」
「お母さんもお仕事は終わってるわ。ただ、今、村長さんに追いかけられて大変なの!」
少し遠くで、花の綻ぶような景色を連想させる軽やかな声が聞こえる。けれどその内容は少し物騒だ。
「ちょっと!私別に追いかけられてないからね!」
慌てて、その声の主の背後に走り寄った。
緩やかなウェーブの桃色の髪が特徴的な少女は、私の姿を見つけると、花も恥じらうような可憐な笑顔で迎えてくれる。
目の前の女性も、その笑顔にメロメロだ。
うんうん、そうだろうそうだろう。なんたって自慢の娘だからね。
「お母さん!」
「おや、メイ、お前さんまだ村長に追い掛け回されてるのかい?」
娘であるモモの隣に立ち、その肩に手を置きつつ、自身は肩を落とす仕草をする。
「いやぁ、ほんと、再婚なんてする気ないのに、なんでか諦めてくれなくて………」
「そりゃあそうだろう。歳はまぁ、あれだけど、メイほどの別嬪さんはこの辺じゃ中々居ない。しかも、娘にモモちゃんが来るとなれば、村長の所に男達が駆け込むのも無理ないね」
腕一杯に芋の入った籠を抱えた恰幅の良いその女性は、人付きのする笑顔と共に私達を見て大きく笑う。
「はぁ、まぁ」
褒められたことは素直に嬉しいけれど、その内容が内容なだけに、曖昧な相槌しか打つことが出来なかった。
ふと、モモが目を瞬かせつつ私を仰ぎ見た。
「あ、お母さん!そういえばアリシア様がまた戻ってきたのよ!」
それを早く言って!
絶妙なタイミングでナイスな事を言ってくれた娘に心の中で軽いツッコミを入れつつ、私達はおばさんにさよならを告げ、自分達の家に急いだ。
その道すがら、隣を急ぎ足で進む桃色の少女の横目で眺め、私は彼女に気づかれない程度に笑み崩れた。
よかった。この子が、私の隣で今も笑っていてくれて。
ジルとの約束を果たせていることを確認しての、喜びだった。
十年前、ジル達と引き離されて、更には護衛だったはずの男達に切られた私は、確かに死を覚悟した。あんな人通りもない山道で私が死ねば、一人では到底生きていくことなどできない赤子のパトリシアもきっと死んでいただろう。
しかし、結果的に、私は生き残った。もちろん、パトリシアもである。
運よく、通りすがりのさすらいのお医者様であるアリシア様とクルト様に助けられた私は、どうやら一か月間眠り続けた末、奇跡の回復を遂げたらしい。
気が付いた時には、その後十年にわたって居住する、このパリン村のとある一室に居たのだ。
全治数年はかかるだろう重傷を負い、乳呑み児を抱えたわけありの私達を、この村の人達は快く迎え入れてくれた。どうやら、放浪癖のあるアリシア様が頻繁に戻ってくる場所らしく、ある程度融通が利いたのだという。
何も持っていなかった私は、素直にその好意に甘えることにしたのである。
「あ、クルト様!」
モモ―――本来の名はパトリシアだけれど、念のために偽名をつけた。もちろん、由来は彼女の髪の色―――は木造のこじんまりとした二階建ての家の前に佇んでいる人物を見つけたようで、声を上げると私を置き去りに走っていってしまった。
一見すれば恐怖さえ与えてしまう大男なクルト様は、実はかなり優しい森の熊さんなのである。
髪の色もこげ茶色で、揉み上げから続く顔を囲った髭も同色。見た目は完全に熊さん。身長は軽く二メートルは超えている彼を、モモは怖がることなく慕っていた。
「クルト様、お帰りなさい」
「………」
私と瞳を合わせ、無言で頷いてくる熊さん。もといクルト様。
口数の少ない彼だけれど、付き合いが長いのでもう気にしない。
っていうか、気にしたら負けな気がする。
それに、彼と共に居るアリシア様がそれ以上に喋るから丁度よかったりもするのだ。
「アリシア様は?」
すでにクルト様の周りを喜びで走り回っているモモを黙殺して、クルト様の抹茶を彷彿とさせるその目の動きを追えば、家の中に続いていた。
中に居るということなので、モモの遊び相手はクルト様にお願いして、私は足早に家の中に入る。
「ただいま帰りました」
「あら、おかえりなさい」
そんなに広さのない家は、扉を開けてすぐにリビングとダイニングを兼用した広々とした空間が広がっている。
アリシア様は扉を開けてすぐに飛び込んでくる左側に鎮座した四人掛けのダイニングテーブルの上に、沢山の医療器具を並べていた。
私を助けてくれた医者の彼女は、今もまだ私の傷の往診をしてくれる。
感謝してもしきれない恩を、私は彼らに感じていた。
アリシア様は、墨に漬け込んだかのような真っ黒な髪をしていて、それは軽いウェーブを描いて腰当たりまで流れていた。
その顔は眉目秀麗で、全体的にミステリアスな印象を持たせるのが彼女の特徴だ。そんな中で、澄み切った空を思い起こさせる浅黄色の瞳だけが、強い意志を持って、持ち主に素敵な色を付けくわえていた。
アリシア様とクルト様。
見た目年齢不詳の彼らに、一度年齢を確認したことがある。
アリシア様は輝かしい笑顔と共に女性に年齢を確認するものではないと一刀両断にされた。対してクルト様はもうすぐ四十になると素直に答えてくれた。
森の熊さんは、頑なにその髭を剃ろうとはしない。それでも一応整えているらしいのだが、どこをどうやったらそうなるのか、基本彼の髭は緩やかな丸みとモフモフ感を醸し出していた。だから、常に年齢より上に見られるのだが、意外に若いという事に衝撃を受けた出来事だった。
閑話休題。
傷を受けた時からすでに十年という年月が経ってもいるというのに、私は定期的な診察が必要だった。
それほど、私が受けた傷は酷かったのだ。
「さぁ、ここに座って。腕の様子は?」
椅子に座って、上着を脱ぐ。
そこには、左の上腕部分から右側の腰に掛けて、切り裂かれたような無残な傷があることだろう。傷があるだけならまだいい。けれど、縫い合わせの痕は、傷の深さゆえに消えることはついぞなかった。
ここで暮らし始めた当初は鏡を見て、何度も確認したものだ。
目を瞑っても、その傷の形、大きさ、すべて思い出すことができる。
けれど、それはパトリシアを守り抜いた勲章だと思いこそすれ、決して恥ずかしくは思っていない。
ただ、この傷を見た人々の目を見張り息を呑む仕草に申し訳なくなって、傷を隠すようになったのは、数年前の話である。
きっと、お嫁にもいけない。ま、結婚なんて考えてない私は別にそこは心配してないんだけど。
後々アリシア様に当時の傷の様子を確認するところによると、背後から斬りつけられた傷は、肩のすぐ下の腕の部分を深く切り裂き、その勢いのまま腰まで引き裂かれてしまっていたらしい。アリシア様達と出会うのが少しでも遅ければ、出血多量でのショック死は確実だったとの事。
斬られた部分は縫い合わせ、その後は私の治癒能力と神様に頼むことしかできなかったという。
切った相手が、人を殺めることに慣れておらず、力加減を間違ったための傷だと、苦々しく語ってくれた。
それでも、アリシア様とクルト様という二人の凄腕のお医者様が縫い合わせてくれたその傷は、日常生活に支障がないほどには治癒している。
「日常生活ではあんまり気にはなりません。ただ、やっぱり寒くなったり雨の日には動きが鈍くなりますね。それに、小指側の感覚は相変わらず他より鈍いです」
いつものように報告する。
腰の傷は見た目こそ酷いものの、痛みはない。けれど、腕の傷は、一度神経と筋肉揃って断裂してしまったこともあって、今だに古傷の存在を主張してくる。
まるで、噛み合わない歯車を自分の肩に内蔵しているかのような鈍い痛みは、この十年私を苦しませてきた。
うぅ、いつになったら慣れるんだ、この違和感に。
できる治療は痛みどめを直接周りの筋肉に入れ込むことだけ。
まるで歯車の間に油を入れる行為だと笑えば、注射器で痛みどめを指してくれていたモモと、傍に居たアリシア様に笑いごとではないと説教をされたのは、今となってはいい思い出である。
「そう。やっぱり完治は難しそうね。………また痛み止めと注射器を置いていくわ。モモに言っておくから、酷い時はいつものように患部に刺しておいて」
「はい。いつもありがとうございます」
「ううん、いいのよ。私は、あなた達が生きていることが嬉しいの。あんな事があったからこそ、余計に」
アリシア様の切なげな表情に、胸が痛い。
彼女が責任を負う必要なんてどこにもない。
むしろ、彼女のお蔭でこうして生きているのだから尚更。
「お母さーん」
アリシア様が医療器具を鞄に入れ終えた所で、クルト様と手を繋いだモモがようやく家の中へ戻ってきた。
熊さんな男性とその腰ほどの高さしかない少女。彼らが並ぶと、常に私の脳裏では童謡:森の熊さんが流れるというのは、私だけの秘密である。
「今日は、ご飯何する?クルト様、何食べたい?」
「………肉詰め」
「分かった!クルト様もアリシア様も、旅でお疲れでしょうから、椅子で寛いでいてください!すぐに用意するから!」
スキップ混じりで対面式キッチンの中に入ったモモは、手慣れた様子で夕食の準備を始めた。
そんな彼女を、私達大人たちは何も言わずに眺める。
「本当に、良い子に育ったわね」
「はい」
「………よくやってる」
「はい」
今の私達をみたジル達は、果たして喜んでくれるだろうか。