さようなら
今回は少し長めです。軽くですが流血などの残酷描写を含んでいるのでご注意ください。
後一話で『出会い篇』が終了します。
幸せの終わりは、唐突に訪れた。
「メイ様!!起きてください!!」
切羽詰った声で身体を揺さぶられて起こされた私の目に飛び込んできたのは、強張った表情で私の前に立つクラウディ。
その後ろでは、蒼白のエメが忙しなく動いている。
「エメ、後は頼む!」
小さく言葉を投げかけて、クラウディは部屋を飛び出していってしまった。
残された私は、寝ぼけた頭の中でどうにか状況を整理しようとするが、それもエメによって遮られる。
「メイ様これを着てください!」
手渡された服は、今まで私が着たことがない形のモノ。
世話役のようなエプロンではなく、かといって、クラリスの着るような煌びやかなものでもない。どちらかといえば、村娘のような素朴なもの。
急かされるように着替え終えれば、すでに用意の終わっていたパトリシアちゃんを手渡される。
「え、なんで」
パトリシアちゃんを見て絶句してしまった。
彼女の髪の毛はすべて刈り上げられてしまっていたのだ。ようやく伸びてきたピンクの可愛らしい髪はもうどこにもない。
驚きに声を上げエメを見やれば、唇を噛み締め顔の色を失った彼女が居た。
と同時に、遠くから何かが爆発するような音が聞こえ、カーテンに阻まれた窓の外をたくさんの人の怒号が駆け抜ける。
彼らがあれほど恐れていた何かが、始まってしまったんだんだと直感した。
エメは無言のまま、パトリシアちゃんをいつものようにわたしの胸の前で布を使って固定すると、その背中に小さな麻で出来た袋を乗せてきた。
そして、最後に、灰色のマントで私を覆う。フードまで被せてくるという徹底ぶりだ。
いよいよ不安で胃がむかつきを訴えてきた頃、クラウディとクラリスがなだれ込むように部屋に入ってきた。
「メイ、行きますわよ!」
返事をさせてくれる隙も与えず、クラリスが私の手を取って走り出す。
私の隣をエメが、そしてその後ろをクラウディが続く。
部屋を出れば、沢山の人々が床に倒れ伏していた。そして廊下を覆い始める煙と何かが焼けるような匂い。
足が竦んだ。
映画の中のワンシーンでしかお目に掛かれないような残酷な光景が、予告もなく目の前に現れたことに血の気が引いていく。
それでも、クラリス達は走る速度を緩めなかった。
器用に廊下に並ぶ屍を越えながら、私達は急いだ。
「居たぞぉぉぉ」
すべての人々が床に倒れているとばかり思っていれば、廊下の突き当りから出てくる人々。
彼らは、いつも見るような騎士の恰好やメイドの恰好ではなく、どちらかといえば簡素な服装を身に纏っていた。手に持っているのは弓や斧。
「ちっ」
クラウディが慌てて私達の目の前に進みでる。
と、後方からも叫び声が聞こえてきた。
振り返った先にいたのは、見慣れた騎士の恰好をした人達。
「こちらですわっ」
前方と後方とそれぞれ囲まれた絶体絶命の中でも、クラリスは冷静だった。
走り難さ満点であろうドレスの裾を翻して真横にあった壁に突っ込んでいったのだ。
「!?」
つまり、それは、彼女に引っ張られるようにして進んでいた私も巻き添えということで。
壁にぶち当たる直後、パトリシアちゃんだけでも守ろうと少し前のめりになった。けれど、思っていた衝撃はいつまでたっても来ないので、恐る恐る顔を上げてみる。
そこは、暗がりの石畳でできた、狭い廊下だった。人一人が通るのがやっと、というほどに狭いそこは、クラウディが少し頭を低くしなければいけないほどだった。
「隠し扉があったとは………」」
クラウディの呆気に取られた声が後ろから聞こえてくる。
「先を急ぎますわ。ジルに合流しなければ」
自分達の護衛の声にすら耳を貸すことなく、クラリスは進んでいく。
今の状況を赤子なりに感じているのだろう。
パトリシアちゃんは身体を強張らせたまま音すらも発さずにいる。右の腕を彼女の背中に添わせるように抱え直し、私は前に進んだ。
その間にも、廊下の壁の向こう側から人々の断末魔や爆発音、そして鈍い濁音が聞こえ続ける。
今まで耳にしたことのないそのリアルな音は、私の足を竦ませるには十分なもので、けれど今の状況が立ち止まることを許してくれないので、結局私は震える足を無理やり前に押し出すようにしてクラリスに続いていた。
「ここで待ちましょう」
と、急にクラリスが立ち止まり、彼女の目の辺りにある壁の一部分を押した。
「っ」
驚きに声が出そうになった私の口を、クラウディが咄嗟に覆う事で、気が付かれるのを未然に防ぐことが出来た。
クラリスの押した壁に小さな隙間出来たかと思えば、それは大きくなっていき、ついには顔半分ほどにまで広がった。
そしてその奥に見えた、どこかの広間のような場所。
私の居た部屋などとは比べられないほど豪華なそこは、夥しいほどの人で溢れかえっていた。
シャンデリアが列を成して天井を飾り、立派な柱が仰々しく並んでいる。囲むように並ぶ窓にはスタンドガラスのような色とりどりの装飾が為されてあった。部屋の奥には、立派な椅子が備え付けれらていて、そこに一人の男性が座っている。
彼は毛皮で縁どられた真っ赤なマントを着ていて、頭には王冠のようなものすら乗っている。
見てくれはとても凛々しいのに、その顔は恐怖で引き攣らせていて、その姿はお世辞にも立派とは言えない。
そんな彼を護るように立ちふさがる騎士達の中に、ジルやセリムが見えた。彼らと対峙しているのは、先ほど廊下で見かけた農民のような恰好の人々。
その場所で、彼らは乱闘を繰り広げていた。
「………え?」
一つの予感が私の脳裏を駆け抜けていく。
その予感を慌てて手繰り寄せようとした所で、クラリスが自分達の居る位置から何かを振って見せた。
ジルとセリムが気づいたように顔をこちらに向けてくる。
彼らの行動に気を取られてしまったせいで、手元までやってきた予感を手放してしまった。
人々の乱闘に紛れて、ジル達がこちらに手を伸ばし、私では到底分からない指示を出してくる。
その指示を明確に受け取ったらしいクラリスが頷いて再び足を前方に動かし始めた。
それから数分も経たない頃、ようやく広がった場所に出ることができた。
「メイコ!!」
そこで待ち構えていたのは、満身創痍のジルとセリム。そしてその後ろに、農民のような恰好をした男性が二人。
「ジルっ!?」
走り寄ってその頬に手を当てれば、安心させるかのように暖かな笑顔を向けてくれる。不安と恐怖で塗り固められているであろう私の瞳の色に気が付いてくれたらしい。
彼自身にどうやら、怪我はないようだ。
「なに?なに?」
緊迫する状況の中で、今まで習ってきた言語に関する知識がすべて消え去ってしまった私は、まるでカラクリ仕掛けの人形のように、たどたどしい言葉で周りを忙しなく見渡す。
ただ一人何も理解できずに慌てる私の様子を、ジル達はただ黙って見つめてくる。
なんで、こんなにおかしいのに、どうして誰も何も言わないんだろう。
どうして、私だけ旅に出るような恰好をしているんだろうか。
「メイコ、ごめんね」
ジルの弱弱しい笑顔を皮切りに、状況が再び動き出す。
エメとクラリスが、ジル達と一緒にいた男性達に何事が指示を出していて、セリムとクラウディは剣を構えて周りを警戒している。
ジルだけが、悲しそうに私を見つめていた。
「パトリシアのこと、頼むよ」
「なに、なに」
馬鹿の一つ覚えのように私はただ一つの言葉を繰り返す。
ようやく聞けるようになってきた言葉達が、ジルの口から飛び出しているはずなのに、私には彼が口をパクパクさせているようにしか見えない。
言葉が、私とこの世界を隔ててしまったみたいだ。
クラリス達と話を終えたらしい男性二人が、私を促すように道を示し歩き出す。ジルがその道を開けるように端に避けた。
「っ!」
わかりたくなかった状況が、強制的に目の前に現れて、私の涙腺はとうとう崩壊した。
彼らは私の逃すつもりなんだ。パトリシアちゃんを護るようにと。
でも彼らは残るつもりなんだろう。彼らが居るべき、ここに。
『いやだぁ、いやだよぉ、みんなと一緒がいいよぉ』
彼らにはわからないであろう日本語で、縋りつこうと身を捩るが、男性の一人がそれを止めてくる。
凛とした表情のまま私を見つめるクラリスとエメの頬を、雫が静かに流れ落ちている。
クラウディは今までにないほど険しい顔で私をしっかり見つめていたし、セリムが耐え切れないかのように顔を伏せていた。けれどその肩は震えていて、一層やるせない気持ちにさせた。
パトリシアちゃんを抱えたまま、男性から逃れようと暴れる私に、ジルが歩み寄る。
私より少し低い視線にある、あの、宇宙のような視線が私を射抜いた。
「メイコ、君の『幸せ』を忘れないで。絶対、迎えに行くから、その時まで」
そう言って、彼が私の額に口づけをくれた。
小さく背伸びしなければ私の額に届かない、目の前で目一杯の去勢を張って笑う少年が愛おしくて、更に涙が溢れた。
とうとう、男性二人がかりで背中を押され強制的に扉の向こうの、建物の外へ押し出されることになった。
どんどん遠くなる大事な人達を最後の時まで見失わないように、私は目を凝らす。
扉が閉まる直前、声を張り上げた。
「みんな、一緒、『幸せ』!」
扉を出てから、男性二人に守られるように、木々の合間を追い立てられるように走り抜けていく。
ふと振り返った先にあったのは、城と呼ぶに相応しい外観をした大きな建物と、それを覆い隠すように広がる灰色の煙だった。
✿ ✿ ✿
「はぁはぁはぁ」
十分な休憩を挟むことが出来ないまま、丸二日、移動を繰り返した。
木々を抜ければ、乗り合いの馬車に揺られ、道を歩いたかと思えば、また馬車に乗る。そろそろ本気で疲れてきたので、一旦休ませてもらうかと私が少し後ろを歩いていた男性二人を振り返った刹那、男が振り下ろそうとしていた剣の切っ先を見つけた。
真っ直ぐに胸に居るパトリシアちゃんを狙っているそれを、脳からの指令が届く前に、身を捩ることで防ぐ。
けれどそれは、そのまま私の左肩に直撃した。
体力に限界の来ていた私は糸の切れた操り人形のように、あっさりと地面に崩れ落ちる。それでも、胸に抱えていたパトリシアちゃんへの衝撃を最低限にしようと、なけなしの反射神経でやや左側に重心をかけたことで、彼女への直接的な打撃は免れたようだ。
地面に倒れ、視線が下がった私の頬を濡らしながら広がる真っ赤な水溜り。
左の肩から右の腰に掛けて、背中が全体がひどく痛かった。一部分は焼けるように熱いのに、身体は冷え切っていく。
ノロノロと目線だけで上を仰ぎみれば、男性二人が剣を構えていた。
おかしいな、なんで二人が、私に剣を向けているんだろう。
「すまねぇなぁ、姉ちゃんよぉ。あんたには恨みはないが、お前達に生きててもらうと困る人がいるんでね」
一人の男が下世話な笑みをその顔に張り付けて口を動かしている。
その隣に居る男の剣の切っ先は赤く染まっていて、きっと私を切り裂いたのは彼なのだろうと理解した。それにしては、その顔色はあまりよろしくない。
「ここで、終わりに、」
彼らが何を言っているのか、すでに停止を始めた私の五感では到底理解できない。
けれど私には、ここでは終われない理由があった。
『死んで、たまるか………』
自分の意思では動かなくなってしまった左手と、パトリシアちゃんを支える右手は使い物にならないので、膝だけを動かして這いずるようにその場を逃げようとした。
ジルがパトリシアちゃんを託してくれた。
この子のために、彼らのために、私は生きないといけないんだ。
「はっはっは、見ろ、健気なことだなぁ」
生理的に受け付けないような卑猥な笑みを浮かべた方の男の剣が、私の顔面すれすれの地面に突き刺さり、行く手を拒んだ。
自分の生気が、血と共に流れ落ちていくような気がする。
脳裏に、走馬灯のようにジル達との日々が駆け抜けていく中、パトリシアちゃんを強く掻き抱いて、私はとうとう意識を手放した。