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第28幕 笹本太郎

 丸々とした石野の背を視界から外すことのないように、我々は追跡する。もっとも彼の巨体を見失う事などないだろうが。

 石野は額から流れ落ちる汗を、鬱陶しそうにハンカチで拭いて歩いて行く。そして、五分程歩いて駅に到着した彼は、改札口に贅肉を挟まれながら通過して行った。我々は急いで電車の定期券を通しホームに向かう。

 石野は電車に乗り込むところであった。私は焦って同じ車両に乗り込もうとしたところを、和泉に腕を掴まれる。振り返ると和泉は鼻を摘まんでいる。そうだ、石野の体臭はただならぬものであったのだった。私は危うく車内で呼吸困難で死ぬところであった。

 我々は隣の車両の一番端に座り、石野の様子を観察する。

 石野は車内に座るや否や、眠りこけた。石野自体はその状態から変化することはなかったが、車内の様子はすぐに変わっていった。まず、石野の近くにいるものは、すぐさま彼の異常とも言える体臭に気づき、訝しい顔をしながら、手で鼻を覆った。しかし、すぐ悪臭に耐え兼ね、我々がいる車両に移動してきた。まるでそれが合図であったかのように、石野がいる車両の大半の人物が先ほどの者と同様に移動する。

 それでも数人は辛抱強く耐えていたが、次の駅に到着すると、すぐに降り、素知らぬ顔で車両を移動した。こうして、石野は車両に一人取り残された。

「すごい光景だな。石野一人になってしまったぞ」

 和泉は笑っている。

「しかし、毎回この様な有様だと、通勤時間など大変であろう。本人は気がつかないのだろうか」

「あいつは普段、車通勤だ。しかし、今日は梅田に行く日だから、電車なんだろう」

 だから和泉は今日、石野が梅田に行く日であると分かったのだろう。今の時点ではまだ梅田に行くと決定しないが、恐らくは向かうだろ。何が勘だ、この野郎。そう思ったが、いちいち怒るのも面倒なので止める。

 石野は女子高生と会って、酒でも飲むのだろう。だから車ではないのだ。それに学校から梅田なら電車の方が、勝手が良い。

 誰もいない車両にどっかりと座っている石野を観察して、気づいた時には梅田に到着していた。やはり、梅田だったのか。石野はアナウンスが梅田と数回言ったのを聞いて目を覚まし、降りる。

 我々もすぐに降り、彼を追う。すれ違う人が顔をしかめているのは石野のせいであろう。

 石野は人込みを避けることなどせず、そのまま突き進んでいる。全くもって迷惑な男である。

 我々は彼の巨体と空間に漂う残り香を追う。彼はそのまま駅を出て行き、空から降り注ぐ日光を浴びて、目を細めて嫌そうな顔をした。そして、そのまま歩き、ビルの裏側にあたるカフェに入った。看板を見ると、「カワートーコーヒー」とある。このカフェは全国に店舗を展開しているチェーン店だ。石野はここで女子高生と、落ち合う予定なのだろうか。

「俺たちも入ろう」

「しかし、臭いぜ」

 和泉は綺麗な顔を、これでもかと言うほど皺くちゃにして言う。

「だが、道路からだと見えにくい。入った方が良いだろう」

 和泉も納得したようなので、石野に見つからないように入る。幸運にも石野は入口とレジからは見えない席に座ったようだ。店はセルフ式なので、和泉に石野を見張る事が出来る席を取らせ、私はコーヒーを購入する。以前に、商品を購入する前に席を取るのは関西人だけであると聞いたことがあるが、実際のところはよく分からない。どうでもいいことである。

私は一番小さいサイズのコーヒーを二つ注文し、それを受取って席へ行く。石野と我々と席の間には造花が並べられており、ちょうど顔が隠れていい具合である。そして、その隙間から彼を観察する。

 石野は大量のホイップクリームを乗せたアイスココアを混ぜながら、時計を見ている。どうやら本当に待ち合わせをしているようだ。

「以外にも臭くないな」

 コーヒーに砂糖を入れながら和泉が言う。

 確かにこの店に石野の悪臭は充満していない。注意して嗅げば少しは匂いがするが、コーヒーの香りがそれを消している。以前にコーヒー豆は匂いを吸収すると話を聞いたことがある。見回すとレジの後ろに大量のコーヒー豆が見える。おそらくあの豆が石野の匂いを吸収しているのだろう。そう考えると石野の匂いがするコーヒーが今まさに販売されていることになる。そう思い至って、持っているコーヒーカップをテーブルに置く。

 和泉を見る。和泉は何事もないようにコーヒーを飲んでいる。実際何事もないのだが、この原材料であるコーヒーにあいつの匂いが含まれている事を言った方がいいのではないだろうか。いや、そもそも我々が入店していた時には既に、コーヒーの抽出が終わっていたはずであるからして、今、手にしているコーヒーはまったく無害であろう。

 しかしどこか気持ちが悪い。こんな事を言ったら和泉は、私を変人だとなじるだろう。コーヒーの黒さが石野の醜さの様である。

 私は自然と顔をしかめていた。


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