第12幕 いわし
私は早足で駆けていくいたちを、見失わないように後を追いかける。そうは言っても長身の彼女は、人ごみの中から頭一つ飛び抜けているため見失うことはないだろう。
いたちは茶屋町からかっぱ横丁に渡る為の交差点を信号無視してずんずん進む。これにはさすがの私も仰天したが、意を決しついていく。
それにしても彼女にとって、ロッカーを開けるという行為は、こんなにも興味を惹かれ、そしてこんなにも急がなくてはいけない事なのだろうか。
しまいには、急げ急げとせかしてくる。私は、はぁはぁと息を切らしながらついて行く。
そして、先ほどの鍵入りの箱を発見した場所。つまり私が万引き未遂を犯した場所を通過し、駅に向けて駆けて行く。
途中、何度か細い路地を通り、通行人には幾度となくぶつかった。それに比べていたちはこの道を普段から使用しているのだろう。路地をすいすいと通り抜け、人の波をまるでアメリカンフットボールの選手の様にすり抜けていく。
あっと言う間に私たちは駅構内に辿り着いた。
「おい、いわしついて来ているか?」
いたちは振り返って言う。
「……ちゃんと後ろにいますよ。いたちさん、なんで走って行く必要があったのですか?」
息を切らしながらなんと最後まで言い切った。
「そんなの決まっているだろう。早く行かないと誰かに取られちまうだろう」
「だって、ロッカーに入っているのですよ。それに鍵は私たちが持っているし」
「兎に角だな、早く行かないとなくなるかもしれないのだ」
なんじゃそりゃ? こんな人通りの多い所でまさかロッカーが荒されたりするとでも言うのだろうか。
そんなこと絶対にない。
「この世に絶対という言葉は存在しないからな」
いたちは私の心を見透かしたように言った。私はそう言われて、ソウデスネと心なく返事をするしかなかったのは言うまでもない。
さて、問題はそのロッカーがどこにあるかという事だ。阪急梅田駅はとても大きな駅で、二階、中二階、一階と言う具合になっており各フロアにロッカーが設置されていたように記憶している。もしかしたら、地下のショッピングモールにもあったかもしれない。
「さあ、どこのロッカーでしょうね?」
「中二階だ」
いたちは即答した。
「なぜ?」
私がそのように尋ねたのは当然であろう。
「野生の勘だ」
いたちはにやりと笑い。そしてくるりと後ろに向き直り再び走り出した。
またか、とうんざりしつつも後を追う。もちろん全速力で。
私たちは梅田構内の大画面テレビを横切り、そして階段を駆け上がる。それにしても何故走っているのだろうか。
中二階のロッカー前に辿り着いた時には、額から汗が噴き出していた。いたちを一瞥すると彼女は涼しい顔でロッカーへ歩み寄っている。一体この変態化け物はどんな体力をしているのだろう。
いたちはロッカーの前に立ち、ろくに番号も確認せずに鍵を鍵穴に突っ込んだ。そしてその鍵を回し、鍵はガシャと音をたてて解除された。
「それも野生の勘ってやつですか?」
私はたまらず尋ねる。
「そうだ」
いたちは扉をゆっくり開けながら言った。これはなかなか馬鹿に出来ない勘だ。
「お、入っているぞ」
そう言って、ロッカーに手を突っ込み何か白い物体を取り出す。
それは封筒だった。手紙にしては少し厚みがある。中身を確認して笑みを浮かべているいたちは、その封筒を私に渡した。
恐る恐るその中身を見る。
なんと中に入っていたのは金だった。しかも一万円札が十枚ほど。驚いていたちを見る。
「なかなかの収穫だな。数えたところ十二万ある。なぁ来てよかっただろう?」
いたちは笑いながら言う。私は今になって自分の行為が恐ろしくなってきた。
人のロッカーを勝手に開けて、中身を持ち去るなど正気ではない。もしかしたら誰かに見られているかもしれない。
そう思って辺りを見回すが、特にそのような人はいないようだ。
「ちょっと、これはまずいですよ。戻しましょう。鍵ももう一度返してなかったことにしましょう」
「いわしよ、何を言っている。これは見つけたものが手にしていい金なのだ」
「そんな理屈が通じるはずないでしょう。これは立派な犯罪ですよ」
「万引き犯がよく言う」
返す言葉が見つからない。
「だけど、十二万も盗るのはまずいですよ」
「お前はマスクのライヴが見たいのだろう?」
彼女は突然な話のベクトルが変わって、驚いてしまう。
「まあ、そうですけど、それとこれとは全く関係ないでしょう」
「いや、関係ある」
そう断言するいたちの思考が、全く分からない。
「どう関係あるのですか? ちゃんと説明してくださいよ」
「つまりだな、お前はマスクのライヴに行きたい。そうだろう?」
「はい」
「でも、チケットを持っていない」
「そうです」
「そして、そのチケットは既に完売しているだろうと思われる」
「おそらく、そうです」
「では、残る道は一つだ」
「なんですか?」
「チケットを買収するのだ。この金で」
いたちは当たり前だろう。という顔で言う。
「そんなこと……」
「そんなことできない?」
「そうですよ……」
「お前のマスクへの情熱はそんなものなのか」
なぜかいたちは心底失望したというような声を出した。私はその返答に心底怒りを覚えた。
「あんたは知らないだろうがな。私はマスクが好きで大阪の大学まで来たんだぞ。バイト代もほとんどライヴに費やすし、友達の誘いだって断る。とにかくマスクへの情熱は誰にも負けない」
気がついた時には、大声で叫んでいた。周りの人たちが私たちに注目して恥ずかしい。だけど心はすっきりした。こんなに大声を出したのはいつ以来だろうか……
「いわしの情熱は分かった」
「それは良かった」
「では、この金はありがたく頂くとするか」
「勿論です」
もう訳が分からない。どうにでもなってしまえ。
いたちは財布に金をしまう。
そして、今度は封筒の中に何かを入れた。
「それは?」
「金の持ち主へのちょっとしたプレゼントだよ」
「プレゼント?」
「そうだ、貰ってばっかりだと悪いからな」
じゃあ盗るなよ。と喉まで出かけたがなんとか飲み込んだ。
それにこの時私は、もしかしたらマスクのライヴに行けるのではないかという淡い期待に胸を膨らましている。
「では、戻しに行くか」
「戻す?」
先ほどから聞き返さないと、分からないことが多すぎる。
「鍵を元の場所に戻さないと、私のプレゼントが彼か彼女か分からないが、受け取ってもらえないだろう」
確かにその通りだ。そもそもプレゼントなどあげる必要があるのだろうか?
こうして私たちは、本屋に戻り、私が店主の気を引いている間にいたちが箱を元の場所に戻し、また二人で歩きだした。