第11幕 笹本太郎
「おい爺、俺は決して、女神か天子かエンジェルか知らないが、信じた訳ではないからな」
改札を通って、階段を降りようとしている爺の禿てしまった後頭部に向かって叫ぶ。爺はふんっと鼻を鳴らして降りて行く。
爺は老体であるのにしっかりした足取りで駅構内を進み、そしてそのまま東出口から出る。日差しが眩しく思わず目をつぶる。
そして、人ごみの中をずんずん進んで行く。私は小さな爺を人ごみで見失わないように、必死で寂しき後頭部から目を離さないように努める。
爺の頭を見つめ続けて五分程たった頃だろうか、爺は急に歩みを止めた。急に止まったのもだから私は爺に思いっきり突進し爺を転倒させた。
「何すんねん!」
「すまん。爺が急に止まるものだから、ぶつかってしまったのだ」
私の言葉を聞いて、なんやそれとぶつぶつ言いながら爺は起き上った。
「着いたで、わしの天使を見せてやる」
「ここは?」
「ここはパチンコ店や」
「そんなのは分かっている。なぜパチンコ屋なのだ?」
「わしの天使はパチンコ屋にも出るんや。正確に言えば賭け事の場に出るんやけどな」
まったく意味は分からないが、とにかくパチンコ屋に入れば何かしら答えは出るだろう。私の天使もこの中にいるかもしれない。いや、彼女に限ってそんな事はないだろう。しかし、この世には予想だにしないことが時に起きる。では行こうではないか。いざパチンコ。
こうして私は、騒音とたばこの煙が充満する店内に踏み込んだ。
店内は平日の昼過ぎだと言う事で客はまばらだった。そんな時間であるのに関わらず、学生らしき若者とトラ柄の服を着たババアに交じって座っているサラリーマンは一体何なのだろう?
ちなみにどうでもよい事だが、大阪のババアは最強である。と私は常々思っている。奴らはトラ柄の服を戦闘服の様に着込み、時には群れをなして街中をうろつく。
目的達成の為には手段を選ばず、定価が決まっている商品まで値切ろうとする。そして、何よりも噂話を好物とし、自分の事を棚に上げて他人の上げ足を取る。
この前など、私に向って自転車で突っ込んでおきながら、自転車が壊れたらどうしてくれる、などと戯言を言ってきたものだから、閉口してしまう。どうして反論しないのだ? と思われるかもしれないが、それは実体験のない人が言える話で、あの迫力に立ち向かえるの者はそういないのである。おそらく、奴らは全盛期のマイク・タイソンよりも強いと思われる。
そんな事を思いながら、床に置かれたドル箱に気をつけ私と爺は奥へと進んでいく。
老人が止まったのはちょうど真ん中あたりであった。
「よし。お前はここで打て」
「しかし、金がないのだ」
そう、私は確か二千円程しか持っていないはずだ。確かめるべく財布を見たが、やはり千円札が二枚と硬貨が数枚入っているだけだ。
「大丈夫や」
財布を覗き込んだ爺は口を半開きにして言った。しかし、普通の場合に二千円でパチンコをして当たりが来ることなどまずない。ものの三十分で無くなってしまうのがオチである。
だがこの時、一種の自棄の様な状態になっていた。だから私は素直に席に座り、財布から折れ曲がった千円札を取り出して右上の投入口に入れた。老人はと言うと私の横に立っている。
「爺はやらないのか?」
「わしもそのうちに始める。せやけど、まだその時期じゃないようや」
よく分からないが、いちいち聞いてもらちが明かないのでさっそく始める。
パチンコの玉は下から発射されて、釘に当たりながら進路を変えて落下していく。そのうちの何個かが真中の口に入り、そして画面上のスロットが回転する。このスロットが揃えば当たりなのだがまず当たらない。そもそも当たらないからこそ、パチンコ屋は儲かるのだ。
ところが、突然画面が変わり、様々なテロップが流れだした。パチンコはこの様な演出によって確立が変わる。私もパチンコをやる人間だから分かる。今はかなり当たりがくる確率が高い状態だ。しかし、いきなり一回目で当たる筈がない。しかし……
淡い期待を持ながら画面を凝視した。そして派手な演出が終わり止まったスロットは、やはりバラバラではずれだった。
やっぱりそうだよな、とため息を吐いていると、突然画面が光り出した。そして再度スロットが回り始め、今度は何と同じ数字がそろって止まったのである。
もはや、これは奇跡としか言いようがない。軽快な音楽と同時に下から玉が放出される。
驚きを隠せず、爺を振り返る。爺はしてやったりとういう表情を浮かべている。
「ほら、言ったやろ」
「なぜなのだ? こんな事まずあり得ない」
「その台に天使がおるんや、それが理由や。おっと、わしはそこで打ってくるわ」
そう言って私の五つ左の今ちょうど空いた台を指差し、そして移動していった。
私は再び台に体を向けて、レバーを持つ右手に力を入れた。
それ以降も私の台は当たり続け、私の横にはドル箱の山が出来ていく。
「もう終わりや」
爺がそう言った三時間が過ぎていた。私はその時何度目かの大当たりを終えた直後であった。爺の台を見ると私と同様にドル箱の山ができている。
「終わり? もう少しやればもっと儲かるはずだ」
「あかんあかん、今日はここまでや。お互いこれ以上稼ぐのは無理や」
「しかし……」
「ええから、言う事を聞くんや」
そう言われて、私は素直に引き下がった。私たちは店員に玉を集計させて換金させ、お互いの成果を店内の喫茶コーナーでまずいコーヒーを飲みながら発表した。
結果は私が七万円、爺が五万円。この短時間でこの成果はもはや奇跡としか言いようがない。
「爺これは凄いではないか」
私は興奮して爺に向かって叫んだ。
「こんなの当たり前や。なんたって天使がついてるんやからな」
「そもそも、爺。お前が言ってる天使とは一体何なのだ?」
やっと先々からの疑問を口にした。
「天使って言ったら、天使や。女の人でな、白い服着てふわっと浮いてるねん。ほんでパチンコやったら、当たりが出る台の上に座ってるねん」
「と言う事は、爺は運がいいとかではなく。当たりの出る台が分かると言う事か?」
「そうや。だから、途中で止めたんや。天使が見えんくなったら、そこで当たりは終わりや。だけど、それさえ分かったら十分すぎるやろ」
「確かに、それはすごい能力だ」
本当に天使が見えるかどうかは未だ疑いが完全に払拭されないが、爺が実際に当たり台を的確に見分けることが出来る事は本当の様だ。
「それなら爺は相当の金持ちなのだな」
「しかしこの能力には欠点があるんや、まず必ずしも天使が見えるわけやない。天使は気まぐれなんや。見えるときは確実に勝てるが、見えないときの方が多い。そしてこれは予測できない。だから頻繁に賭け事の場所に通うんやけど、賭け事の場には不思議な魅力があって、天使が見えないときでも賭けてしまって負けるんや」
「それだったら、普通のギャンブラーと変わらぬではないか」
全くもってその通りである。
「まあ、見えないより見えた方がええやろ」
「しかしながら、今日のじゃんけんはどうなのだ? あれにも天使が見えるのか?」
「そうや、手を出す前に何を出そうかかんがえるやろ。その時勝てる手を想像した時に、天使が見えるんや。今日は調子がいいみたいやから、ついつい長いことやってしもうたわ」
「そうなのか……多少理解しがたいが、爺がそこまで言うのなら信じてやってもよいな」
「そう言うこっちゃ」
爺は嬉しそうに笑い、さあ行くか。と立ち上がったので、私も一緒に立ち上がり外に出た。
ドアから出た瞬間に騒音とたばこの煙の空間から解放されて、そこで初めて私はとても疲れている事に気がついた。