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クトゥルフの落とし子

 洞窟の奥の巨大な広場、そこには巨大な祭壇のようなものが据え付けられていて、ヒカリゴケが放つ淡い光の中に、不気味に浮かび上がっていた。

 祭壇の奥にはさらに広い空間があるようだが、そこには半魚人はおらず、完全な闇になっている。洞窟内に漂う異様な臭気は、あの闇の中から発せられているように感じた。

 「あ、あの祭壇って」

 「これは最悪の事態を想定するべきなんだろうね。」

 

 半魚人は人間を誘拐して、彼らの神への生け贄として捧げているという伝承が、脳裏をよぎる。彼らの領域を侵した俺たちを、半魚人が無傷でここまで連れてきた理由は、少なくとも俺たちへの好意からではないだろう。

「うん? 奴らは食事の用意をしているみたいですね。どういうことでしょうか。」

 よく見ると、生の魚の切り身や海藻のようなものが、石で作られているらしい器に盛られている。隣には、飲み物が入っているらしい容器もあった。


 「宗教儀式は飲食を伴うことが多いからそのためか、…あるいは我々自身があの中の一皿になるのか。」

 「まあ少なくとも、俺たちの歓迎パーティーじゃなさそうですね。」

 「ふ、二人とも何を冷静に話してんですか!? 怖くないんですか? 奴らに食われるかもしれないんですよ!」

 

 初穂はすっかり冷静さを失ってパニックになっているが、俺は、おそらく作田教授も意外なほど冷めていた。もはやここまで来れば、逃げ出す術はない。周りには槍を持った半魚人たちがいるのだ。それなら自分たちの身に起きることを、最後まで見極めてやろうと思った。

 「もう駄目だよ。初穂。奴らからは逃れられない。それに、俺たちは元々半魚人の調査に来たんだ。半魚人をこの目で見られたし、こんな形とは言え奴らの生態も観察できた。まあ、ある意味納得できる死に方じゃないか。」

 きっと助かるなんて気休めを言う気にはなれない。この状況でできるのは諦めることだけ。それならせめて、みんなが納得して死んでいけたらいい。

「な、何言ってんのよ!? 少なくとも私は嫌よ。大体信司はもともと、私に巻き込まれて半魚人の調査に付いてきたんであって、調査の主役は私でしょうが。私が納得するならともかく、信司が納得するなんて私が許さないわ。」

「む、無茶苦茶な理屈だな…」

 

こんな状況にもかかわらず、顔がほころんでくる。初穂はどこまでも初穂なのだ。無茶苦茶だけどまっすぐで、強情に見えて意外に素直で優しいところもあって。

「大体、あんたは私が半魚人の調査のためだけに、沖縄に自分を連れてきたと思ってるみたいだけど…」

「お、おい、どうしたんだいきなり?」

「私の、私のもう一つの目的はね…」

 初穂がその先を言い終える前に、空間いっぱいに奇妙な声が響き始めた。どうやら神殿の近くに陣取っている半魚人たちが、何らかの呪文か祝詞のようなものを詠唱しているらしい。その響きはこう聞こえた。

 

いあ いあ くとぅるー ふたぐん


いあ いあ くとぅるー ふたぐん


ふんぐるい むぐうるなふ くとぅるー るるいえ うがなぐる ふたぐん


ふんぐるい むぐうるなふ くとぅるー るるいえ うがなぐる ふたぐん


「この呪文だよ。アフリカから中南米まで、あの神を信仰している地域には必ずこの呪文が一緒に伝わっている。そうか、沖縄の半魚人もそうだったのか。」

 作田教授はこんな状況でも、自分の研究のことを忘れていないようだった。その様子はなかなか格好良くて、俺もこういう大人になってみたいと思う。もうそれが叶えられることはないけど。

 

やがて呪文の詠唱が進むにつれ、祭壇の背後の闇が微妙に蠢き始めたように見えた。全くの漆黒の中を何かが動く気配がして、異臭がさらに濃密になっていく。半魚人たちはその気配を感じて、狂喜しているように見えた。

「彼らの神が動き出したみたいだね。まあ神ではなく、その落とし子の1つかもしれないけど。」

「まさか自分の目で神を見ることになるとは思いませんでしたよ。」

「私もだよ。伝承じゃなくて本当の神を見ることができるなんて。ある意味学者 冥利に尽きるかもしれないね。」

「『冥利に尽きる』ですか。文字通りの意味ですね。」

「ふ、二人とも、頼むから諦めないでください。奴らを追っ払う方法を考えましょう。」

 

初穂はまだ諦めていないようだ。だが、この状況でどうすると言うのだろう。何度も言うがここにはおそらく数百の半魚人がいて、しかも俺たちの周りの奴らは武器を持っているのだ。

「追っ払うって言ったって、奴らの弱点とかが分からない限りどうしようもないよ。」

 例えそれが粗末な石槍でも、武器を持った集団に非武装の3人が立ち向かうのは無理だ。圧倒的な優位を確信しているのか、奴らは俺たちを縛ったり押さえ込んだりすることさえしていない。

「いや、奴らが苦手なものはたぶん分かってるんだけど。今の私たちの持ち物ではね。」

 「き、教授、弱点が分かってるって。そ、それを何で早く言わないんですか? ひょっとしたら助かるかもしれないじゃないですか!」

 

 一転して初穂の顔が輝いた。この短時間で弱点が分かるとは思えないが、ひょっとして作田教授なりに、初穂を元気づけようとしているのだろうか。だが、そんなことをして何の意味があると言うのだろう。

 「奴らが苦手なものはおそらく火だ。」

 「…火ですか。何でそんなことが。」

 予想外にありきたりな答えだったので、俺はがっかりした。そもそも水に住む生物が火に弱いなんてあり得るのか。ポケモンとかの属性では、水属性は火属性に対して強いはずだが。

 

 「まず、奴らの持ち物は基本的に石器だけだ。金属器は一切無い。これは奴らに金属を溶かして加工する技術がないことを意味する。よって少なくとも高温の火は扱えない」

 「なるほど。」

 「次に、奴らは照明を全面的にヒカリゴケに頼っている。火を燃やす方がずっと明るいし、寒い時期には暖も取れるのにね。」

 「でもそれは単に、人間に見つからないようにしてるんじゃ。」

 

 「この洞窟の中でもかい?」

 「あ、それは。」

 「この洞窟には半魚人しかいない。火をおこしても人間に見つかる心配は無いんだ。にも関わらず火を使っていないというのは、火自体を恐れているせいじゃないのか。」

 「確かに」

 「さらに、奴らは魚や海藻を生で食べている。宇賀那の人間との交流で、加熱調理についても学んだはずなのに。」

 「そういえばあの家には、普通に台所が。半魚人は火について知ってるはずなのに、使っていないということになりますね。」


 「そう、だから私は思うんだ。半魚人たちは火を恐れているのではないか。そしてそのせいで、我々と違って文明を築けず、日陰者の立場に甘んじているのではないかと。」

 「なら、火を起こせば奴らを撃退できるかもしれないじゃないですか! 初穂じゃないですけど、本当に何で早く言わなかったんですか!?」

 「だけどね。今の私たちに火を起こす手段はない。三人とも煙草を吸わないし、大体マッチやライターの火程度じゃ、さすがの奴らも怯えないんじゃないのか。」


 「じゃあ結局駄目って事ですか。…あれ、待てよ。」

 「うん? どうしたんだい。」

 今自分が持っているものを思い浮かべる。あの神像は半魚人たちが持ち去っていったが、バッグの中のものは無事だ。中には昨日初穂から渡されたものが入っている。そう、スプレーとスタンガンが。


 「エアゾールが3メートルぐらい飛ぶんだって」

 「市販のスタンガンなんて、火花出して相手をびびらせるぐらいの威力しか無いぞ。」

 そう、昨日の夜そんな会話を交わした記憶がある。エアゾール、火花。

 そうか。あの手がある。これがテレビなら青少年に有害とPTAが文句を付けそうなあの手が。


 「いけます。二人とも眼をつぶっていてください。」

 「な、何だい?」

 「ちょっと、いきなりどうしたのよ。」

 「黙って指示に従ってください。」

 俺はそう言うと、バッグからスプレーとスタンガンを出した。不審な行動に気づき、周りの半魚人たちが飛びかかってくる。だがそれより一瞬早く、俺はスタンガンのスイッチを押し、出てきた火花に向かってスプレーを噴射していた。

 

 エアゾールの燃焼による巨大な火柱が、ほとんど真っ暗闇に近かった広場を照らし出した。その瞬間、半魚人たちは呪文の詠唱をやめ、胸が悪くなるような不快な悲鳴を上げて、洞窟の奥の闇に駆け出していった。そして、俺たちは広場の光景と奥の闇の中にいるものを見た。

 広場にはとんでもない数の半魚人がいた。おそらく数百、あるいは千の単位に達しているかもしれない。人間とカエルと魚が合わさったような奇妙な生き物が炎に怯えて逃げ惑う姿は、いかなる悪夢をも上回る光景だが、まぎれもない現実なのだった。

 

 そしてその中には妙に人間らしい個体が混ざっていた。周りの半魚人に似てはいるが、より人間に近い顔と体格をしているのだ。さらにその中の一部は一応人間で通りそうな姿をしている。おそらく人間と半魚人の混血だろう。宇賀那うがなから来たのか、もっと不愉快な想像としては誘拐してきた女性に産ませたものかは不明だが。

 だがこの広場で最悪のものは半魚人でも、人間と半魚人の混血でもなかった。それは奥の闇の中にいて、炎におびえた半魚人と混血たちがその陰に身を隠していったのだ。


 闇の中に存在したのは数メートルのぶよぶよした歪な球体で、下部に生えた8本の脚で、巨体を支えていた。球状の胴体からは脚とは別に多数の触手が生えており、それが何かを探すように宙を蠢いている。

 体色は腐った膿汁のような不快な緑色をしており、身体の表面からは同じ色をした粘液が流れ続けている。そんなものが、祭壇の奥の巨大な空間に存在したのだ。

 球状の胴体と8本の脚、そう、それは強いて言えば蛸に似ていた。だが、蛸に似ていると言っても、地球上の生物に無理矢理例えてのことだ。たこ焼きの屋台の絵にあるようなユーモラスな印象は欠片もない。

 おそらく壁画に描かれていた存在、クトゥルーと共に宇宙から飛来した落とし子だろう。

 半魚人と合いの子たちは相変わらずクトゥルーの落とし子の後ろに隠れている。火におびえた彼らは、自らの神にすがっているらしい。落とし子のほうは、周りの半魚人たちを無視しているようだが。

 「こ、こっちに来てる?」

 初穂が叫んだ。確かに落とし子が、その八本の脚を使って巨大な祭壇を乗り越えようとしている。半魚人たちが頼りにならないとみて、自分で俺たちを仕留める気になったらしい。


 「に、逃げるわよ。」

 「でも、どうすんだ。これじゃ目印が見えないぞ。」

 そう、暗闇の中でいきなり炎を見てしまったことで、俺たちの夜間視力は失われている。これでは、ヒカリゴケの微弱な光を見て逃げるなんてことはできそうにない。

 「こっちには赤外線カメラがあるわ。これで暗いところも見えるから、私についてきて。」


 そう言うと初穂は駆けだした。俺たちは慌ててそれに続く。後ろからは何か巨大なものが動く音と、半魚人共の叫び声が聞こえる。幸い、連中の足は速くないようだが。

 「大丈夫、暗いところを見通せなくなってるのは奴らも同じのはず。赤外線カメラがある分、こっちが有利よ。」

 初穂はそう言いながら俺たちを先導していく。その姿はとても格好良く見えた。

深き者が弱すぎないかと思われる方もいると思いますが、そもそもインスマスの影とか読む限りでは、彼らが特に人間より優れた生物とは思えないんですよね。一人を数百人で追い回した挙句、結局逃げられてますし。

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