襲撃
この小説には話の都合上米軍基地が登場しますが、これは日本国内で深き者が潜伏していそうな場所というのが、沖縄の米軍基地の中ぐらいしか思いつかなかったからです。
ということで、沖縄と言う県やそこにある米軍基地が登場するからといって、筆者に特に政治的な意図はありません。誤解されると困るので一応書いときますが。
「大きさのわりにやけに重いな、この像。」
不気味な神像を運びながら、俺は呟いた。片手で抱えられるサイズにも関わらず、やたら重いのだ。しかも抱えていると、時折不愉快な感覚が走る。
まるで像が直接頭の中に語り掛けてくるような。あるいは像が何らかの意図をもって誰かを呼んでいるような。ほかの二人が何かを感じている様子はないが。
「重いかい。何ならこっちの骨と交換しようか。」
作田教授が申し出てきたが、丁重にお断りする。
この像は不気味な外見をしているとはいえただの無機物だが、あちらは人間にかなり近い生物の骨なのだ。不気味さの点では比較にならない。
「情けないわね。何なら私が持つけど。」
正直初穂がこんなことを言い出すとは思わなかった。さっきの反省を踏まえ、それを口に出すことはしなかったが。
「いや、いいよ。気持ちだけもらっとく。そっちもカメラとか重そうだし。」
そう、初穂は例の赤外線カメラをここまで持ってきていたのだ。さすがにそれに加えて、この像を持たせるわけにはいかない。
「ふーん、あんたがいいんならいいけど。って、あれ?」
「うん、どうした?」
「あっちに誰かいない?」
「え、こんなとこに他に人がいるわけ… 確かに何かがいるな。茂みが動いてる。」
俺はその意味に気づいて心臓が冷たくなるのを感じた。茂みの向こうにいる存在が人間である可能性は極めて低い。ということは野生動物だろう。それもかなり大型の。
大型の動物で真っ先に思いつくのは熊だが、確か沖縄にはいないはずだ。
いや、いないとは限らない。野生動物は丸太につかまるなどして、かなり離れた島に移住することがある。あれが熊やもっと危険な動物ではないという保証はどこにもないのだ。
茂みがさらに動いている。どうやら相手は複数存在するようだ。どうする。こちらには武器と言えるようなものは市販品のスタンガンしかない。
そんなもので複数の野生動物を追い返せるはずがない。いっそ俺が囮になって、初穂と教授だけでも逃がすべきか。
考えている間にも、向こうで蠢く何かの数はどんどん増えていった。心なしか、俺たちを包囲するような陣形を取っているように見える。
ということは、集団で狩りをするだけの知性を持つ存在なのか。だが集団で狩りをする大型の野生動物など、少なくとも日本にはいない。
突然、茂みが激しく動いた。向こう側にいる何かの群れが、一斉にこちらに走ってきたのだ。動きは思ったより緩慢だったが、完全にこちらを包囲する態勢を取っているため、逃げることはできなかった。
やがて、夕暮れ間近の太陽が、その姿を照らし出した。俺は努めて考えないようにしていた最悪の想像が当たったのを感じた。弱々しい光のもとで俺たちを取り囲んでいるのは、十数匹の半魚人の群れだった。
昨日見たときは輪郭しか分からなかったが、今ではその異様な姿がはっきり見えた。人に近い姿をしてはいるが、手足の指の間には水かきが存在し、足がやたらに大きい。
その体に毛髪は一本もなく、青みがかった灰色の肌は両生類のようにヌメヌメとした粘液に覆われている。その粘液は、魚のような不快な生臭さを漂わせていた。
そして、何より人間と全く違うのはその顔だった。人間と比べて大きく間隔が離れた二つの目には瞼がなく、代わりに魚の目にあるような透明な膜に覆われている。鼻は全くなく、小さな鼻孔だけが奇怪な深海魚を思わせる顔の真ん中に開いている。口は人間に比べて大きく、その中にはサメを思わせる牙が並んでいる。
人間とカエルと魚を掛け合わせたような奇怪な怪物、俺は古文書での表現を思い出した。あの表現は確かにこの怪物の外見を良く表しているとは言えるが、肝心のところが欠落していた。
異常な姿にも関わらず、怪物は不愉快なほど人間に近い印象を与えたのだ。二足歩行であり、水かきが生えた手には石槍のようなものを持っている。
そして、何より悍ましかったのが、この怪物が言葉らしきものを話していたことだ。リーダー格らしき一匹が、ほかの個体に鳴き声で指示を出していたのだ。
「本当に、本当にこんな化け物がいるなんて… あの石室で…」
作田教授が昨日の俺と同じようなことを呟いている。それでも何とか相手の様子を観察しようとしているのはさすがだが。
「ど、どうするの、これ。こいつらって私たちをどうするつもりなの?」
初穂は半ばパニックになっているが、無理もない。意思の疎通ができないどころか、人間ですらない集団に囲まれているのだ。
これが街のチンピラなら金目の物を差し出せばいいのだろうが、半魚人が欲しがるものなど全く分からない。
するとその声に応えるように、半魚人たちが俺たちを囲んだまま動き出した。俺たちは成すすべもないまま、彼らとともに移動するしかなかった。
半魚人たちは俺たちを包囲した状態で、森の中を進んでいく。よく見ると森の中に気が切り倒され、草が踏み倒されている場所があり、そこを進んでいるのだ。これが彼らが作った道路なのだろう。
さらに一定間隔で、苔がついた岩がある。よく見ると、その岩は夕闇の中で微かに光っているように見えた。
「ヒカリゴケだ。彼らが夜間移動するときは、この苔がついた岩を目印にするんだろう。」
作田教授がささやいた。俺はさらなる衝撃を受けていた。この怪物たちに道路を作り、さらに言わば街灯まで用意する知性があったなんて。
認めたくはないが、こいつらは本当に人間に極めて近い生き物なのだろうか。
「どこに向かってるんだろ… 私たちをどうする気なんだろう…」
初穂も俺に向かって不安そうに話しかけてきた。何とかして安心させてやりたいところだが、流石にここで楽観的な意見を述べる気にはなれなかった。
今のところ半魚人たちは危害を加えてきていないが、だからと言って連中の善意など全く期待できない。
友好的な意図を持ってやって来たのなら、槍で脅して無理やりどこかに連れて行こうとするはずがないのだ。
「うん、あれは?」
俺たちは一斉に声を上げた。目の前に高いフェンスが現れたのだ。フェンスには看板がついていて、立ち入り禁止という言葉が日本語と英語の両方で書かれている。
おそらく、いや間違いなく米軍基地のフェンスだ。
「これって、基地ですよね。」
「ああ、ということは道はここで行き止まりになってしまうが。」
そんな会話を交わしていると、先頭を歩いていた一匹の半魚人が、フェンスの蔦に覆われた部分に躊躇なく突き進んでいった。
すると、信じられないことが起こった。フェンスが蝶番のように開き、その半魚人は米軍基地の中に入っていったのだ。
「ど、どういうことでしょう?」
「たぶん奴らがフェンスを加工して、自由に出入りできるようにしてるんだ。蔦はそのことを隠すためのカモフラージュだろうね。」
「そんな知恵まで働くなんて…」
「骨格から推定される脳の大きさから考えても、人間並みの知能があると考えていいのかもしれないね。」
「じゃあ、まかり間違えば、奴らが人間の代わりに地球を支配していた可能性があると。」
「そうかもしれないが、そうでないかもしれない。私の考えではもしかしたら…」
作田教授がその先を言う前に、後ろを歩いている半魚人が俺たちの背中を小突いてきた。中に入れということだろう。
入れば米軍に見つかって射殺されるかもしれなかったが、とりあえず半魚人の指示に従う以外に選択肢はなかった。
道は基地の中にも続いていた。パッと見ではわからないが、よく見ると草木がない部分があり、例のヒカリゴケがついた岩が各所に置かれているのだ。
米軍は基地内に半魚人が住み、あまつさえ道路まで作っていることを知っているのだろうか。
「半魚人は夜行性なんでしょうか。目撃されるのは夜が多いということですし。」
歩いているうちにとりあえず平静を取り戻したらしい初穂が、作田教授に質問した。
「たぶんそうなんだろうが、ただ完全には夜行性への進化が進んでないみたいだね。」
「なぜそんなことが分かるんですか?」
「夜行性の動物は普通、目が非常に大きいか、あるいは目が退化していて嗅覚や聴覚で外部の情報を得るかのどちらかだ。対して奴らの目は人間と大体同じ大きさだし、耳や鼻が特に発達しているわけでもない。」
「なるほど、じゃあ彼らの夜間視力は人間程度で、本来夜の行動には適していないと。」
「そういうことだ。あのヒカリゴケも、それをカバーするためのものだろう。完全な夜行性なら、あんなものがなくても夜道を移動できるはずだ。」
「身体的な不利を道具でカバーですか、まるで人間ですね。」
半魚人の道路は、特に夜の闇の中ではほとんど周囲の森と区別がつかない。両脇に存在する微かな光だけが、それが道であることを教えてくれるのだ。
彼らの視力が本当に人間程度だとすれば、確かにあの光が夜間行動する上での命綱になるだろう。
「ああ、だが不思議なのは奴らが…」
「教授、あれを見てください。」
教授が何を言いたいのかは不明だが、今はそれどころではない。俺が指さした先には、巨大な洞窟があったのだ。どうやら道はそこまで続いているようだ。
「半魚人は海の近くの森や洞窟に住んでいる。」 あの古文書の記述が、俺の脳裏をよぎった。
洞窟の中は、入口よりさらに広々として、ところどころに通気用らしい横穴が開けられていた。例によって中にはヒカリゴケで道しるべがついている。
だがそんなことより印象的なのは異臭だ。腐った魚のような半魚人の体臭に加え、何とも形容しようがない悪臭が漂っている。それはこれまでに全く嗅いだことのない臭いであり、宇宙に臭気があるとすればこのようなものだろうと思わせた。
「ここって、おそらく彼らの住処ですよね。」
「その可能性もあるが、神殿である可能性のほうが高いね。あの絵を見てごらん。」
作田教授の視線の先には、洞窟の壁に刻まれた絵画がわずかな光の中ぼんやりと浮かび上がっていた。その絵柄を見た瞬間、神殿である可能性が高いという推測に納得がいった。
「あれは、で見つけた像の。」
「ああ、半魚人たちの神、クトゥルーだ。周りに描かれているのは、宇宙から来たというその落とし子だろう。そして、半魚人はおそらく一番下っ端というわけだ。」
絵の内容は大体このようなものだった。竜と人と蛸を合わせたような怪物、おそらく半魚人たちの神が中央に描かれており、その周りに直立した蛸のような生き物が書かれている。
さらにその周りで、神と蛸型生物に跪いているのが半魚人たちの小さな姿だ。
「奴らにとっての宗教画ってわけですか。にしても自分たちを末席に描くなんて。」
「そうだね。自分たちが下っ端であると自覚しているとは泣かせるじゃないか。人間より謙虚さでは勝っているかもしれないね。」
「にしても、あの二体だけ何で格上風に描かれてるんでしょうか。」
そう、半魚人たちは基本的に末席にいるのだが、二体だけクトゥルーの隣に立っている個体がいるのだ。
しかもその二個体はクトゥルーほどではないにせよかなり巨大に描かれており、周りの蛸型生物より明らかに大きい。
「あれは父なるダゴンと母なるハイドラだろうね。」
「な、何ですか、それ?」
「深き者、要するに半魚人たちがクトゥルーの他に崇拝する神でね。太平洋の島々の伝説に出てくるんだ。基本的には深き者と同じ姿だが、クジラ並みの大きさらしい。」
「『神は自分たちと同じ姿をしている』ですか。人間と考えることは同じですね。」
「ああ、だが不思議なのはダゴンやハイドラよりさらに上の存在として、クトゥルーを崇拝していることだ。何故ダゴンかハイドラを最高神にしなかったか。」
「まさか実際にクトゥルーに会って、力を見せつけられたとか…」
「…それこそまさかだと言いたいけどね。目の前に半魚人がいる状況では、そうかもしれないと言いたくなるよね。そろそろ一番奥みたいだよ。」
その言葉通り、目の前にはそれまでとは比べ物にならない巨大な空間があった。 そしてその中には、少なくとも数十人、ひょっとしたら数百人の半魚人が蠢いていた。