廃屋にて
昼食後に観光センターの前に着くと、そこにはレンタカーを借りた作田教授が待っていた。
「すいません、お待たせして。」
「気にしないでいいよ。まだ一時になってないし。じゃあ早速出発でいいのかな。」
「はい、どうもありがとうございます。私たちなんかを調査に同行させてもらって。」
「ああ、それも気にしないでいいよ。調査に人手が欲しかっただけだし。」
「そういえば、学生さんたちは学会に連れてきてないんですか?」
「最近星慧大学も予算厳しくて、旅費も宿泊費も出ないからね。連れてくるのは気の毒かなと思ってね。まさか一緒に来たほかの先生方に、自分の個人的な調査を手伝わせるわけにもいかないし。」
「なるほど、いろいろ大変なんですね。『ネフレン=カの石室』の発見で予算増えたりしなかったんですか?」
「予算増えるとしても来年からだし、そもそも増えるかは怪しいね。」
「どうしてですか?」
「知ってると思うけど、今エジプトってクーデター起きてて政情が混乱してるだろ。とても次の発掘隊を出せる状況じゃないんだ。おかげで、石室が本当にあるかを第三者が確認することもできない状態だ。」
「ああ、そもそも発掘隊出せない以上、予算も出ないってことですね。にしても発見のご褒美で予算増えたりしないんですか?」
「しないよ。そんなことに使う金ないってさ。」
大学の文系学部の寂しい懐事情を聞かされ、文系志望の俺が不安になったところで車はスタート。とかいう集落の跡地には、大体20分ぐらいで着きそうだということだ。しばし車中で教授の研究テーマなどをうかがう。
「そう言えば作田教授って、エジプト考古学の専門家じゃないんですか? どうして沖縄の民間伝承なんかを調べようと思ったんですか?」
「うん? 何か誤解してるみたいだけど、私の専門はエジプト考古学に限られないよ。むしろ世界中の神話や伝承のつながりを調べるのが、私のライフワークだ。」
「神話や伝承のつながりですか、例えばどういう?」
「例えば七不思議というものがあるだろう。」
教授が研究の内容を解説してくれた。
「いわゆる学校の七不思議の内容は、どこの学校でも大体同じだ。たいていトイレに幽霊がいて、階段の数が登る時と降りるときで違い、夜には人体模型が動いて音楽室のピアノが鳴る。」
「そういえば、代わり映えしない話ばかりですよね。」
「それでだ。こういう話を全国の子供が独立に考えたというのは、いくら何でも無理がある。それより原型になった話は一つで、それが全国の学校に広まったという可能性のほうが、はるかに高いだろう。」
「なるほど、そう言われればそうですね。口裂け女の話とかもその類でしょうし。」
「私の研究というのは、これを世界的なスケールでやるというものなんだ。世界の類似した伝説を調べ、それらが共通した一個の伝説から派生したものか、そうだとしたら原型はどのような伝説なのか、そういうことを調べたいと思ってるわけだ。」
「へえ、何だかすごい研究なんですね。」
そう言うしかなかった。正直スケールが多すぎて、俺には理解できん。
「そう言えば、うちの学校って七不思議ないわよね。」
「まあ高校だしね。ああいうのって、小学校かせいぜい中学校までじゃないのか。」
「何か詰まんないわね。」
「まあ似たようなものならあるけどね。比良坂高校の五大ダメ部分とか、三大残念とか。って、やばい。また余計なことを…」
「あら何それ、聞いたことないわね。」
「え、えーとね。五大ダメ部分は校舎の欠陥だよ。何故か最上階だけ低くなってる手摺とか、夏になると水がぬるくなる冷水機とか」
「へえ、で、三大残念っていうのは。」
「そ、それは。ああ、詰まんない話だよ。わざわざ聞く必要もないような。」
「何なのよ。教えなさいよ。」
「い、いやほんと聞かないほうが。」
「へえ、私には聞かせたくない話なんだ…」
「ちょ、無表情+虚ろな目でそのセリフはやめてくれ! ホント怖いから。わ、分かりました。お教えします。」
「じゃあとっとと言いなさいよ。」
「う、うーんと比良坂高校三大残念っていうのは、比良坂高校の残念な人物のことだよ。すごいイケメンなのに同性愛者の三年生とか、やたら背が高くて運動神経抜群なのに、運動部じゃなくて文化部に入ってる二年生とか。」
「ふーん。」
「ほ、ほら詰まんない話だろ。聞いてがっかりしただろ。」
「ところで『三大』残念よね。後の一人は。」
「えーと、それは」
「後の一人は?」
「…学年でベスト3に入る美少女なのに、変人でオカルトマニアの一年生。」
「へえ、誰のことかしらね…」
「やめて! 昨日買ったスタンガン向けないで!言ってるのは俺じゃない!」
「いやあ、君たち仲いいね。」
あなたにはこの会話がそう聞こえるのですか? 作田教授。
「着いたみたいだね。たぶん、このあたり一帯が宇賀那の跡地だ。」
言われて俺たちは周囲を見渡した。パッと見ではこれまで歩いてきた森と同じように見えるが、確かによく見ると植生が疎らになっていて、もとは平地だったのが分かる。
「何か不気味なところですね。住民の大半が軍に射殺されたと聞くと余計。」
目を凝らすと木々や蔦に浸食された家の残骸らしきものが、真夏の空の下に屍をさらしている。暴動が軍に鎮圧されたのが1925年だから、今から90年ほど前にこの村は村であることをやめたのだ。
その家の名残が草叢の中から所々突き出している様子は、誰に知られることもなく、村が「死」に対して抵抗してきた証のように見えた。
「って、これ骨じゃないの。踏んじゃった…」
前を歩いていた初穂が悲鳴を上げた。その足元を見ると、茶色に変色した棒状のものが砕けている。軍は住民を殺して死体を焼いた後、そのままにして帰っていったらしい。よく見ると骨はそこら中に転がっていて、頭蓋骨らしきものも見えた。
おっと、歩いてたら俺も骨らしきものを踏んでしまった。経年劣化しているらしく、それは簡単に砕けた。
「うーん、これは。半魚人だとしたら、思ったより人間に近い骨格をしているな。」
骨を拾い上げた作田教授が呟いた。
「そうなんですか?」
「ああ、やや腕が短くて、足の指が長いことを除けば人間そっくりだ。」
「っていうことは、そもそも本当に人間の骨である可能性もあるってことですか。」
宇賀那の住民が本当に半魚人だったのかは分からない。暴動時に村ごと殲滅されたのも、村ぐるみで仮想敵国と通じていたとかそういう理由かもしれないのだ。
「いや、それはなさそうだ。人間に近いといっても、チンパンジーやゴリラよりは格段に近いというレベル。ネアンデルタール人とクロマニヨン人ほど似ているわけじゃない。ただ、現代人とほぼ同じ体格だから、パッと見では現代人の骨として見逃される可能性はある。」
「なるほど、入念に調べたら明らかに別種であることがわかるわけですね。」
「ただ、それは完全な骨格があっての話だ。現代人と違うのは骨の形というより骨同士の大きさのバランスだから、一部だけが見つかった場合は現代人の骨と区別がつかない可能性がある。」
「じゃあ、海から一部だけが漂着した場合は、現代人の死体として処理される可能性があると。」
「その通りだ。それと、面白いことがある。」
「何ですか?」
「骨の中には、明らかな現代人の骨が混ざっている。」
「えっ、もしかして俺が踏んだ骨って。」
嫌な予感がした。「人間に近い生命体の骨」と「人間の骨」では踏んだ時のショックが違う。
「…言いにくいが、それは現代人の骨だね。」
やっぱりかよ。祟られたりしないだろうな。まあ気を取り直して、ここに現代人の骨がある理由について聞いてみるか。
「現代人の骨ってことは、宇賀那の住民との戦いで死んだ兵士の骨ですか。」
「それはないと思うな。太平洋戦争の末期じゃあるまいし、さすがに自軍の兵士の戦死体は持ち帰るだろう。それに、その骨は女性のものだ。当時女性の兵士はいない。」
「ってことは。」
「ああ、この宇賀那は、半魚人と人間が同居する村だったんだ。あの古文書の内容からすると、半魚人が人間を支配していたというほうが実態に近いんだろうが。」
「半魚人が人間を…」
それがどのような社会なのか、想像もつかなかった。
半魚人の骨をオスとメス(あるいは男と女)で一匹分ずつ回収し、丁寧に袋に詰めた後、俺たちは家の残骸を調べ始めた。
もちろんすべての家を調べる時間はないので、一番大きな、おそらく村長のものと思われる家だけを調べる。作りがいいのか、この家だけはほぼ原型を留めていたのだ。
外壁が崩れた部分を通って、家の中に入ると内部は意外に荒れていないことが分かった。屋根がまだ残って太陽光を遮っているので、内部に植物が生えることがなかったのだろう。
ただ朽ちかけているのは確からしく、床を踏むとミシリという嫌な音とともに木材が砕け、中からシロアリが湧いてきた。
「台所と食器があるな。半魚人も料理なんかするのか?」
俺はシロアリを見て顔をしかめている初穂に話しかけた。はっきり言うと、誰かと話をしていないと怖かったのだ。
家の中の台所だったらしい部屋には食器が乱雑に散らばっていて、もともとは白かったらしい黄ばんだ壁紙には茶色っぽい染みが大量についていた。半魚人であれ何であれ、ここに住んでいた住人の生命が、暴力的な方法で奪われた証だ。
ちゃぶ台やタンスなどの家具類はシロアリに食われながらもそのまま残っていて、確かにここで人、もしくはそれに近い生き物が生活していたことを不愉快なまでに雄弁に突き付けてくる。
住人が皆殺しにされ、90年間そのまま放置された家。そんな場所に自分は立っているのだ。そう思うとぞっとした。俺は幽霊など信じていないが、日々の暮らしの中で染みついた住人の思いのようなものが、確かにこの場所には残っている気がした。
俺のそんな感想をよそに、初穂は思ったよりずっと冷静な口調で答えた。
「うーん、どうなんだろ。あいつらが料理やるとは思えないのよね。この村には普通の人間も住んでたって話だから、そいつら用の台所と食器じゃないの。」
「あのさあ、初穂。怖くないわけ?」
「何がよ?」
「この場所って人が死んでるんだぞ。」
「それがどうかしたの。人なんて地球上のあらゆるところで死んでるわ。それこそ葛西の家が建ってる土地だってね。そんなこと気にする意味が分からないわ。」
俺と同じく怖がっているかと思いきや、初穂の感想はそのような散文的なものだった。食器や家具をただのモノとしてしか見ていないらしい。
そう言えばこいつはホラー映画を平気で見られるタイプだった。この状況ではその冷静さが頼もしいのは確かだが、男としてとても複雑な気持ちになったのも確かだ。
「おーい、みんな来てくれ。こっちに面白いものがあった。」
奥のほうの部屋を調べていた作田教授の声が聞こえたので、俺たちはそちらに向かった。少なくとも俺は、この台所にこれ以上居たくなかった。
作田教授のところに行ってみると、そこには30センチほどの高さの像があった。仏像の類かと思って覗き込んだ俺は、像の異様な姿に息を呑んだ。
その像の姿を人間界の言葉で表現するのは難しい。基本的に人型をしているのは確かなのだが、手足には巨大なカギ爪がついていて、さらに皮膚は爬虫類のような鱗で覆われている。頭部は人間というより蛸のそれに近く、ご丁寧に無数の触手まで伸びている。そして背中には蝙蝠の翼に似た器官があるが、全体と比較するとやけに小さく、とても実用になりそうにない。恐ろしく冒涜的な意図と病的な才能を持った何者かが空想した、蛸と人と竜のカリカチュア。そんな印象を受けた。
だが、像をじっと見ていると分かったが、これはどう見ても空想の産物には見えなかった。俺には彫刻についての専門知識などないが、この像が恐ろしく写実的だということは何となく分かった。作者は明らかにこの存在を目撃し、その姿を正確に写し取ったのだ。俺はそのことを理由もなく確信した。
「い、一体何なんですか、これ?」
初穂が怯えたような声を出した。像の姿に本能的な恐怖を覚えたらしい。それは俺も同じだった。膝までの高さしかない小さな像なのに、眺めていると巨大な怪物の前に立っているような錯覚を覚える。この像の作者が誰かは知らないが、恐るべき天才であるのは確かだろう。いやそうではない。どのような天才であれ、こんなものを人間が作れるとは思えなかった。
「おそらく古文書にある、半魚人たちが崇めていた神の像だ。名前をクトゥルー、あるいはクトゥルフと言う。」
「神? これがですか?」
どう見ても神には見えない。むしろ悪魔と言ったほうがまだ近そうだ。
「神という言葉から想像されるものからほど遠いのは確かだが、それでもこれが彼らにとっての神であることは間違いない。」
「何故そんなことが分かるんですか? というかそれ以前に、神の名前、クトゥルーでしたっけ。教授は何故そんなことまで?」
「私は前にも見たことがあるんだよ。同じような像をね。もっとも、崇拝していたのは半魚人ではなく人間だったが。」
作田教授の話によると、アフリカの部族、中国の少数民族、太平洋の島や中南米の先住民など、この神を崇拝する民族はほとんど世界中に存在したという。
「私のライフワークが世界中の神話の関連性を調べることだという話は前にしたが、そのきっかけになったのがこの像なんだ。世界の全く違う、文化的な交流があったとも思えないような場所で同じような神像が崇拝されていた。しかも、クトゥルーという神の名前と、その性質についての話までがそっくり同じだったんだよ。」
「どんな話だったんですか。」
「この神は人類が生まれる遥か前に、ほかの星から地上に降り立った存在で、その落とし子とともに長く世界を支配していた。だがその後、星辰がずれたことで神は眠りにつき、地上は人間が支配するようになった。そんな伝説だ。」
「眠りについたってことは、いつか目覚めると?」
「その通りだ。再び星辰が正しい座標についたときクトゥルーは目覚め、再び世界を支配するとされている。」
荒唐無稽な話だが、神がほかの星から来たという部分は、何故か納得させられるものがあった。この神像のもとになるような生き物が、地球上に存在するとは思えない。
「クトゥルーはさっきも言った通り、落とし子と一緒にやって来たんだけど、伝説によると地球の生物でもその眷属に加わったものがいるとされている。そしてそれが、深き者と呼ばれる、人間と魚を合わせたような生き物なんだ。」
「…深き者」
名前と言い外見と言い、半魚人とみてまず間違いないだろう。作田教授がこの像を半魚人にとっての神だと断言したのは、そのような理由があるらしい。
「そして、もう一つ面白いことがある。」
作田教授は付け加えた。
「深き者は、人間との間に子供を作れるとされているんだ。」
「そんな、全く別の生き物なのに…」
「見かけほど人間と違った生き物ではないのかもしれない。実際、骨格の構造はほとんど同じだったんだ。」
「じゃあ、この村の住民は。」
「ああ、半魚人と同居するだけではなく、混血していた可能性があるんだ。もちろん、人間との間に子供を作れるという伝説が正しかったらの話だけどね。」
半魚人との混血。俺は人間の男が人魚の妻を娶ったという例の昔話を思い出した。あの話では、妻は最初は人間の姿をしていたことになっているが。
「そろそろ戻ろう。夜になってからあの道を戻るのは危険そうだ。」
作田教授が言った。確かに、もうすぐ夕暮れになりそうだ。
「この像はどうしますか?」
「悪いけど君が運んでくれ。私は半魚人の骨を持つことにする。」
「私も何か持ちましょうか?」
「香川さんか。えーと、そうだ君は像の横にあるあの本を運んでくれ。彼らの信仰を知る上での資料になるかもしれない。」
教授が指さした先には、分厚い革表紙の本があった。100年近く廃屋に放置されていたはずなのに、新品同様にぴかぴかしているのが不気味だ。
「それじゃあ戻るとしますか。そんで初穂。この後はどうする?」
「どうするって?」
「いやあ、夜に海岸で半魚人探しするかって話。俺はもう疲れたから正直やりたくないんだけど。」
「ああそうだった。忘れてた。そう言えばそんなこと言ったわね。」
…墓穴掘った。このまま黙ってりゃよかった。どうせこいつのことだから、やると言うに決まって…
「ま、いいわ。とりあえず収穫は十分よ。クラブのみんなにも胸張って報告できるわ。今日は普通に休みましょう。」
「よ、よかった。いやあ、ここまで初穂が俺の言うことを聞いてくれるなんて珍し… いや何でもありません! だからそんな目で見ないで!」
「あ、あんたねえええええええええええええええええ! ずっと思ってるんだけど、本当に私のことをどう考えてるわけえええええええええええ!」
「す、すいません! 何でも言うこと聞きますから! お、怒らないで!」
そんなアホな会話を交わしていた俺たちは知る由もなかった。この後自分たちが、普通に生きている人間には全く想像もつかないような災厄に巻き込まれることを。