合流
「そんで、昨日話していた人魚の伝説だけどさ、やっぱり初穂は人魚ってのはあの半魚人のことだと思ってるわけ?」
近くにあったファーストフード店で朝食を取りつつ、初穂に話しかけてみる。
「うーん、微妙なところね。あの伝説じゃあ人魚は人間に化けられることになってるけど、さすがにそんなことができるとは思えないのよ。昨日見た半魚人が一瞬で人間の姿になるところなんて想像できないでしょ。」
「じゃあやっぱり、伝説は伝説として考えるべきか?」
「それもちょっと違うと思う。半魚人が出没する場所に人魚伝説があるなんて偶然とは思えないし。何らかの真実は含まれてるんじゃないかしら。」
「何らかの真実って、例えば?」
「例えば、あの伝説では人魚の妻は年を取らないってことになってる。これって結構ありそうなことだと思うのよ。」
「え、何で?」
年を取らないなんて、生物としての道を真っ向から踏み外してる気がする。まだ人間が一晩で人魚に代わるほうがあり得るんじゃないか。
「人魚とか半魚人って世界中にその目撃談があるわりに、まともな実物資料がないわよね。あるのは怪しげなミイラだけで、確実な標本は世界に一点もない。」
「それは架空の存在だからだろ」と言おうとして、俺は口をつぐんだ。その架空の存在を、確かに俺たちは目撃したのだ。あの化け物は、確かに実体をもって動いていた。
「こういうことが起こる原因は二つ考えられる。一つは生息場所が深海で、死体が陸に上がってこない可能性。でも昨日見たあいつは浅瀬を移動してた。だから、この可能性は低いと思う。」
「それじゃあ、もう一つは?」
「簡単なことよ。個体数が少なければ、その分死体が発見される可能性は低くなるわ。イリオモテヤマネコは二十世紀になるまで見つからなかったし、これが広い海に住む生物ならなおさらよ。」
「それは分かったけど、それが寿命と何の関係があるんだ?」
「個体数が少なかったとしてもライフサイクルが短ければ、そこそこの数の死体ができてそのうちの幾つかは陸に打ち上げられるはず。それがない以上、あの半魚人のライフサイクルは相当に長いはずなの。」
「ライフサイクル、要するに寿命のことか?」
「まあそうね。それで、あいつらの寿命が人間よりずっと長かった場合、人間には年を取らないように見えたとしても不思議じゃないわ。あの伝説の『人魚は年を取らない』っていう描写は、そのことを現してるんじゃないかしら」
「つまり奴らは『年を取らない』んじゃなくて、『寿命が長い分年を取るのが遅い』ってことか。」
「そういうこと。犬にとっては人間は年を取るのがすごく遅い生き物に見えるだろうし、セミには人間は年を取らない生き物に見えるはずよ。同じことが人間から見た半魚人にも言えるんじゃないかしら」
「な、なるほど」
俺は感心していた。「人魚は年を取らない」なんて言うから、どんな電波な理由を考えてるんだと思ったら、非常にまともな理由付けがされていたからだ。というか、何でこんなまともな推論ができるのにオカルトマニアなのだろうか? 謎だ。
うん? 待てよ。一瞬感心したが、この推論には穴があるような。
「でもさあ、半魚人の寿命を昔の人が観察した結果あの伝説ができたってのは、やっぱりなさそうな気がするぞ。」
「何で?」
「どのくらいのスピードで年を取るかを観察するには、半魚人一体一体を人間が識別できなきゃならんよな。例えばあの半魚人が山田で、こっちは鈴木だとか。自分がどの個体を観察してるかわからなければ、年を取ったなんてわかりっこないんだから。」
「確かにそうね。」
「ということはだ。あの伝説が事実をもとにしたものだとすれば、昔の沖縄人はそれこそ結婚の対象にするくらい半魚人と親密な付き合いがあったことになる。そんなことがあり得ると思うか?」
「確かにそれはなさそうね。あんな化け物と結婚するなんてぞっとするわ。」
「別に結婚に限らんけどさ、とにかく奴らが人間と親密にお付き合いしてたなんてことはありそうにない。昔の沖縄人が半魚人の存在を知ってたとしても、それこそ俺たちみたいに夜にちらっと目撃した程度じゃないのか。」
「その程度の付き合いじゃ、寿命のことなんて分かるはずないってことね。」
「そういうこと。例えばコイって数十年生きるらしいけど、初穂はそんなこと知ってたか?」
ちなみに雑学本で読んだネタである。こんなところで役に立つとは。
「知らなかったわ。」
「コイぐらい身近な生き物でもそうなのに、たまにしか見かけない生物の寿命なんて普通わからんと思うぞ。」
「うーん、確かにそうね。伝説調べた意味なかったかな。」
話しながら、俺はこいつのことを誤解してたのかもしれないと思った。俺に自分の仮説を否定されても全く怒らず、あっさりと俺のほうが正しいかもしれないと認めている。オカルトマニアは自分の偏見に凝り固まっているイメージがあったのだが、少なくとも初穂はそうじゃなさそうなのだ。
そういえば、わざわざ現地調査に来たのも、その性格の表れなのかもしれない。本当に偏見に凝り固まってる奴だったら、記事を見て「半魚人はいる」で済ませていたはずだ。わざわざ調査に来たのは、自分の目で真実を確かめようとしたからなんだろう。
「いやあ、にしても初穂が俺の意見を聞くとはね。」
「何よ、それどういう意味?」
「ああ、初穂って、人の話を聞かないタイプの人間だと思ってたんだけど… って何、どうして俺に殴りかかる態勢になってんの?」
「あ、あんたねええええええ。本当に私のことを何だと思ってるのよ。いつもいつも、よくもそこまで失礼なことが言えるわね。」
「お、落ち着け。これはあくまで俺が初穂のことを誤解してた、それは悪かったって話であって。」
「それじゃ今の今までそう考えてたってことでしょうが!全然フォローになってないのよ。本当にもう、私って結局あんたにどう思われてるわけ? 私の存在っていったい何? あんたにとってただの厄介者? 面倒くさい奴?」
「頼むから落ち着いてくれ! 何かものすごい誤解されそうなセリフを口走ってるぞ。ていうか他の客は完全に誤解して、俺のことを非難がましい目で見てるし…」
他者に自分の気持ちを伝えるって難しいね。うん。
朝食の後は地元の図書館で、半魚人に関する伝承について調べるということだったので、バスで図書館に向かう。まだ怒りが収まらないらしい初穂がとても怖いが、まあしょうがない。そのうち機嫌も直るだろう。
結構広い図書館に着いてみると、開館して15分ほど経っていた。あれ、こんな時間から結構人が入ってるな。みんな暇なんだね。俺たちが言えたことじゃないかもしれんけど。
とりあえず、司書の人にこの辺の伝承についての資料がないか聞いてみるか。
「あのー、私は民間伝承研究会っていうクラブに属してる者なんですけど、この辺りの伝承についての資料ってありますか? クラブの活動で調べてるんですよ。」
俺が聞く前に初穂が司書に話しかけていた。昨日の聞き込みの失敗を踏まえたのか、できるだけ常識人に見えるような質問の仕方だ。
というか、こういう話し方もできるんだったら、もっと早くやってもらいたい。「UFO見ませんでしたか?」とか「半魚人について知りませんか?」とかは、断じて初対面の人間にするべき質問ではない。
「申し訳ありません。資料はあるんですけど、さっき閲覧したいって方がいらっしゃって、今手元にないですね。」
って、えええええ?! 何それ。俺たち、正確には初穂以外にそんなもの読みたがる奴がいるの?
「そ、その人ってどんな人でしたか」
慌てたような口調だ。初穂にとってもこれは予想外だったらしい。
「え、えーと何か、眼鏡かけた男の人でしたよ。大学の教授だとおっしゃってました。」
資料の内容じゃなくて借りたやつの風貌を聞いてどうする気だ? あ、こいつの性格を考えると…
「真司、借りた人を探しに行くわよ。」
「探してどうすんだよ。」
「一緒に読ませてもらうに決まってんじゃない。」
「すごい迷惑だぞ。それって…」
「しょうがないじゃない。それに、大学教授なら伝承について、ネットに載ってないことも知ってるかもしれないし。むしろこれはチャンスよ。」
初穂はやたらテンションが高くなっていた。この状態になった初穂は誰にも止められない。俺は資料を借りた大学教授とやらに心の中で謝りつつ、それらしい人物を探し始めた。
それらしき人物は、幸いと言っていいのかは分からんが、すぐ見つかった。理知的に整った顔をした痩せ型の男性が、何だか古い本に見入っていたのだ。
意外だったのは、その男性が30代ぐらいに見えたことだ。大学教授って、もっと年配の人だと思ってた。準教授や助教と言ったのを、司書の人が聞き間違えた可能性は高いけど。
「ってあれ、あの人って。」
「え、知ってるの?」
「あの眼鏡かけた人よね。あれって、大学の作田教授じゃないの。」
「え、教授? あの若さで、しかも星慧の?」
星慧大学は私立大の中では、早稲田、慶応と並んで偏差値が高い大学であり、特に古代史に関する研究は国内トップクラスだ。あの人は(おそらく)30代で、そんな大学の教授になったのか?
「ていうか知らないわけ? 作田怜二教授って言ったら、『ネフレン=カの石室』の発見者じゃない。」
「ああ、そういえばテレビで。そうか、考古学会があるからここに来てたのか」
思い出した。そういえば一週間ぐらい前に、星慧大学の研究チームがエジプトで未盗掘の石室を発見したというニュースが流れていた。そして、研究チームの代表の一人が、作田怜二という考古学教授だったのだ。顔は見てなかったけど、こんなに若い人だったのか。
「こうなったら、ぜひ話を聞かせてもらうわ。」
そう言うと、初穂は止める間もなく作田教授らしい人に近づいて行った。
「すいません。星慧大学の作田教授ですよね。この辺の伝説についての資料をお持ちと聞きました。私はその中の半魚人についての話に興味があるので、それについて触れた文書を貸していただけませんか」
うわー、口調こそ丁寧だけど、なんつー厚かましいお願い。それと初対面の人に向かって半魚人とか言うな。さっきみたいに、もっと当たり障りのない聞き方にしてくれ。お前はやればできる子なんだから。
「え? ああ、私は作田だ。にしても奇遇だね。最近読んだ古文書との関係で、私もここの半魚人伝説を調べようと思ってたんだ。貸すことはできないけど、よかったら一緒に見るかい? いやあ、高校生で民間伝承に興味持つとはやるじゃないか。」
おい… こんなことがあっていいのか? どんな偶然だよ。作田教授は何か嬉しそうにしてるし。さっき初穂が言った通り、むしろチャンスだったのか。絶対に認めたくないぞ。
図書館で長話をすると迷惑なので、とりあえず外の喫茶店に集まる。資料は作田教授が司書の人を説得して一日だけ借り出してくれた。
…よく考えたら本当に迷惑だな、俺たち。すいません、作田教授。ご厄介をおかけします。御恩はお返しできそうにありませんが、俺が金持ちになったら聖慧大の考古学部に寄付させていただきます。ちなみに俺は金持ちになれそうにありません。
この回から登場する作田教授は、筆者の前作「ネフレン=カの帰還」に登場するあの人です。時期的には「ネフレン=カの帰還」の少し前ということになります。
この人を使うか、それらしい(神話知識があってもおかしくなさそうな)別のキャラを出すかずいぶん悩んだのですが、クトゥルフ神話知識を持つ人がそんなにたくさんいるのもちょっとな… と思って登場してもらいました。
ということでまさかの別作品からのキャラ登場ですが、「ネフレン=カの帰還」を読んでくださった方は不快に思われたかもしれません。お詫びいたします。