脱出
「奴ら、追ってきてるのか?」
全速力で走ったために疲労困憊した俺たちは、とりあえず半魚人の道の途中で座り込んでいた。ほとんど真っ暗闇なので状況が分からない。幸い夜間視力は回復してきたので、道についている目印は確認できるが。
「たぶん、そうみたい。声が聞こえるわ。」
半魚人に気づかれないように、初穂が小声で囁いた。
確かに、あの化け物の甲高いがどこかくぐもったような不快な叫び声が、後ろから聞こえてくる気がする。追いつかれたらどうなるかは、想像したくもなかった。
「うん、ちょっと待って。」
「どうした?」
「半魚人とは違う声が聞こえるわ。たぶん人間の声。銃の発砲音も聞こえる。」
「人間、米軍か。」
ある意味半魚人なんかより、ずっと危険な相手だ。半魚人の武器は粗末な槍だけだが、米兵はこの場にいる三人全員を、一瞬で肉塊に変えられるだけの武装をしている。しかもここは彼らのテリトリーであり、殺人の証拠は簡単に隠滅できる。
「たぶん夜間演習中の部隊が、奴らの騒ぎを聞きつけたんだと思う」
「ど、どうしますか?」
「これはまずい状況だね。私たちが基地内に侵入して、あの化け物の姿を見てしまったことがばれたら…」
「ばれたら?」
「たぶん米軍は、基地内にあの化け物がいることに気づいてるはずだ。それなのにそのことを公表しないのは、それが何らかの機密だからじゃないのか。例えば、奴らの身体の構造を参考にした、水陸両用装備の実験とか」
「じ、じゃあ、そんな軍事機密を知ったことがばれたら…」
「撃ち殺されて、半魚人の餌コースかな」
「ど、どうします?」
「米軍は高度な暗視装置を持っているはずだ。いつかは私たちに気づくね。」
「に、逃げますか」
「いや、音で気づかれる」
「八方塞がりですか」
待っていればいずれは見つかる。かといって、逃げれば気づかれる。どうしようもないか。いや、この自体を打開する方法が1つだけある。俺は小声でその提案を伝えた。
「分かりました。では、教授は初穂と一緒に、できるだけ足音を立てずに逃げてください。俺は二人とは逆に、米軍のいる方向に向かいます。」
「し、真司。あなた何する気?」
「聞いての通りだよ。三人が同方向に逃げたんじゃ、間違いなく足音で気づかれる。でも、一人が大きな足音を立てながら米軍の方に向かえば、遠ざかる二人の足音はそれに紛れて聞こえない。」
正直そんな保証はどこにもないが、3人一緒に逃げるよりは、気づかれる可能性が低くなるのは確かだろう。
「だ、駄目よ。危険すぎるわ」
初穂がこれも小声で言った。だがそうしなければ、おそらく3人全員が捕まる。一人の犠牲で2人を助けられるならそのほうがいいだろう。
「そんな役目なら私がやるよ。私が最年長だし、の調査に君たちを連れてきたのも私なんだから。」
「いえ、教授は車の運転のために残ってもらわなくてはなりません」
「じ、じゃあ私が行くわよ。この探索に巻き込んだのは私なんだし」
「いや、少しでも生還率を上げるには、米兵とコミュニケーションを取る能力が必要だ。初穂は英語苦手だっただろ。俺の方が適任なんだ」
初穂と俺の総合成績はほぼ同じだが、俺が文系で語学を得意とするのに対し、初穂は理数系で国語も英語も全く駄目だ。そんな人物が米軍の方に向かえば、「フリーズ」の意味を理解できずに射殺された留学生と同じ運命をたどるだろう。
「…にしたって、やっぱり私が行くわよ。巻き込まれた方が、巻き込んだ方を守る理由なんてないわ。その逆ならともかくね」
「なあ、初穂」
「な、何よ?」
「守る理由って言ったけどな」
「言ったわよ。それが何よ?」
「俺は初穂に助かってもらいたい。理由はそれじゃ駄目か」
これは紛れもなく本心だ。教室の他の奴らの評価じゃ、初穂はオカルト好きの変人で、見た目がいいのだけが取り柄となっている。正直、俺も半分ぐらいはそう思ってた。
だが、この旅行で分かった。初穂は何だかんだ言って純粋で素直だし、責任感も強い人間なのだ。こういう奴がいなくなると、世の中がそれだけ寂しくなる気がする。
「…」
俺の言葉を聞いた瞬間、初穂は今にも泣きそうな顔になった。半魚人に襲われたときも、奴らの儀式の生け贄にされそうになっときも、こんな顔はしなかったのに。
「…分かったわよ。その代わり」
「その代わり?」
「必ず帰ってきなさいよ。帰ってこなかったら許さないからね」
「ああ、帰ってくるよ。作田教授、合流場所は車の前とします。追っ手が来るか、一時間経っても俺が帰ってこなかったら、そのまま車を発進させてください。」
そう言うと、俺はできるだけ派手な足音を立てながら、米軍のいる方向に向かった。後ろから、初穂と教授が半魚人が開けたフェンスの裂け目に向かう気配がした。
何分走ったのかは分からない。気がつくと目の前に十数人の米兵がいて、こちらに銃口を向けていた。俺は両手を上に上げ、敵意がないことを示した。
「何者だ?」
米兵の指揮官と思われる人物が質問してくる。とりあえずこの場で射殺する気は無いらしい。まあ基地内に連れ込まれて拷問されるコースかもしれないが。
「日本の高校生です」
「日本の高校生が、何故こんなところにいる?」
「すいません、僕は軍事マニアなんです。沖縄ではアメリカ軍の兵器がたくさん見られるので」
でたらめだが、高校生が米軍基地にいる理由は他に思いつかなかった。
「基地の中にいる説明になっていないな。なぜ、入ってきた?」
「え、えーと、基地のフェンスに穴が空いてたんですよ。そ、それで好奇心からちょっと入ってみたら、道に迷っちゃって。気がついたら夜だったんです」
俺はいかにもバカで危機管理のできない子供を装った声で言った。何も知らない愚か者のふりをすれば、米軍も深くは追求しないかもしれない。ただの願望だが。
「フェンスに穴が空いていただと?」
「は、はい」
「どういうことだ。お前が空けたのか?」
「ち、違いますよ。もとから空いてたんです。この沖縄には、アメリカ軍の存在を快く思わない人たちがいますからね。その人たちが貴軍の活動をスパイしたり妨害したりするために空けたんじゃないですか?」
俺は出まかせを言った。無関係の人々に罪を着せるようなことはしたくないが、半魚人どもがやったと言ったら何が起こるか分からない以上、そうせざるを得ない。
「どうします? 見たところ無害そうですけど」
「それこそ見ただけじゃ分からんな。諜報員なんて、無害という言葉が服を着て歩いているような容貌をしてるものさ。それに、奴らが騒ぎ出した現場の近くにこいつが現れたというのは…」
米兵たちが相談している。どういう雲行きになるかは分からないが、悪くなった場合ろくなことにならないのは確かだ。
「ところで高校生、基地内で何か変なものは見なかったか」
「いえ、なんか変な声なら聞きましたけど。あれって何なんですかね。この辺り特有の鳥とかですか?」
半魚人たちはあんなに騒いでいたのだ。何も聞かなかったというほうが不自然だろう。異変には気づいたが、それが何なのか見当もつかないといった体を装う必要がある。
「ふーん。まあ取りあえず、バッグの中のものを出してもらおうか」
「はい」
俺はバッグの中にあるものを全て出した。神像を半魚人に奪われてよかった。あれが見つかったら面倒なことになっていただろう。
「スマートフォンをチェックさせてもらう」
そう言うと米兵は俺のスマホをいじり始めた。ここで撮った写真は、移動中に撮影した景色だけだが。
「情報機器はスマートフォン以外持っていないし、そのスマートフォンにも無関係の写真しかないな。だがどうする。こいつがとっくにデータを送ってしまったという可能性もあるし、機器をすでに基地内に設置し終えた後なのかもしれない」
「うーん、でもこいつが本当に日本の高校生だったりすると、殺したら面倒なことになりますよ。下手したら反対運動がさらに加速します。」
「旅行中の行方不明ということで誤魔化せないか。こいつが基地内にいたことは、我々以外知らないわけだし。」
「基地の近くで消えたという記録は残りますよ。ただでさえ奴らの誘拐まで我々のせいにされてるのに、これ以上行方不明者を増やすような真似は。」
「とりあえず基地に連れ帰るか。その後どうするか考えよう。」
そう言うと米兵たちは、俺を軍用車に乗せて基地まで運んでいった。彼らの言うとおり、基地内で何が起こっても外部の人間には分からない。ここから先は完全に米軍次第なのだ。
何か米軍が悪役になってますが、別に基地批判の意図はありません。軍事基地に民間人が侵入して来たら、こういう対応をするでしょうというだけです。