沖縄の半魚人
ライトノベル形式のクトゥルフ神話作品です。この手の作品には、主人公がチート能力で神話生物を蹴散らすタイプが多いですが、本作では主人公を平均かそれ以下の能力しかない普通の人間としています。うーん、生き残れるんかいなこの主人公。
ということでチートも異世界転生もない作品ですが、読んでいただけるとありがたいです。
10/17 主人公の名前を修正しました。何か主人公に酷似した名前の実在の人物を発見してしまい、いろいろとまずいかなと思ったので。今までの名前が気に入っていた方には、まことに申し訳ないことをしました。
彼らは怯えながら逃げていた。後ろには彼らに似ているが、何かが全く違う化け物の集団がいる。そして奴らは恐るべき武器を持っている。あの武器は彼らの村を滅ぼし、彼らをここまで追い詰めていた。
「奴ら、何で攻めてきたんだ?」
彼らのうち一人が絶叫した。彼らはあの村で先祖代々暮らしてきた。数日前、その平和は一瞬で崩れた。あの化け物たちが恐るべき武器とともに攻め込んできて、村を滅ぼしたのだ。武器の正体は分からない。彼らの知識の中にはない恐ろしい何かとしか言いようがなかった。
「ひとまず、奴らはここまでは追ってこられないみたいだな。」
別の一人が安堵したようにつぶやいた。
「だが、これからどうすればいい?」
最初に叫んだものが呟く。村は失われ、彼らは根無し草となっている。この状況でのいきつく先は、滅びしかないように思われた。
不意に、目の前に巨大な何かが出現した。それは彼らに語り掛けてきた。そして、彼らはそれに応えた。
空港を一歩出た瞬間、南の島に来たんだという実感がわいた。目の前にあるもの全てが強烈な陽光に照らされ、まるでそれ自身が輝きを放っているように見える。
そして、俺の隣には一人の女の子が立っている。端正さとあどけなさが絶妙にバランスされた顔に栗色のツインテール。やや小柄だが、手足はすらりと長い。Tシャツにショートパンツというラフなファッションだが、それがとても似合っている。
何つー羨ましいご身分だ。南国を美少女と一緒に旅行なんて。そう思われる方も多いだろう。やっぱり、水着姿は鑑賞するんだよね。ところで部屋は別? もしかして一緒?そこまで妄想の翼をはためかせる方も少なくないと思われる。
だが俺、高校一年生の葛西真司の隣でとても嬉しそうな顔をして景色を眺めている、同じく高校一年生の少女、香川初穂の本質とここに来た目的を知っている人なら、こう思うだろう。「ご苦労さま」あるいは、「ご愁傷さま」と。
話は約一か月前に遡る。掃除も終わって帰り支度を始めた俺に、同じく掃除当番だった香川がいきなりスポーツ新聞を突き付けてきたのだ。つーか高校に持ってきていいのか、そんなもん。よく見つからなかったな。
「ねえ葛西、この記事見てよ。沖縄で半魚人発見ですって。すごいわよね」
「ふうん」
「何か気のない返事ね。ほら、写真あるわよ。すごく鮮明よね。人魚の正体はジュゴンだとか言われているけど、この写真はどう見てもジュゴンじゃないわ。やっぱり、人魚あるいは半魚人と呼ばれる生命体は実在したのよ。考えてみれば人魚って世界中の伝説に存在するし、もとになった存在がいても不思議じゃないわ。」
しぶしぶ覗いてみると、夕暮れ間近の海に人型をした灰色っぽい何かが浮かんでいる様子が写っていた。体形は人間にしては少しずんぐりしており、足にはヒレのようなものが着いている。
それはそうとして写真の画質は、確かに香川の言う通り「すごく鮮明」だ。それがうさん臭さを倍増させてる気もするが。
「あのさあ香川、少なくとも俺はこんな写真を見たことないわけだが、これってこの新聞以外の他媒体に取り上げられたりしたか? 続報とかはあったか?」
「いいえ。それがどうかしたの?」
「この写真だけどな、確かに半魚人にも見えるけど、シュノーケリングやってるメタボのおっさんにも見える。それにこの新聞は確かツチノコや河童の発見も報じたことがあったけど、どっちも合成写真だったことがのちに分かっている。つまりこれも合成写真の可能性が」
「夢がないやつね。あんた。ダイビングスーツって普通黒じゃないの。こんな青みがかった灰色のやつなんて見たことないわ。それに多分、この写真は合成じゃない」
「何を根拠に?」
「勘よ。私の勘がこれは合成じゃないとささやいているわ。それに沖縄って言えば、与那国島の海底遺跡とも近いじゃない。きっと何か関係があるに違いないわ。」
「…」
俺は別に香川の精神状態を心配したりはしなかった。というか、彼女にとってはこれが平常運転。香川初穂がいきなりオカルトの話をしだすのは、ラッシュの時間帯の乗車率が200%を超えるのと同じぐらい普通のことだ。
ラッシュ時間の乗車率が100%以下の、常識的かつ人間の尊厳を保つに足る数字であることは、街に尋常ならざる何かが起きていることを意味する。初めから狂っているものは狂っているのが普通の状態であり、普通の状態になることのほうが異常事態なのだ。ちょっと自分でも何言ってるかわからなくなってきた。
「というわけで、現地調査に行くことにしたわ」
へっ、現地調査? ひょっとして沖縄まで行く気か? えーと、そんな金がどこにあるんだ?香川。まさか俺に金を出せと言うんじゃないだろうな。いや、こいつだったら言いかねないか。
旅費を請求されたときに断る方法を考え始めた俺に向かって、香川は一枚の封筒を取り出し、中身を見せた。
「じゃーん、沖縄への往復航空券。いやー、この記事は半年ぐらい前に出たんだけどね。それからずっと懸賞に応募しまくって、ようやく手に入れたの」
「そ、そーか。そりゃよかったな。まあ楽しんで来いよ。半魚人、見つかるといいな」
やけに古い新聞だと思ったらそのせいか。とりあえず旅費の請求がないとわかり、俺はほっとした。にしても半年前ってことはまだ受験勉強中じゃないか。そんなときにスポーツ新聞読んだり懸賞に応募したりしてたのか、こいつは?
「何他人事みたいに言ってんのよ。葛西も行くのよ。」
「えっと、何? どういうこと? 俺には状況がよく…」
「ちゃんと見なさいよ。これはペアチケット。二人分あるの。ちなみに日付は行きが7月27日で、帰りが7月30日。夏休みが始まってすぐね。ということで、27日から30日は開けておくように。二泊三日しかないからちゃんと調査できるか不安だけど、不眠不休でやるつもりよ」
な、なるほどペアチケットね。にしても何で俺が、香川の半魚人探しに付き合わなきゃならんのだ。まあ沖縄は行ってみたいが、不眠不休での調査なんて冗談じゃねーぞ。しかも調査内容が、スポーツ新聞の埋めネタに載ってた怪しげな写真だなんて。
「あのさあ香川。香川って民間伝承研究会(名前は真面目そうだが、実態はオカルト研究会そのものらしい)とかいう部活に入ってたよな。調査はそこの人たちと行けばいいんじゃないのか?」
「私と沖縄に行くのが嫌なの?」
いきなりこっちを追い詰めるようなセリフを吐く香川。
というか、怒っているようにでもなく冗談っぽくでもなく、無表情でぼそっと言うのはやめてほしい。無駄に美人なだけにシャレにならないほど怖い。
「そ、そういうことじゃなくてさ。オカルトに詳しい人が一緒のほうが調査だって捗るだろうし、その人だって楽しいだろ。俺なんかいてもあんまり役に立たないだろうし。」
「うーん、私も出来ればそうしたかったんだけどね。まず会長は夏休み前半は、短期留学で日本にいないの」
「留学? 高校2年生でか?」
「うん、英語が得意な高校生をネイティブと交流させるプログラムがあるらしくて、それに応募したんだって。まあ本人的には、カリキュラムの中にある大学見学目当てらしいけど。アメリカのマサチューセッツ州の、えーとミスカトニック大学だっけ。その大学を見学したいんだってさ。」
「へー、何かすごい人なんだな。その会長って」
「たぶんこの高校の中で、3年含めて一番学力高いと思う。」
はあ、なるほどね。その会長とやらが行けない理由はわかりましたよ。でも他の人も行けない理由は何? まさか香川と会長しかそのクラブにいないとか? うーん、あり得る。
「それで、うちの部には一応、あと二人いるんだけどね。」
「じゃあ、そのうちのどっちかと行けばいいんじゃないのか?」
「そうも行かないのよね。どっちも男子だからややこしいのよ。二人の男子のうちどっちかを選んで、『夏休みは私と沖縄に行きましょう』なんて言ったら、クラブ内の雰囲気が最悪になりそうだし。」
「ああ、そういうことか。つーか香川って、そんな気配りができたんだな。てっきり…」
「葛西、あんたって私のことを何だと思ってたわけ?」
いや、本当に驚いたんだって。香川初穂の性格を四字熟語で表すとすると、良く言えば独立独歩、悪く言えば傍若無人。
相手が誰であろうと自分が話したい事(つまりオカルト話)しか口にせず、そのせいでクラスの女子のほぼ全員からハブられても全く気にしない人物なのだ。そんな人物が部内の人間関係を気にしていたことに、俺は心底驚いたのだ。
「ということで、クラブの人と行けない理由は分かったわね。で、結局行くの? 行かないの?」
「わ、分かりました。お供させていただきます」
「何故敬語…?」
正直行きたくはなかったが、先ほどの失言の負い目もあり、うんと言わざるをえなかった。まあそうと決まれば。
「それじゃ7月27日だな。分かった。ところで香川、、このことはクラスの誰にも言うなよ。まあ、言わんとは思うけど。」
「何でよ?」
「さっき香川が言ってたのと同じ理由。あの、そのさあ、自覚してるのかは知らんけど、香川って結構かわいいんだよな。その香川と沖縄旅行なんて言ったら、ほかの男子に何されることやら…」
そう、女子から総スカンを食らっている香川だが、(実態を知らない)男子には結構人気がある。まあ黙っていればクラス1の美少女で、教室での態度は文学少女風だからな。休み時間にずっと読んでる本の中身は、全部電波系なんだけど。
そして、その香川ともっとも頻繁に話している男子は俺。何でなのかは全く分からんが、とにかく俺なのである。というわけで、俺にはただでさえ周りから有形無形の圧力がかかっており、一緒に旅行に行くなんてことがばれた日には、石打ちの刑にでもされかねんのだ。
にしても「香川って、かわいい」か。危険を避けるためとはいえ、我ながら恥ずかしいセリフを吐いたもんだ。顔が真っ赤になりそうだ。まあ事実だけどさ。うん? 俺じゃなくて香川の顔まで赤くなってるぞ。何でだろ? 何か息も荒いし、風邪か?
「お、おい香川。どうかしたのか」
「ど、どうかしたのかって何よ? 何でもないわよ。じゃあ7月27日よ。忘れたら承知しないわよ」。
ということがあって俺たちは今、沖縄に来ているわけだ。