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物集めのむなしさ  その4 大金投じてガラクタの山を築く?

作者: 舜風人

物集め


蒐集


コレクション


だが


所詮物はモノに過ぎない。


たとえば


ここに国宝の


万暦赤絵の


サザビーに出せば2億円と言われるような


尊式花瓶があったとしても、



さてそれだけを


毎日眺めて


すべて事足りるのか?



そうじゃないだろう。



飲んだり食ったり寝たり起きたり


病院行ったり


市役所行ったり


それらの

生きる上での雑用?を



した後での


鑑賞でしかないだろう。


ましてや


庶民骨董クラスの雑器ともなれば


そうそう美的でもないし


価値的にもがらくた値段で売れないし


ただ蒐集欲の満足でしかない場合がほとんどだろう。


『私はそば猪口1000個集めました」



『私は印版染付皿1000枚集めました』



『私は徳利ばかり1000個集めました』



庶民骨董のコレクションといえば


こんなものと相場は決まっている。


いわゆる数集めである。


1000万円の「飛び青磁瓶」など買えるわけないから



どうでもいいような?染付のそば猪口をただ「数集め」するしかないのだ。


そば猪口や徳利、印版手に、はたしてどんな美があるのか?


と言われれば、


そんなガラクタ雑器を観照して癒されるその人の美的センスって


いかばかりのものかと疑問にもかられますが、



まあ、と言って


1000万円の骨董品を一個だけ持っていても、


それでは蒐集家とは言われないし


骨董の醍醐味も無い。


骨董とは


買う時のあのわくわく感が最大の


醍醐味なのであって


買ってしまえば


しまいこんで見向きもしないという


コレクターが実に多いのである。



初めての出会い


これは本物だろうか?


傷はないか?


あがりはどうだ?


矯めつ眇めつ見て



さあ買うと決めて


値段交渉。

¥^

以外と安かったりして


内心ほくそ笑む。


そういうやり取りこそコットの最大の醍醐味なのである。



だからいざ買ってしまえば


2~3日は眺めるが


その後はしまい込んで


見向きもしないで


早速次なる獲物?を


骨董市、骨董屋めぐりと相成るのである。



そうして

やがて



足の踏み場もないほどに、



ガラクタ?


いいえ



骨董品の山ができるのですね。


これが多くの骨董品愛好家の末路?です。




中にはご丁寧にも


わざわざ退職金はたいて


別棟に、飾り部屋を作って飾ったりする人もいますが


そんなそば猪口1000点並べた展示室など誰も


関心はないし


見たくもないですよね?


結局ホコリをかぶってたなざらしです。




ご主人が亡くなれば


片づけて粗大ごみの日に出してそれでオシマイです。



まあ


生前に


ご当人が、そば猪口で遊んで、楽しんで、


酒も飲まず、ばくちもせず、愛人も作らず、


そば猪口だけを唯一の楽しみにしていたのですから


まあ、


罪はないと言うか、



生きがいとして


大正解?だったともいえるでしょうね。


酒、ばくち、オンナだと結局は身を滅ぼしてしまうでしょ?


そば猪口なら


身を滅ぼすことも無い?でしょうからね。





とはいえ中には、


身上つぶすほど入れあげて


100万。200万という、


高価な、しかも偽物を


つかまされて


なおも、反省もせず


止めるどころか


いよいよ大暴走しまくる



目の効かない、収集狂ご老人もいますから



その点は何とも言いきれませんけどね。




でも、


骨董品だけで


心は癒されないし、


財テクにもならないし、



ということだけは

留意しておきましょうね。


でないと、


にせもの。ガラクタの山を


大金投じて作るだけに終わる可能性が大きいからですよ。



そして如何ほどの高価な骨董品、古美術品であっても、


それで人生すべてが癒されるわけでもなし、


人生すべてがそれだけでOKということにもならないという


それが私の結論ですね。


骨董も


古美術品も


いわば


高級な


「お遊び」でしかないということです。


『余技』であり、


人生の『本義』ではありえません。


人生にはほかにいくらでもするべき

ことがあるはずです。



特に若い人には


骨董なんかする暇があったら


もっとほかのことを生きがいにすべきですよ。


動くこと、


外に出る事、


体を張って生きてみる事、


愛する事、


奉仕する事、


神を信じる事、


骨董なんかやってる場合ではないでしょ?




骨董は


あくまで趣味であり


お遊びであり


余技にすぎないからです。



それを「本技」にしてはいけません。



そして


人生の大半が終わって


骨董を友とするしかないので



骨董をやってみても、


所詮モノはモノです。


どんな高価な


古美術品も


心を癒しきれるものなんかあり得ないということですよ。



あくまでも、


余技であり


お遊びである


それが骨董・古美術の限界です。


どんな古美術品か知りませんが


所詮モノでしかないです。


モノで癒されるあなたの心って


一体。


私にとって


物集めはあくまでも「お遊び」であり



時間つぶしでしあありませんよ。


それ以上でもないしそれ以下でもない。


たんなる趣味、、道楽、粋、、遊びです。


骨董に全人生奉げる気もないし


また骨董に全人生奉げるのはハッキリ言って愚かでしょうね。


人間として生まれたからにはもっと他にやることがあるはずでしょ?


骨董なんて


定年退職後の時間つぶしで十分ですよ。



そういう意味での


蕩尽?というか


遊蕩?というのか



それでならば


大金つかってガラクタの山を築くのも


亦、楽しからずや?




という一種のサトリ?というか


諦観?


何でしょうかね?














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