聖女の調べもの
翌日、昼過ぎに聖女の部屋に向かう。
昨日は呆然としている間に聖女が部屋へと連れさられ、俺はその後神官長達から泣きたくなるくらい長時間の説教を受け、やっと解放されたと思ったら今度はロイからさらにねちっこい説教を受ける羽目になった。
さすがに気まずいが、聖女の元に行かなければ昨日以上の説教タイムが繰り広げられる事は確実だ。
背に腹は変えられない。扉の前で深呼吸して、俺はゆっくりと聖女の部屋へと歩を進めた。
「あら、あなた…昨日の」
興味なさそうに本から目を上げ、聖女が言う。彼女の前には莫大な量の本が置かれてあった。
「…これ全部読む気か?」
「暇だもの。何故か言葉も分かるし読めるしね。異世界の歴史や文化はちょっと興味あるわ」
本当に変な女だ。
「…あんた、ホント落ち着いてるな。夢じゃないって分かって少しは取り乱してるかと思ったのに」
「ここ一ヶ月で一生分の酷い目にあったもの。まさか最後のシメに異世界に飛ばされて生贄とかどんだけ?とは思うけど…もうどうでもいい」
落ちついてるっていうか、ヤケになってるだけか。
「それより貴方、禊の仕方を教えに来るんだと聞いたわ。さっさと教えてさっさと帰ってくれない?調べたい事が山ほどあるから時間がないの」
あっけらかんとそう言われ、毒気も抜かれてしまった。簡単に禊の仕方を教えて、たっぷり余った時間は読書の時間にくれてやる。
側を離れたらまた説教をくらう可能性が高いから、俺も本の山の中から適当なのを見繕った。今日はこれで暇を潰して、明日からは仕事道具を持ち込むことにしよう。時間は有効に使わないとな。
それから彼女は、お茶さえ飲まずにひたすらに文字を追っていた。
「なぁ、何読んでんだ?」
さすがに暇で聞いてみたら、意外な答えが返ってきた。
「歴史書。今はこの天災の周期と、その時々の被害状況を調べてる」
なんでまた、そんなものを…?
「天災の周期や傾向が分かれば、対策が立てられるかも知れないじゃない。まぁ、余計なお世話だろうけど」
唖然とした。生贄にされようとしているこの女は、あろうことか天災を防ぐ手段を探しているらしい。
「私達の世界でも、500年くらい昔には生贄の習慣があったみたいなの」
川や沼の氾濫や飢饉などの天災には神の供物として。城を築けば呪い物として。むしろ俺達の世界よりも、ずっと頻繁に「生贄」という名の供物が神に捧げられていたわけだ。
当たり前のように行われた生贄の習慣は、今となってはそんな事実にさえ蓋をされそうな程廃れているという。
「治水の技術が高まって、氾濫なんて滅多な事じゃおこらないし、お城だって建築技術がしっかりしてれば人柱なんかなくても崩れたりしない」
話しながらも本のページを繰る手は止めない。俺に話すというよりは、単に言葉にする事で自らの考えを纏めているようだった。
「天候は気象を読めばある程度は予測できるし、食べる物を備蓄しておけば大規模な飢饉には至らないって、昔の人は学んだのね」
この世界も、同じではないのか。
彼女はそう考えているのだ。
衝撃を受けた。
彼女のいうことを信じるとすれば、この酷い天災は防げるのかも知れない。防げないまでもかなり軽減する事が出来るのかも知れない。
大規模な天災が始まってから、寝る間も惜しんで救済活動を続けてきた。それでも次から次へと災害が続き、もはや街は被災者で溢れ返っている。
絶望する人々、泣き叫ぶ子供達。犯罪に手を染める者も後を絶たない。
被害の規模が拡大すればするほど、差し伸べる手にも限界が生まれるのだ。
この惨状を、技術や知識を持つ事で、僅かなり救えるというのか。
俄かには信じ難い。
でも彼女の目は真剣で、少なくとも彼女自身は本気でそう思っている事が見て取れた。
「俺も…調べる」
被害を未然に防げる可能性が僅かでもあるなら。小指の先ほどの可能性にでも、賭けてみる価値があるんじゃないのか。