第九話
それからしばらくして、夜。都心から一時間くらい車を飛ばしたところにある国立保養地の森へ、一同はやってきていた。
当然、光の夕食には例の肉を食べさせられている。
ゴムをかじるようなその味は、香辛料でごまかせばなんとか食べられるものだったが、進んで食べたいとは思わないものだった。
「魔力はどうだ?」
「うーん、一パーセントくらいは回復してるかな」
「単純に考えると、あたしの一〇〇倍以上は魔力許容量があるということか」
「腐っても魔王だしね」
「腐っていらっしゃいますけどね」
そうこうしている間に、シャインが適当な的を見繕う。
国立保養地と言っても、風光明媚だったのはもう何十年も昔の話。いまでは格好の不法投棄場所として知られている。
シャインが選んだのはその中の一つ。自動車まるごと一台だった。
「ここなら周りに迷惑はかかりませんので、思い切ってやっちゃってください」
「やるって言ってもなあ、破壊活動とか苦手なんだけど」
「スイーパーとしておまえになにができるか、それを見せてくれればいいんだ」
「そう? じゃあ」
直後に大爆発が起きた。
ぼとりと、あっさりした音を立てて、破裂したタイヤが転がってくる。
「これが全力の一パーセント」
「……マジ、ですの?」
「うん。あとできるのは」
瞬間、光の姿が消える。
「消えた?」
「嘘……わたくしに読めない気配があるなんて」
「セルコンのワイヤレスリンクも途絶えてるっすねえ。はて?」
「ひやああっ!」
ややあって、悲鳴を上げたのは薫だった。
「うん、やっぱりこのキモノってやつは固いんだね。おっぱいの感触が全然しないや」
声はどこからともなく聞こえる。けれど、姿が見えない。
「こ、こ、こ……」
「え、ちょっと待って。殺すのは勘弁して!」
慌てた素振りで、光が姿を表わす。同時にワイヤレスリンクも回復する。
「この、わたくしが…… 後ろをとられたなんて……」
しかし薫は、プライドを傷つけられたほうがショックだったのか、うなだれて言った。
「そ、そうそう。魔力次第で薫にも勝てるぞ、ってことを言いたかったってだけで」
「……不覚ですわ。次は、ありませんわよ」
薫は涙目で、それを言うのが精一杯だった。
「わかってる、多分いまの魔力じゃ、次はできないと思う」
「なにをやったっすか?」
「別に、ちょっと世界を騙してみただけだよ」
「世界を騙す?」
「皆が認識するから、僕はここにいる。けれどもきみたちの誰もが、僕がここに存在しないと思えば、僕はここに存在しないのと同じってわけ」
「ほほー……。なんだかよくわからないけど、すごいっすね」
「セルコンも騙せたなら、多分映像装置も騙せるんじゃないかな」
「あっさり言ってるけど、それってすごいことっすよ。機械に魔法を適用させるなんて」
「まだ他にもできることはあるよ。魔力消費量は多いんだけど」
言って、光が手をかざす。爆破した車に向けて。
するとどうだろう。まるでビデオの逆再生を見るかのように、バラバラになった車が元の形を取り戻していった。
だが、それも途中までだった。
「ううん、この魔力じゃこれが限界か」
「どうなってるんですの……?」
「車に元の形を思い出させただけ。まあ、それでも戻せる時間に限界はあるんだけどね」
「なんすか、これ……。まるで本当に魔法を見てるみたいっす……」
「だから、これが本当の魔法。三〇〇年前はこれくらい使えるひとはごろごろしてたんだけどね。今じゃもう珍しいのかな」
「これで一パーセントか……。つくづく自信無くしちまうなあ、あたしゃ」
ミストは心底からぼやいた。
「でも、勇者はこれを上回ってたってことっすよね」
「勇者?」
光がきょとんとする。
「勇者っすよ。魔王を封印した……名前は伝わってないけど」
「勇者、勇者……ねえ。ううーん……その、なんていうか。たぶんあの子たち?」
「なんか言いづらそうっすね」
「うん、昔のことは忘れたから」
光は黙って目を逸らした。
「まあ、言いたくないことなら詮索はしないっすけど」
「なんにせよ、これで少しは僕が役に立つってわかってくれたかな?」
光は胸を張った。
「いや、ちょっとおおまかに試算してみたんだが」
しかしそれにミストが異議を唱える。各自のARに計算結果を表示。
「爆薬はめったに使わないが、この規模だと三ドルくらいか。ステルスコートは手が届かないが、シャインの電磁迷彩と薫の気配隠しをあわせればスニーキングに必要なことは足りる。それに対してあの肉の値段が一食分で五ドルから十ドル」
「ふむ、そうっすね。トントンってところっすか?」
「実際のところ、費用対効果で考えると、いいとは言えない選択だな」
「なるほど、確かにそれは言えてますね。あの規模の爆破なんて必要ありませんし」
「結局役立たずにはかわりませんのね」
シャインもそれに同調する。薫もいわんや。
「気配を消されてシャワーや着替えを覗かれたりするリスクを考えると、あたしは光に魔力を回復させる必要はないと思うな」
「なるほど、ごもっともです」
「ちょ、ちょっと待って! いざって時の高火力は必要じゃない? それに、そう。ものをもとに戻す魔法は便利だよ! 怪我だって治せるし」
光は慌てて言った。
「確かに、便利かもしれませんわね」
「だろ? だろ?」
「おあいにくさま。わたくしたちには必要ありませんの」
薫がツンとすまして言った。
「えっ……」
「わたくしを構成するバイオウェアは、少しの傷なら勝手に塞いでしまいます」
「あたしも、自分の傷なら魔力の活性化でなんとでもなる」
「そもそもわたしは、ドローン任せで現場に出ませんし」
「その上、わたくしたちはチームを組んで一年、怪我ひとつありませんのよ」
「撃たれる前に撃つしな」
「でも、これからもそうとは限らないじゃない? ほら、僕の高い魔力があればさらに困難なスイープも達成できるよ」
光は食い下がった。
「残念っすけど、そんな困難なスイープは滅多にあることじゃないですから」
「困難イコール高収入というわけでもございませんし」
「……うう……っ」
光はうなった。
「どうしてもと言うなら、あの肉は定期的に購入してやってもいい。だがチーム共有購入ではなく、おまえの財布から出してもらおうか」
「そっすね。ミストのミルクと卵も個別ですから、それが平等なんじゃないっすか?」
「残念でしたのね。あんな汚らわしい本を買わなければ、余裕がおありでしたのに」
「ああ、そうだ。そのポルノは没収した方がいいだろうな」
ミストが処刑宣言にも似たようなことを言った。
「えっ……なんで?」
「男にポルノをもたせると生命エネルギーを無駄遣いする。ティッシュに魔力を吸わせるような無駄使いは許さん」
「ひどい、鬼! 悪魔! 魔王! 思春期の少年の母親!」
「魔王はおまえだ」
「うまいことを言うなあ」
「言わせたのもおまえだ」
「いえね、ミストさま。おねがいしますよ。いいじゃないですかポルノくらい」
光は手を揉みながら言った。
「気持ち悪い声をだすな。……わかった。それじゃあ民主主義の原則に従おうか」
「民主主義?」
「おまえが封印されてからできた概念かもしれんな。まあ、つまり多数決だ」
「多数決、ってことは……」
「ポルノを取り上げるべきだと思ったら手を挙げろ」
ミストと薫の手が上がった。シャインの手は上がらない。
「シャイン、味方してくれるんだね」
「じゃあ、ポルノを容認するべきだと思ったら手を挙げろ」
「はーい! はい、はい! ……あれ?」
しかし手をあげたのは光一人だった。やはりシャインの手は上がらない。
「没収二、容認一、棄権一だな。よって没収に決定する」
「なんでだよ、シャインが手を挙げてくれれば引き分けだったのに」
「いや、まあこれ。男性の欲求ってのにも理解あるつもりなんですけどね。わたしは。でもほら、魔力のことはわたし全然わかりませんから。棄権させて頂きました」
「それなら薫は? 薫だって魔力には関係ないじゃないか」
「破廉恥ですもの」
「あ、やっぱそれだよねー……」
「ということでポルノは没収する。まあ、おまえが少しでも役に立つとわかれば返してやるから安心しろ」
「まだほとんど読んでないのに……」
光はがっくりと、頭を落とした。
地面につかんばかりに頭を下げる光に、バラニナはいつもの調子で言った。
「ああ、そんなに頭を下げなくていいですよ。今度のスイープは大変ですからね。謝礼は、はずまなければなりませんから」
「それで、ミスター・中宮。どんなことをすればいいのでしょうか」
シャインが聞いた。
ここはアンシン・タワー五六階、バラニナ中宮の私室。前にここに来たのは一週間くらい前だろうか。
「ああ、失礼しました。わたくしときたら、てっきりすでに書類をお送りしたつもりでしたよ。何をやるのかもわからないまま謝礼だけを提示されたら不安になりますよねえ」
バラニナはARでセルコンを操作し、情報をメンバーに共有する。
光にしてみれば、当面の魔力は充分あるのだ。複雑なスイープであれば、自分の腕のふるいようもある。当然、そうなればミストも光を認めざるを得ないし、ポルノが返ってくる日も近づくだろう。
「簡単なお使いです。譲渡契約の済んでいるものを受け取ってきていただければいいだけなんですよ」
「その割には依頼料が多すぎますが」
「ええ、ですのでね。ブルガコフ兄弟社はご存知ですよね」
一同の間に緊張が走った。
「というのもですね、ブルガコフ兄弟社が倒産したさい、所有物品物件の大半をアンシン・コーポレイトが買い取る、という契約を結んだのですが、その中の一つがですね、倒産後一年を過ぎてもまだアンシンに来ていないんですよ。他のものは、大きいものはアンシン・タワーから、小さいものでは自転車一台まで、買い取れるものはほとんど移動しているのですが、最後の一つをね、ブルガコフさんの役員さんがどうしても受け渡さないのです。それをですね、ちょっとお伺いして、受け取ってきてくださればいいんです」
バラニナは一気に言った。
「つまり、ブルガコフ兄弟社からその物品を盗み出せということですか?」
「いや、盗み出せと言うのは言葉が。いや、でもしかし、それが一番効率的な言葉かもしれませんね。しかし、実際のところすでに書類上ではアンシン所有物品ですので、盗みだすという言葉には当てはまらないのではないかなと思いまして」
そうは言っているが、スイーパーに支払う額が額だ。バラニナもこれが非合法な行動だということは、はっきり承知している。
「ですのでね、手段は問いません。お話し合いで受け取ってくるもよし、こっそり拝借してくるもよし。とにかくわたくしとしては、それが手に入ればなんでもいいのですよ」
「それで、その物品というのは?」
「コンピュータを一台」
バラニナは一転して、静かに言った。
「コンピュータを?」
シャインも聞き返す。
おかしな話である。コンピュータなど、いくらでも代わりがきく。データが欲しければクラッキングすればいい。データそのものを盗み出すのは、コンピュータを物理的に盗み出すより簡単だし、元データに影響がないため、上手くやれば盗んだことに気づかれない。
にもかかわらず、コンピュータそのものを持って来いというのは、どういうことだろう。
「いやですね、これが非常に問題でして……。そのコンピュータというのが、実は世界に一つしか無い部品を使っているのですよ。非常に貴重な部品でして、今のところアンシンでも同じ物を再現できていないのです。お恥ずかしい話ですが」
なるほど、それなら合点がいく。コンピュータだと考えず、世界に一つしか無い部品を盗み出すと考えればよいのだ。
「スピリチュアルコンピュータ『ヒカル二〇八二』。それがそのコンピュータの名前です」
「ヒカル、ですって?」
薫が目を見開いた。
「そうなのです、ミス・氏原。といってもミスター・氏原とは関連性はないでしょう。日本語で『光』を意味する言葉ですから」
「本当に、無関係なのかしら」
「さあ、どうなんですか? ミスター・氏原」
バラニナが光に言って、薫はしくじったと思った。行方不明の兄だが、現状、光がその氏原光ということになっているのである。
「さあ? 知りません」
光は光で、それが精一杯。バラニナは光が光ではないことを知っているのだ。
もしかして、バラニナは光と『ヒカル二〇八二』とやらが本当は関係あると知っていていて、とぼけているのかもしれない。
なんだかややこしいことになってきたぞ。光は思った。
やれやれ、こういう腹の読み合いは得意ではないんだが。先の戦争で死んだ参謀が生きていればよかったのにとつくづく思う。
「さて、その『ヒカル二〇八二』ですが、以前はアンシン・タワー……ブルガコフ・バーシニャに保管されておりました。ですが買収時のどさくさで、持ちだされてしまったようなのですよねえ」
「それで、いまどこにあるか見当はついているんですか?」
「国外に持ちだされたとあれば、税関で止められたでしょう。ですから、おそらくまだ国内にあると思います。ブルガコフ兄弟社も力を失っておりますからね。ワシントン支社の中であれば、『ヒカル二〇八二』を作動できるでしょう」
「つまり、ブルガコフ兄弟社ワシントン支社が最も可能性が高いと?」
「その裏付けをとるのが、ミス・ストーンの仕事ではありませんか?」
「うっ……ええ、まあ……その通りです」
「それから、『ヒカル二〇八二』のスペックも、一部ですがお伝えしておきましょう」
各自のARに新しい情報が転送されてくる。
今時珍しく、ワイヤレスネットワークにつながらない、スタンドアロンのコンピュータだ。使用するためには、セルコン同士を有線でつなげるしか方法がない。
特筆すべきは、開発者の名前。先日のスイープでヘッドハンティングした、伊藤藤通の名前がそこにはあった。
「これって、こないだのひと?」
光がなにも考えてないかのように言う。
「ええ、ええ。そうです。本来であればミスター伊藤の到着より先に、譲渡が終わるはずだったのですけれども。エンジニアがいなければコンピュータもただの箱ですからねえ。もっとも、スイープを行う上ではあまり関係ありませんので、考えなくて結構ですよ」
バラニナの言ったことに嘘はなさそうだ。スイーパーにとっては関係のない話だろう。
「ええと、お伝えできる情報は以上ですね。質問はございますか? お茶のおかわり、いかがですか?」