第八話
「光、買い物に行かないか?」
ミストがエコバッグを二つとって言った。
「買い物? いいよ」
「どうして光なんです? まだこの時代に慣れてないのに」
シャインが横から割り込む。
「いや、せっかくだから街を案内しがてら、買い物に行くのもいいんじゃないかなって」
「あら、あらあら? 堂々とデートに誘うんですか?」
「バカ、そんなんじゃねえよ」
シャインの冷やかし文句に、ミストは冷静に答える。
「おまえらも来るか? 買うものがあればだけど」
「わたしは今日は家にいますよ。通販の品が届く予定でしてね」
「……最初から断るなら茶化すんじゃねえよ。薫は? どうだ」
「わたくしも、今日は新作ゲームをやりこむ予定ですの」
「ちぇ。結局気を使える女はあたし一人じゃねえか」
ミストは軽く悪態をついた。
「そんなところもかわいいよ」
そこに光がすかさず言う。
「なんでおまえ、そういうことさらっと言うんだろうな」
「嫌だった?」
「いや、嫌じゃないからびっくりしてるんだ。おまえのそういうところ、嫌いじゃない」
「よかった。じゃあデートに出発しよう!」
「だからデートじゃねえって言ってるだろ」
パイク・プレイス・マーケット。
そう書かれた巨大な看板が光を招いていた。
「すごい、この時代でも市場は相変わらず市場なんだね」
「数十年前まではここはもっと活気のあるマーケットだったらしいんだがな」
車を下りながらミストが言う。マーケットの正面に停められたのは幸いだった。
マーケットに一歩足を踏み入れる。活気あふれる声が聞こえてきた。
「今日の魚はキングサーモン! さあ、欲しい奴はいないか!」
クラッシュドアイスに漬けられた魚の山の奥で、店員が口上を述べている。その間も休むことなく手を動かし、魚をさばき続けている。
「はいこっちのお客さんトラウトお買い上げ!」
「あいよっ、それ!」
手前の店員に向かって、口上を述べていた店員が魚を放り投げた。放物線を描いたそれを、見事に手前の店員がキャッチする。拍手と歓声が沸き起こった。
「魚かあ。魚も生命力はあるよなあ」
魔力補充には適してるのではないかと、光は思った。
「ああ、やめとけ。あれもソイ・フードだ」
「えっ」
「そこの窓から海が見えるだろう? きっとおまえの頃は真っ青な海だったかもしれんが、今はこの通り海洋汚染が進んで、天然の魚介類を食うのは自殺行為だ」
窓から見える海は、確かに若干赤みを帯びた黒色をしていた。光の時代でも黒いとは言われていたが、かなり異なる。
「そんなあ……」
「ここは、新鮮な魚介類を売っていた昔のマーケットをそのまま再現してるんだ。まあ、ショーみたいなもんだな。だから食べない部分まで作ったソイ・フィッシュや、プラスティックの殻に包まれたソイ・クラブやソイ・ロブスターがそこら中にある」
確かに、魚の隣に書かれた品書きには、どれを見てもソイの文字が刻まれている。
「なんでわざわざそんなことを?」
「観光さ。金持ちが旅行するときに、見せるものが欲しいってわけだ。映画の舞台にもよく使われてるから、見に来る奴は多い。あたしの好きな映画にも、ここが舞台のやつがあるんだ。あれから一〇〇年は経つが……」
「こちらさん、本物のキングサーモンお買い上げ!」
ミストの言葉を遮って一際大きな声を店員があげ、『本物の』という言葉に大きな歓声があがる。みればそこには、裕福そうな子連れ夫婦がいて、歓声を浴びて手を振っていた。
「あれが本物の魚だ。汚染物質を取り除いた人工の海で育てられている。一匹二四〇ドルか……。まあ安いほうだが、おまえが毎日食べるには分不相応な品物だな」
「まだこの時代の金銭感覚がわかってないけど、アンシン・タワーで食べた食事が五ドルくらいだから……。うわあ……」
「ま、ソイ・フィッシュはいくつか買って行くか。奥の店の方には身だけのソイ・フィッシュがある。食うならあの方がいい」
ミストに連れ立って、光は混雑する市場の奥に入っていった。ひととひとの間をすり抜けるのが手一杯だ。品物を選ぶのはミストに任せ、光は荷物持ちに専念した。
「野菜も買わないとな。薫がうるさいから」
魚市場のすぐとなりに、ファーマーズ・マーケットと呼ばれている野菜売り場がある。色とりどりの青果が並び、花屋なんかもある。
「さすがに植物は変わらないだろう?」
「おまえの知らない、遺伝子組み換えとか農薬とか以外はな」
ミストがなんてことないように言い返してきたので、光は軽くめまいを覚えた。
考えてみれば、大豆が肉の代用である以上、その生産性も増しているはずなのだ。
「ああ、それから……卵とミルクな。チーム用と別に、あたし用としてあたしの取り分から金を出して本物を買う。少し高いがおまえも買っておけ。魔力の足しになる」
「ああ、うん。……ミルク、嫌いなんだけどな」
「好き嫌いを言うな。……と言っても、シャインはニンニクがダメだし、薫はベジタリアンだし……それに比べりゃかわいいもんか」
「女の子なら誰でも食べるんだけど」
「食ってから言え、見栄っ張り」
ミストに促されるまま、地養卵と本物のミルクを購入する。一〇〇年間以上変わらない生産方法で作られた本物だ。
「買い忘れはないな……。よし、あとはひとつ、コーヒーを奢ってやる」
ミストはその足で道を隔てたところにあるコーヒースタンドに入っていった。スターバックスという名のその店は、今では世界中に広まっているチェーン店であるが、ここはその第一号店である。
「グランデミストエクストラショットワンエクストラホット」
行列の先頭に立った時、ミストが突然呪文を唱えたので光は臨戦態勢をとった。
「ん、どうした? おまえは何を飲むんだ?」
「何って……いまの、注文?」
「ああ、そうだ。シアトルの人間は誰でもスターバックス用の呪文を持ってるからな。……わからないならあたしのおすすめでいいか? ミルクは苦手なんだよな?」
「うん」
「グランデのアメリカーノ、ホットで」
今度の呪文は光にも理解できた。メニューに書かれているものをその通り読んだだけだ。
「それからもう一つ。ベンティカフェフラペチーノエクストラショットツーヘーゼル」
次の呪文が出てきた時、光は軽いめまいを覚えた。
やがて、紙カップに三つのコーヒーが出来上がる。一つはミストのミルク入りコーヒー、もう一つは光のブラックコーヒー、最後にクラッシュドアイスのコーヒーだ。
「あれ? 一つ多くない?」
「こいつは手土産だ。行くぞ」
言ってミストは車に乗った。パイク・プレイス・マーケットを離れ、古いビルの三階へ。
そこには室内なのにサングラスをかけた、無愛想なドワーフの店主がいた。
「待ってたぞ」
店主が言った。
「なんで来ると思ったんだ?」
ミストはクラッシュドアイスのコーヒーを店主に渡しながら言った。
「港の事件、おまえらの仕業だろう。・五〇〇S&Wの音がここまで聞こえたからな」
「えっ」
スイープを行った港からここまでは、かなりの距離がある。銃声が聞こえたとして、その弾丸まで特定できるようなものだろうか。
「冗談言え。おおかた、スパイ型ドローンでも散歩させてたんだろ」
「ふん……。で、弾丸だな。・五〇〇S&Wなら用意しておいた」
「サンクス」
看板こそ出していないが、店の壁には銃が山のように飾られている。分厚い鉄のケースの中には弾丸がいくつも入っていて、銃本体よりこちらのほうがガードがかたい。
「それから……こいつはおまえにやろうと思ってな、サービスだ」
店主がむき出しの弾丸を一つ、ミストに差し出す。それは光にはただの・五〇〇S&Wに見えた。
「なんだこりゃ」
「アーマー・ピアシング弾だ」
「はあ? こんなもの・五〇〇S&W互換で作ってどうしようってんだ」
アーマー・ピアシング弾とは、弾芯に超合金を用いた弾丸だ。貫通力に特化し、障害物や防弾繊維もやすやす貫く。
だが、元がただでさえ威力のある弾丸だ。貫通できないものはめったにないし、対物射撃であればミストは同じ場所に精密に弾丸を叩き込める。使う機会はまずないだろう。
「なに、ヒマを持て余して作っただけだ。オマケしてやるから、使ったら感想を聞かせてくれ」
「使ったら、な。いつになるかわらないけどさ」
「用がすんだらとっとと帰れ。俺は忙しい」
「へいへい。ありがとうございましたの一言もなしかよ」
光はそんなやりとりを、黙って見ているしか出来なかった。
「さて……次はビデオを買いに行くか」
「ビデオ?」
「映画……あ、おまえ、映画も知らないよな? ……まあいいや。あたしの趣味のモンを買いに行くんだ」
「趣味のものかあ。ミストの趣味、気になるな」
「趣味に関して語らせると長いぞ。まあ、それより実物を見てもらうほうがいいだろう」
ミストに連れて行かれた場所には、『本屋』と書かれた看板がぶら下がっていた。
「映画って、読書のこと?」
「いや、違うんだ。……それに、本もおまえが知ってるものと変わってるぞ」
言ってミストは本屋に入っていく。光もあとを追って、唖然とした。
本なんか一冊もない。店いっぱいにデスクトップ型コンピュータが並んでいて、そこに様々な男女が立っていて、空中で本をめくるような動作をしていたり、じっと虚空を見ていたりしている。
「本はもう、紙じゃないんだ。セルコンを使ってARで読む時代なんだ」
「へえ……なんか、味気ないね」
「そう言うな。セルコンで見る本は昔の電子書籍とかいうやつとは全然違うぞ」
そう言われた光の目の端に、変わったものが入ってきた。
「ミスト、あっちには紙の本があるみたいだけど?」
「ああ、あれか」
ミストは言われて、少ししていたずらっぽく笑った。
「見てくるか?」
「ただいまー」
「おかえりなさい。あら、なんだか嬉しそうですのね」
紅茶の香りを楽しんでいた薫が言った。確かに光はなんだか嬉しそうだ。
「わかる? いいもの買っちゃってさ」
「あなたが嬉しそうだと嫌な予感しかしませんけど」
みればミストも妙にニヤついている。
「ミストはなんか知ってるっすか?」
フォード・スパイダースリーをいじっていたシャインも、それには気づいたようだ。
「まあな。らしいっちゃらしいんだが、自分の金なんだから好きなように使えばいいさ」
「いやあ、三〇〇年前は考えられなかったけど、今はこんないいものがあるんだねえ」
封筒に包まれたそれを、光はぽんと机の上に置いた。
何の気なしに、薫がそれを開いて中身を取り出す。
「いっ……!?」
薫は耳まで真っ赤になって、中身を机にたたきつけた。
「破廉恥ですわ! なんですのこれは!」
「破廉恥な本」
光が買ってきたいいものとは、それはポルノ雑誌だった。違法に流通しているそれはデジタルではなく紙媒体であり、法の網にかかりづらい。
「見ればわかりますわ!」
「あ、見たの? えっち」
「あなたが見せたんですわ!」
「ほほう。買っちゃったんですか。よりによって随分ドギツイのっすね」
シャインがそれを拾い、ペラペラとめくりながら言う。
「くくくっ……買っちゃったんだよ、こいつ。バカだから」
ミストはついに笑いが堪えられなくなったのか。声をあげて笑いはじめる。
「バカとはなんだ。スケベと言ってくれ」
「スケベな上にバカなんだよ。シャイン、教えてやってくれ」
ミストはそう言うと、冷蔵庫に買い物をしまい始めた。
「わたしは光の教育係ではないんですが。そうですね、光。これいくらで買いました?」
「五〇〇ドル」
光は胸を張って言った。
「ほー……アンシンで貰った取り分、半分くらい使っちゃいましたねえ」
「うん、まあでも、いいものは高くてあたりまえだよ」
「ちなみに、半分くらいの金額で、生身の女と一晩ベッドをともにできるご時世っす」
「えっ……」
光の動きが止まった。
「不潔ですわ」
「もちろん非合法ですけどね。持ってるだけで捕まるポルノより安全で安いかもしれませんよ」
「ええー……」
「さらに追い打ちをかけると、アンシンで貰った仕事は、年に一回あるかないかの規模でして、わたしらの平均月収に匹敵します。つまり、光は月収の半分くらい使って、逮捕されるリスクを負っちゃったわけっすねえ。もっと安くていいものもあるのに」
「お金の使い方を間違ってますわね」
「だろ? バカだろ? こんなもん買っちゃって。マニアしか買わねえよ、こんなの」
口々に言われて、さすがに光もへこんでか肩をふるわせている。
「高い勉強代だったすね。まあ、生身の女を買うのに倫理的に抵抗があるんならこういうもんでもいいんじゃないっすか? 一晩で終わりじゃありませんから」
しかし、光は急に目を輝かせて言った。
「いいこと考えた!」
「却下ですわ!」
薫が両手で自分を抱くように身を守る。
「まだなにも言ってないのに」
「どうせ五〇〇ドル払うから、わたくしと一晩とか言うおつもりなんでしょう? 変態! 不潔! 破廉恥! ポンコツ魔王!」
考えうる限りの罵声を、薫は浴びせる。だが光はめげない。
「ひどいなあ、そんなこと考えてないよ」
「じゃあ、なにを考えたというのです?」
「きみらでポルノを作って売れば大儲けじゃないかって考えただけだよ」
「殺しますわよ!」
「ああ、言葉のあやとかいう……」
「本気で殺しますわ!」
「額を地面に擦り付ける勢いで謝るので許してください」
薫の手の中のティーカップが粉々に砕けたのを見て、光は頭を下げた。
「ああ、もう。お気に入りのティーカップが台無しですわ」
あっという間にひれ伏した光をみて、バカバカしくなったのか、薫は改めて座り直す。そしてカップだったものを片付けながら、思い出したように言った。
「そういえば、シャインもいいものを買ったのですわよね」
「そうそう、そうでした。通販限定でしたが、探してみるもんですねえ」
ミストが買い物をしまっている冷蔵庫に、シャインが駆け寄った。
「なんかうまいものでも買ったのか?」
「うまいかどうかはさておき、光とミストにとっていいものっす」
シャインは冷凍庫の奥から、ラップで包まれ凍った生肉のようなものを取り出した。
「なんだ、ソイ・ミートの塊か?」
「いえ、肉っす。ちゃんと本物の肉ですよ。生命エネルギーに満ちていることは実証済み。そういう魔術師のコミュニティから手に入れました」
「ほう、なんの肉だ?」
「ええ、肉です」
「……な、ん、の。肉だ?」
「生き物の肉です」
「あたしは食わんぞ」
ミストは冷蔵庫に買い物をしまう作業に戻った。
「ええっ、なんでですか? 魔力が補給出来るんですよ?」
「魔力ってものは限度があるんだ。わたしなら毎日の牛乳と卵で限度まで補給できる。だから、そういうのは底抜け魔力の持ち主に食わしてやれ」
「えっ、僕?」
「そうですわ。もともとあなたが戦力的に不足なので手に入れたものですもの」
「でも、それ、なんの肉なの?」
「肉ですわ」
「いや、そうじゃなくて、なんの肉なの?」
「生き物の肉ですわよ」
「……このやり取り、どこかで見たことがあるんだけど」
「三十秒くらいまえのわたしらっすね」
そこでシャインは冷凍庫に肉を戻すと、改めてセルコンでデータを光に送る。
「冗談はさておきますと、こいつはバイオウェアを作るときの副産物っす」
「副産物……え、人の肉とかってこと?」
「いえいえ、そうではなくてですね。例えば強化筋肉をつくるさい、培養槽で作る方法の他に、牛の体内に埋め込んで成長させて、あとで取り出すって方法があるんです。そうするとその牛はもう食べても美味しくないわけなんですね。栄養もスカスカですし」
シャインが光に送ったデータには、それについて詳細に書かれていた。
生産者:不明。
産地:不明。
品名:非食用牛肉。
入数:五キログラム。
値段:一〇〇ドル。
「なんだ。一応牛といえば牛なのか」
「ああ、そういえば、あたしも食ったことあるな」
ミストが思い出したように言った。
「正直、味がない。ソイ・ミートのほうがまだましだ」
「なんか、そう言われちゃうと……食べづらいよなあ」
「せっかく買ったんですから試してみてくださいよ。光の実力だって見てみたいですし」