古堅純一 【後編】
1年6組の生徒たちは、ほぼ全員が驚いていた。弥佳がこれほど仕切れるとは思っていなかったからだ。もちろん弥佳を学級委員に推薦し、投票したのは、頼れるとか、指導力があるとかではなく、弥佳が学級委員になったら、おろおろしたり、とんでもないところに話が行ったり、お間抜けな面白ホームルームになることを期待したからだった。純一に関しては、どういう思惑があったかは分らないが、おとなしそうで、弥佳が変な事をしでかしても、フォローが出来ず、こちらもあたふたするのを期待されたのかもしれない。しかしその期待は裏切られた。弥佳は立派にやってのけた。自己紹介の時間のおとぼけぶりは微塵も感じられなかった。
鏡華は弥佳の期待通りの働きに満足していた。確かに妄想壁があり、時々上の空になったり、突拍子も無い事を仕出かしたりもするが、その本質は違う。高い目標を掲げ、信念を持ち、困難な事にも立ち向かう。決して投げ出したりしない、気丈な精神を持っている。表面的な笑顔と頓珍漢な物言いが、彼女を誤解させているだけだ。でなければ、弥佳はここには居ない。視えてしまう魔物の恐怖、誰にも信じてもらえない孤独感、頼っていた友達のいない不安、そんな重圧を背負って、普通の人間が学校になどに来られるわけが無い。部屋に引きこもり、そこを出る事すら拒絶するだろう。だが、弥佳は悩み、何度も壁にぶつかりながらも、今日、ここに出席している。本分たる勉学のために。
純一はどうなのだろう。彼はまだ視えない。だから先の事は判らないが、現状としては、他の多くの人間が思う通り、外見からの印象通りのものだと考えていた。事実、弥佳が口火を切るまでは困惑し、何も言えなかったではないか。しかし、それが全てか?何か違和感がある。弥佳が議案を呈してからはどうだろう、弥佳の考えを瞬時に読み取り、その実現のために欠けていた具体性を補佐したようにも感じる。ひそひそ話はどうだったろう?鏡華はひそひそ話しを聞いていた。聞こえる様にしていたのだ。それを頭の中で思い起こす。弥佳は『ずっと女子同士』になるのはマズイかと訊ねた。純一の答えは『男子を取り合う女子の恨みを買いたくない』と後半部分が強調され、それを根拠にした様に取れる。しかし、よく思い出せば、『公平さを強調した弥佳の方針に従っていない』と最初に言い切って、それを理由としている。そして具体的な進行のフォロー。最後の弥佳の演説はなんだ?そんな思いを弥佳が持っているといつ気付いた?演説をするきっかけを作ったのは純一だ。ともすれば純一は弥佳の力を引き出した事になる。少々甘かった。純一の事はもう一歩踏み込んで観察する必要があると鏡華は感じた。
「ありがとうございました」
ホームルームが終了し、みんなが挨拶を交わす。後半はみんなの期待に応える事が出来たかもしれない。クラス委員は立候補、推薦、それでも決まらなければ、弥佳と全体ジャンケンで、負けた生徒に決めていった。立候補や推薦では中々決まらず、大抵がジャンケンにも連れ込み、もはや様相はジャンケン大会のようだった。何回もあいこの末に負けた昇の無念の表情は誰しもが笑った。鏡華は時間が余っていたが、休憩に入るように指示する。そして、二人にもねぎらいの言葉をかけた。
「二人とも、よくやってくれました。これからも力を合わせて頑張ってね。」
そういい終わると、教室を出て行こうとする。先生がいなくなったので、弥佳は碧唯の席へ向う。碧唯の席へついてふと教壇を見ると、いつの間にか鏡華が戻ってきており、黒板を消していた純一に話しかけていた。
「古堅君、笹木瀬さんをフォローしてあげてくれて、ありがとう。」
「え、いえ、とんでもないです。僕は人の前で話す事なんて出来なくて、笹木瀬さんに負担をかけちゃいました。」
ふむ、鏡華はすぐには純一の内面をつかむのは難しいと思った。
「あ、それから笹木瀬さんに放課後、私のところへ来てくれるように伝えてくれる?」
「それだけで良いんですか?理由というか目的とか伝えなくても?」
「そうね、進路指導と、クラブ勧誘と言っておいて。」
「わかりました。」
純一の返事を聞くと、ちょっと右腕を上げ挨拶をしながら教室を出て行った。
弥佳としては気が気でない。
(あんにゃろー、神路先生と何はなしてたんだ?)
あ、いかん、それはそれ、これはこれ。碧唯のところへ向うと、机の前でしゃがみ、机に両肘を机の上に立て、手を合わせて謝った。
「ごめんねー、碧唯ちゃんの自己紹介、最後のところで、とぎれさせちゃって。」
「大丈夫ですよ、自己紹介自体は終わっていましたから。」
静かな、やさしい声で、許してもらえる。
「いやー、盛り上がるホームルームだったな。」
「弥佳ちゃんかっこよかったよー。」
朋美と優のコンビもやってきた。今は弥佳の隣の列は男子が座ったままで、空いている席が無い為、優は弥佳の机の上に座り、朋美はその机の隣で立ったまま腕を組んだ。
「うーらーぎーりーもーのー。」
弥佳はそう言いながら、3人を見据える。こちらの方も、それはそれ、これはこれ、である。弥佳は変な想像をめぐらせている内に、学級委員に仕立て上げられた。だから、どういう経緯でこうなったのか判らないが、この3人も、それに荷担しているのは確かだ。弥佳は自分が学級委員に適しているとは思えない。すると、流れとか、ノリか、冗談半分か、それらの類を想像してしまう。遊ばれてしまった。学級委員にさせられたのがどうと言う事ではないが、ここは、ツッコミを入れておかなければならない。三人は『やられたー』というリアクションを期待しているわけだから、ツッコミを入れるのが礼儀である。あれ、そうだろうか?クラス40人中38人が弥佳に投票している。そして二人が不信任。二人?一人は気付きもしなかった弥佳である。そう自分だ。
(じゃぁ、あと一人は誰だ?)
弥佳は思った。もし三人の中に不信任で投票した子がいるとなると、事情が変わってくる。しまった。変なツッコミは仇になってしまう。『投票してないよ、弥佳には無理そうだったから』とでも言われようものなら、とてつもなくショックだ。
「だって、弥佳ちゃんだったら、楽しいクラスに出来ると思ったのだもの。」碧唯。
「へへ、ごめんごめん。」朋美。
「でも、そのおかげで古堅君と良い感じになったじゃない。」優。
安堵、そして、げんなり。この返答からすると、この三人は信任で投票している。遊ばれたのが決定だ。まぁいいか。あまり気にしても仕方が無い。弥佳は忘れる事にした。
「面倒くさいのはごめんだよー、それに古堅君とはそんなんじゃないから。」
弥佳はウンザリ顔で、碧唯の机の上に座る。
「うーん、だって、この学校に入学してきた男って、ねぇ?」
つまり弥佳としては清陵に入学してくる男は相手にする価値があるのか?と問うているのである。
「弥佳ちゃんそんなこと言っちゃダメだよ。」と碧唯。
「お、贅沢発言!」と優。
「男としての良否はともかくとして、何故この学校を選んだかは興味がある。」と興味を示す朋美。
「そうでしょ? 古堅だと、そうだな、身内だな。身内が清陵学院に通っているんじゃないかな。」
また、何処から出てくるのかわからない憶測を弥佳は口にする。
「姉さんとか?」
優が想像に加わる。
「いや、違うよ。多分お母さんじゃないかな?『私の通った清陵学院に入りなさい。』みたいに、そうだよ、きっとそうだ。で、古堅は一人っ子で何も言えずに『はい』って、それでこの学校に入って来たんだよ。一人っ子だから、お母さんだけには逆らえないんだ。きっとそう。」
弥佳は思いっきり独断で決め付ける。エスカレートしていく話題を収めようとしたのは碧唯だった。
「もう、古堅君には自己紹介のときにも失礼な事したのに、謝ってないでしょう?その上変な事まで言い出して、今後の為にもちゃんとお詫びしておいた方がいいよ。」
さすがはご令嬢である、礼儀を重んじた行為を促す。
「そうだね。」
と悔い改めるような台詞を言いながら、しかし、弥佳はにやりと笑った。そして、
「おーい。古堅!…古堅!」
と手で、『おいでおいで』をしながら純一を呼びつける。
「え!」碧唯。
「お!」朋美。
「わぁ」優。
三人はそれぞれ驚きの声を上げた。事もあろうか、弥佳は謝罪すべき相手を呼びつけると言う暴挙にでたのだ。しかも、いつの間にか『君』も付けなくなっている。
黒板を消し終わった純一は、何か呼ばれるような事があっただろうかと不思議に思いながら弥佳の所にやってきた。
「どうしたの?」
用件を訊く。
弥佳は机からぴょんと飛び降りると直立し、手を合わせて謝る。
「自己紹介の時は邪魔してごめん。」
「なんだ、その事ならもういいよ。」
純一も優しい。笑顔で許してくれた。よもや弥佳の手中に落ちているとは思わない。そう、良からぬ事を考えている弥佳の話がここで終わるはずが無い。
「じゃぁ、この話は、これでおしまい。」
そういうと、また、碧唯の机にすわる。
「別件なんだけどさ、古堅は何故清陵をえらんだの?」
弥佳はちょっと前のめりになって、興味心身で訊いた。
「あぁ、母さんがここの卒業生だからね。清陵は良い学校だって薦められたんだ。」
ピンポーン。第一問クリア。笑いと、次の返答への期待がこみ上げてきた。すごい勢い。今、この瞬間にでも笑ってしまいそう。弥佳は抑えるのに必死だった。碧唯たちは悪い予感に目配せをし合っている。
「古堅はさ…ひぃ、一人っ子?」
弥佳は更に顔を近づけ、半分引きつったような顔をしながら、何とか台詞をひねり出す。純一は、ちょっとひく。
「そ、そうだよ。」
自分が悪い事を指摘されているかのように、おそるおそる純一は答えた。
「ばぁーはっはっはっはー!!」
弥佳の笑いは頂点に達し、体を後ろにのけぞらせながら笑い始めた。はまった。もう止まらない。
「もう!弥佳ちゃんたら!」碧唯。
「あちゃぁ」朋美。
「あーぁ」優。
「だから、なんなんだよ!」純一。
説明を始めたのは朋美だった。
「ゴメンな。『古堅君はなぜ清陵を選んだんだろう』って話をしていたんだ。そしたら、弥佳が古堅君は一人っ子でお母さんの勧めじゃないかって…。」
そして優が後を続ける。
「予想が当たって、この通り。つぼにはまっちゃったみたい。」
謝ったのは碧唯だった。
「弥佳はこんな品のない常識はずれな子だけれど、本当はいい子なの。だから許してあげて。ね。お願い。」
「はひ、はひ、ははは、碧、はは、唯ちゃんの、はひ、それもヒドイ、ははは。」
自分がひどい言われ様をしても、弥佳の笑いは止まらなかった。
「はぁ、それでよくそこまで笑えるものだよ。」
純一は怒りではなく、呆れてしまった。
「男女平等でもマナーはある。女の子なら足は閉じて座ったほうがいいと思うよ。」
純一はそう言い放つと、きびすを返した。弥佳の笑いが止まる。弥佳は自分の姿勢を改めて確認する。足は大きく開かれ、碧唯の机にまたがる様に座っていた。とっさにスカートを手で押さえた。足を閉じなければならないのに、スカートを抑えて隠すぐらいにあせった。ぐ、なんてことだ。敗北感と恥かしさで弥佳は真っ赤になる。すると純一が歩を止め、急に振り返った。
「忘れるところだった。神路先生が放課後に来てくれってさ。」
「ほぇ、わ、私?」
思わず弥佳は自分を指差して確認を取る。
「他に誰が入るって言うのさ?進路指導とクラブの勧誘らしいよ。じゃ、伝えたからね。」
純一は伝言を言い終えると自分の席に戻っていった。
「あいつ、見かけによらず、結構言うなー。」
どこか遠くで朋美の声が聞こえた。放課後に残れってなんだろう?進学直後に一人だけ進路指導なんてありえない。それにクラブの勧誘って、何のクラブ??
弥佳の思考は妄想へと堕ちて行った。