笹木瀬弥佳
「学科は、この学年では地学の担当かな。」
鏡華は、自分で確認するような口ぶりで言う。
弥佳は何か注意を受けたりしないかと、鏡華の様子をまだ伺いつづけている。
「趣味は読書で映画もよく観ます。残念ながら映画館ではなくて、DVD観賞ですね。好きな食べ物は味噌カツとパスタです。そんなところかな。」
み、味噌カツ…。弥佳は思わず口に出しそうになる。いや、外見とのギャップにそう感じた生徒は、他にも結構いるはずだ。どんな顔して味噌カツをほお張るのか?弥佳は想像をめぐらせるが、しっくりと来る光景は浮かばない。パスタはフェットチーネのカルボナーラや、ペンネのアラビアータが似合いそうだ。あと、名前は知らないが貝殻みたいなやつとか。長い麺はちょっと違和感。と思いながら、ソースがジェノベーゼであれば全般的に似合いそうでもある。パスタは容易に想像がつく。似合う。うん、弥佳は心の中でうなずく。
鏡華は自己紹介を済ませると、今からの予定について説明を始める。
「では、今日はこのままホームルームに入ります。皆さんの自己紹介の後、日直、クラス係を決定します。休憩を挟んで教科書の配布と説明を行い一旦は終了です。帰宅してもかまいませんが、新入生や、どのクラブにも所属していない生徒は、見学会がありますので…」
だんだん鏡華の声が遠退いて行く…もう聞こえない。様子を伺っていたはずの弥佳は、味噌カツやパスタと想像を巡らす内に、いつの間にか魅入られていた。怯えた目ではなく、興味心身、食い入るように鏡華を見つめる。観察と想像。頭の回転はどんどん加速。今や脳のキャパシティが総動員され、説明など聞く余力は全く無くい。
(結い上げた髪のうなじが色っぽいな。でも髪留めはちょっと違和感があるな。なんだろ。)
銀色の簪で留められている。細工も施されていて、韓国の時代ドラマに出て来そうな物だ。眉はほとんど画かれていない。それでも細くりりしい。
(どうしているんだろ?剃ったり抜いたりしているかな?)
睫毛も長い。もう少し太ければ、付け睫毛と見間違えるぐらいだ。そして綺麗にカーブしている。
(もう少しだけボリュームがあったら完璧なんだけど、おしいな。)
繊維の入ったマスカラはボリュームが出るが、だまにもなりやすい。睫毛の先にもくっつき長くする効果も有る。でも、これ以上伸ばすと嫌味が出そうだ。
(うーん、難しいところだな。綺麗にボリュームだけを出すには…根元用と毛先用を分けるか、いや、根元にだけ、ちょっとエクステンションを乗せてみるか。ほんのりチークも可愛いな。)
ピンクとオレンジの中間色が、うすく塗られていた。綺麗に肌にのっている。
薄い唇はほんのり赤い。
(ピンク…はちょっと難しいかな。でも少し赤めのピンクであれば十分いけるよ。グロスやラメも少しだったら、似合うんじゃないか?)
他人のことなのに、どんどん高揚し、観察の後には自分のコーディネートをくっつけて行った。そして終には、目つきは何かとろんとして、想像から憶測へと変わっていく。
(胸はCカップかな。下着は毎日、上下を合わせているんだろうな。それも色とかだけじゃなく、デザインを合わせたちゃんとセットのやつ。今日はレースの入った黄色に違いない。それも、普段から無駄毛の処理は怠りなし!!)そして頂点に達した。
「名前は、古堅」「ひゃはぁ!」「純一…です。」
奇声を発してしまった。
自分でも気付いた。目も覚めた。やばい。
既に自己紹介の時間に移っていて、男子の一人が立ち上がり、名乗っているときに、思いっきりかぶせてしまった。
「笹木瀬さん!」
「はい…。」
予想通りのご氏名。弥佳はゆっくりと立ち上がる。
「言いたいことは分かりますね?」
鏡華はくどくどと言わなかった。
「はい…、申し訳ありません…。」
クラス中の視線が弥佳に集まっていた。ちゃんと名乗れなかった純一も、あっけにとられて弥佳を見ている。視線を感じた弥佳も純一を見る。鏡華を除けば教室の中で、ただ二人が立ったまま無言で眺め合っていた。弥佳は小さくもらす。
「これって、何順?」
「名前は、古堅純一です。趣味はゲームで…」
弥佳が着席を命じられた後、自己紹介が再開された。
「はぁ。」
弥佳は思わずため息をつく。気を付けていたつもりだったのに。『何故視線があったか』どころではない、決定的だ。初日から『授業態度が悪い生徒』のブラックリストNo1だ。弥佳の妄想壁は、毎年、どの教科でも、ブラックリストへの登録に一役買っている。小さなことを気にしすぎて、とんでもない結果になってしまうのだ。
(放課後呼び出されるかも…)
弥佳はそう思った。聞かなきゃいけないことを聞いていないばかりか、邪魔してしまったのだ。これは無い。今後の処置について心配せずにはいられなかった。
(あー言われて、こー言われて、)
色々としかられる事を思い巡らす。
すると、段々と周りの音が聞こえなくなっていく。
(えっ、でもそれを口実にして実は…)
弥佳は、跳躍的な発想の転換をやってのけた。
(えー、どうしよう。そんなの急に困る。いくら鏡華先生でも。それに整理中だし。でも、鏡華先生はすっごく扱いが上手くて、話しているうちに段々とその気に…)
なんとなく顔がほてる。
(どうしよう!!)
そのとき、『ガタッ』と音がして正気に戻る事が出来た。危なかった。もう少しで声に出すところだった。弥佳は胸をなでおろす。ふーっ。心の中でため息をつく。しかし、正気に戻った弥佳の視界に入ったのは、碧唯の髪先とスカートだった。
「え?」
覗いている訳ではない。姿勢も正しく座っている。いや、少々うつむいているだろうか。しかし何故スカートが見える?鏡華が指示した順番は、『元気よく男子から、次に女子、左の列から順番に』という物だった。純一が終わるとあと一人で男子が終わる。その後、女子。弥佳は女子の3番目だ。妄想している間に、あっと言う間に順番が回って来ていた。そして今、碧唯が自己紹介のために立っているのだ。次が弥佳だ。
(そう来るのか!なんて言おう…)
別に普通に挨拶して、趣味とか、目標とかをそのまま話せばいいのだが、鏡華に良く思われたい、汚名を返上したい、その意識が弥佳の思考をくるわせる。そうだ、汚名返上だ、汚名は挽回する物じゃない、返上する物だ。良くあるギャグじゃない、ピシッと決めなきゃ。弥佳は自分自身に言い聞かせる。鏡華に気に入ってもらいたかった。少しでもプラス方向にもって行きたかったのだ。しかし、残念な事に、自己紹介の内容ではなく、自己紹介している自分の姿に思考が移っているのに気がつかない。碧唯が着席した。いよいよ自分の番だ。
「ハイ、拍手」
鏡華が拍手を促し、碧唯の自己紹介を締めくくろうとする。
その時、弥佳はいきなり立ち上がった。
「笹木瀬弥佳です!」
教室が急に静まり返る。全員が固まる。
は?何が起こったか良く分らない。
視線が集まっている。自分が自己紹介しているのだからそれは当たり前だ。じゃあなんだ?そして、クラス中からの笑い声。
「元気がいいですね。じゃあ自己紹介しましょうか。」
鏡華がその場を納める。
なんとなく気がついた。全員が固まっている時のポーズから察しがついた。
弥佳は汚名挽回に成功したのだ。
「私の名前は笹木瀬弥佳です。えと、あの…」
弥佳は更に動転し、何を言っていいか分らない。
「趣味はゲームです」
思わず、弥佳はそう言った。言ってしまった。これは言わずにおこうと決めていたのに。ぐっと手を握り締める。出来る限りの作り笑顔で、出来る限りの明るい声で、最後の力を振り絞る様に言った。
「『格ゲー』と『ネトゲ』をします。以上です。」
弥佳はそのまま着席する。
あまりにも短かったので、時間の調整だろうか。鏡華は質問をしてきた。
「ネットゲームは何を楽しんでいるの?ロールプレイングゲーム?」
「RPGはしません。嫌いですので…。」
抑揚の無い、か細い声で端的に答えた。もう作り笑顔や元気を装う力が無もない。それに、ウソだった。いや、今となっては真実と言うべきか。
弥佳が持っているゲームのタイトルは大半がRPGだ。あとは恋愛シミュレーションとかの色物、友達とよくやるアクションゲーム類だ。中三の時、中の良い三人のゲーム友達がいた。よくそれぞれの家に集まりゲームを楽しんでいたが、そのゲーム友達は弥佳の持つRPGの多さや、進行の速さに驚いたものだ。それに、内容やあらすじを訊こうものなら、よどみ無くつむぎだされる言葉と、その満面の笑顔、得意げな口調、更に訊いてもいないのに関連事項まで語りだす姿は、RPGの中に人生最大の幸せを持つかの様だった。この世の楽園を見てきたものが、それを自慢げに語るように、身振り手振りで説明し、その有様がゲーム友達の中心に弥佳をおいていた。ゲームという機械で遊ぶ事よりも、なんだか、それをみているだけでも面白く、時間を共有する事が楽しかったからだ。だが今はRPGを嫌っている…というより嫌悪している。
もう話をする余裕が無いのだろう。そう感じた鏡華は、話を続けることをやめた。
「そうですか。先ほどもありましたが、ゲームで遊ぶ事は悪いとは言いません。しかし、『格ゲー』とか『ネトゲ』とか略すのはちょっとはしたない…かな。では拍手。」
鏡華は拍手を促すと、次の子に順番を回した。
三回目は言葉使いの注意、これで、ハットトリック達成だが、もうどうでも良くなっていた。
弥佳には『他人には見えないもの』が視える。
数ヶ月前から突然に。特殊能力だ、素晴らしい。しかしそれは見える『もの』にもよるだろうと弥佳は思う。弥佳は見えるものが大嫌いだ、そんな能力要らない。視えるものが妖精だったら良かったのに。楽しい。おしゃべりをして、遊んで、困っている事をちょっと助けてあげる。妖精との秘密。それに怨霊や幽霊でさえ、まだましだと思う。確かに見えるのは怖いけれど、危ないところに立ち寄らなくて済むし、友達にも教えてあげられる。助けてあげられるのだ。だが弥佳に視えるものは、一見すると普通の人間だが、下半身がたこやいかの様に、何本もの吸盤のある足で立ち、動くものや、裸で青黒い肌に、ボサボサの汚いオレンジ色の髪をした、身の丈は二メートル以上の大男。その大男の目は顔にではなく、胸に四つあるもの。色とりどりの直径三十センチはあろうかと思えるグミを寄せ集め、ゼリーで固めたようなものは何本もの触手を動かしている。塀には巨大な鳥、全身に黒い煙まといながら、すごい速さで走り抜けていく、四足のもの。そういった『もの』たち、いわゆるRPGの『魔物』たちだった。怖い、恐ろしい、危険?しかし、それを友達に語ったところで最初は冗談と思われる。真剣に真面目に語り続けると心配してくれた。
「大丈夫?ゲームのやり過ぎとか、そんなんになってない?」
ショックだった。ゲームのやり過ぎと言われた。そう心配された。
「大丈夫?」
みんな真剣に心配してくれる。友達だから…。
「進学試験近いし、疲れているんだよ。」
「すこし、ゲームをやめてみたら?」
ありがとう…、でもそこじゃない。ちがう。ちゃんと聞いて欲しい。無害かもしれない。だけどそうとは言い切れない。近づかないに越した事は無い。殺されちゃうかもしれないんだよ!突然いなくなっちゃうかも知れないんだよ!櫻井先輩みたいに!心の中で叫ぶ。
櫻井先輩という大切な人を事故で亡くしてから、死とか、別れとかに過敏になっていた。
もう誰もなくしたくない。物理的にも、心の繋がりとしても。分らなくなった。本当に危険なものだったら?それを伝えたい。だけど、このまま訴え続けても気が触れたと思われかねない。そう思えた。もやめよう。そして弥佳はゲームをやめ、視えるものについても話さなくなった。
ゲームは嫌い、ゲームの幻覚を見ている様に思われるから。
ゲームは嫌い、視えてしまうものにそっくりなものが、いっぱい出てくるから。
ゲームは嫌い、友達をなくし、独りぼっちになってしまいそうだから…。
どれくらいの時間がたっただろう。
「忘れてた。」
弥佳は無表情で呟いた。
高等部に進学して、弥佳の事を詳しく知る人がいなくなったら、『魔物』ではなく、『幽霊』や、『悪霊』が見える事にしようと考えていた。矛盾した、あるいは非常に困難な計画だった。なにしろ、高等部には友人がいないと、友達作りが出来ないと、そう悩んでもいたからだ。幾つもの見えないハードルを越えた先、淡い期待をこめた計画だった。
視えるものが『幽霊』だったとして、友達に話したらどうだろう。
「やだー。」
「怖い事言わないでよ!」
とか言い、半信半疑で、それでも恐いもの見たさと言うか、聞きたさで、食い入るように聞いてくれるかもしれない。
「やだ、やだ、やだ!」
と掛け合ってくれない子もいるかもしれないが、それは怖さが分るという事だ。恐怖するものが作り話で、現実とは異なるもでも、存在しないものでも、怖いものは怖い。恐怖を共感してくれれば、恐怖という悩みを聞いてくれるだろう。
(魔物がうろついている所があれば、教えてあげよう。幽霊がいるよって。)
と弥佳は思っていた。
もし弥佳の言葉に少しでも耳を仮してくれれば、
「この道、幽霊が良く出るっていていたから、違う道にしようよ。」
通る道筋を変えてくれるかもしれない。
一緒にいる時に魔物のに出会ったら、
「ここ、何か居るよ、気がつかない振りして、そっと逃げるよ。」
引っ張る手をギュッとにぎりかえしてくれるかもしれない。
そうなれば、共感してくれる。なぐさめてくれる。心の支えになってくれる。なぐさめ、いやし、支えられた心はきっと、変な事は考えないだろう。間違った問を出す事も無いだろうと…。
今思い出した。ゲームが嫌いな理由、RPGに触れてはいけない理由。それは、『視えてしまうもの』と『ゲーム』の関わりを断ち切ること。そして、『視えてしまうもの』を『幽霊』と偽ることで、現実味を帯びた問題だと思ってもらうこと。ゲームが好きだった事は言ってしまった。しかし、今、弥佳が『幽霊が観える』と言っても、過去のRPGのやりすぎだと指摘する者は誰もいないだろう。碧唯や朋美と優に再会した現在は、すでに淡い期待などではない。実行可能な計画だ。出鼻はちょっとしくじったが、修正はいくらでも出来るではないか。自己紹介のことなど、すぐに忘れてしまうだろう。今後の対処を間違わなければ全然問題ではない。方法なんてどうでも良い。この問題に立ち向かおうと思ったばかりではないか。そして、友達として碧唯や朋美と優の悩みも聞いてあげなければとさえ思う。たった一時間ほどでここまで視野が回復したのだ。がんばろう。弥佳は自分にそう勇気付けた。もう少し親しくなったら、碧唯たちに『幽霊が視える』と話そう。そして、危ないところを教えてあげよう。もし、誰か悩みを抱えていたなら、聞いてあげよう、一緒に解決の方法を模索しよう。櫻井先輩が後ろから両肩に手を置いてくれる。そして…親友と呼べるようになってから、一度だけ本当の事を話してみよう。櫻井先輩が微笑んでいる。弥佳も思わず笑みがこぼれる。
「あはは。」
その時、鏡華に出席簿で頭をたたかれた。三秒ほどそのまま固まる。
「なんで?」
弥佳は笑みをこぼれっぱなしにしたまま尋ねた。