神路姉弟
清陵学園は中等部終了と同時に流失した3分の1の生徒を補う為に、高等部からは女子の新入学と共に男子も受け入れている。もちろん学園の経営と言う大人の都合が根底にあるのだが、女子生徒のみの温室栽培によって、男性に全く耐性の無い状態での卒業は好ましくなく、健全な異性との交流を学び、現代社会に応じた女性として送り出すという名目もある。大学まででれば、キャリアウーマンとして男性の上司を務める、そんなお嬢様を育てましょうと言う事だ。だがそう易々と女の園に男を迎え入れる事は出来ない。その為、男子の入学試験は内申書や面接が重視され、従順でおとなしく、社会や、学校、委員会などに貢献した者を優先的に合格させている。もちろんオタクのような非社会的な者は、女性に無害であっても不合格となる。さらに、その方針を潤滑に運営する為に、厳しい校則やマナーを設け、風紀には力を入れている。
弥佳たちは進学式の後、マナーの復習や男性との接し方について、一時間指導を受けてきたのだ。もちろんマナーの中には、姿勢や振る舞いについても含まれている。中等部では蔑ろにされていた所もあるが、高等部ではかなり厳しくなると言う話だ。当然、足組みや、足を広げて座るなど、もっての他と、指導の対象となる。その後30分は教室に入り、挨拶や、姿勢を確認する自習に当てられている。それが今。もちろん先生もいないこんな状況で、挨拶の練習などしているわけが無い。他の生徒も弥佳たち同様、同じクラスになった事を喜び合ったり、入学してくる男子の話でワイワイと騒がしい。あまり意味の無い時間のように思えるが、これは高等部からの新入生は担任と一緒に第2体育館で、30分長い一時間半をみっちり、マナーと校則について指導を受けるためで、いわば時間調整だ。そしてこの時間が間も無く終了し、新入生、ことに男子たちが教室にやって来ようとしている。
さすがはお嬢様学校、やるときはやる。一分ほど前には騒がしかった教室も、今は打って変わって静まり返り、姿勢正しく全員が着席している。
「ここです。各自席について下さい。」
突然前側の扉が開くと若い女性の声が聞こえた。その声に従い十名ほどの男子、続いて数名の女子が教室に入ってくる。新入生はあらかじめ席が知らされていたらしく、迷わず自分の席に着席していった。教室がなんとなくそわそわしてくる。中には目をきょろきょろさせている子もいる。弥佳の隣の列は男子が割り当てられているが、三人の男子が弥佳の横を通り過ぎ、隣へ、そして前二席へと席が埋まっていく。その間弥佳は、眼の前に座っている碧唯の髪を眺めていた。その髪はつややかで、はねている癖毛も無い。まるで精巧に作られた漆細工の繊維の束だった。その漆黒は傾斜させた窓の形をそのままに、まぶしい光を発している。いったいどんな手入れをしているのだろうか?シャンプー、リンスは何を使っているのだろうか?それともコンディショナーが重要なのか?今はその方が気になる。入室を指示した若い女性は最後に教室に入ると、扉を閉め、そして教壇に上がる。黒板に貼り出してあった座席表をはがし教卓の上に乗せると、代わりに名前をかき始めた。丁寧に読み仮名も添えている。『神路鏡華』。かき終えるとその女性は振り返り、自己紹介をする。
「おはようございます。私はこの1年6組の担任を務めます神路です。」
一旦言葉を区切ると視線をめぐらせる。碧唯の髪に夢中になっていた弥佳も、この言葉でホームルームが始まっている事に気付き、そして鏡華に視線を移した。鏡華は弥佳を見ていた。目が合う。うっ…!何か気に触る事をしたのだろうか。その後視線は移って行く。全員の視線は鏡華に注がれた。
鏡華は長い髪を結い上げ、レンズの部分にフレームが無い眼鏡をかけていた。カーブのかかったシャープな襟と、ボタンと平行にフリルとラインをあしらえている純白のシャツ、淡いベージュ、もしくは落ち着いた薄い黄色と表現するべきか、そんな色のスーツを身にまとって直立していた。
状況に満足したのか、話を続ける。
「私は今年この清陵学園に着任しましたが、由緒正しい学園と聞いています。勉学のみならず、その名に恥じぬ人間性を学んでいきましょう、まずは一年間よろしくお願いします。」
「よろしくお願いします。」
以前から清陵学園に在籍していた生徒たちは声を合わせて挨拶をする。新しく入って来た生徒たちは、ちょっと戸惑った様子で合わせられない。何処からか「します。」の部分だけ、小さく遅れて男子の声がした。弥佳もまた違った理由で戸惑っていた。何故目が合ったのか。順番に見渡したのであれば、タイミングがちょっとずれている。偶然か?一人一人、目が合うまで待っていたのか?それとも先生が教室に来ても碧唯の髪を眺めていたから、目を付けられていたのか?ちょっと罪悪感がして、今でもドキドキしている。逆に鏡華の方は挨拶が終わると、ちょっと気を緩めた感じで、姿勢も片足に重心をのせて左足をかるく開いた。
清陵学園は高等部の二年から、文系クラスと、理系クラスに分かれる。圧倒的に文系の方が多く、クラスの番号は1組から割り当てられる。理系は今年1クラスしかない。クラス番号は文系クラスの数にかかわらず11組から割り当てられる。
2年11組、リョウは教壇に立っていた。黒板には『神路梁』と書かれている。2年は進学式が終わるとすぐにホームルームが始まる。リョウは進学式の後、一旦別れて一時間半もの時間、マナーや校則の講義を受けてきた。結局授業中の教室に入り、自己紹介となるわけだ。年度にあわせて潜入してきたのに、結局これか…。その他大勢と同じ行動をとり、目立つ行為はしたくなかった。表情には出さないが、やれやれといった感じだ。
リョウの身長は高めだ。髪は少々長めでざっくりと切られている。しかし寝癖などは無く違和感も無い。前髪は生え際から一旦持ち上げているので、目にかかっていない。この、まとまりを持った不規則性が、髪の手入れが行われている証だろう。彫りは深くないが通った鼻筋に、薄い唇。眉は細く、目つきは鋭い。長い睫毛が無かったら、怖い印象を持つだろう。しかし角度を変えると、その目は哀愁を漂わせる。リョウは明らかに俺は群れないタイプだと、オーラを発していた。
「神路梁です。お願いします。」
と言いながら礼をする。
「ふーん、名前だけじゃなくて、趣味とかの紹介もしたらどうだね。」
隣に立っていたガリガリの年配の教員が言う。顔はしわだらけで老眼鏡をかけている。この学年では『牛』とあだ名されていた。
「はい。趣味は剣道、特技は剣道、得意な教科はなし、苦手な教科は地理です!」
声は大きめで、はっきり言う。好青年を気取ったのだろうか?もしくはやけくそなのかも知れない。
「はい!彼女はいますか?どんな子がタイプですか?」
勇気のある女子が行き成り手を上げて質問をする。回りが、「おー」とはやし立てる。
「こら!」
「彼女はいません。好きなタイプは姉貴とせい反対の子です。」
『牛』が、はしたない質問ととがめようとしたときには、既にリョウは答えていた。反応は微妙。笑う子もいれば、最初の「彼女はいません。」の部分でキャーと喜ぶ子、はい?といった感じで固まった子もいる。仕方なく『牛』は補足する。
「神路君は、一年担当の神路鏡華先生の弟さんだ。」
「ほぉー」
生徒たちはとりあえず感心していた。
「では、席に着きたまえ。楓君の隣だ。分からない事があったら彼女に訊くといい。」
小柄で、ポニーテールに赤いリボンをした子が、小さく手を上げていた。
リョウは机に鞄を掛け、席に着くと楓を見た。楓はちゃんと席に着くのを見ていてくれた。
「よろしくな。」
リョウが挨拶すると、楓は何も言わず、『にしー』と笑った。