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清陵学園高等部一年生

えっと…、黒板に貼り出してある座席表を端から指でなぞり始める。あいうえお順ではなく、ランダムらしい。あった、笹木瀬弥佳せきせやよい。窓側である一番左の列の前から3番目、探し始めて三つ目にして自分の名前を見つけ出した弥佳は、他人の座席など全く興味の無い様子で、その机に鞄を掛けると椅子を引き出して腰を下ろす。ちょっと高め。

(ま、いいか…)

机や椅子の高さに対して考える事などさほど無い。成長期だから背が伸びることを期待すれば、少々高めでちょうどいい、それぐらいしか考え付かなかった。他にすべき事も考え付かなかったし、興味も無い。席を見つけ、その席に問題も無ければ、あっと言う間にやる事がなくなってしまった。そして弥佳は窓から外をぼんやり眺める。

 清陵せいりょう学園高等部、今日からその一年生。清陵学園は初等部から大学、そして大学院まで備えた総合学園で、卒業すればお嬢様のラベルが貼ってもらえる東海三県ではちょっとした有名校である。それゆえ娘にブランド力を付けさせたい親は初等部から大学まで、ずっとこの学園に通わせて卒業させるのだが、残念ながら3分の1は中等部を卒業した時点で学園を去っていってしまう。と言うのも、まず初等部での入学試験というのは、ほとんどが両親を含めた家族での面接で、お行儀、家系、熱意によって合否が決定される。しかし学習が始まると焦点は本人の成績にうつり、そして個人差が現われてくる。理解度が低い生徒には補修などを行うのだが、中学卒業ごろともなれば、かなりの差が出てしまい、より高度な勉学を積みたい者は進学校に入学する道を選ぶ。他にも商業科へ入学する者や、経済的な理由で国公立の学校に進む者も出てくるからだ。

 弥佳は中学三年生で特に仲の良い友達が5人いたが、全ての者が袂を分かち、清陵学園を去ってしまった。全体では3分の2が清陵学園に残るのだから、もう一人くらいは清陵学園で進学しても良さそうなものだが、残念な事に弥佳は独りぼっちになってしまった。それが弥佳を憂鬱にさせる。

「はぁ、憂鬱だ…。おなかも痛い。」

弥佳は思わず片肘を突きながらもらしてしまった。

今までであったら、こういうときには誰かが声をかけてくれたのに…。その想いが余計に胸を締め付ける。いたい。櫻井さくらい先輩がこの世を去ってしまった時も、5人が声を掛け、時間をかけながらも癒してくれた。それが弥佳に、その5人の友達を特別扱いさせているのかも知れない。

 5人の友達は別に喧嘩別れをしたわけではないし、何処か遠くへ行ってしまったわけでもない。休日には一緒に遊べるし、メールを送りあう事も出来る。事実春休みは遊びまくっていた。それに、そんなに仰々しい物ではなく、ツイッターという便利な物が多くのつながりを持たせてくれるではないか。弥佳の憂鬱な、孤独な、そして重い感情は5人が別の学校に行ってしまったと言う状況そのものではない。ひとつ特別な事情があるからだ。

 弥佳は最近『他人には見えないもの』が視える様になって来たのだ。その恐怖と不安。

(櫻井先輩!誰を頼ればいい?)

弥佳は心の中でそう叫んだ。叫ばずにはいられない。櫻井先輩の心配そうな顔が思い浮かぶ。

もちろん5人の友達にこの話をしたところで見た物の存在は信じてはくれなかったが、それを話す事が出来た。それなりに心配してくれた。心が楽になった。休憩時間には無駄話をしていたし、下校時には自宅に程無い所まで誰かと帰っていた。しかし今は独りぼっちだ。特に独りで帰ることを考えると、鳥肌が立ち、凍え、不安でしょうがない。弥佳が必要としているのは、今、側に居てくれる心の許せる友達なのだ。今このクラスにいる生徒のほとんどが、初等部と中等部を同じ学校で過ごしてきた子達だ。知った顔も、話した事のある子も当然いる。声をかければ無駄話も出来るだろうし、誘えば一緒に帰ってくれる子も居るかもしれない。しかし、一緒に居ても今の悩みを話す事は出来ない。笑い話にもしてくれず、ひいてしまうだろう。それでは話をしようが一緒に帰ろうが、独りで居るような気がしてしまう。友達作りに踏み切れない。5人の友達ですら、集まっていた時だからこそ話せたと思っている。これは、その5人の友達にでさえ信頼を持てないでいる自分の愚かさだろうが、面と向かって真剣にこの悩みを繰り返して話せば、心が離れていってしまうかもしれない。そう思ってしまう。それほど深刻だった。怯えていた。一人になりたくない。視えてしまうものが怖くて大きらいだった。


ふと、声をかけられる。

 「鎮痛剤ありますよ。」

前の席に座っていた鷹部碧唯たかべあおいだった。長いストレートの髪、前髪は眉の上でそろえている、何処か気品のある女の子だ。碧唯は椅子の向きをそのままに、座る向きをずらして弥佳のほうを向いていた。外を眺めていた弥佳は思わず向き直る。そんなに付き合いは無かったが、中等部二年の時に同じクラスだった。たしか中小企業だけどIT会社の社長令嬢だ。

「ありがとう。飲んで来てはいるんだけどね…でも、ずっとシクシクとして…。」

「かなりひどいなら、保健室に行ったほうがいいですよ。」

「そこまではひどくないから、大丈夫。」

ははは…と苦笑いをしながら手をふって断った。

碧唯は社長令嬢であっても、お高く留まることは無かったし、言葉遣いも丁寧語か敬語で、いやみが無い。弥佳はそんな所に好感を持っていた様に記憶している。

そして、来客。

「おぉ、弥佳じゃん。そんな憂鬱な顔して、どしたん?」仲里朋美なかざとともみと、

「弥佳!おひさー!」小日向優こひなたゆうのコンビだ。

二人は中等部一年のクラスメートで、学校外で遊んだ事は無かったが、休憩時間などは無駄話をよくしていたし、ノートを写しあいっこした仲だ。朋美と優はその後も同じクラスだったらしく、ほとんど一緒に行動している。朋美は弥佳の隣の席から椅子を引き出し、弥佳の方を向いて足を組んで座った。朋美は背が高くショートカットで華奢きゃしゃに見える。自宅が合気道の道場を営んでおり、その練習を積んでいる。その為、よく見れば細くても引き締まった筋肉美を持っているし、力も強い。優は朋美が座っている席の机に、乗っかって腰を下ろした。足をぶらぶらさせる。優は細くは無いが、締まるところは締まった体つきをしている。髪はセミロングでかるくウェーブを掛けている。もちろんこれは校則違反。しかし今までずっと癖毛で通しているのだから、中々に図太い神経を持ち合わせている。弥佳は朋美の方に向かって、横向きに座りなおした。碧唯も更に弥佳の方に向いてくれた。そして、優が朋美の隣に居る。自然と輪が出来た。


忘れていた。苦しみが、悩みが、妨げていた。再び同じクラスになった事を喜ぶ気持ちを。5人の友達が違う学校に行ってしまった事ばかりを嘆き、他に同じ時間を過ごした友の事を、愚かにも探しもしなかった。ただの『知った子』ではなく、『かつて・・・の友達』でもない『以前からの友達』の事を。ただちょっとクラスが離れていただけの友達。でなければ、碧唯がいやみのない良い子だと知っていたはずが無い。記憶では、ちょっとした付き合いだったが本当の友達になっていたのだ。そして碧唯も弥佳の事を友達だとおぼえていてくれた。朋美の女らしくない言い回しも久しくて心地よい。再び同じクラスになる事で繋がりが強まったようにさえ感じる。

悩みが、弥佳を5人の友達に依存させていた。視界を狭め、5人の友達以外への人付き合いを悪くさせ、どんどん孤立させた。自分の方がひいていたのだ。それが無ければ、もっと良い付き合いが出来たのかもしれない。より深い友情、新しい友。今になって分った。そして希望を持った。今からでも遅くない、年をとろうが、遠く離れようが、『親友』だと呼べる関係を築けるかもしれない。悩みを受け入れてくれるから、友達なのではない。友達であるから、悩みを聞きいてくれるのだ。もっと深く信頼し合えば、一緒に解決する行動を起こしてくれるかもしれない。他の学校に行った友達も、今いるこの友達も、どちらの友達も同じ。有難う、碧唯、朋美、優。友と運命に、弥佳は感謝した。悩みも、その恐怖も去った訳でもない。だけれど、少しでも立ち向かえる様に自分を変えようと思った。だって友達がいてくれる。もう学校では怖くない。下校の時は…。でも他の友達と待ち合わせて帰る事だって出来るかもしれない。そんな考え方も出来るようになった。中等部を卒業してから今日のことが心配で、モンモンしていた。春休みも友達と遊びながら、心のどこかで今日のことを心配していた。それがウソの様に晴れて行く。桜井先輩が生きていたら、今の心境の変化をどう思うだろうか?なんとなく櫻井先輩が微笑んでくれたような気がした。


「ちょっと整理痛がひどくてさ。」

「あちゃ、それはご愁傷様。」

朋美が手のひらを組んで足の上に乗せながら言う。

「わたしは、もうすぐだわ。」

と優が憂鬱そうに言うと、朋美はニヤリと笑う。

「それは、『整理が来る』のが憂鬱なのか、それとも『整理が絶対に来る状況』が憂鬱なのか、どっちだ?」

優は黙って朋美に軽くグーパンチ!、それを見て弥佳と碧唯がハハハと笑いだし、そして、みなで笑う。

三人とも彼氏が出来たと聞いたことが無い。その筈だ。ましてや『整理が来なくなる状況』など至る訳が無い。いや、まてよ、本当にそうか?笑ってはみたものの、弥佳はふと疑問を抱く。碧唯はよく親の都合で外国人ばかりのパーティーに連れて行かれると言っていた。思わず碧唯をじっと見てしまう。その気品と落ち着き。『女の扱いになれた男』でも軽くあしらえそうだ。ひょっとしたら、政略的な都合で婚約者が決まっているかもしれない。朋美はどうだ?家が道場だとは言え女の子が何故そこまで鍛える?別に大会に出るとか、何かを目指しているとか、そう言った類の話は聞いた事が無い。道場の師範代とか良い人がいて、その人と共に同じ時間をすごすのが幸せで、練習に参加しているのではないだろうか?いつも清清しい顔をしていて、私生活は充実していそうだ。優はどうだろう、見るとその笑顔はめちゃくちゃ可愛い。休日など背の高いイケメンと町を歩いている姿がむしろ自然に感じる。大体、質問に答えていないじゃないか!

「わぁ!」

それらの可能性について想像をめぐらせた末に、思わず叫んでしまう。

「どうしたの弥佳?」

一番普通に男の子と付き合っていそうな優が訊く。

「あのさ…、男の子ってさ…、」

弥佳はちょっと躊躇った後に、おどおどとしながら話し始めた。

しかし、勘違いしたのだろうか、その矢先に碧唯が台詞をさえぎる。

「もうすぐ、来ますよ。」

そうだ、周りを見ると他の子たちもそわそわしている。中には名前だけで既に物色を始めているグループもある。

「ハハハ、弥佳、その格好やばいぞ、さっき指導を受けたばっかりだろ。」

気がつくと左腕は自分の机に、右腕は後ろの机に、そして、足は開けっぴろげで、社長のように偉そうな姿勢をしているのに気がついた。あわてて足を閉じる。ちょっとだけ顔が赤くなった。しかし、そう言った朋美も思いっきり足を組んでいる。

「朋美だって、それダメじゃない。」

と少々の反論を試みる。

「ハハハ、やべ、そうだな、そろそろ自分の席に戻るか。」

朋美はそう言うと椅子を戻して、自分の席に戻って言った。優も片手を挙げて挨拶すると、同じように自分の席に向かい、碧唯も前を向いて姿勢を直す。他の子たちもボチボチと決められた席に着き始めた。


そう、清陵学園は高等部から共学になるのだ。


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