異世界トリップとショタと人外と。
たとえ雨の日だけに起きる頭痛があろうとも。
たとえ、その頭痛中に「早く会いたい」「助けて」「早く迎えに」とか、意味不明の単語が並ぼうとも、単なる幻聴としか思わないよね。
仮に、だ。
そういう不思議が重なり合って、異世界トリップなんちゃってーっ! と言うことがあったとしても。だ。
そこに待っているのは、うるわしの王子様や、伝説の救世主とか。
後は、そうそう。巫女とかどう? そこには神官様がいるの。もちろん美形だよ!
うん。まあ。トリップってそういうものでしょう? そういう美形に「嗚呼君は運命の人だ」とか言われちゃったりしてっ!
そういう妄想を一通りしたところで、足下に横たわるモノを見やる。
とたんに浮いた気持ちはさめ、視線も冷たくなる。
うん。たぶん、一応。美形に入るのかな。いや、この場合、美少年か。ショタ子だし。でも大前提として、人外ですけどね……。
それに、王道よろしく忠誠ってやつも誓ってくれているみたいだし?
私に踏まれてフルフルと歓喜にもだえているけど……。
いやだあああああああああああああ。
一応条件に入っているのかもしれないけど、こんなトリップするぐらいなら妄想だけの世界にもどしてくれえええええええええ。
ああ。どうしてこうなった。
■
その日は雨だった。
私は小さい頃から雨の日が嫌いだった。何かに呼ばれている気がして。そういう時は大体頭痛がやってくる。
両親も首をかしげ、医者に持てもらっても精神的なもの、で終わった。
どうにもならないのだと、そういう日は朝から薬を飲んで無理やり痛みを抑えるのが習慣になっていた。
「はい。薬。大変ねえ」
「ありがと。ママ。でもぜんぜん同情しているように見えないよ」
「だって、今更じゃない」
そうカラっと笑う母の姿に、それもそうかと薬を口に放り込む。
雨が降ったからといって、学校を休めるほど世の中甘くない。
私、渡瀬泉美はカバンをもち、家を出た。
雨の中、傘をさしながらいつも通る道を歩く。
少し田舎に位置する私の家は、学校へ行くまでの道のりも、町の中もあるけれど、半分ぐらいは自然に囲まれている。
いつもの道で、いつもの風景。
その中に大きな湖があって、その横を通り、学校へと行く。
何も変わらないはずだった。
――――ああ。ようやく見つけました。
薬で抑えられているはずの頭痛が再び遅い、幻聴が聞こえる。
――――会いたかった。
再び聞こえる幻聴。そして激しく痛む頭。
うずくまり、頭痛がひくのをまつけれど、なかなかそれは変わらない。
今は丁度湖の横で、ここは人通りが少ない。
こんなタイミングじゃなくてもよかったのに。
自分の運の悪さを罵倒したいぐらいだ。
そんな折。
ピトリ
くるぶしの上あたり、靴下にあたらないあたりに、妙につめたい何かが当たる。
うえええええええええええ
季節は6月で、いきなりひんやりとあたるなにかに、思わず幽霊を予測する。
声にならない悲鳴が、自分を支配する。
そして、逆の足にも、ヒタリと。
「!!!!!!!!!!!!!」
頭痛がなんだと、あわてて立ち上がり足元を見ると、ゲル状のものが湖から腕のようにのび、私の両足をつかんでいる。
「いやあああああああ。何これ、気持ちわるい―――――――っ!!!!!」
おもわず、足でそれをふみつけ、ちぎろうとする。
スライムのように、ぷにゅりとしずみ、また弾力をもって復活する。
ぞぞぞっぞぞ。
思わず鳥肌が背筋を上る。
いやなにこれ。こんなもの、ゲームだけでいいのよ!!
何度も踏みつけていると。
――――ああっ 快感っ
どこかもだえる幻聴が。というか声が。
「はあああああああああ?!」
思わず動きが止まる私。
―――――はあああん。やめてしまわれるのですか。主さま。
湖から、腕っぽい2本のゲル状の筋から、それに繋がった塊が、うにょにょにょと這い出てくる。
頭の位置にある、っぽいものが、小さく首をかしげる。
いや、かわいい感じに首をかしげても、きもいだけだからっ!
むしろ、台詞のあらゆるところに突っ込みたい。
――――主さま。会いとうございました。
ゲルは私に向かって言う。
「私、主なんかじゃないわ」
びくびくと、答えると、ゲルはきっぱりと否定した。
――――いいえ。貴方は主さまです。僕は貴方の下僕ですから、分かります。
は。下僕?
いきなり、何いってくれちゃうのさ、この人外はっ
足首は捕まれて冷たいし、いまだにゲルはぷるりんと弾力ある揺れをしているし、よく分からない事いってくれちゃうしで。
…………とても、現実逃避したかった。
――――主さま。戻りましょう? 僕達の世界へ。 そして助けてください。
そうとんでもないことを言ったかと思うと、ゲルは軟体生物とは思えないすばやい動きで、私をしっかりと抱え込み、湖へと飛び込んだのである。
「何してくれちゃうのさ。この人外がああああああああああっ!!」
私の叫び空しく、つかもうとした木の枝は空振りし、あえなく湖へと落ちていった。
――そして。
「……異世界、ね。ははっ」
私は乾いた笑いをひとつこぼす。
なぜか湖に飛び込んだにかかわらず、服はぬれていない。
これはいい。
だが、見渡す風景がよろしくない。
いやもう、日本とかアメリカとか、ヨーロッパとか。そういう世界じゃないのよ。
大地は茶色。普通に思えるけど、土じゃない。砂じゃない。例えるなら粘土。
空は銀色。……青じゃないのか。とため息が出る。
でも太陽みたいなものは、きっとあると思う。きらきらと光に反射しているのだから。
風景の一部にある木は、緑や幹の茶色ではなく、ピンク色のサンゴのよう。
そして空気は、水。――のようなもの。
それがこの場所だけでなく、延々と果てしない先まで続いていた。
そう、一番近いのは海中に作られた世界と表現するのがいいだろうか。
リトルマーメイドの世界だ。だが重力があって、浮力がない。風景と動作が伴わない世界。
「何してくれんじゃああああああ。このぼおけえええええええっ!!!!」
私は、この世界につれてきた現況を殴り飛ばした。
「ああ♡ もっとおおおおお」
くそっ! すっきりしねええ。
ゲルを足元に正座させ、高圧的にその存在をねめつける。
なぜかほほの辺りが蒸気しているような気がするが、気にしたら負けだ。私よ。
元の世界に居たときは、たんなるゲル状の塊。ほんとうにスライムとしか言えない物体だったのだけど。この世界にきて、このゲルは変わっていた。
ゲルなのも半透明なのも換わらない。ぷるるんと震える弾力もだ。
だが、それを気にしなければ。きちんと人の姿を形づくっていたのである。
それがショタっ子で、美少年で、なんていうか、分類としては男の娘? いらんわ。何この設定。
加えて、根っからのマゾ性質である。
断言しよう。私はサドじゃないから、こんなものは迷惑なだけだ!
「で。ゲル状人外。なぜ私を巻き込んだ」
「はぁあああん。人外と呼ばれるのも、いいものですね。でも主様。僕のことは下僕とおよびくださいませ」
「私は下僕なんて持った事はないし、必要性も感じないんだけど」
「いいえ! 僕には分かります! 貴方は僕のマスターであるスターク=ナトゥール=フラオ様です!」
「しょっぱなから人違いだ。ボケっ!」
何だよその意味の分からない名前は。やたらとカタカナ文字が横並びしている。
私の名前は泉美であって、スターなんちゃらという大層な名前ではない。
「思い出してください。主様。そりゃ今は当時のようなふくよかな胸も、くびれた腰も、見るだけで魅了するお顔も見る影がなくなっていますが、その魂……」
「おい」
ぐちゃり。
私は立ち上がり、正座状態で座っている少年の膝の上辺りを、踏みつける。
強く踏んだわけではないが、ぷるりとゆれてクッション剤のように足を包み込み、靴あとをつけた。
ナニコレ気持ち悪い。
それはさておき、私は少年をにらみつける。
「それは私が、まな板で、ドラム缶で、見るからにブサイクだといいたいのかね?」
「いいえ! 何をおっしゃいますか。
僕はちゃんとまな板も、ドラム缶も知っています。主様は人間です。多少顔がくずれていますけど、おそらくブサイクという範疇ではありません」
大真面目で答えるゲル。
私の嫌味がまったく通じない。
それどころか、踏まれたことにより、小刻みに震え、完全に顔を蒸気させ始めてきた。
本当に誰か、こいつをどうにかしてください。
「も、ももういいわ。
とりあえず、人違いでも主様でもなんでもいい。元の世界に返して」
「主様。その前に僕達の世界を助けてください。救世をお願いします。それが終わったら、僕達の種族総出で好きな世界にお送りしますから」
ゲルはうるうると目を潤ませ、上目遣いに頼み込んでくる。
一応整った顔の、男の娘である。
ショタ毛はかけらもなくても、男の娘に興味はなくても、なぜかぐっと息を呑んだ。
どうした私よ、それは気のせいよ、気の迷いなのよと、新たに何かいけない世界に踏み込んでしまいそうになるのを、ぐっと耐える。足が一歩下がり、腰が引いてしまったのは勘弁してください。
それにしても救世主設定とか、なんか王道みたいである。
これで魔王を倒せとか言われても、正直自信がない。
痛いのは普通に嫌いだし、体育の成績は3で可もなく不可もないのだ。運動ごとや荒事はご遠慮願いたい。
しかし、帰る為の条件なのか。
眉間に皺をよせ、ううむと唸る。
「自信はないけど、とりあえず話だけ聞いておくわ」
知らないと話にもならない。まずはそこからだと、ゲルにたずねる。
「はい。近年、僕達の世界は、空から何時までたっても大地に戻らない物質が流れ込んできます。
それだけじゃなく、病気を引き起こす液体が空気を汚染し……」
ん?
とりあえず魔王がどうのって話じゃないことに安心したが、話を聞いていると何かが引っかかる。
「ちょいとまて。
その物質って言うのを見せてくれる?」
その私の質問に、ゲルはひとつの物質を見せてくれる。
……ぷらすちっく?
「あのさ。空気を汚染する物質って何か知ってる?」
「えっと、ゆうきすいぎんとか、かどみうむって名前だと、父上が……」
有機水銀? カドミウム?
私は数年前にやった社会の内容を思い出す。
「もしかして、空の上って大地ある?」
「え? あ、はい。あります」
それ、公害だよね。普通に公害だよね。ただの公害だよね。
っていうか救世とか関係ないよね。
私が来る必要って、かけらほどもなかったよね?!
くらあああああーーーっと、私は一瞬意識が遠のいた。
「責任者でてこおおおおおおおおい!!!!」
私はゲルの胸元をつかみ、思い切り投げ飛ばした。「ああ♡」という声が聞こえた気がするけど、無視だ無視!
早くおうちに帰りたいよおお。
こんな世界いやだああああああ!!!
投げ出したゲルとは別の方向に、泣きながら走り出した。
単純に現実逃避である。
異世界トリップなんて、余計なお世話よおおおおおおおおおおおおっ!!!!!
有機水銀→水俣病
カドミウム→イタイイタイ病